第22章 空っぽの鏡
森の中を歩いていると、木々の隙間からこそこそと囁き声が響いた。
「あそこに居たの…例のレオってやつじゃない?」
「あの銀髪に紫の瞳、間違いない。三大美女を全員食ったっていう…」
「全員?あのプライド高いサフィラも、誰にも靡かないエラーラも、飽きっぽいローナもか?」
「ああ。それ以外にもとびぬけた美人ばっかり。しかも、全員捨てたって聞いたぞ」
「今度は黒髪の人間を連れてるとか」
「人間?なんでまた。相当美人なのか?」
「いいや、普通の人間だ。いいざまだ、あいつも落ちたもんだな」
カサカサと、葉が笑うように揺れた。君は、思わず顔を隠すように俯く。
「…噂好きの木の精霊だ。気にするな」
エラーラが、短く言った。
少し行くと、生い茂った木の中に、小さな小屋がポツンとあった。扉を開けた瞬間、熱気と共に、鉄と油、そして微かな炭の匂いが鼻を突く。中は薄暗く、壁一面に並べられた武具が、部屋の中央で赤く燃える炉の光を鈍く反射していた。
「…どれ、見せてみな」
サフィラにそう言われ、君は慌てて剣を差し出した。
彼女は剣をそっと持ち上げると、刃を光にかざし、次に柄を軽く握り、数度、剣の重心を確かめた。その真剣な眼差しは、先ほどのものとは全く違う、一流の職人の顔だった。
「面白い…こりゃぁ、聖剣だぞ」
「せ、聖剣?」
君は目を見開き、思わずひょんな声を上げた。
なんかかっこいいし、特別な剣だとは思っていたが、まさか、聖剣?
道理で、光るわけだ!
「ああ。聖剣、エクスカリバーだ。一体、どこで手に入れたんやら」
君は、レオと行ったオラクルの信託を思い出した。たしか、これは…
「泉に剣を入れてたら、出てきて…」
その言葉に、サフィラは目を見開いた。
「泉に…?あんた、正気か?」
彼女は剣を置くと、信じられないものを見る目で君を見つめた。
「泉の精に呪われて、剣がただの鉄屑になるのが関の山だ。エルベレス様の祝福、か。とんでもない幸運を引いたね、あんた。聖剣エクスカリバー…あたしも初めて見たよ」
君は言葉を失った。あの時の出来事が、そんなにも危険な賭けだったとは…。
「めったに刃こぼれもしなければ、錆びることもない。手入れなんて不要かもしれないけど、使いやすいように研いでおこう」
「ありがとう、ございます」
君がそう言った時、ひょっこりと、小屋の入口からエラーラが顔を覗かせた。
「サフィラ、レオは?」
「あいつなら、上階段の近くで座ってるよ」
サフィラは、聖剣を研ぎ石に当てながら答えた。
「そう…」
先ほどまでの刺々しい態度が嘘のように、エラーラが顔を赤らめ、そう呟いた。彼女の長い金髪がさらりと揺れる。
サフィラが手を止めて、呆れたため息をついた。
「…さっさと話しかけてこいよ。今ならあいつ、一人だぞ」
「む、無理よ!さっきだって、久々すぎて…心臓が爆発するかと思ったもの!」
君は、一瞬固まるこのエラーラとかいう女…本当に再会早々、問答無用でレオに短剣を投げつけた女と、同一人物か?
「あら、あなたは、さっきの人間」
エラーラは君に気づくと、品定めするような目でそう言った。君はすっと目を逸らす。
「…さっきは、ごめんなさい。勘違いして…少し、口が過ぎたわ」
君が顔を上げると、エラーラがバツの悪そうな顔で俯いていた。
「あなた、レオの、仲間…なのよね。名前は?」
「エイミー、です」
「私はエラーラよ。よろしく」
君は、恐る恐る彼女の手を取った。
エラーラが優しく微笑むと、彼女の長いまつげが揺れ、花のような香りが広がった。君は思わず息を呑む。遠くから見ても美人だったが、近くで見ると、更に綺麗だ!
「仲間、か…」
サフィラが呟いた。
「おまえたちが、三人で冒険をしてるというのは…正直、信じがたい」
エラーラが頷く。
「私たちエルフは集団行動を好まないの。レオは特に、単独で動いていたし…一体、どういう経緯?」
「えっと…最初は、私がレオを助けて、二人で旅を始めて。三人目は、卵が孵って、悪魔になったというか」
「…卵?」
サフィラが怪訝な顔で手を止めた。君は慌てて続ける。
「あ、いや、それよりも…。貴方たちは…その…レオの…」
「あいつは、ただのしつこい客さ」
サフィラはそう言うと、再び剣を研ぐ作業に戻った。
サフィラの脳裏に、あの日の、試すような笑顔のレオが浮かぶ。
『…ねえ、お嬢さん。凄く良いエルフの矢をここで買えるって、聞いたんだけど』
「あいつは最初、木の棒から自分で作った弓と矢を使ってた。子供が工作したような、不格好な弓。でも、そのおもちゃみたいな弓で、何十フィートも離れたリンゴを撃ちぬいたんだよ」
サフィラはそう言うと、昔を懐かしむように君の剣をそっと撫ぜた。
「あいつの腕は本物だった。だから、私が一つ、良いヤツを作ってやった。そしたら、子供みたいに目を輝かせて…」
「じゃあ、今レオが使ってる弓は…」
「ああ、私の作った弓だ。だが…紐の張り方からデザインまで口出してきて、ほんとうに…困った客だった」
彼女の唇の端にほんの少しだけ、笑みが浮かんだように見えた。
「私は…襲われてるところを助けてもらったのよ」
エラーラが、壁に寄りかかりながら、どこか遠い目をして呟いた。
「魔物に囲まれて、もう駄目かと思ったその時に、颯爽と現れて。『おっと、お嬢さん、大丈夫かい?』って…ほんとに、呆れる…」
エラーラが顔をそむけた。
「白馬の王子様だと…思ったわ。私ですら手を焼いた魔物を一瞬でかたづけたと思えば、当たり前の事を何も知らない。料理もシチューしか作れないし、針や糸も見たことが無かった。だから、私が裁縫でマントの作り方を教えたの…でも、すぐに私より上手くなってしまった」
マントを握る彼女の頬は、赤く染まっている。
君は、思わず頭に浮かんだ疑問を口に出した。
「…レオの事が、好きなんですか?」
「「まさか!」」
二人の声が、完璧に重なった。
サフィラは顔を真っ赤にして、いつもより強く剣を研ぎ始める。エラーラはバツが悪そうにそっぽを向いて、自分の金髪を指でいじっていた。
「…私は、まだ怒ってるのよ。ある日、完璧なマント一つだけを残して、二度と姿を表さなくなった。何かあったのかと思ったら…今度はサフィラと話してるって聞いて…」
「そ、そうだったのか?」
サフィラが気まずそうに目を丸くした。君は眉を潜める。
「…これではっきりしたな。あいつは、ただ顔が良いだけのクズだ」
「…顔だけじゃ、ないわ」
エラーラが、どこか懐かしむように呟く。
「優しくて、気も利くのよ」
サフィラも、忌々しげに息を吐いた。
「しいて言えば…フルートも無駄に上手いのが腹立たしい」
君は、二人の会話を聞きながら、レオがシチューを作ってくれた時の優しい背中を、怪我をした時の的確な手当を、思い出していた。
思わず、小さな笑いが漏れる。
「うん。…あと、レオは、絵も上手」
君がそう言った瞬間、サフィラとエラーラが、同時にピタリと手を止めた。二人の視線が、君に突き刺さる。
「…レオが、言ってたのか?」
サフィラが、低い声で尋ねた。
君は目を瞬かせる。
「いや、彼の拠点に行ったとき、見た…」
その瞬間、小屋の空気が凍り付いた。
エラーラが持っていた短剣が、カランと音を立てて床に落ちる。
「レオの…家に…行ったのね…?」
エラーラの声が震えた。
「どこだ?どんな場所だ?意外と、汚くて散らかってたとか?」
サフィラが、前のめりになって詰め寄る。
「家というか、拠点というか…凄く整理されてて、物もほとんど無い。お二人は、行ったこと無いんですか?私は、てっきり…」
君がそう聞くと、エラーラが力なく首を振った。
「誰も、行ったことが無いのよ。彼の“家”にも、“過去”にも…」
「レオの、過去…」
君は、そう小さく呟いて、俯いた。
「…私、レオの事、何も知らない…」
「貴方だけじゃない。誰も、知らないのよ」
エラーラが、遠い目で窓の外を眺めた。
「誕生日も、年齢も、親も、全部秘密。私達エルフの情報網を総動員しても、まるで霞を掴むようだった」
「あたしは、人の表情を読むのが得意なんだよ」
サフィラが一度手を止め、君の聖剣の切っ先を指でそっと撫でた。
「だが…あいつだけは、どうも分からない。何を考えてるのか、何を感じてるのか。夜、隣にいても、どんなに触れ合っていても、心はいつも別の場所にあった」
君は複雑な心境で、頷いた。
互いの過去を詮索しないと、レオと約束したのに。彼の過去に勝手に土足で踏み込んでしまった罪悪感と、それでも彼のことをもっと知りたいという強い好奇心が、君の胸の中で渦を巻く。
「…ともかく、気をつけな」
サフィラが、研ぎ澄まされた剣身を君に手渡した。
「あいつはまるで、綺麗な空っぽの鏡みたいな男だから」
その一言に、君は、なんて返せばいいのか分からず、黙って、うつむいた。
だが、はっとして剣を受け取ると、慌てて懐を探し始める。
「えっと、おいくらですか…」
「良いよ、まとめてレオに払わせな」
「そう…ですか」
君は、自分の手の中の聖剣をじっと見つめていた。
「…あの、サフィラさん。最後に、一つだけ」
君は、顔を上げた。聞くべきではないかもしれない。
…でも、知りたい。
「エルフは…寝ますか?」
その問いに、サフィラは一瞬きょとんとしたが、やがて可笑しそうに頷いた。
「人間の寝るのとは少し違うが、あたし達だって休息は必要だ。夜になれば横になるし、目を閉じる。意識は、夢とも現ともつかない、記憶の森を彷徨うのさ。それを、空想と呼ぶ者もいれば、夢と呼ぶ者もいる。人間と同じで、私たちも心と体を休めなけりゃ、疲れて体も動かないよ」
君は、そっとエクスカリバーを鞘に納めた。
エルフは、寝ない、と。レオはそう言った。実際、これだけ一緒に旅をしてきて、レオが寝ているのを、君は見たことが無かった。
君は、震える声を抑え、もう一度顔を上げた。
「お二人は…レオが寝てるのを、見たことがありますか?」
その問いに、今度はサフィラの表情から笑みが消えた。彼女はしばらく考え込むように顎に手を当て、やがて、訝しげに首を傾げた。
「変な質問だな。…だが、言われてみれば、無い」
「私も…無いわ。夜を共にしても、目を覚ました時には、いつも…風みたいに消えているから」
エラーラが目を伏せる。
「あいつの事だ。きっと、どこか一人になれる場所で昼寝でもしてるんだろう」
「私、見たいわ、レオの寝顔」
エラーラの悔しそうな声が、背後で響いた。
君の耳には、もう何も入ってこなかった。
君は、黙ったまま、鞘に納めた剣の柄を握りしめた。
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「クソエルフ、持ってきたぞ」
サフィラのぶっきらぼうな声に、レオが顔を上げた。丁寧に鞣された鹿革の矢筒に入った、青白い光を放つ、20本の銀の矢。
「ありがとう」
「1000ゾクミズ」
「高っ。」
「あたしのエルフの矢だぞ、当然だ。でも、強度と威力は保証しよう」
レオは渋い顔で財布を開いた。サフィラの後ろで、エラーラが鼻で笑った。
「あら、払えないのかしら?なら、今回だけ、私が代わりに払ってあげても...」
レオは金貨を十枚サフィラに手渡すと、立ち上がった。
「はい、1000ゾクミズ、丁度」
「まいどあり」
その金貨を受け取るサフィラの指先が、一瞬だけ、レオの指に触れた。はっとして、彼女はすぐに手を引いたが、彼女の瞳が、ほんの一瞬、寂しそうに揺れた。
レオは矢筒を背負うと、君とナルフに手を振った。
「ナルフ、エイミー、行くよ」
「悪魔さん、うちと遊ぼうよ、お願い」
「却下だ」
ナルフは頭にしがみついているローナを引きはがすと、レオの後に続いた。
彼の過去。彼の秘密。君が知っているレオは、彼のほんの一部でしかないのかもしれない。
一体、レオは何者なんだろうか。
「エイミー?」
レオに呼ばれ、君はハッとする。
「今、行く」
君は胸に渦巻く疑問を振り払うように、慌ててレオの後を追った。
「レオ、もう行っちゃうのー?」
ローナが唇を尖らせて、君たちを見ていた。
「クソ野郎、次会った時は、もう少しゆっくりしていけ」
サフィラはぶっきらぼうにそう言うと、フンとそっぽを向いた。
「…レオ」
そして、最後に、エラーラが静かに口を開いた。
「元気で」
レオは何も言わず、目を伏せた。
「…行くよ」
レオが、そう短く呟いた。
「また、遊びに来てね~」
ローラの無邪気な声が、だんだんと遠ざかってゆく。
君は、静かに彼の背中を見つめていた。
レオというエルフの輪郭が、少しだけはっきりと、そして同時に、もっと分からなくなっていく。




