第28章 ショータイム
君はずきずきと痛む頭を抑えながら、駆け寄って来たレオの手を取った。
「大丈夫かい?」
「…きっと、この剣に守られた」
君は聖剣を床に突き立て、ふらりと立ち上がる。
「体が少し怠いだけ。平気」
レオの表情に安堵が浮かんだ、まさにその刹那。
背後で、地面を揺らす轟音と共に、空気が凍てついた。
ナルフの手から、凄まじい冷気の奔流が円錐状に解き放たれる。耳をつんざくような氷の砕ける音と共に辺りが白い霜で包まれ、絶対零度の突風がジグマスを襲った。
だが、ジグマスは陽炎のごとくその場から消え、次の瞬間にはナルフの背後に現れた。
「レオ!」
君のその叫びに応えるように、銀の閃光が君の頬を掠める。目にも留まらぬ速さで放たれた矢は、ジグマスがナルフの首を掻く寸前、彼が立っていたはずの床を抉る。
「チッ…!」
舌打ちと共にジグマスが飛び退く。レオは矢筒から素早く次の矢をつがえ、再びジグマスに狙いを定めた。
「ナルフ!死角は僕に任せろ、思いっきりやれ!」
レオの叫び声に、ナルフの真っ赤な瞳がギラリと光った。再度掲げられた彼の手の上には、灼熱の炎の球が浮かんでいる。
「ファイヤーボール!」
凍っていた空気が、一瞬にして熱の濁流に飲まれる。薄暗かった城内が、一気に灼熱の光で白く染まった。ブワリと熱気が舞い、炎の壁となってジグマスを囲い込む。
君は剣を握り直し、大きな息を吐いた。そして、轟轟と燃える火柱に向かって、迷いなく走りだす!
「おい、無茶するな!」
レオの叫びを背に、君は足を速めた。
無茶もあるもんか。このまま、足手まといでは終われない!
一歩踏み出すごとに、脳を針で突き刺されているような痛みが走る。だが、体は動く。剣も軽い。
行ける!
「護衛して!」
君の声に、レオとナルフが頷いた。
真っ赤な炎のカーテンを、君は疾風のごとく駆け抜ける。メラメラと君を包み込む盛る火も、耐性のある君には、あたたかな陽だまりのように感じられた。君がエクスカリバーを強く握ると、手の中で呼応するように黄金の光を放つ。
そのまま君が勢いよく剣を振り下ろした、その直後。ほんの一瞬、初めてジグマス目に、恐怖が映った。
グオンと音がして、君の剣が空を切るのとほぼ同時、ジグマスは自ら後方へ飛び退いた。刹那、彼の背中が炎の壁に叩きつけられ、ジュウ、と腐った肉の焼ける音と匂いが立ち込めた。
そのジグマスの行動に、君はピタリと動きを止める。
まて、こいつ、もしかして…
「聖剣だ!そいつの弱点は!」
レオの叫びと、君の横をすり抜ける矢の風切り音はほぼ同時だった。ジグマスは忌々しげに舌打ちをすると、今度は転がるようにして矢を避けた。
「逃がさんぞ」
ナルフはそう言うと今度は両手に冷気を集中させ、大きな氷の槍を形成したと思うと、ジグマスの足元へ放った。
三方向からの連携攻撃。ジグマスは表情を崩さないが、その動きには先ほどまでの余裕が少しずつ失われ始めていた。
ジグマスの足にナルフの魔法が掠る。灼熱の炎が音もなく消え去り、一瞬にしてジグマスの左足が真っ白い霜で覆われ、床に凍りづけになった。
「今だ!!」
レオの叫び声と、君が剣を振り上げて跳び上がったのはほぼ同時だった。
守ってくれたと言えど、先ほどのジグマスの魔法のせいで、体が鉛のように重たい。全身についたねっとりとしたどす黒い糊を振り払うように、君は歯を食いしばり、ジグマスの首めがけて剣を振るった。
ジグマスの顔に、初めて本物の焦りが浮かぶ。
この一撃で、終わる!
眩い光を放つエクスカリバーが、ジグマスの首に当たる…その、直前。
ジグマズの姿が、消えた。
「よく、俺をここまで追い詰めたね?」
響くのは、ジグマスの声。ハッとして顔を上げると、足の無いジグマスが宙に浮いていた。
…こいつ、凍ってる足ごと切断しやがった!
「そろそろ、俺も本気をだそうかなぁ」
ジグマスが膝から下が無い足に手をかざすと、ほんの瞬きの間に、なくなったはずの足がきれいにもとに戻っているではないか。
「さぁ、ショータイムだ」
彼はケケケッと笑って、両手を天に突き出す。ぶつぶつと魔法を唱え始めると、彼の足元に昏い紫色の魔法陣が浮かび上がった。
刹那、辺りの色が、まるで古い絵画のように色褪せていく。音が消え、心臓の鼓動すら聞こえなくなるような圧殺的な静寂。肌を刺すのは、氷よりも冷たく、魂の芯まで凍らせるような絶対的な虚無の冷気。
ナルフが、雷に打たれたように動きを止める。
「ママ殿、あれは、死の魔法であるぞ」
ナルフの一言に、全身が凍り付いた。急速に血の気が引き、聖剣を握る指先から力が抜けていく。
「死…?」
「僕がやる」
君が顔を上げるより先に、レオが君を庇うように一歩前に立つと、即座に弓を引き絞った。放たれた銀の矢は、死の闇を切り裂く流星のように、一直線にジグマスを目指して飛んで行く。
詠唱に没頭するデミリッチは、まだ気づかない――。行ける!
そう思って、一瞬希望に顔が輝いた、その時。君は、見てしまった。矢が届く寸前、嘲るかのように歪んだジグマスの口元を。
次の瞬間、銀の矢は目に見えない絶望の壁に阻まれ、弾き飛ばされた。
「なっ!」
「…バリアを張ってやがる」
レオは唇を噛みながら、ゆっくりと弓を下ろした。君は再度、ガクンと頭を垂れた。
「そんな…」
次の瞬間、ジグマスの魔法陣から、どす黒い闇が奔流となって溢れ出した。それは霧でも液体でもない、光すら飲み込み、あらゆる存在を否定する純粋な「無」そのもののように見えた。
あれに触ったら、死ぬ。そう、本能が告げていた。
君は歯を食いしばると、ゆっくりと頭を下げ、床を睨んだ。
もう…無理だ。地上でも手こずっていたのに、空中でバリアを張っている奴を詠唱が終わる前に倒すなんて、不可能。
聖剣が光を失い、君の手の中で静かに辺りの闇を反射して映した。
「レオ、ナルフ」
君の静かな声に、二人が顔を上げた。
「…二人で…逃げて」
その君の一言に、ナルフが何かを言うより先に、レオの手が動いた。
ペシン、と右の頬に痛みが走る。
「エイミー、聞いてくれ」
レオが、君を真っ直ぐに見つめていた。
「君は空中の奴に手を出せない。ナルフの魔力も残り少ない。僕の矢は奴には当たらない。このままじゃ、死ぬ」
彼はそこで言葉を切ると、君の肩を掴んだ。
「でも、もし…最後の手段が、一つだけ残っていると言ったら…」
彼の声が、わずかに低くなる。
「…君は、それに賭けるか?」
レオの手の微かな震えが伝わる。君は一瞬目を伏せたが、すぐにレオの手を取った。
「…レオの決断を、信じる」
君がそう言うと、レオはゆっくり頷いた。彼の目には、決意が宿っていた。
「分かった」
レオはそう短く言うや否や、カバンの中から一枚の古い巻物を取り出す。
「レオ、それは…」
君が言い終わる間もなく、漆黒の闇がスピードを増し君たちに近づいてくる。床を走り回っていた一匹のネズミが逃げ切れず闇に触れると、魂を吸い取られたかのように動かなくなって消えていった。
その光景に息を呑んだ、まさにその瞬間。 足元で、シュルッと闇が蛇のように伸び、君の足首を狙う!
「ママ殿!」
咄嗟に、ナルフが君を突き飛ばした。君は数歩よろめいて体勢を立て直す。だが、その隙に、ナルフの左足が闇に触れてしまった。君は慌ててナルフに駆け寄る。
「ナルフ!」
「来るな!」
ナルフの叫びに、君はビクリと動きを止めた。だが、君の目に映ったのは、彼の足元からじわじわと彼を侵食していく、禍々しい漆黒の闇。
「ナルフ、その足…!」
「…問題、ない。我は悪魔ゆえ、耐性が…」
ナルフはそう言い切る前に顔を歪め、苦悶の呻きと共にその場に崩れ落ちた。
「ナルフ!」
君が叫ぶ間にも、死の闇はじりじりとその領域を広げていた。近くに転がっていた兵士の死体が闇に触れた瞬間、シュウウと肉の焼けるような音を立てて塵と化す。
このままだと、ナルフを失う。
その事実に、凍っていた体が再度、動き出した。
「ママ殿!来てはだめだ!」
君はナルフには耳を貸さず、彼の上半身を両手で掴んだ。
「我は良い!このままでは、ママ殿も…!」
「うるさい!」
君はそう叫ぶと、力をすべて振り絞って、ナルフを引っ張った。だが、闇に捉えられた彼の体は鉛のように重い。ずるりとナルフの体が数センチ動くだけで、君の全身の骨が軋む。
だんだんと近づく闇に、君の吐いた息が空気中で白くなる。手と足が悴んで思うように力が出ない。ナルフの下半身は、もう闇の中に溶けて見えなかった。
「…ママ殿!」
ナルフの悲痛な叫びに、やっと気づく。闇が、もうそこまで来ていた。
このままでは、間に合わない。
ならば、せめて、ナルフだけでも。
君は立ち止まると、両腕にこれでもかと力を込める。君の決意に応えるように、力の籠手が青い光を放った。
「だめだ!ママ殿!」
闇が君の右足から生命を吸い上げていく。凍てつくような無感覚が這い上がってくるが、そんな痛みは、もうどうでもよかった。
シロの時と同じ過ちは、もう繰り返さない。
「うおおおお!」
叫び声と共に、君はナルフの体を闇から引き剥がすように持ち上げた。力の籠手が激しく震え、彼の体にまとわりついている闇が君のローブにかかる。
そして、最後の力を振り絞り、君は託すようにナルフを、巻物を読むレオの足元へと投げた。
ドスン、と鈍い音が遠くに聞こえたのを最後に、ギンギンという耳鳴りだけを残して、音が消えた。
君は、もう半分以上闇に飲まれていた。
冷たい虚無が魂に染み込む中、君はゆっくりと目を閉じた。浮かぶのは、君の名を呼ぶ赤毛の少年の笑顔。悪戯っぽく笑う、素直じゃない銀髪のエルフ。そして、不器用で優しい、赤眼の悪魔。
瞼の裏に焼き付いた仲間たちの顔が、消えかけていた君の魂に火を灯す。
君は、目を見開いた。
「まだ…!」
君は、石のように重たい足を、意志の力だけで無理やり一歩、また一歩と引きずった。全身が凍てつき、もう感覚もなかったはずなのに。
なのに、なぜだろう。その時、体に纏わりつく死の冷気の中に、ふと、懐かしいような温もりを感じた。
はっとして視線を落とせば、君を包む深紅のローブが淡く、しかし力強い光を放っているではないか!
魔法耐性のマント。それは、ノルンから託された、希望の光。その光は、君の意志に応えるかのように輝きを増し、迫ってくる闇をじりじりと押し返していく。その光は、迫ってくる闇をじりじりと押し返し、君の周りに「生」の領域を作り出していた。
私はまだ、守られている。まだ、息ができる!
マントが放つ生命の光を頼りに、君はかじかんで感覚のない指を動かした。一歩、もう一歩と、闇の中に見える一点の黄金の光に、必死に手を伸ばす。
「…ママ殿」
耳鳴りを突き破って、切羽詰まった声が聞こえた。その直後、凍り付いた君の指先を、力強いぬくもりが包み込む。
刹那、ぎゅっと力が籠められ、君は闇から引きずり出された!
「…っはぁッ!ごほっ…!」
凍てついた肺に空気がなだれ込み、灼けるような痛みが走る。君は激しく咳き込んだ。
「ママ殿!良かった!」
すぐ側で聞こえるナルフの震える声に、君の視界がだんだんと色を取り戻してゆく。
「ナルフ…!」
だが、そう安堵の息をついたのも束の間。ハッとして辺りを見渡すと、自分たちが立つ僅かな円形の空間を除き、辺り一面がすべて闇で覆われていることに気づいた。じわじわと近づく闇に、君はナルフと背中を合わせる。
「レオ!」
君の掠れるような叫びにも、レオは顔を上げなかった。額の汗が顎を伝い、ぽたりと床に落ちる。その紫色の瞳は、手に持った古びた巻物の上を目まぐるしく滑り、唇からは焦りに震える呪文のような呟きが漏れていた。
まずい、このままじゃ…
「プロテクション!」
つま先が闇に触れるその直前に、ナルフの叫び声が響いた。君たちの周りに一瞬薄い膜ができるが、すぐにヒビが入り始める。
「間に合わな――」
ナルフの絶叫が途切れる。君は反射的に目を閉じ、彼の冷たい手と、レオの震える体を強く握りしめた。
静寂の中、冷たい声が、響く。
「死ね」




