第31章 下階段
「最高だね」
玉座の間で腕を組み、レオが心底うんざりした声で呟いた。君は、恐る恐る、レオの顔を覗き込む。
「…まだマーカーのことで、怒ってる?」
「マーカー?ああ、あの超伝説の魔法の杖をタダのゴミに変えた事?いや、全然怒ってないよ。ていうか、もう、記憶から消してたや。あはは」
彼のその言い様に、君は居たたまれなくなって、小さく頭を掻いた。
「…ごめん」
レオがため息をつく。
「しかも、それに加えて、半日もこの城を探し回ってんのに、下階段がどこにも無いってのは、あまりに最高じゃないか」
そうなのだ。君たちは、あの願いの杖騒動の後、先に進もうと下階段をずっと探しているのだが…。
「こっちにも無い」
隣の部屋を調べていたナルフが、戻ってきてそう言った。
「こんなにも見つからないのは初めてだ。まるで、何者かに意図的に隠されてるみたいである」
ナルフのその一言に、レオの表情が固まった。
「…まさか…」
君も、顔を上げる。
「…“あいつ”、のせい…?」
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「おかえり、待ってたよぉ」
ジグマスの歓喜の声に、レオが顔を顰めた。
「下階段の場所を教えろ」
「つれないなぁ」
ジグマスはそう言うと、自分を柱に縛っている縄に目を落とした。
「それより、この縄を外してよ?きつすぎて血が止まる、ほら」
ジグマスはそう言って、一層青くなった手をひらりと動かす。そのあまりに血の気の無い手に、レオが一瞬言葉に詰まった。
「黙れ、お前に血など流れてないであろう」
ナルフはそう言うと、白を切っているジグマスを睨みつけた。
「レオ殿、奴の言葉に耳を貸すな。同情は足を掬われるぞ」
レオは少し驚いたようにナルフを見るが、頷いた。
「…うん、分かってる」
レオはそう言うと、短い咳ばらいをして、ジグマスに向き直った。
「…コホン、とにかく。お前が下階段を隠してるのは知ってるんだ、早く場所を教えろ」
「酷いなぁ、隠してなんかないよ?」
ジグマスの言い様に、君は眉を潜める。
「いい加減にして。何処にあるの」
「本当だよ?だって…」
ジグマスが、すっと目を細めた。
「この層に、下階段は無いんだから」
一瞬の沈黙。
君は、素早く聖剣をジグマスに突き付けた。
「戯言も大概にして。下階段が無いのは最下層だけのはず。まだ、“ゲヘナ”って場所にもたどり着いてない。ここは、ダンジョンの底なんかじゃない」
「いいや、ここは確かに“最下層”だよ?」
「…なんだと?」
ナルフが目を細める。ジグマスは肩をすくめると、俯いた。
レオはそれを見て目をすっと細め、大きなため息をつく。
「ねえ。それは、ここから先が…“ゲヘナ”って事で良いのかな」
レオはそう言って腰の短剣を抜くと、その切っ先でグイとジグマスの顔を上げた。うつむいていた彼の顔には、満面の笑みが浮かべられている。
「流石レオちゃん、だいせいかい」
レオがぱっと刃を引いた。ナルフの顔が引きつる。
「この下が…ゲヘナだと?」
「正確には、“死の谷”…ゲヘナの入り口さぁ。例えるなら三途の川、そこを越えた先は、“地獄”だ」
ジグマスの声から、いつも漂う嘲りの色が一瞬だけ消えた。だが彼はまたいつものへらへらとした笑顔に戻ると、すっと目を細めた。
「つまり、ここは“この世”の最深層。そんで俺は、“あの世”への入り口を守ってる、番人って訳さぁ」
レオの瞳に、苛立ちの色が宿る。彼は腕を組んで、眉を潜めた。
「…何が言いたい」
「要するに、俺は君たちに、この下に行かせる気が無いって事?」
ジグマズがそう言った瞬間、ピキリ、とレオの顔から、それまで保っていた冷静さが失せた。
「なんでだよ!僕達はお前に勝った!それに、僕はお前の命の恩人だぞ。エイミーは聖剣でお前を真っ二つにできるし、ナルフだって魔力が回復してる。少しは、自分の状況をわきまえろ!」
「それはどうかな?」
ジグマスはそう言って首を傾げた。松明の煤けた明かりが、ジグマスの顔に奇妙な影を落としている。
「君たちが“勝った”のは、使いきりの巻物のおかげ。こんな縄、俺は抜けようと思えばいつでも抜けられるし、魔力が戻ったのはそこの悪魔くんだけじゃない。俺無しじゃ先にも進めない君たちの方が、“不利”なんじゃないかな?」
ジグマスがそう言うと、彼の目がギラリと光り、澱んだ魔力の気配があふれ出す。君は咄嗟に剣を握り、ナルフが魔法詠唱の準備をはじめた。
冷汗が、君の背中を伝う。
…負ける。今三人で襲い掛かっても、きっと、ジグマスが勝つ。不服だが、彼の言う通り、さっき勝ったのはレオの巻物のお陰。またあの死の魔法を唱えられてしまえば、今回こそ…。
ぴしりと張りつめた空気。
君が、ごくりと唾を呑みこんだ、その時。
「いいや。不利なのは、お前だ」
レオが、ジグマスを一瞥した。
「お前は、僕が虐殺の巻物を一つしかもっていなかったと、どう断言できる?」
レオのその一言に、君が眉を顰め、ナルフが目を見開いた。
ジグマスが鼻で笑う。
「レオちゃん、面白い冗談だけど、あんな物騒なものはそうほいほい落ちてないんだよねぇ。一つ持ってただけでも奇跡に近いのに、二個もなんて、絶対にあり得ないから?」
「実物を見せられたら、お前でも納得するか?」
「へぇ…?」
レオの自信満々な態度に、ジグマスはニヤリと笑みを浮かべ、乾いた唇を舐めた。
ドクン、と君の心臓が嫌な音を立てた。
嘘だ。レオは、嘘をついている。
ずっと一緒に旅をしてきたから知っている。レオは、二つ目の虐殺の巻物なんて、持ってない。
…どうするつもりだ?こんな嘘をついて、本当に持って無いとバレれば、それでこそ、終わりだ!
だが、当のレオはいつも通りの飄々とした様子で歩き始めると、君の前で足を止める。そして、小さく「失礼」と呟き、音一つなく、まるで流れる水のように、君のポケットに手を滑り込ませた。
「…え?」
取り出されたレオの手に握られていたのは、あの、小さな赤いマーカー。
「これは、マジックマーカー。この魔法のマーカーがあれば、“どこにでも、なんでも”書くことが出来る。…勿論、魔法の巻物だってね」
レオはそう言いながら、ジグマスの前にしゃがむと、片眉を上げた。
「…そして、僕はさっき読んだばっかりの虐殺の巻物の内容を、一言一句、はっきり覚えている」
レオはそう言うと、くるりと指先でマーカーを回し、ニヤリと微笑んだ。その不敵な笑顔に、ゾクリ、と君の背筋が震える。
「…この意味、分かるよね?」
その一言に、ジグマスの目が見開かれ、彼の体が震えた。
「ク、くくく…クハハ…!」
突然、ジグマスが自身の顔を鷲掴みにし、狂ったような高笑いを上げた。
「まさかここまで予想して、あの杖を、この伝説の魔法アイテム…マジックマーカーに変えてるとは!レオちゃんは、やっぱり底知れないなぁ!」
君は、唖然として立ち尽くす。
あのペンが、“伝説の魔法アイテム”、だと?
君は、思わず隣のナルフに目をやる。彼は、レオの自信に満ちた表情を見つめたまま、片手を口に当てて、固まっていた。だが、直ぐにすっと目を細めると、ふっと小さく微笑んだ。
「…ナルフ、知ってたの…?」
「魔力が感じられたから、普通のマーカーではないと思っていたが…。流石、レオ殿であるな」
レオは当たり前だとでも言うように鼻で笑うと、ペンを流れるように腰のポーチに仕舞う。
「さあ、“死の谷”まで、案内してもらおうか」
ジグマスはレオをじっと見つめていたが、少し名残惜しそうにため息をつくと、頷いた。
「俺の負けだよ、死の谷の入り口まで案内するから、縄をほどいてくれ?」
ジグマスはそう言うと、レオを上目遣いで見上げた。レオは嫌悪の表情を浮かべる。
「口で教えてくれればいいじゃないか」
「君たちじゃ見つけられないよ?」
レオは少し黙り込むと、君の方に顔を向けた。
「どう思う?」
君はため息をつくと、ジグマスを睨みつける。
「…少しでも変な動きをしたら、今度は容赦しないから」
君が短剣を差し込むと、麻縄の固い繊維が、ギチギチと音を立て、やがてぷつんと切れた。
「ああ…血が通う」
ジグマスはそう呟きながら伸びをして立ち上がると、ゴキリと音を立てて首を鳴らした。
「さぁ、こっちだよ」
よろよろと歩き出すジグマスの後ろ姿に、君たち三人は目を見合わせる。
細く曲がりくねった廊下を歩く足音だけが響く静寂の中、先を行くジグマスの長い影が、壁に不気味に揺れた。そして、大きな扉の前でピタリと足を止める。
「ここさ」
扉の先は、玉座の部屋。真ん中には壊れた噴水、壁には破れたタペストリー。間違いない、この部屋は、もう三人でくまなく調べつくした場所だ。
「…いい加減にして」
君がそう静かに呟いて聖剣をゆっくりと鞘から引き抜くと、ジグマスが愉快そうにケケケと喉を鳴らした。
「そう焦るなってぇ」
彼はそう言いながら、長い赤いじゅうたんの奥の、埃の積もった玉座の前に立つ。そして次の瞬間、まるで癇窶を起こしたかのように、玉座を思い切りガンと蹴っ飛ばしたではないか。
「おい!何を…」
玉座がガタンと音を立ててひっくり返る。そして、君は目を見開いた。
背の高い玉座に隠されていた、裏の灰色の壁。その壁だけ、微かに色が違うではないか。
ジグマスは一歩下がり、楽しげに顎でそこを指した。
レオでさえ気づけない程の、巧妙な隠し扉。
君は、握りしめていた剣をゆっくりと鞘に収めると、扉に嵌め込まれた錆びたドアノブに慎重に手をかけた。鍵はかかっておらず、古びた蝶番が軋むギィ、という音を立てて、扉が内側へ開く。
瞬間、生暖かい、湿った空気がバサリと君の長い髪を煽った。その空気に混じって、土と腐敗、そして微かな硫黄のような淀んだ匂いが鼻腔を衝く。君は思わず顔を顰めた。
「これは…」
「言っただろ?この下の“死の谷”に続く道さぁ」
「…嘘はついていないみたいだな。この下から、強い、死の気配がする」
ナルフが目を細めると、ジグマスがパチパチと手を叩いた。
「へぇ、悪魔はそんなことも分かるのかぁ。じゃあ、死の谷がどんな場所かも、知ってるよね?」
「勿論だ。本で読んだ」
ナルフはそう言うと、顎に手を当て、目を伏せる。
「地獄、あの世、呼び名は色々あるが、神モロクの領域だ。レオ殿、心しろ、ここから先は、貴殿の信じる女神の力は届かん」
「…エルベレス様が、干渉できないだって?」
レオが動きを止める。ジグマスが頷いた。
「…“二柱の創造神は、バランスを保つために、ダンジョンを半分に分けた”。この城は丁度その境目、ここから上がエルベレス、下がモロク。それで、魔除けはゲヘナの一番奥の、モロクの神殿に隠されてるのさぁ」
流れ出る重苦しい腐臭に、君の膝が微かに震えた。一歩踏み出せば、もう後戻りは許されない、深淵への入口。行かなければ。そう思っても、足が動かない。
「…ママ殿、我が先に行こう」
ナルフは君を安心させるように微笑むと、君の前に立つ。その背中を見て、君は小さく安堵の息をつくと、強く手を握りしめた。
ここから先が、ゲヘナ。魔除けの眠る、モロクの地獄。
「準備は良いかい?」
そう響いたジグマスの声に、君はふと、動きを止めた。
…なんだかんだ言って、ジグマスには助けられた。悔しいが、彼なしでは魔法の杖も、下へ行く方法も、見つけられなかっただろう。それに、今回はレオに手も出していないし、嘘もついてない。やはり、それに関しては、お礼を言うべきだろう。
「ジグマス、案内してくれて、ありが…」
君はそう口を開き、振り返った、まさにその瞬間。
君の目に映ったのは、直前までの胡散臭い笑みとは全く異なる、歪んだような満面の笑みを浮かべた、ジグマスの顔。
「さよならぁ」
ドン!と。
背中に強い衝撃が走った。




