女神像を前にした祈りの意味
私は女神の像に祈らない。
きっと女神教の指導者は誰も祈らない。
自らが神に等しい強大な力を得たからではない。
女神教の指導者は皆直接女神をみているため姿を知っていながら、しかし女神像はイメージを重視し、まるで神のコスプレをしたような女神像に違和感を感じるからではない。(祈らない理由ではないだけで違和感はある)
女神を利用している事への罪悪感というのが一番近いだろう。結成当初は誰も我々の話など信じ無かった。不老不死の肉体という奇跡等、50年近く経たないとはっきりとは分からない。我々にしたって自分がどの程度死なないのか本当には分からない。
また、実際に女神をまのあたりにした人も100万人は居ない。かつての神々同様やはり噂話か妄想か嘘か判断はつかないのだ。100万人の目撃者にしても淡々と起こされた奇跡の真贋は見極めらない。
我々は信じさせることの出来ない苦しみからのがれるため女神教を作った。証拠を見せるからよく観察しろ!我々は真の意思を無言で叫びながら、女神の前の人々の平等と女神の目に留まる事で不老不死になる事を説いた。それは女神の意思等ではけして無かった。
女神の像に祈る事はそのうそを思い出す事で同義である。だから我々は女神の像に祈ら祈らない。そんな我々に女神は罰さえ与える事はない。
「友よ、私はここ数年女神の像への祈りを再会した」
私の友がそんな事を言い始めた。彼女は女神正教の中心人物であり、事実上のトップである。
まだまだ女神正教等は無かった頃の話。
3年目の友程、女神の性質は美化し始めている。我々1年目の友は人と違う力を植え付けられた被害者という意識が心のどこかに存在した。どれだけ得られた力が多くともその思いが消える事はない。
3年目の友は違うのかもしれない。2年の間に噂、伝承は広まっており、自ら請い女神を探した者達なのだ。より女神を信奉しているのは彼女達なのかもしれない。父と自らが幼い頃に死に別れ、後に幼い子を亡くした彼女はどのような気持ちで女神を探し求めたのだろうか。私は友に300年もの間一度もその事を尋ね無かった事を思い出していた。