不死者の悩み
女神教と女神正教には富と力は必要がない。
不老不死の肉体、世界中の軍に勝てるだけの個人の力、錬金術により食物も金属も薬も家も作りだせる。
富と力はもうもっている。
しかし信頼を失うことは恐ろしい。
女神が一人が3年で300人生み出した不老不死のものを我々は300年でそして300人がかりでも1万人も生み出せてはいない。人々の心はこのままでは離れてしまうのは明白だ。立場があるから信頼を失う事が恐ろしい。いつまで続けねばならないのか。
この世界にはもちろん女神教・女神正教以外にも宗教というものは存在する。
最も受け入れられているのは、我々の住む世界は、6つ又は地域によると7つの別の世界の神々、その神々を統べる19人の王が協力をして作ったというのが女神教が生まれる前に世界で最も受け止められていた世界観であり最も受け入れられていた宗教である。
試練を超えることができれば神々に合う事が出来るといわれている。19人の王は人類を愛している。そこまで信仰するものもいるし、作るだけ作ってほってはおかないだろう、そうであってほしいと願うそういう信仰もある。
もう一つは我らの女神とは別の3人の女神への信仰である。
世界の西側と東側、二つの争いあう種族、東側の探検家の二人の少女は東側との友好を望んだことで幽閉された西側の国のお姫様を助け出し、西側で最も大きな国の王にまで押し上げた。以降二つ種族は争いを100年抑えられ、その後も意味なく戦う事はなくなった。多少の脚色はあるだろうが事実として二つの種族の戦争は大幅に減っており歴史の転換点となった。人間の少女だった3人はその功績から3女神と呼ばれるようになった。人々の生活を守り発展させ恩恵を与えるものは人であろうと神と呼ばれるのだ。
後の世に様々な脚色もされており19人の王にあって力を得たという風に言う人もいるし、19人の王に使わされたというものや、19人の王が人の世界に来た姿だという人もいる。そして彼女らは100年国を治めた後、19人の王たちの世界に旅立った。その際に人々を見守るように、使い魔の金属で出来た青い鳥をこちらの世界に残したというのだ。
王に使わされたのか、王自身なのか、王の化身なのかそこに大きな差はないだろう。
けれど意見は対立する。いや、人々は対立する。
円環信仰と螺旋信仰は相いれない。同じ宗教どうしで争うのは要はそういう事である。
繰り返しを望む円環信仰は自分が続く事を望み、螺旋信仰は自分は世界の一部であることを望む。
その面で言えば自分自身が不老不死となる女神教は基本は円環信仰の一つといえるだろう。
少しの違いはある。言い方の問題でしかない。それでもその少しの違いが自分の望む範囲から出てしまう事が許せない。
3年目の友は女神正教は円環信仰から螺旋信仰への転換を図っている。
「友よ、君は女神の正体をどう思っているのだ。」
私は3年目の友に問いかける。螺旋信仰と円環信仰の違いなど女神の正体を何にするかに過ぎない。
人類が女神の一部とするのであれば螺旋信仰であり、いずれ女神と同じものになれると考えるのであれば円環信仰である。3女神と同じである。人が神へと昇華したのか、元から神だったのか。神への昇華の宿命を持った人だったのか。
友は考えている。我々は意見を戦わせなければならない。友は名残惜しそうにしている。
どう決着がついたとしても300年の友との別れとなる。
我々は永遠の命を持つ、今別れとなっても500年後でも一万年後でもまた友好を取り戻せたらと私は3人で旅立ったとされる3人の女神に祈った。




