第二話 理科の戦略的利用法
晩御飯を食べていたら、テレビと本棚の間が鈍く光り始めた。時計を見ると、9時半。いつもながら時間きっちりだ。
「こんばんは、フェル。いらっしゃーい。ちょっと待ってて、ごはん食べちゃうね」
「お邪魔します。お夕食ですか?待ちますから、ゆっくり召しあがってください」
ふわっと広がる光に向かって声をかけると、中から返事があった。鶏の照り焼きを口に放り込むほどの短い間に光は鎮まってなくなって、そして光の消えた場所にフェルが現れた。ここにはないどこかの世界、リア・フアルからの週に一度のお客様だ。
今日のフェルのいでたちは、衿や袖口などポイントに白を効かせた濃紺のチュニック、チャコールグレイのズボンの組み合わせ。なんだか制服みたいで、三割増しとはいかなくても一~二割増しぐらいにはかっこよく見える。うん、相変わらず目の保養だ。
現れたフェルは礼儀正しくお辞儀をして、やがて食卓を見て、美味しそう、と目を細めた。
「いい匂いがしますね」
「そう?ありがとー」
手早い・楽・安いと三拍子揃った家庭料理全開の味だけどね。料理って試行錯誤で上手くなっていけるから、理科の実験と似通っててかなり好き。
「今度早めに来られるなら何か作るよー?口に合うかわかんないけど」
気分でだしつゆの素・鶏がらスープ・コンソメを使い分けるからな、あたし。来週の金曜日に王道な和食を作ってる保証はないんだけど。青菜の炒め物をお味噌汁でかき込んで、ぱぱぱっと洗い物を済ませると、フェルは机の上に勉強道具を並べるところだった。
「いいんですか?眞乃さんの手料理、楽しみにしておきますよ」
じゃあ今日はその前に、賄賂を渡しておかないといけませんね。冗談混じりにフェルが差しだしたのは、素朴な見た目と裏腹に手間暇のかかる、パウンドケーキみたいな外観の焼き菓子だった。
「ユーファミアから預かってきました。眞乃さんに、おみやげです」
「まじでー?!ユーファのお菓子、絶品だから大好き!お茶淹れるから待っててね!」
ユーファミアはリア・フアル王宮の女官長。母親と同世代ぐらいの年齢に、厳めしい顔付きをしてるけど、なかなかどうしていい人だ。何度か話すうちに仲よくなって、ちょくちょくこうしてお菓子を作ってくれるぐらいにはあたしのことを気にかけてくれている。またそのお菓子が、美味しいんだ。料理長の作る繊細なスイーツとはまた違う魅力があって、食べててほっこり和む味。今度作り方教えてもらおうっと。
今日は食い気全開みたいだけど気にしません。食は人間がどこででも生きていける最大の活力ですよ!ごはんがおいしければ、元気が出るものです。その逆もしかり。これ、持論ね。
というわけで、おみやげのケーキでお茶しながらお勉強。真夜中だけど、今日はいいのさ。
「で、おなじ周期の波が揃えて重なると、周期そのままで振幅が倍の強い波になるわけ。この波の面白いところは、時間を変えてみて行くと……」
「あ、あれ?波が動かなくなりましたね」
「そうそう、波が前進せずその場で上下するだけに見えるから、定常波って言うのね」
今日は先週の続き、物理のお勉強。波動の干渉、というやつだ。
ふたつの波が上手く重なることで、強めあう部分と、弱め合う部分ができる。強めあうと波の揺れは倍になるし、打ち消し合って波が消えてしまう部分もある。
スピーカー二台を置いて音楽を流すと、音が大きく聞こえる場所と、小さく聞こえる場所があるよね?あれと同じ理論かな。ほかにも、水面に二つの石を同時にぼちゃって落とすと、波紋が広がって不思議な模様ができたりする、その模様のできかたも同じ理論だったりする。
もちろん波を重ねて増幅するだけじゃなく、作り出した波を敢えてぶつけて雑音を消す…という手法が、ヘッドホンなどのノイズキャンセリングに使われていたりするから面白い。
「1の力で、2の力の波を起こせるんですねぇ……」
「そうそう。場所によっては0にもなるし」
「これ、魔法にも応用が効きますよね?」
そうかも。魔法の使い方とかその有効範囲とか、属性とか全くわかんないけど。たとえ二人がかりでも、半分の労力で、ピンポイントで倍のダメージを与える…っていうのは不可能じゃないはずだ。
「うん、うまく使えばできると思うよ。熟練っていうか、息の合った魔法操作は必要かもだけど」
「なるほど、ためになります」
重ねれば重ねるほど威力は増すはずだけど、息を合わせるのも難しい。2~3人が限界じゃないかな。
大きくうなずくフェルは真剣な顔をしている。
「こういうの、役に立つ?」
波の干渉って実生活あらゆるところに現れるし面白いよなぁ、って思って話をしていたつもりなんだけど。フェルの感じ方はまた違ったみたい。
「立ちますよ、もちろん。いかに精神力をすり減らさず、大きな効力を発揮させるか……というのは、私たち魔法使いにとっては死活問題ですから」
「ふうん……そういうもの?」
「武闘派魔法使いも中にはいますよ。そういう人は、敵に接近されたとして直接攻撃で反撃できますけど、私たちの多くは、戦力に近接されれば圧倒的に不利になりますからね」
まあ、それもそっか。ゲームしてても、前衛で動かすのはだいたい戦士系で、魔法系のキャラは後衛でダメージ少なく戦ってもらうのがセオリーだし。楯の役割を期待するのは酷ってものかもしれない。
「そもそも、遠くから魔法で大きな効力を発揮できれば、相手方の魔法使いに大して大きな圧力になりますから。倍の力を持つ魔法使いが敵方にいる…と思わせるだけで、避けられる争いもあるでしょう。もちろん、こけおどしなので、そうそう多くは使えませんけど」
戦略的というか軍事的というか、そういう利用方法の話を聞くと、あらためてあたしたちは平和ボケしてるんだなーって思う。技術は美味しく便利に使うもので、それ反則じゃん、完全にチートだよ…って言われないように、上手く付き合っていくべきものだと、平和な世に生きる(少なくとも)あたしは思っている。
それでも、こうやって話す知り合いの国が何かしらの脅威に晒されていて、それを退けるために技術を欲していると考えると、こんなのほほんとした思考でいいのかなぁ……とちょっと思ったりもする。
「・・・そっかぁ。リア・フアルもやっぱりそういう、軍を出して争うようなことに巻き込まれたりするもの?」
「それは、国はひとつではありませんから」
どうやら、国境が存在する以上、避けられないものらしい。ただ、とフェルは表情を和らげて補足をしてくれた。
「とはいえ、ここ数十年ほどは大きな戦いはないですね。大陸で覇権を握っているのは隣国で、それも宗教国家なので攻め入られることはまずないでしょう」
宗教にもいろいろあるけど、とりあえず争いを厭う方の宗教っぽいな。なるほど。
「戦力よりは、外交っていうか精神面で攻めてきそうだよね」
うちの国を攻めると天国に行けませんよー!的な感じで。基本的だけど効力は大きいだろうな。科学技術の発達してない世界なら尚のことだ。
「ああ、そういうことはままあるようですよ。敬虔なそちらのお国には敵いませんけど……って持ち上げつつ距離をおいておけば、特に弊害はないですかね、今のところ。宗教国家のさらに向こうに位置する国はちょっとややこしいので、できれば境界を接したくはありませんけどね」
あるんだ。ちょっとおかしい。
そしていつになく毒をぶっちゃけるフェルもちょっとおもしろい。外交ルートでいろいろ苦労させられてるのかなぁ。
「ふーん。っていうか、こういうことあたしに言っちゃっていいの?」
もろに機密のニオイがするんですけど。
なんとなく心配で言ったら、一笑に付された。
「それはそうですけど、眞乃さんから一体誰に漏れるんですか」
それはそうだ。
「えーー…どこかの国の間者?」
「間者が侵入した時点で外に叩きだすでしょう、眞乃さんなら」
悪ノリして冗談を言ったら、忘れたい過去を掘り起こされて逆襲された。ぎゃふん。
まさに「叩き出し」を実行した身としては苦笑するしかない。しかも―――実行した相手はリア・フアルの馬鹿王子ときてる。
「えーと、わ、忘れてください」
「いえいえ、伝説のひとつとしてリア・フアル王宮に語り継ぎますとも」
やーめーてー。そんな変な経歴で名を馳せたくないよー。
きっとそれは気の合わないこと極まりない馬鹿王子も同じだろう。
「あ、あれ…まだ怒ってそう?」
怒っているか、の主語はもちろん某王子だ。こわごわ聞いたところ、フェルは思い出し笑いをこらえきれない顔になった。
「でもないですよー。断りもなく女性の部屋を訪れるとは何事か!って王妃様と女官長にダブルでこってり絞られて、『あれは藪蛇だった……』って柄にもなく反省してらっしゃいました」
柄にもなく、って言えるフェルもすごいけど。まあ国ではひとかどの地位にいるしいいのかな。(いいのか)
叩き出したのはスカッとしたけど、あれはあれで回収が大変だったから、できればもうしてほしくないし。反省してるならいいか。