第27章 ようこそ
レオは、ごくりと唾を呑んだ。
突如姿を現した、謎の男。この男から放たれる膨大な魔力と殺気は、だいぶ離れている僕にまで届いた。
間違いない、きっとこれがお父様の言っていた…“城の番人”。
エイミーは今、動けない。僕が、なんとかしないと。
そう頭では分かってはいるものの、先程から体がびりびり痺れて動かなかった。
「へえ、あの量の兵士をこの短時間で。すごいねぇ」
頭の中を金属で引っ掻かれているような声。男はそう言うと、エイミーの顔をのぞき込んでケケケッと笑った。彼女の肩に置かれた手から冷気が放たれ、周りが霜でパキパキと白くなってゆく。
…僕が、何とかしないと!
レオは震える手で矢筒から銀の矢を握ると、音一つ立てずに弓を構える。
男は僕には気づいていないようだ。今しか、ない!
ピュン!
静かに、正確に。レオの矢が、男の頭めがけて空気を裂きながら飛んで行く。
だが、その矢が男に刺さることはなかった。
矢を撃った次の瞬間、男の手が閃光のように動いたのだ。エイミーを見つめる赤い瞳は動かぬまま、まるで最初から全て分かっていたかのように。
男の指の間には、レオの放った銀の矢が、まるで蝶の翅を摘むかのように、静かに握られていた。
「…え?」
男はうっとうしそうに、隠れているレオに顔を向けた。
「誰かなぁ。話してるときにさぁ、邪魔してくるのやめてくれないかなぁ」
男はそう言うと、手に握られた矢をボキりと折った。
「お前…何者…だ…!」
エイミーが、掠れる声で、必死に顔を上げた。男はそれを見て、手の中の折れた矢を投げ捨てると、彼女に向き直った。
「あ、自己紹介がまだだったねぇ。俺は、デミリッチのジグマス様さ」
デミリッチ!レオはその言葉を聞いて、固まった。アンデッドの中でも最強と言われるリッチの、更に上の存在。強力な魔法に加え、そのスピードと回復能力は、最強と言う名が相応しい。
ジグマスが、満足気にケケケッと笑った。
「その紋章、ヴァルキリーかぁ。そう言えば、最近見たよ、君とよく似たヴァルキリー。いいところで逃げられちゃったけどさぁ」
彼はそう言うと、エイミーの肩からぱっと手を離した。次の瞬間、何かの糸がぷつりと切れたかのように、エイミーは床に投げ出された。荒々しく息を吸い込み、ゴホゴホと咳込む彼女を見下ろしながら、男はにたりと笑う。
「ヴァルキリーくん、俺と遊ぼう?3対1でいいからさぁ」
ジグマスと名乗った男はそう言うと、バッと両腕を開いた。ローブの隙間から見える、ところどころ腐った灰色の薄い皮のような肌からは、骨の形がはっきりと分かる。顔にほぼ肉はなく、頭蓋骨に毛と赤黒い目がついたような見た目だった。
「ルールは簡単、先に死んだほうが負けねぇ」
彼はそう言うと、まだ床でうずくまっているエイミーに歩み寄った。
「やめろ!」
レオは必死にそう叫ぶ。しかし、ジグマスはレオの存在など意にも介さず、ゆっくりとエイミーの頭にその骨張った手を置いた。エイミーの体がびくりと強張り、恐怖に見開かれた瞳がジグマスを映す。
ジグマスは歪んだ笑みを浮かべたまま、凍てつくような声で囁いた。
「生命吸収」
瞬間、エイミーの体が脈打つように震えると、口から声にならない悲鳴が漏れた。
「がっ…ぁ…!」
彼女の体から、生命の輝きが急速に失われていく。ジグマスの手に、エイミーから吸い上げた生気が黒い靄のように集まっていくのが、レオの目にはっきりと見えた。
「やめろ!!!」
レオが再度そう叫んだ、その時だった。エイミーの手の中のエクスカリバーが、脈打つような鼓動と共に眩い黄金の光を放ったではないか。
清浄な光は瞬く間にエイミーの全身を包み込み、ジグマスの手が触れていた部分が、まるで聖なる炎が燃え上がるように光った。
「――ッ!?」
ジグマスは焼け付くような痛みに顔をしかめ、弾かれたように手を引いた。 黒い靄は聖なる光に触れて霧散し、彼は驚いたように数歩後退る。
だか、 ジグマスはどこか面白そうに、床でうずくまっているエイミーを一瞥した。
「…へぇ、聖剣。アンデッドにはちと熱すぎるなぁ。厄介、厄介」
ジグマスはそう言って、ニヤリと微笑んだ。
くそ、どうする!
レオは、ジグマスめがけ番えていた矢を続け様に数本放った。風を切り裂く正確な射撃に、ジグマズはめんどくさそうな顔をすると、軽く身を捩って矢を避けた。 その一瞬の隙に、エイミーを縛っていた魔力の圧力が緩む。彼女は床に手をつき、荒い息をついた。
「…鬱陶しいなぁ、エルフくん」
ジグマスはそう言ってレオを一睨みすると、今度は彼に向けて骨ばった指先を突き出した。
まずい。
レオは素早くフードを深く被ると、まるで影に溶け込むように気配を絶った。ジグマスは突き出した指先をピタリと止め、赤い瞳が微かに細められる。
レオは音一つ立てずに、石畳の床を駆ける。どこか、見晴らしが良くて、高くて、見つからない場所を…!
「…へぇ、エルフの隠形術か」
彼は一瞬だけ周囲を探るような仕草を見せたが、すぐに興味を失ったように肩をすくめた。
「まぁいいや。じゃあ、やっぱりヴァルキリー君からかなぁ」
ジグマスは再び、床で苦しげに息をつくエイミーへとその禍々しい視線を向けた。ドクン、とレオの心臓が脈打った。
レオの目に、立ち上がろうと必死に剣を握っているエイミーの姿が映った。エクスカリバーの光は薄れ、呪いの重圧に彼女は身動きもままならない。ジグマスは歪んだ笑みを深くし、ゆっくりとエイミーに歩み寄る。骨と皮ばかりの足が、コツ、コツ、と不気味な音を立てた。
助けなければ。
だが今僕がこの距離から何ができる?矢を射る?叫んで気を引く?だがその後どうなる?こんなに開けた場所では、僕はネギを背負った鴨同然だ!
次の瞬間、レオの目に、エイミーの青い瞳が一瞬輝いたのが見えた。
「…まだ…!」
エイミーは呻くように呟くと、最後の力を振り絞ってエクスカリバーを握りしめた。強い意志が、その透き通るような青い瞳に宿っていた。
ジグマスが、面白そうに目を細める。
彼女は、その弱りようからは思えないスピードで剣を振るった。美しい軌道、完璧なフォーム。だが、今の力では、ジグマスには当たらない。彼は踊るように攻撃を避けると、エイミーの背後で、嘲笑うように言った。
「あれぇ、これで終わり?」
「なっ…!」
エイミーが目を見開き、ガクリと床に膝をついた。ジグマスが満足げに微笑む。
くそ…!
レオの顔が歪む。彼女の瞳から、先程までの強い光が消えかけているのが遠目にも分かった。こんな時にナルフは何してるんだ!ナルフは…!
レオの目に、床に片膝を付いて頭をがくんと垂れているナルフが目にはいった。意識はある、怪我も無いみたいだ。だが、顔が青白く、息が荒い。
この状態のナルフは前にも見たことがある。そう、彼はきっと…
「なら…これは耐えられるかなぁ」
ジグマスはそう言うと、ケケケッと高い声で笑い、指をパチンと鳴らした。 その瞬間、ジグマスの周りからどす黒い靄が溢れ出し、物理的な質量を持ってエイミーに襲いかかる。
「さぁ、俺の呪いを受けてみて?」
「がっ…!?」
エイミーの膝が、唐突に石畳に叩きつけられた。まるで空気そのものが鉛に変わったかのように、彼女の全身を強烈な圧力が押し潰す。
レオの心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
今、動かなければ。有利な位置取り? そんなものを探している間に、エイミーが殺される! ネギを背負った鴨? 上等だ!
レオは短く息を吸い込み、弓を引き絞った。狙うは、エイミーを見下ろしているジグマスの、フードの奥深く覗く赤い瞳。たとえ気配を絶っていても、矢を放てば位置が知れる。だが、そんな事はどうでもいい。一瞬でも、ほんの一瞬でも奴の注意をエイミーから逸らせれば…!
「はい、ワンダウン…」
ジグマスがそう高く叫んだとほぼ同時、レオの銀の矢が音もなく放たれた。それは真っすぐに、吸い込まれるようにジグマスへ飛んで行く。寸分の狂いもない、完璧な一射。
ひゅん、と風を切る音とともに、ジグマスが僅かに首を傾け、矢がジグマスの頬を掠った。彼の生気のない頬から、タラりと一筋、赤黒い血が垂れた。
「外した…?」
レオがそう呟いた次の瞬間、ぎょろりと、ジグマズの赤い瞳がレオが潜む暗がりを射抜いた。
「…見ぃつけた」
分かってはいたが、見つかった。
ジグマスは動かなくなったエイミーからつまらなそうに手を離すと、レオへ向かって一直線に向かってきた。
まずい!
レオは身を翻して駆け出した。背後から迫るジグマスの殺気と、骨と皮ばかりの足が床を叩く乾いた音が、すぐそこまで迫っている!
こいつ、速い。
ジグマスの動きは、先程エイミーに歩み寄っていた時とは比較にならないほど速い。まるで影が滑るように、直線距離を詰めてくる。
レオも足には自信があったが、このままでは追いつかれるのも時間の問題だ!
どうすれば、どうすれば…!
そうだ。
ナルフだ!
レオは即座に進路を変更し、城の入り口近くでうなだれているナルフを目指して床を蹴った。
「君じゃあ、俺から逃げられないよ?」
ジグマスの嘲るような声が背後から響く。柱を盾にし、瓦礫を飛び越え、レオは必死にジグマスの追跡を振り切ろうとするが、デミリッチの執拗な追跡は影のようにレオに纏わりついた。
追いつかれる前に…今しかない!
「ナルフ!」
レオがそう叫ぶと、その声に、ナルフの肩が微かに動いた。
レオは流れるようにポーチから鮮やかな赤い液体が入った小瓶を取り出すと、一瞬だけ走る速度を緩め、体勢を低くする。
ジグマスが目を見開いた。
そして、まるで弓を射っているように、赤い小瓶をナルフに向かって投げた。
「受け取れ!」
小瓶は正確な放物線を描き、ナルフの頭上へと飛んで行く。ナルフは、それを顔を上げること無く、片手でキャッチした。
「へぇ、悪魔くん、まだ生きてたんだ?」
ジグマスの言葉には耳を貸さず、ナルフはそのコルクをキュポンと抜くと、ゴクリと中身を飲み干した。
「…感謝する」
ナルフはすっくと立ち上がり、空の瓶を投げ捨てた。
体に力が漲るのを感じる。完全ではないまでも、再び戦うには十分だった。
「魔法回復のポーションかぁ。でもさ、それ一本でどれだけ持つかな?」
その一瞬、ジグマスがナルフに気を取られた隙に、レオの姿が消えていた。
「へぇ…」
ジグマスが面白げにニヤリと微笑んだ。
「アンデッドの分際で、我を前にしてよそ見とは、余裕だな」
ナルフがそう鼻で笑うと、辺りの気温が一気に下がった。
「ママ殿を傷つけた事、後悔させてやるぞ」




