第23章 ガラクタ
「ママ殿、レオ殿!もう、我慢の限界だ!!」
ナルフの叫び声に、君とレオがビクリと足を止めた。
「え…何…」
レオが眉を潜める。ナルフは大きく息を吸うと、懐から何かを勢いよく取り出した。
「この魔導書が…読んでくれと、我を呼んでいる!」
そう言ってナルフが掲げたのは、ノルンに貰った冷気の魔導書。そういえば、氷の大地を出てからずっと読みたがっていたっけ。
「良いよ。じゃあ私たちは、食料でも探してくるから」
君がそう言うと、ナルフが申し訳なさげに目を伏せた。
「それが…我が読んでいる間、護衛をお願いしたいのだが…」
「...護衛?そこら辺の奴らなんて、ナルフなら余裕で倒せるだろ」
「魔導書を読む間、我は完全に無防備。それに加え、魔法の習得は常に成功するとは限らないのだ」
「そうなの?」
君がそう聞くと、ナルフが頷いた。
「実は、ノルン殿の図書室に入り込んで魔導書を読んでいたのだが…難易度の高い物に手を出してしまい、気が付いたら浴室のタイルの上で寝ていて、日が暮れていた」
それを聞いて、レオがブッと笑いをこぼした。
「笑い事ではないぞ。ダンジョン内で同じことがあれば…」
「分かってるって。ほら」
レオはまだ笑いながら、ナルフの前に立ち短剣を握った。君も頷き、剣を抜く。
「安心して読んで」
ナルフはそれを見ると、顔を緩ませる。
「感謝する、レオ殿、ママ殿」
そういって、ナルフは石畳の部屋の隅に座ると、そっと魔導書を開いた。
淡い青色の光が本から放たれる。
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あのあと、どれくらいの時間が経っただろうか。
ナルフは時が止まったかのように目を見開いたまま、動かない。敵が現れる気配もなければ、ナルフに何か起きるわけでもないようなので、君とレオは顔を見合わせると、武器を鞘にしまった。
君が立てた焚火の火が消え、レオが作ったスープがすっかりつめたくなった頃。
君は空になった木のボウルをコトンと床に置くと、ぎゅっと膝を抱えた。
…「エルフは寝る」のに、レオは「寝ない」。
君はそっと顔を上げて、静かに鼻歌を歌っているレオの横顔を盗み見た。長い睫毛に縁どられた、伏せられた瞳。
君は小さく深呼吸をすると、口を開いた。
「…ねえ、レオ」
レオの鼻歌がピタリと止んだ。静かになった部屋で、君の声がやけにうるさく響く。
「なんだい?」
レオがそっと君に顔を向ける。君は床を見つめたまま、呟いた。
「“エルフは寝ない”って…嘘だったの?」
その一言に、レオの動きが一瞬止まった。
「…エラーラ達に、何か言われたのかい?」
君は、ぎゅっとマントの裾を握る。
「…エルフは寝るって、聞いた」
レオが、ふっと床に目をやった。
「…そう。寝ないのは、僕だ」
レオはゆっくりと座りなおすと、気まずそうに目を細めた。
「僕は少し…“特別”なんだ。寝ることは出来るんだけど、眠くならないというか」
「それは、どうして?」
君の問いに、レオの笑顔が僅かに引きつった。彼は乾いた笑い声を漏らすと、さらりとした銀髪を一度かき上げた。
「説明するのは難しいんだけど…とにかく、僕に睡眠は必要ないから。君は心配しなくていいよ」
「…“必要ない”?それって、一体…」
その一言に、レオの指先の動きが、ぴたりと止まった。
「…ねえ、エイミー」
すっと、レオの顔から笑顔が消える。
「…なんで僕が、あの森に行かなくなったのか、知ってる?」
レオの紫色の瞳が、真っすぐに君を射抜いた。
「彼女らは、僕を知ろうとしすぎた。だから僕は、去らざるを得なかった」
その一言に、君は思わず顔を上げた。
「サフィラは、僕がタダで矢を取ったと…エラーラは、僕が彼女を捨てたと思ってるけど…。仕方がなかったんだ」
その、分厚い氷の壁の向こうから話しているような、あまりに他人事な口ぶりに。君の中で、何かが弾けた。
「そんなの…当たり前じゃん」
「え?」 レオの眉が微かに動く。
「みんな…レオの事が、大切だったから...!知りたくなるのは、当然でしょ?」
その瞬間、レオの顔から、完全に色が抜け落ちた。
「…エイミー」
低い、感情のない声。
「…“お互いの過去は詮索しない”。君が決めた条件だよ」
そう言った彼の瞳に浮かんでいたのは、怒りでも、悲しみでもなく。君が今まで見たこともないような、深い恐れだった。
つんざくような静寂が響く。
「…ごめん。もう、聞かない」
「うん。」
数秒の気まずい沈黙の後、レオがその空気を振り払うようにパチンと手を叩いた。そして、いつもの優しい笑顔で、君に向き直る。
「…よし、この話は終わり!さ、お腹空いてるなら、何か…」
「素晴らしい魔導書であった!!」
レオの言葉を完全に遮るように、ナルフの朗々とした声が部屋に響き渡った。突然の大声に、君は思わず肩を震わせる。
レオは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐにいつもの様子に戻ると、にこやかにナルフへ向き直った。
「どうだった?」
ナルフが目を輝かせて、ぱたんと本を閉じる。
「炎の魔法とはまるで違う…まるで、何処かの異国の雪の女王にでもなった気分だ」
ナルフは分厚い魔導書を大事そうに撫でると、チラと君に目をやった。
「それで、その…さっそく、使ってみたいのだが…」
「良いけど、危ないから、別の部屋でね」
君はそう言ってから、ハッとしてレオに目をやった。さっきあんなことがあったのに、また二人きりになってしまうのは…。
君はナルフに目をやった。ナルフは満面の笑みを浮かべていたが、君の様子を見て、察したようにしゅんと頭を垂れた。
「…すまない…これ以上ママ殿を待たせるわけには…」
君が何か言う前に、レオが優しくナルフの肩を叩いた。
「良いよ、僕たちは荷物の整理でもしてるからさ。ほら、行った行った」
「…そうか。では、ありがたくお言葉に甘えよう」
ナルフは安心したように微笑むと、軽い足取りでさっさと部屋を出ていった。
ぱたんとドアが閉まって、ナルフの足音が遠ざかってゆく。
君はナルフの出て行ったドアを見つめながら、気まずさに俯いた。
「よし!じゃあ早速始めますか、荷物の整理」
レオはそう言って、パンと手を叩いた。そのあまりのいつも通りなしぐさに、君は顔を上げる。レオは自分の肩に下げられた鞄をそっと足元に下ろすと、優しく微笑んだ。
「君もだよ、ほら」
「…あ、うん」
君はそう言って、自分のパンパンなカバンに目をやった。
君は何でも拾ってしまうくせがある。いつか使うかもしれないと思うと、そこに置いていくのは気がひける。それに、片付けは嫌いだ。時間をかけて整理するより、全部運んだ方がよっぽど楽だ。
そのせいで、カバンは破裂寸前で、物凄く重い。
村に居た時は、片づけは全部ジェームズがやってくれていたっけ。
「レオがやって」
「ああ、もう。君ってやつは…」
レオが頭を抱えながらも、どこか安心したようにガラクタを仕分け始める。君にとってはどれも思い出の品だが、彼にとってはただのゴミの山だろう。
その、静かに手を動かす彼の綺麗な鼻筋を眺めながら、君は壁にもたれかかる。
さっきまでの重苦しい空気が、まだ部屋に澱のように溜まっている。レオは無理やり「日常」に戻ろうとしているが、彼の背中はまだ強張って見えた。
君は何だかいたたまれない気持ちになって、膝を抱えて床を見つめていた。その時、目の前に置かれたレオの質素な革鞄が目に入る。きっと、無駄な物一つないに違いないだろうな。
君は少し考えた後、すっと顔を上げた。
彼が私のカバンを整理してくれているのに、私は座っているだけ。いつも、レオに気を使われて、やってもらってばっかり。
苦手でも、嫌いでも。これくらいなら、お返しできるかもしれない。
「…じゃあ、私はお礼に、レオのカバンの整理をする」
少しでもレオの強張りを、少しでも解いてあげられれば。
君の手が、ゆっくりと彼のカバンに伸びていく。指先が、乾いた革の表面に、そっと触れた。
その瞬間。
パシン、と、あまりに軽い音がして。
直後、鋭い痛みが右手を貫き、君は初めて、強く叩かれたのだと理解する。熱を持ち、ジンジンと痺れる手の甲を見つめたまま、ゆっくりと、壊れた人形のように顔を上げた。
そこにいたのは、さっきまで穏やかに笑っていたはずのレオではなかった。凍てついたアメジストの瞳が、何の感情も映さずに君を見下ろしている。
「…勝手に、触るな」
その、あまりに低く、温度の無い声に。心臓を鷲掴みにされたように、君は硬直した。
「…ごめん」
そう言うのが精いっぱいだった。レオは何も言わず、さっと自分の鞄を引き寄せ、その口を固く閉じた。
次の瞬間、レオがはっとしたように顔を上げた。
「あ、僕…」
彼は、怯えるように動かない君を見て、自分の右手を見つめた。
「…いや、僕こそ、ごめん」
レオはそう小さな声で言うと、鞄を背中の後ろに隠して、ぎゅっと手を握った。そして、今までの様子がまるで嘘のように、いつもの優しい笑顔で、君に微笑みかける。
「えっと…ほら!君のカバンの整理にもどろう!」
君の手にはまだ、ピリピリとした感覚が残っていた。
そりゃそうだろう、勝手にカバンを触られれば、誰でも怒る。空気を和ませようとして、更に怒らせてしまって…どうするんだ。
赤くなった右手を見つめたまま動かない君から、レオは、居心地悪そうに視線を逸らす。そして、君の鞄のガラクタの山の中から、何かを見つけたように、ぱっと顔を輝かせた。
「あ!ねえ、これ、もらってもいいかい?」
レオが指差したのは、一本の古びた木製のフルート。君が頷くと、レオは嬉しそうに微笑み、フルートをそっと唇に当てた。
次の瞬間、静まり返った部屋に、澄んだ、心に染み渡るような優しい音色が響き渡った。
短く、しかしあまりに優しいその旋律は、さっきまでの凍てついた空気を、まるで春風のように溶かしていく。
レオはそっとフルートを降ろすと、困ったようににこりと微笑んだ。
「久々だから、少し忘れちゃってるや」
その、あまりに普段通りの、優しい笑顔に。君は、肩の力を抜いて、小さく笑った。
「十分、上手だよ」
君のその一言に、レオは安心したように微笑んだ。
そして、コトンとフルートを床に置くと、レオは一度短いため息をついて、再度君のカバンの整理に戻る。出てくるのは、ガラクタの山。犬の首輪、刃の折れた短剣、ドラゴンのフィギュア、そして…昔、トレジャー動物園で見つけ出した、紫色の宝石。
レオはそれを手に取って、不思議そうに眺めた。
「宝石、好きなの?」
「…たまたま、拾った」
レオは意外そうな顔でそれをそっと持ち上げて、松明の光にかざす。
深い夜の始まりの菫色の中に、明け方の空の淡い藤色が重なって、吸い込まれそうな小さな銀河のように渦を巻いている。
そのすぐそばで、宝石を見つめるその紫色の瞳が、星屑が砕けたようにキラリと輝いた。いつも飄々として、全てを見透かしているようで、決して本心を見せることのない、彼の瞳の色。
いつか、私も、彼のこの宇宙を覗ける時が来るのだろうか。
「…綺麗」
「そうだね」
レオはコロリと宝石を手の上で転がして、そっと君のカバンに戻した。
「綺麗と言えばさ」
レオは明るい声でそう言うと、ガラクタの山からノルンにもらった運命の水晶玉を手に取った。それは、深い冬の湖の純粋な氷のように透き通っており、周囲の光を静かに映し返している。
「で。せっかくだし、使ってみないかい?」
レオはお詫びとでも言うように、眉を下げて君を見つめた。
君は目を瞬かせる。
「使う?オーラを見る以外で?」
「うん。僕の...えっと、知り合いが、昔、水晶玉の使い方を教えてくれてね」
「知り合いって、まさか…オラクルさんじゃ…」
レオが乾いた笑いを漏らす。図星か。この女たらしめ…。
「僕が知ってるのは、なんでも見たいものが見れる呪文。過去とか未来は無理だけどね」
見たいものが見れる。たしかに、ノルンもこれを使ってヴァルキリー村を見ていたと言っていた。
君は少し黙っていたが、頷いた。
「使ってみよう」
「そうこなくっちゃ」
レオは水晶玉を床に丁寧に置き、その前に座り直した。そして、君の手を取って、水晶玉の上に乗せると、いくよ、と目で合図をした。
「水晶玉よ、清冽なる真実の泉よ。時の流れの澱みなく、星の視界を映したまえ」
レオの呪文に呼応し、氷のようだった水晶玉が、微かにぬくもりを帯び始める。透き通っていた水晶玉の中に、ゆっくりと細かな光の粒子がうずまいて、丨靄が立ち込め始めた。
レオが顔を上げ、じっと君の目を見つめた。
「さあ、君は、何が見たい?」
見たいものは、たくさんあった。
イェンダーの魔除けの在り処、この先待ち受ける敵、顔も覚えていない母親、会ったこともない父親。
でも、今、君が切実に『会いたい』と願うのは。あの太陽のような笑顔が、『恋しい』と思うのは。
君は、胸元で微かな温もりを放つオパールのネックレスを握りしめ、ゆっくりと口を開いた。
「…ジェームズ」




