第6章 デルフォイ
「これは…」
階段を降りた先は、開けた石畳の広場だった。中央にぽつんと小さな部屋があり、それを囲む壁沿いには、何体もの半人半馬の像が整然と並んでいた。
これが、レオの“当て”だろうか。
慣れた様子で、レオが部屋の前で足を止めた。
「ここが入り口だよ」
君は慌てて彼の後に続き、装飾されたアーチ門から顔を覗かせる。
「入られよ」
中からくぐもった声が響く。レオに目配せすると、彼は促すように頷いた。
恐る恐る足を踏み入れると、部屋の中央に座る女性と目があった。チリリンと涼やかな鈴の音が鳴り、神秘的な香油の香りが鼻を突いた。
冷たい空気がふわりと髪を揺らす。彼女を囲む4つの泉から、カランと神秘的な水音が響いた。
「神殿へ、よくぞ参られた」
ベールに包まれた女性が水晶玉から顔を上げる。長い漆黒の髪に、全てを見透かすような鋭い瞳。両手の甲には、星の入れ墨が輝いていた。
「…彼女は?」
君が小声で尋ねると、レオも声を潜めた。
「オラクルさん」
「…人間?」
「さあね」とレオが興味なさそうに肩をすくめる。
改めて彼女に目をやると、何やら呟きながら水晶玉を一心に撫でていた。その姿はいかにも神秘的だが、テーブルに散らばった菓子の食べカスが雰囲気を台無しにしていた。
君は小さく咳ばらいをして、彼女に向き直った。
「…あの、ここは…」
「汝は小神託を受けるか?それとも大神託を受けるか?」
低く、威厳のある声。君は思わず目を瞬かせた。
「あ、あの…」
「汝は小神託を受けるか? それとも大神託を受けるか?」
彼女は再度そう言うと、水晶玉に目を落とし、黙ってしまった。
…これは、選ばなければいけないのか?
「…じゃあ…小神託…?」
「50ゾクミズ」
差し出された指輪だらけの手に、君は思わず眉を寄せる。
まさかとは思ったが、やはり…金、取られるのか...。
「50ゾクミズ」
再び繰り返された低い声に、君は渋々カバンを下ろす。どう考えても高すぎる。新品の靴が一足買える値段だ!
君が渋っていると、後ろから伸びてきた手が君を制した。レオだ。
「僕が出すよ」
その声に、オラクルの表情が凍り付いた。レオを捉えた彼女の目が大きく見開かれ、次の瞬間にはあからさまな嫌悪に歪む。チッと鋭い舌打ちが、静かな部屋に響いた。
「…あれ、僕嫌われてる?」
楽しげに目を細めるレオに、オラクルは心底嫌そうな顔でテーブルを指で叩いた。
「…50。現金のみ、釣りは無し」
「分かってるよ、急かすなって」
レオは肩をすくめると、慣れた手つきでテーブルに銀貨を五枚、滑らせるように並べた。
「はい、丁度」
レオのその態度に、オラクルが意外そうに眉を上げる。
「…今回は、ちゃんと金を持ってきたようだな」
その意味深なオラクルの一言に、君は思わずレオを振り返った。
「“今回は”?」
「僕は顔が広いんだよ」
レオが肩をすくめる。オラクルは何か言おうと口を開きかけたが、諦めたようにため息をついた。
「…まあ、よい。金さえもらえれば、妾は何も言わん」
彼女はそう言うと、一度咳払いをして、姿勢を正した。
「では、この預言者が、汝らに小神託を授けよう。よく聞け」
彼女はここで言葉を切ると、すっと目を閉じた。
君はごくりと唾を飲み込む。ダンジョンの神託…一体、どんな凄いものが…!
「泉の精はどこだ?今はどこかの泉に住んでいると言われている。」
君は次の言葉を待つが、それっきり彼女は喋らなくなってしまった。
「あの...?」
「汝は小神託を受けるか?それとも大神託を受けるか?」
そのまったく同じフレーズに、君は目を瞬かせた。
…まさか、これだけ?
ちらとレオに目をやると、彼も眉を潜めたまま首を傾げていた。
「…オラクルさん、流石にもう少し説明してくれ」
「これ以上は有料だ」
オラクルが他人事のように肩をすくめた。ピキリと、レオの額に筋が走る。
「こんのぼったくり…詐欺で訴えるぞ」
「訴え…?」
レオの言葉に、オラクルが目を見開いた。
「わ、分かった、落ち着け」
そして、小さく咳き込むと、小さな声で呟いた。
「コホン…もしかしたら、剣を泉に沈めれば、精霊が見つかる…かもしれん」
オラクルはそれだけ言うと、レオを睨みつけた。
「これで満足か?」
「ありがと、オラクルさん」
レオがにこやかに礼を言うと、オラクルは少し顔を赤くして、忌々し気にフンと鼻を鳴らした。
味を占めたように、レオがニヤリと微笑む。
「じゃあ、今度は大信託を」
「1300ゾクミズ」
彼女はそう言って、当たり前のように手を差し出した。
君は思わず目を見開く。そんな大金、全財産をかき集めても到底足りない!
「うーん、1300か…」
レオが呟いて、ぱっと顔を上げた。
「大丈夫。見てて」
彼は小さく君にウインクすると、頭のフードを勢いよく取った。
絹のような銀髪が揺れ、彼の紫色の瞳が光に照らされキラリと輝いた。
「待て…やめろ…」
オラクルの声が掠れた。先程までの図々さが嘘のように、頬を赤くして固まっている。レオはそれを見てすっと目を細めると、そっと彼女のテーブルに手をついた。
「…ねえ、オラクルさん。昔のよしみで、少しだけ安くしてくれないか。ほら、この通り」
彼のあまりに繊細で今すぐにでも崩れてしまいそうな表情に、君も思わず息を呑んだ。オラクルも無視をしようと努めたようだが、そうしないうちに顔を真っ赤にして叫んだ。
「…1000だ!これ以上は安くせんぞ、この性悪エルフ!」
レオはぱっと机から手を離すと、待ってましたとばかりにニコッと微笑んだ。
「うん、それでいいよ。その代わり、“三神器”について教えてね」
カタンと、金貨が10枚、赤いクロスの上に置かれた。
君は、思わず息を呑む。…金貨なんて、平民なら一枚でも滅多にお目にかかれないのに、それを10枚。自分は貧乏ではなかったはずだが、ひと月は暮らせるほどの大金をこれほど無頓着に手放す人間は(エルフだが)、生まれて初めて見た。
…彼は、一体、何者なんだろうか。
オラクルは少し感心したように目を細め、それをしっかり数えて懐にしまうと、小さなため息をついた。
「…では、ゆくぞ。このオラクルの大信託、心して聞け」
彼女はそう言うと、すっと目を閉じた。途端、部屋のろうそくがすべて消えたと思うと、部屋の中の泉が呼応するように勢いを増す。そして、彼女の手の中の水晶玉が一気に光を放った。
「…魔除けを探さんとする、冒険者たちよ」
彼女の目が、ゆっくりと開かれた。黒かったはずの瞳は今や星屑のような淡い銀の光を放っており、その声は脳内に直接響いてくるような、美しい歌だった。
ゲヘナの奥深く、地面の振動する場所からモロクの聖地に入られよ。銀の│鐘の純粋なる音が汝に告げ,祝福されし燭台の光が道を示す。モロクの本より読まれしルーンは、地を力強く揺らさん。魔除けを手にした赤き星は、三人の騎士が道を開くとき、天へと昇るだろう…
オラクルはそう言い終わると、そっと目を閉じた。水晶玉が徐々に光を失い、部屋の消えていたろうそくに再度小さな炎が灯った。
「い、今のは…」
「書いておいて」
レオに促され、君はポケットに入ったままの携帯食料の包み紙に、急いで歌を書き写した。
「釘をさしておくが…一番重要な神託を授けたのだ、これ以上の情報はあげられんぞ」
先ほどの威厳が嘘のように、オラクルがか細い声で呟いた。
「うん、ありがとう」
レオはにこやかに礼を言うと、君に向き直った。
その紫色の瞳が、悪戯っぽくキラリと光る。
「さて…『剣を泉に沈めれば、泉の精が見つかる』だっけ? 」
「え?」
「あの小信託だよ。早速だけど、どうする?試してみるかい?」
まるで君の度胸を測るかのように、彼は楽しげに問いかけた。
君は鞘の中の剣にちらと目をやった。このオラクル…胡散臭いが、嘘をついているようにも見えない。それに、泉の精というのも気になる。
君は一瞬ためらうも、レオの挑戦的な視線を受けるように、顔を上げた。
「…やってみる」