第26章 城
心地よい音色がして、君は目を覚ます。寝返りを打ってゆっくりと目を開けると、床に座ってフルートを吹いているレオの姿が映った。君が起きたのを見て、レオが手を止めた。
「おはよう、よく眠れた?」
レオがそう聞くと、君は少し伸びをして立ち上がった。
「うん。ナルフは?」
君がそう言って辺りを見渡すと、部屋の隅で胡坐をかいて座っているナルフが顔を上げた。
「ママ殿」
その少しそっけない言い様に君は眉を潜め、レオに目をやった。
「…何か、あった?」
「それが…」
レオが頭を掻きながら、ため息をついた。
「なんか、誤解されちゃったみたいで」
「誤解?」
君はナルフに顔を向ける。ナルフはフンと鼻を鳴らすと、レオの手に握られているフルートを一瞥した。
「レオ殿が楽器の才まで持ち合わせているとは、知らなかったな」
その試すような言い様に、レオが顔を上げた。
「まあ、齧った程度だけど。もし聞きたいなら、今度ちゃんと披露するよ」
「では聞こう。他には、何を隠しているのだ?」
そのナルフの感情の無い一言に、レオがピタリと動きを止めた。
「…どういう意味だい?」
「そのままの意味だが」
ナルフはそう言うと、再度口を開いた。
「昨夜は、何処に行かれた?」
レオの眉が、一瞬だけピクリと動いた。
「また、その質問か」
レオは呆れたようにため息をつくと、困ったように眉を潜めた。
「さっきも言ったけど、見回りだよ。近くでモンスターの気配がしたから、一応確認しに言ったのさ」
「“確認”にしては、少し長かったな」
「悪かったね、厠にも行ってたんだよ」
「そうか。では、我があの後外の様子を窺った時、貴殿の姿がどこにも見えなかったのは、その厠がよほど遠かったからか?」
レオは腰に手を当てると、片眉を上げる。
「ナルフは寝てたと思ったんだけどな。あ、もしかして起こしちゃった?」
レオは探るようにナルフを一瞥した。ナルフもジッと観察するように目を細める。
一瞬の沈黙。
「…えっと、なにが、あったの?」
君が首を傾げると、レオがやれやれとため息をついた。
「今君が聞いた通りだよ。僕の見回りが長かったから、何か隠してるんじゃないかって疑われてる」
ナルフが、鼻を鳴らした。
「我には、何の気配も感じなかった」
「僕は君より耳が良いからね、敵の察知も速いんだよ」
君は、小さくため息をついた。
「二人とも、喧嘩は終わり。時間が無い、先に進もう」
ナルフが、ばっと顔を上げた。
「ママ殿、これは喧嘩では…!」
「あーもうしつこいな、エイミーがやめって言ってるだろ」
レオはそう言ってカバンを背負った。君が頷くと、ナルフは渋々立ち上がる。
「行こう」
ナルフは、ジッとレオの後ろ姿を見つめていた。
—------
下り階段を降りると、ひやりと湿った空気が肌を撫でる。
そこはいつものような石畳の部屋ではなく、狭い通路のような場所で、道に沿って高い壁が立っていた。レオは階段から降りるとランプを取り出し、火打ち石で火を付けた。
辺りがパッと明るくなる。
君は狭い一本道を見渡した。
「ここは?レオ、来たことある?」
「いや、森から下は僕も行ったことないんだ。でもこの感じ、もしかしたら…ここが“城”かもしれない」
レオが目を細める。ナルフが探るようにレオを見つめた。
「…レオ殿、“城”とは?」
レオがピタリと動きを止め、笑った。
「その名の通りだけど?僕も昔聞いた話だからよく知らないよ」
「誰に聞いたのだ?」
「誰だろうね。僕は人脈が広いから、情報源が多すぎて分かんないな」
ピリっと場の空気が一瞬凍る。君は大きくため息をついた。
「ああもう、行くよ」
君はそう言って、自分の前の一本道をあるき出した。
そして、視界が開けた先にあったのは、静寂に包まれた古城。
灰色の石が、年月を刻むように積み重なって出来ていた。壁のあちこちは削れ、蔦がびっしりと絡みついている。先には尖塔がいくつか見え、城の周りには、濁った水の深い堀。目の前には堀の向こう岸に上がったままの跳ね橋がある。
「ホントに、城だ…」
君はそう呟いて、ゆっくりと堀に近づいた。
「おっと、あまり水に近づかない方がいいよ」
レオはそう言うと素早く弓を取り出し、矢を一本放つ。すると、バシャと、何かが水面下で暴れている音がした。
彼は続けて2本放つ。そしてまた3本。
次の瞬間、バシャンと音を立てて水面から頭を出したのは、大きなクラーケン。長い触手をうねらせ、上体をひねるそれに、君は慌てて後ずさる。
「思ったよりでかいな」
レオはそんな事を言いながら、水から一気に飛び出してきた巨体に3本の矢を食わせて、弓を降ろした。
「お仕事完了っと」
ドボンと大きな水しぶきをあげて、クラーケンは深い堀に再度沈んで行った。
君はレオをまじまじと見つめた。
「レオ、なんで分かったの?」
レオが首を傾げる。
「え?この距離なら、赤外線で見えるじゃないか」
「赤外線?ナルフも気づいてた?」
ナルフが首を振る。
「気配は感じたが、正確な場所や種類までは分からなかった」
「僕だけだったのかい?!」
レオがあんぐりと口を開けた。
「赤外線って…」
「光が届かなくても、僕には体温が見えるんだよ。てっきり、君たちにも見えるんだと思ってたけど」
レオはそう言って、自分の紫色の瞳を指さした。
君は、ハッとする。
「待って…じゃあ、会ったばかりの時、暗い廊下であの小さな紙切れを射抜けたのは…」
「え?…ああ、あのときか。うん、あの距離なら君の動きも見えてたし、僕の耳なら紙の落下音も聞こえる。だから紙自体が見えなくても、僕の腕なら、余裕で射抜けたってわけ」
レオが肩をすくめた。君は目を瞬かせる。神業に変わりはないが、そういう事だったのか。
「…紙切れ?」
ナルフが眉を潜めた。レオが頷く。
「そう、初めてエイミーと会った時に、実力を見せろって言われてさ」
レオは咳ばらいをすると、弓をしまって、跳ね橋に目を移した。
「まあ…とりあえず、まず考えなきゃいけないのは、どうやってこの跳ね橋を下ろして、進むかだね」
君は頷くと、手がかりを探そうと辺りを見回した。だが、スイッチのような便利なものは見当たらない。
「…破壊すれば良いのでは?」
ナルフがそう言うと、レオが呆れ気味に首を振った。
「橋が壊れたら、堀を渡れないじゃないか」
「そうか」
沈黙が流れた。
「あ、そうだ」
君は顔を上げる。
「跳ね橋ぶっ壊した後に、ナルフが魔法で堀の水を凍らせて渡るってのはどう?」
「我が?氷魔法を使って良いと?!」
ナルフは目を輝かせ、落ち着きなく歩き回った。
レオが眉を顰める。
「本気かい?それはここの城の人に喧嘩を売るって事だよ?」
「それは心配ない。先に喧嘩を売ってきているのは、奴らだ」
その時、城の中からラッパの音が響き渡った。それに続いて行進の音と武器をカンカンと鳴らす音が聞こえてくる。
「向こうが襲ってくるのも、時間の問題だね」
レオの言葉に、君たち三人は目を合わせると、頷いた。ナルフが顔を上げる。
「内部から、たくさんの小さな魔力と、一つ、物凄く強大な魔力と殺意を感じる。気を付けろ、油断は禁物だ」
「分かった。さっきの作戦で行く。僕たちが先に仕掛けよう」
レオはそう言って飛び上がると、城の塀の段差の上に立ち、矢を弓に番える。君も剣を抜くと、エクスカリバーは君に応えるように輝いた。
「では、良いか」
君とレオが頷いたのを見ると、ナルフがカッと目を見開いた。
「ファイヤーボール!!」
彼がそういった瞬間に、大量の魔力がナルフの両手から放出された。辺りが光に包まれ、衝撃音がしたと思うと、炎と、大量の砂埃が舞い上がった。それとともに、跳ね橋がガラスのように砕け散り、城の中からは戦いの始まりを告げる角笛とラッパが響く。
「このまま行くぞ!凍り尽くせ、冷気の錐!」
刹那、ピキリ、と辺りの空気が一瞬凍り、音が無くなったと思われた。
だが次の瞬間、砂埃の中で何かがキラリと光ったと思うと、ナルフの前に突き出された両手から、円錐状の極低温の冷気が堀へと放たれた。衝突音とピキピキという音と共に、ナルフの前から堀の対岸へと、幅数メートルの氷の道が一瞬にして出来上がった!
「ママ殿!」
ナルフの声を合図に、君は砂埃の中を走り出す。
氷結した水面を素早く駆け抜け、流れるように城の中に滑り込んだ。だんだんと落ち着いてきた砂埃の中、君の目に何十を超える量の兵士たちの影が揺れた。硬いヘルメットと鎧に身を包み、機械のように行進を続け、君を囲むように近づいてきている。
見えるだけでもすごい数だ。これだけの敵を、どうやって一気に相手すれば…!
「一緒に行くよ!」
レオの声が響いたその瞬間、君の背後から何本もの矢が雨のように兵士たちに降りかかった。君は聖剣をぎゅっと握りなおす。
そうだ。私は一人じゃない!
「ついてきて!」
君はそう叫びながら、振り下ろされる槍を滑るように避けると、兵士の両手を切断してその胸に剣を突き刺して勢いよく抜く。その屍を踏んで跳び上がると、着地と同時に剣を振り回し一気に敵を斬り伏せていく。
行ける。そう思った瞬間、がしりと何者かに足首を掴まれた。死んだと思っていた兵士の一人が、君の足首にしがみついていた。
しまった!
君は慌てて兵士を振り払おうとするが、バランスを崩してしまう。その隙を兵士たちが見逃すはずもなく、君に向かって一気に攻撃が放たれた!
君はぎゅっと目をつむる。
「プロテクション!」
ナルフの声が響くと同時、君の全身が淡い黄金の光に包まれた。
次の瞬間、振り下ろされた槍や剣が、見えない硬い壁に当たったかのようにカンッ!と甲高い音を立てて弾かれる。衝撃が光のベール越しに微かに伝わってきた。
「ママ殿、無事か!」
切羽詰まったナルフの声。君は大きく息を吸い込んだ。
これは…防御魔法?!ナルフ、いつの間に!
「…助かった!」
君は即座に体勢を立て直すと、なおも足首に食らいつく兵士の腕を剣で断ち切った。
弾かれた攻撃にも怯まない兵士たちの打撃を受け、光のベールにピシとヒビが入る。そして次の瞬間、それはパリンとガラスのように砕け散った。
その瞬間、君は蝶のように高く舞い上がる。兵士たちの視界から、一瞬で消えた君。全方向からの剣先を見事にかわし、スタリと着地した。
「ママ殿、そこを避けるのだ!」
ナルフの声とともに、辺りの気温が一気に上がった。そして、ナルフの手の上に小さな火の玉がぽんと現れたと思うと、それはだんだんと膨張し、真っ赤な炎が辺りを眩く照らした。
「大炎球!」
彼がそう呟くと、球は綺麗な弧を描き、敵が密集しているど真ん中に吸い込まれるように落ちていった。
鼓膜を突き破るような轟音に続き、猛烈な熱波が君の頬を焼き、衝撃波に思わず腕で顔を庇う。その威力は、以前のものとは比べものにならない。黒煙が辺りを包み、君は激しく咳き込んだ。
「…流石、ノルン殿のローブ…!練習の成果もあって…魔力の精度が増した!」
ナルフはそう叫ぶと、荒い息をつきながら、ふらりと片膝をついた。
「我は、ここまでだ…あとは、任せたぞ、ママ殿…」
「あとどれだけ残ってる?!」
君はレオに向かって叫んだ。この煙では何も見えない!
「あと少しだ!」
何処からともなく響く彼の声に君は頷くと、剣を握りなおした。
これなら、行ける。自分たちは、強くなってる!
そう思って、微笑んだ、その時だった。
ピキリ、と。
君の体が、凍ったように動かなくなる。
なんだ?この感覚は?
背後からの強大な魔力に、どくん、と心臓が脈打った。体中から冷や汗が吹き出す。呼吸が苦しい、まるで肺をつぶされてるようだ。
君の目に、床の血溜まりに反射して、背の高い何者かの影が映った。フラフラした足音が、君の真後ろまで来て、止まる。
君は、震えを抑えて、振り向いた。
それは、男だった。ぼろぼろな灰色のマントで体を包んでおり、フードからは鋭く光る眼が覗き、すべてを見透かしているかのようにギラリと光る。
細く硬い骨のような氷のような手が、君の肩を掴む。
「城へようこそ…冒険者さん?」




