第30章 願い
「…何この状況」
レオが目を覚ますと、目に映ったのは床で爆睡中のナルフに、柱に縛り付けられたジグマス、そして彼に剣を突き付けているエイミーだった。
「レオ、気分はどう」
エイミーはくるりと振り返ると、いつもの無表情で、でもどこか安心したように呟いた。だが、レオが答える前に、ジグマスが目を輝かせる。
「レオちゃん、起きたんだぁ~!」
「…レオちゃん?」
レオが首を傾げた次の瞬間、エイミーの額にピキリと青筋が浮かぶ。彼女はジグマスに突きつけていた聖剣をさらに彼の喉元に押し当てた。
「...喋らないで」
僕が意識を失ってる間、一体、何があったんだ…。
レオの混乱した様子を見て、エイミーが眉を潜める。
「レオ、この変態には近づかない方がいい」
「変態呼ばわりとは失礼しちゃうなぁ。僕がレオちゃんの火傷を直した時に、ほんのちょっとだけ手が触れただけだってのにさ~」
エイミーが黙って剣に力を込めると、彼は「ヒッ」と息を呑んだ。
「…こいつが、僕の手を?」
レオは驚いて、改めて自分の手を見る。そう言えば確かに、ナルフの火の魔法で焼けただれていたはずの手が、跡一つなくさっぱり綺麗になっている。
「…そう、だったんだ。なんか、複雑だけど…まあ、ありがとう」
レオがそう短く言うと、ジグマスが心底嬉しそうに、にたりと笑った。
「…レオ、騙されないで。この変態は、私が目を離してる隙に、寝てるレオの耳を舐めようとしてたんだから」
エイミーはそう言うと、嫌悪丸出しの顔でジグマスを一瞥した。ゾっとレオの背筋に悪寒が走る。
「え…なにそれ、キモ…」
レオがそう呟くと、思わず自分の長い耳を覆うように手をかぶせた。ジグマスは、まるで褒め言葉でも受け取ったかのように、ケケケっと笑った。
レオはその思考を振り払うようにぶんぶんと首を振ると、「コホン」と小さく咳払いをした。
「と、とにかく。僕は、お前に聞きたいことがあるんだ」
レオはそう言って腕を組むと、座っているジグマスの前に仁王立ちで立った。
「“魔法の杖”の場所を、教えてくれ」
「…へえ、魔法の杖、ねぇ。それってもしかして、“願いの杖”のことかなぁ?」
ジグマスが面白げに目を細める。レオが頷くと、ジグマスは少し驚いたように、ニヤリと微笑んだ。「ふぅん…」
「…願いの杖?」
レオの背後から、いつの間にか起きたナルフの声が響いた。
「それは、一体?」
「何でも願いが叶う、魔法の杖さぁ」
ジグマスの言葉に、ナルフが身を乗り出した。
「それは、興味深い。そんな杖があるとは、知らなかった」
「俺も、大分久々に聞いたよぉ。レオちゃん、一体、誰から聞いたのかなぁ」
試すように首を傾げるジグマスに、レオはため息をついた。
「…それなりに長い事ダンジョンに居れば、色んな噂話が耳に入ってくるものだろ?」
レオはそう言うと、ジグマスに向き直る。
「それより、はやく何処にあるか教えろ」
「え~、何処だっけぇ。忘れちゃったなぁ〜」
ジグマスが満面の笑みで肩を竦めた。
レオが頭を抱える。
「…お前が “なんでも言うことを聞く”って言ったから、巻物の詠唱を途中で辞めたんだよ。しっかり吐いてもらうからな」
レオの言葉に、ジグマスはにたりと笑顔になった。
「そうだったねぇ。じゃあ、レオちゃんにだけ教えるから、耳かしてぇ」
レオはごくりと唾を飲み込む。エイミーは心配そうにレオを見つめていたが、剣を握りなおした。
「レオ、無理しないで。ほら、お前、普通に言え」
だが、エイミーに答えぬまま黙ってしまったジグマスを見て、レオは諦めたように大きくため息をつくと、首を振った。
「…もう良いよ。分かったから、僕にだけ、教えてくれ」
エイミーが目を見開く。ジグマスはぺろりと乾いた唇を舐めると、右手で小さくレオを呼んだ。
レオは警戒を保ったまま、恐る恐るジグマスに顔を近づけた。不服だが…しょうがない。願いの杖の場所のほうが大事だ!
「願いの杖はねぇ、そこの廊下を出て、左奥の部屋だよぉ」
ジグマスはそうみんなに聞こえるように言うと、最後にレオにだけ小声で、こう付け足した。
「…嘘をつくなら、もう少し上手くやらないと」
「…え?」
レオが、目を見開いた、その次の瞬間。ジグマスが、ふっとレオの耳に息を吹きかける。
「…!!」
レオの言葉にならない絶叫と、ジグマスの満足げな甲高い笑い声が、広場にこだました。
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「ほんとに、あった」
君は、小さな部屋の真ん中にちょこんと置かれた古い木箱を見て、そう声を漏らした。細い廊下の左奥の小さな部屋で、松明の明かりでできた君の影がゆらりと揺れる。
君は、まだ自分の耳を押さえて小さく呻いているレオと、彼を心配そうに見つめるナルフを横目に、宝箱に目をやった。見た目は普通で、特別な仕掛けも見当たらない。君はそれをそっと持ち上げ、ふと床に目をやると、宝箱の真下の石垣の床に、なにか文字が刻んであることに気づく。君はそっとホコリを払って、文字を指でなぞった。
“Elbereth”
「なんで、あのお方のお名前がここに…」
レオが目を開いて、宝箱を覗きこむ。レオは少しの間考え込むように座っていたが、やがてロックピックを取り出すと、それをすっと鍵穴に差し込む。しばらくして、カチャと鍵の開く音が小さな部屋にこだました。
君たちは、慎重に宝箱を開けると、一斉に中を覗き込む。
そこには、細い杖が、ちょこんと一本入っていた。
見たことのないその杖は、滑らかな木でできている。柄には金のドラゴンの装飾と透き通る水のような水晶がはめられており、持ち上げると、松明の光を反射してキラリと輝いた。
「…これが、伝説の、願いの杖…!」
君がそう言うと、手の中の杖が少しだけ青く光った気がした。
「星に願いを、か。あのお方の名前が刻んであるのも頷けるね」
レオがそう言って頷くと、興味ありげに覗き込んだ。ナルフもそわそわしながら、杖を見つめている。
「みて、ここ」
そう言ってレオが指さしたのは、杖の柄についている水晶の中。そこには、淡い青の光で、“1”と言う数字が浮かんでいた。
「使用回数が一回、という解釈だろうな」
ナルフの言葉に、君は目を輝かせて、杖をぎゅっと握り、目を閉じた。あの兵士たちを倒し、ジグマスを何とかしただけの価値があると断言できる、最強アイテム!願いは一つ、だが、欲しいものは山ほどある。金銀財宝、魔法の道具や武器…これは、慎重に考えなくては。
「…ちょっと、座ろうか」
レオに促されて、君たちは小さな埃臭い部屋で、杖を囲んで座った。一瞬の沈黙の後、レオが顔を上げる。
「一人ずつ、順番に何が良いか、言っていこう」
君は旅を思い返す。やはり、願うなら、実用的なものが良いだろう。この先、敵はどんどん強くなる。それに対応できるように、いい装備を手に入れるのが、一番いいだろう。
「装備…強い武器とか、足が速くなる靴とか…?」
エクスカリバーがあるから、武器は駄目だ。マントはノルンに貰ったし、青銅の盾も、力の籠手だってまだ健在。じゃあ、新しい兜はどうだろう?それか…
「ドラゴンの鱗で出来た、鎧とか…!」
「僕は、長期的に役立つものがいいと思う」
今度は、レオが顔を上げた。
「これからの旅路を考えると、一番心配なのは、金と食料だ。今までは何とかなってたけど、この先そう上手くいくとは思えない。今のうちに金貨何十枚かでも手に入れておければ安心なんだけど」
レオはそう言って、右手を顎に当て、俯く。
「…でも、現金は重いかな。なら、宝石とか、小さいけど価値のある物とかでもいいね。じゃあ…腹持ちを良くする、消化遅延の指輪とか、どうかな。食料も節約できるし、売ったら結構な金に…」
「伝説の願いの杖であるぞ?何処にでも手に入る物よりも、貴重な魔法アイテムの方が良いに決まっているだろう」
ナルフが腕を組んで、頷いた。
「テレパシーが使えるようになる魔法の帽子、地震を起こす太鼓、蛇を操る笛に、死者を操る魔導書…!」
そう言ったきり、沈黙が流れる。
三人が、互いに互いの様子を伺っている。それぞれ、自分の願いが一番だと思っているのだ。伝説のアイテムを前にして、欲望が渦巻いている。
レオが、ぱっと顔を上げた。
「じゃあ、真ん中を取って、指輪にしよう」
「レオ殿!さらっと自分の願いにしようとするの、卑怯であるぞ!!」
レオとナルフの騒ぎ声の中、君は顔をしかめた。確かに、レオとナルフの意見も一理ある。だけど、私だって、かっこいいドラゴンの鎧が着たい!
君は小さくため息をつくと、パンと手を叩いた。言い争っていたレオとナルフが動きを止める。
「…一旦、案を全部書き出して、整理する。それで決めよう。ナルフ、紙とペン、持ってる?」
「紙なら、ここに」
ナルフがそう言って、懐から羊皮紙を取り出した。君はそれを受け取って、顔を上げる。
「ペンは?」
「僕は持ってないよ」
レオがそう言って首を振った。ナルフも頷く。
「ああもう、肝心な時に…!」
何だか腹が立って、君は思わず舌を鳴らす。
「ペンが…書きやすいマーカーみたいなのが、欲しいだけなのに!」
君がそう叫んだ、その瞬間だった。床の杖が、カッと眩い光を放った。
「…え?」
しんと、世界から音が消える。松明の炎は揺らめきを止め、舞い上がっていた埃すらも宙で静止したかのようだった。
しまった、と思った時にはもう、遅かった。君の言葉に答えるように、淡い青の光を纏った杖が、激しく震えた。
柄に巻きついていた金のドラゴンが、生きているかのように宙を舞い、杖の先端の水晶が、内側から弾けるように砕け散った。虹色の美しい光が、部屋の中央で渦を巻き始め、ゆっくりと形を収束させてゆく。長く伸びやかだった光の帯が、年度のように柔らかく形を変え、次第に短く、円筒状になる。
次の瞬間、眩い閃光が弾けるように部屋を照らし、君たちの目をくらませた。
そして…
カラン、と乾いた軽い音がした。
君は、恐る恐る、目を開ける。
三人の真ん中、魔法の杖があった場所に転がっていたのは。たった一本の、赤いマーカーペンだった。
…やって、しまった。
耳がつんざくような沈黙。誰も、動かない。
君は、ゴクリと唾を呑む。そして、震える手で、床のマーカーをそっと拾い上げた。
“マジックマーカー!どこにでもいつでもなんでも書ける、便利なマーカー!”
「マジックマーカー…」
君の呟きが、恐ろしいほど静かに、小さな部屋に木霊した。
「…は…?…はは…」
俯いたレオの背中が、震えた。君は、恐る恐る顔を上げる。
「…ドラゴンの鎧、地震の太鼓、魔法の指輪…」
レオの床についた手に、ギリと力がこもる。
「どれでも、良かった…どれだって、良かったのに…!」
レオの低い声に、君は思わず後ずさる。
「レオ、ごめん、その…」
レオが、バッと顔を上げた。
「ただの、マーカーだって?!無駄遣いにも程があるだろ!!」
レオの叫び声が、城を揺らす。君は、思わず目を逸らした。
「レオ殿、何を。ママ殿のことである、きっとたくさん考えた最善のものが、この…マ、マジック、マーカー?に違いない」
ナルフはそう言うと、君をジッと期待の目で見つめた。君はその視線に耐えられず、両手で顔を覆う。
「ペンがなければ!その辺の炭でも使って書けばいいだろ!ああ、もう、これだから、君は…!!」
レオは顔を真っ赤にしてそこまで言うと、ガクンと俯いて、小さくなって床に座った。
「僕の…僕の消化遅延の指輪…」
レオの呟きが、空っぽな城に虚しくこだました。
きらりと、赤いマーカーが、松明の灯りを反射して、一瞬だけ鈍く光る。それを見たナルフが、コトンと首を傾げた。




