第25章 完璧
レオは、心の中で舌打ちをした。
腹が立つ。
居場所?幼馴染?そんなもんじゃないだろ。誰が見たって、気づいてないのは、君だけ。
…もういっそ、言ってしまおうか。
彼が好きなんだろ?自分でここに来ておいて、逆に僕に何をしてほしいんだ?慰め?同情?叱責?それで君は満足か?
レオは喉まで出かかったその言葉を飲み込むと、小さく深呼吸をして、床で小さくなっているエイミーに目をやった。
「…言い過ぎたよ。僕には幼馴染も兄弟も居ないから、君の気持が分からないんだ」
この苛立ちは、なんだ。
僕だって、別にエイミーが泣こうが喚こうがどうでもいいはずじゃないか。僕達はただの仲間で、僕は、彼女を利用してるだけ。いつもみたいに、適当にあしらえばいい。簡単だ、彼女が求める、“ジェームズ”を演じてやればいいだけなんだ。
…いや、違う。演じるだけじゃ、ダメだ。この女は、あの男に、なぜか執拗に執着している。そのせいで、僕がどんなに演じても…。
…そうか。
彼女が僕に靡かないのは、この男の所為なんだ。
そうだ。エイミーが、僕の笑顔にも、言葉にも、優しい行動にも赤面一つしないのは。僕が衰えたわけでも、彼女が特別なわけでも無く。この男のせいなんだ。
…何故?何故あの男なんだ?なんで僕より、あんな普通の人間を選ぶ?
あんな奴より、僕の方が顔もいいし、きっと料理だって上手いし、手先だって器用だ。女の子の扱いだって、経験だって、僕の方が、もっと…!
『…嫉妬、してる?』
いいや、してないね。僕が嫉妬?あり得ない。あんな奴とこの僕が比べられてるって事に、腹を立ててるだけだ。
「…なんて、言うの?」
エイミーが、呟いた。
「ジェームズが、遠くに行くのが怖くて、変わってしまうのが、怖い。彼の時間が止まればと、そう…思ってしまう」
ばっと、エイミーが、顔を上げた。その手は震え、目は恐怖と不安に見開かれている。
「こんな、彼の不幸を願うような酷い考え…こんな…」
エイミーが、縋るようにレオの袖を掴んだ。
「…この感情を…なんて、言うの?」
レオが、目を伏せた。
「…さぁ、知らない」
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ジェームズが、結婚。
その事実が、鎖のように君を縛り付けた。
マイアは真面目だし、努力家だ。きっと、いい奥さんになる。私なんかより気も利くし、料理も上手だ。私は、友達として、幼馴染として、ジェームズの幸せを願って、2人を祝福するべき…なのに。
彼が結婚したら…私は、どうなる?
稽古から帰ってきても、彼は家で待っていてくれない。ご飯だって、もう一緒に食べれない。皆に陰口を叩かれても、彼は助けに来てくれなくなる。
泥沼の様な不安が、君をどんどんと飲み込んでゆく。
あの息の詰まるような村で、彼は唯一私の居場所を作ってくれた。
なのに、彼が居なくなったら。私は、また、1人になる。
シロを失った時みたいに、たった1人。
…嫌だ。一人は、もう二度と。
君は強く手を握りしめると、顔を上げた。
「…地上に、戻る」
君がそう言うと、レオが動きを止めた。
「…なんだって?」
「ジェームズの所に戻る。そして、私は生きてるって伝える。三神器の一つを手に入れた、レオっていう心強い仲間がいる。この調子で、私は、魔除けを手に入れてる。だから、待っててって、そう、伝えに行く」
君は水晶玉を手に、立ち上がった。
「道は覚えてる。すぐ戻ってくるから、レオはここで待ってて」
君がそう言って、部屋の出口に向かって一歩踏み出した、その瞬間。
「待て」
凍てつくように低い声。 振り返るより早く、レオの腕が、君の腕を掴んだ。
「…本気で、言ってる?」
腕が、ミシリと痛む。彼の紫色の瞳が、怒りの色に揺らめいていた。
「僕の名前を使って、彼を安心させに、ダンジョンを出るだって?」
「…離して、レオ」
君が彼を振り払って、ドアノブを握ったその時。レオの、冷たい声が響いた。
「…帰れないよ、エイミー」
ドクンと、心臓が揺れた。
「このダンジョンは、一度入ったら二度と出られない。君の旅が終わるのは、魔除けを手に入れるか、君が死ぬか。その時だけ」
タラりと、冷や汗が背中を伝う。
「…そんなルール、私は知らない」
「“生還者ゼロの、死のダンジョン”。君なら分かってると思ったんだけど」
そのレオの、あまりに冷たくて、静かな声が。君の背中に、冷たい釘を打ち込むように響いた。
君の手が、震える。
「でも、やってみないと…」
「僕は、見たんだよ」
振り返ると、レオの瞳が、君を突き刺した。
「ダンジョンに送られてきた、死刑囚の罪人。最初は魔除けを手に入れようと意気込んでたけど、この迷宮の理不尽さに気づいてしまった。彼は、自分は魔除けにたどり着く前に死ぬだろうと、悟ったんだろうね」
レオの声には、何の感情も乗っていなかった。
「扉は、あっさり開いたよ。外の眩しい光が見えて、彼は勝利を確信して、笑いながら一歩踏み出した」
レオはそこで一度、言葉を切った。
「…次の瞬間、彼は絶叫した。彼の身体が、内側からの圧力で、風船のように膨れ上がり始めたんだ。そして、目や鼻から、黒い血が噴き出して、最後には…木の実みたいに、破裂した」
レオはゆっくりと君に顔を向けると、真っすぐに君を見つめた。
「外に出ることはできる。でも、生きては出られない。このダンジョンに一度入った者は、外に出た途端、身体が内側から引き裂かれる。理由はわからないけど、きっと呪いみたいなものさ」
ハンマーで顔面を殴られたように、君はガクンと膝をついた。
「…そんな…そんなの…!」
息が詰まる。暗い、冷たい水の中に、一人で沈んでいくみたいだった。
「そんなの…あんまりだよ…」
魔除けを手に入れなければ、もう二度と、彼に会えない。もう二度と、あの暖かさに、触れられない。
君はマントをぎゅっと握ると、顔を上げた。
最後に、もう一度だけ。もう一度、あの顔が見たい、あの声が聞きたい。
君は、最後の希望に縋るように、レオの服を掴んだ。
「帰れないなら、せめて…もう一回だけ、ジェームズを見せて」
ピクリと、レオの動きが止まる。
「無理。そんな何回も立て続けに使える物じゃない」
君はレオの袖を半ば強引につかんだ。
「この運命の水晶玉なら、出来るかもしれない」
「無理だって。こういう強力な魔法アイテムには、必ずクールダウンがある」
レオは振り返らずに呟いた。君は、再度レオの袖を引く。
「試してみて。それで無理なら、納得する」
君のその、懇願するような声に。レオが、チッと舌を鳴らした。
「…だから、無理だって言ってるだろ!」
そう言って彼は、振り返りざま、君の手を乱暴に振り払った。
刹那、パシン、と乾いた音が響いて。
君の手から、水晶玉が、滑り落ちた。
宙を舞う、ガラスの塊。その深海を閉じ込めたような球体が、スローモーションで、冷たい石畳へと落ちていく。
レオが、目を見開いた。君が、咄嗟に手を伸ばした。
次の、瞬間。
パリンッ!
甲高い、耳を裂くような音がして。水晶玉が冷たい石畳の上で、粉々に砕け散る。中から、行き場を失った光の粒子がふわりと舞い上がり、そして、虚空に溶けて消えた。
しん、と。 時が、止まった。
君は、自分の手を、ただ、見つめていた。そして、ゆっくりと、視線を、床に散らばる無数の輝く破片に移した。
「あ…」
レオの、掠れた声がした。
「…そんな、僕は…そんなつもりじゃ…」
君は、何も言わず、その場に膝をついた。そして、震える指先で、欠片を一つ、そっと、拾い上げた。 その鋭利な断面が、君の指を小さく切り裂いて、赤い血が、ぷくりと、玉になった。
もう、ジェームズの声は、聞こえない。 もう、彼の姿を、見ることはできない。 もう、二度と…。
欠片を見つめる君の目から、ポロリと、涙が一粒垂れた。
その時。
ガチャリとドアが勢いよく開かれ、冷気をまとったナルフが現れた。
「完璧に習得したぞ…!氷の魔法を!!」
ナルフはそう言うと、右手を突き出した。その手のひらに、だんだんと氷が形成されてゆく。
「見よ!我が真の、雪のじょうお…」
ナルフはそこまで言って、固まった。
割れた水晶玉に、涙を流す君。そして、立ち尽くすレオ。
「…レオ殿…一体、何を…」
ナルフの氷のような一言に、レオがばっと顔を上げた。
「ナルフ、まってくれ!僕が悪かったよ、ホントに!」
レオはそう言うと、君に向き直った。
「なんらかの魔法の力で、組み合わせたら治るかもしれない!それか…普通の水晶玉を何処かで手に入れる。それで、また、繋げるから!」
レオが、必死に床に散らばったガラスの破片を集め始める。彼の手が震えた。
「きっと、他にも外とつながる方法はあるはずだよ!僕が見つけるから!」
ガラスを触るレオの長く白い指に、小さな赤い傷ができてゆく。
「僕が、何とかする!僕が…!!」
君が、パシッと、レオの手首を掴んだ。
「もう、いい」
レオが、ハッとして顔を上げる。
「…ごめん、僕、ホントに、壊すつもりは…!」
君を見つめる彼の瞳は焦りと後悔で震え、その手は驚くほど冷たかった。
君は、今まで見たことないような、レオを見て。
思わず、小さく、噴き出した。
「レオも、パニックになるとき、あるんだね」
レオが、目を瞬かせた。
「え…?…ごめん、その…」
君は再度小さく笑うと、困ったように微笑んだ。
「いや、なんかレオって完璧人間なイメージがあったから。意外」
君は、膝の埃を払って、立ち上がる。
「いいよ、もう。帰れないって分かった今、ジェームズを眺めてる場合じゃないもんね」
ナルフが、ほっと安堵の息をついた。レオが申し訳なさそうに俯く。
「…お詫びに、なんでもするよ。僕が、出来る事なら…」
「良いって」
君は床の砕けた水晶玉から目を外し、顔を上げた。レオが、居た堪れなさそうに俯いた、その時。
彼の長い耳が、ピクリと動いた。
レオが、バッと顔を上げた。
「…敵か?」
ナルフがそう聞くと、明後日の方向を向いて動きを止めていたレオが、首を振った。
「…いいや、風の音だ」
レオはそう言うと、先ほどまでの動揺が嘘のように、落ち着いた表情で、顔を上げた。
「ガラスは、僕が片づけておくよ。君たちは、今のうちに休んでおいて」
そう言われて、君は大きなあくびをした。確かに、ノルンの城を出てから色々あって、あれ以来寝れていない。
「ほら、君も、そこならガラスも飛んでないと思うよ」
レオはそう言うと、反対側の壁側を指さした。
「お詫びと言っては何だけど…見張りは僕に任せて、君はゆっくり寝て」
「でも、時間が…」
そう言ったは良い物の、君の体は心身ともに疲れ果てていた。ちらとレオに目をやると、彼は困ったような、申し訳なさそうな顔で君を見つめていた。
「…数時間で起こして。そのあと、直ぐに出発する」
「分かった」
レオはそう言うと、君の膝にそっとマントを掛ける。
「では、我もお言葉に甘えさせてもらうぞ」
ナルフはそう短く言ったと思うと、ばたりと床に倒れて寝てしまった。
しばらくすると、エイミーの安らかな寝息が部屋にこだまし始めた。
レオは一人、音を立てないように注意深く、床に散らばった破片を革袋に集めていく。一つ、また一つと、ガラスを拾い上げるたびに、胸の奥が小さく痛んだ。
彼は集め終えた袋の口を締めると、静かに君の寝顔に視線を移した。自分のせいで涙を流したその瞼を、指先でそっと拭ってやりたい衝動に駆られ、レオは固く拳を握りしめる。
その時だった。
部屋の隅の、何の変哲もない石壁から、すぅ、と、ありえないはずの冷たい風が吹き抜けた。それは、レオの銀髪を微かに揺らし、ある種の「合図」のように、彼の肌を撫でた。
途端、レオの表情から、すっと感傷が消えた。 彼は音もなく立ち上がると、エイミーが完全に眠っていることを確認し、床に転がって動かないナルフを一瞥する。
レオが静かに立ち上がったその時、その魔力とも殺気とも違う異質な冷気に、ナルフの瞼がピクリと動いた。レオは、気づかない。
そして、音もなく開かれたドアの外には、何者かの影があった。
「…御用でしょうか、お父様」




