第一話 金曜夜の来客は
「あんた最近、メイク贅沢になったよね」
月イチでやってる女子会(と言う名の飲み会、愚痴り会)。
その席でぽつりと友達に言われて、ギクッとした。
「えー………そ、そう?」
「そう。そのアイメイクの変わりようは裏技ごときじゃ出せないでしょ。何、もう春の新色?」
そう言って友達は某ブランドの名前を挙げる。彼女本人が買ったわけでもないのに、しっかりチェックされているとは恐れ入る。
「そりゃ、気になってるものはチェック入れるの当たり前でしょ。あたしは値段で迷ってたけど…そっか、買ったか―」
かぶらないようにするけど、あとで使わせてね、と笑う。ちゃっかりしてるなぁ。
「衝動買い?それとも色気のある話?」
うわ、降ってきた。後者の流れは避けたいぞ…って思ってたら、周りの子たちから思わぬ援護射撃が飛んできた。
「あれ、この前バッグも買ったよね?」
「買ってた買ってた。新作だったー!この前わたし駅でミュウミュウだーって叫んじゃったよ、出会いがしらに」
「はずかしいやつめー!」
「先月レーシックもしてなかった?」
くそう。いざというときとても頼りになるのは女友達だと思うんだけど、それでも女友達ってみんな目ざといからあなどれない。
ちょっと贅沢、じゃなくてちゃんと貯金に回さないと。危ない危ない。
「………えと、内緒にしててくれる?」
『うんうん』
声をひそめると、みんなずずいと身を乗り出した。こわいよ。
「その、後輩の付き合いで前に株を買ってね。それがたまたま当たって、臨時収入が出た……からなんだけど」
答えたとたん、全員がくっと脱力して座席にもたれこんだ。なにこの反応。
「なんだー」
「金持ちの彼氏でもできたのかと思ったのにー」
「はあ?」
そうよーいいでしょーとか言えない自分がささやかに悲しい。いや、今はその話じゃなくて。
(とりあえず、ごまかせたっぽい……かな?)
だって本当のことを言えるわけがない。言える方がずっと気が楽なのは確かだけど。
どうにか友達の追求をかわして、家路につく。ひとり暮らしのドアを開けると、電気がついていた。
やば、ちょっと遅くなったかな?
「ただいまー」
ブーツを放り出しながら中に向かって声をかけると、栗色の髪に優しそうな眼をした青年があらわれた。
髪の色によく似合うオリーブグリーンのロングチュニックに、ダークブラウンのズボン、といういでたちだ。ロングチュニックには金に近い黄褐色の糸できれいな縫いとりがされていて、たまにまじまじと見とれてしまう。つくづく、うちの玄関にそぐわない服装だなぁと何度か考えたけど、回数を重ねれば見慣れてしまうから不思議だ。
「お帰りなさい、眞乃さん。お邪魔しています」
「こんばんは、フェル」
フェルは正しくはフェルディナンドという。長いので、略して呼ばせてもらってる。名前から察せられるとおり、日本人じゃない。
フェルはリア・フアルという国の出身。
それはどこか。聞かれても、あたしにもわからない。なにせ、世界地図でもGPS衛星でも見つけられない。地球上に存在しないのか、現代に存在しないのかはよくわからないけど……とにかく、そういう国のひとだ。
ではなぜそんな国の出身のフェルがあたしの家にいるのかというと、そしてそもそもあたしがフェルと知り合いなのかというと、それにはいろいろ訳がある。
「ごめんねー遅くなっちゃった。待ってた?」
慌ただしくラフな格好に着替えて、リビングに戻ってきた。
「いえいえ、大丈夫ですよ。それより眞乃さん、宿題でわからないところがあったのですが……」
「お、気になってるね」
じゃあ今日はまずそれの解説と前回のおさらいから入ろうか。ポットに紅茶を淹れながら、あたしは本日のカリキュラムをざっと提案した。
「ちっがーう!いまここで見たいのは『ある時間t』の波形なの、それとも『ある座標x』の時間による上下変動なの?」
「……え?」
フェルのいる世界は、科学技術の発展に乏しい。想像するに、中世ヨーロッパぐらいの感じなのかな。
少しの錬金術と、少しの魔法があって(あたしからすればそっちの方が不思議というか疑問なんだけど)、それでみんなどうにかやっている。どうにか、というかそれを当たり前として生きている。
やっていけないのは、欲望におぼれた権力者と、それにこき使われて右往左往させられるかわいそうな人たちと、それから知的好奇心にあふれた研究者。
フェルは、その二番目と三番目に該当する立場にいる。
リア・フアルではおそらくトップかそれに準ずるぐらいの頭脳でも、現代の日本で言えば小中学生の理科ぐらいのもの。
あたしは夜間の副業として、フェルに理科全般を教えているというわけだ。
「だから、前に進む波も、時間による上下変動も、どっちも図にしたら同じでしょ?でも意味するところは全然違うんだから、重ね合わせても干渉波にはならないし、定常波のグラフは描けないよってこと」
「あー…ほんとですね」
「今までと違って、考えることがひとつ余分に増えたから、簡単ではなくなるんだけどね」
高校物理、しかも平面と時間軸の3次元を取り扱わないといけない分野で、脱落者が少なからずいたことが懐かしい。
回想に浸りかけるあたしの横では、フェルが魔法で小さな箱を作ってそれに見とれていた。手のひらサイズの小さな直方体に、波が左から右へ進んで行ったり、止まったりしている。制御しているのはもちろんフェルだ。あたしに魔法は使えない。
「……便利よね、それ」
「はい?」
「いーえ、なんでもない」
「そっか、僕ここを完全に勘違いしてたんですね?通りで、計算が合わないと思いました」
彼は動く波の模型を魔法で作って(しかも即興で)、さっきしたばかりの解説の意味を実地で理解していた。
フェルは、飲み込みがすごく早い。教えすぎないように気をつけてるつもりなんだけど、たまに逸脱しそうになる。
早い話、教えてるこっちが楽しい。さくさく話が進んでくれるし、もっと知りたい、という好奇心が旺盛。
「魔法がある世界とない世界とでは事情が違うんだから、同じようには考えない、決して教えすぎない」って副業をはじめるときに固く決めたんだけど。決意が揺らぎそうで、困るなぁ。嬉しいような、悔しいような、複雑な悲鳴を上げたくなるよ、ときどき。
勉強がきりのいいところまで行ったら、あとは雑談。っていうか、あたしの仕事の愚痴を聞いてもらうのが半分、興味本位で魔法のことを聞いてみるのがあと半分かな。フェルにしたら意味不明なことばっかりだろうに、嫌な顔ひとつ見せたことがない。にこにこしながら聞いてくれるんだよ、いい子だよね、ほんと。
「でねー、ほんとに忙しいのに、そういうときに限って雑談振ってくるの。お前に足りないのはデリカシーもか!ってイライラしたよー。足りないのはせめて髪の毛だけでいいのにねぇ」
「それは疲れたでしょう眞乃さん…。ああ、こちらの世界でもなくなる人、いるんですねぇ」
フェルは、やさしい。
アラサーと呼ばれる年域に突入したとまだ認めたくない、微妙な年頃の女子の愚痴をうまいこと聞き流して、それでも欲しいところにきちんとコメントを、ねぎらいの言葉をくれる。
「いるよーたくさん。なくなる場所はまちまちだけど」
フェルはやさしいから『何が』とは言わない。王宮勤めしてるせいかな、上手くオブラートに包むよね。勉強になります。この場に気を使うべき人なんていないけど、折角だから乗っておこう。
「そうですか。世界は違えどひとに変わりはないものですからねぇ。こちらの技術で、何とかなったりはしないんですか?」
「うーん……なったら、すごいだろうねぇ。世界中から反響が来そうだわ」
次元の違うお金持ちになれそうなのは確かだろうね。研究が進められているとはいえ、速攻性のあるものが開発されたとは聞かないし。
「なるほど、難しいものなんですね。だとしたら、僕らの世界ではまだまだでしょうねぇ」
「フェル、魔法とか錬金術とかではどうにかならないもの?」
「なりませんよ。なったとして一時的なもので、人体には定着しませんからね。短時間ごまかすことは可能ですが……そんな魔法を毎日かけ直せるのは王族ぐらいのものですし、それで宮廷魔術師の力が尽きてしまっては元も子もありません」
あちらの世界で、すべての人が魔法や錬金術を使えるわけじゃない。当然、術師たちはあちこちの国の庇護のもと、いざというときの戦力として生きている。たしかに、王族のわがままで消耗させてたら自分の国が滅びるよね。
「それもそっか。勝手に育ってくれなきゃお手上げだもんね。あ、魔法でそれこそ木とか草でも生やしたら?」
「ダメですよ!冬寒そうですから!」
寒そうと聞いて、つい、冬枯れした草木や葉の落ちた枝を想像して、あたしは盛大に爆笑した。だって、それじゃ余計にさびしいじゃないの。ちなみに言った本人は大まじめだからね。
フェルは、おかしい。
夜が明けるころ、フェルはあちらの世界に帰っていく。転移の魔法の効力をためるのに、ちょうどよいころ合いなんだそうだ。
「それじゃあ、眞乃さん。また金曜日」
「うん。またね」
にこにこ笑って手を振った、そのフェルの右手から光があふれてあふれて人影が見えなくなって――光と一緒に、フェルも姿を消した。リア・フアルに戻ったんだろう。
窓から朝日が差し込んでいた。それをカーテンで遮って、あたしは土曜日なのをいいことに爆睡することにした。いつものように。