第21章 森
「落とし穴だ!」
レオが叫んだが、遅かった。君の体は、なすすべなく暗闇の中へと投げ出される。
受け身を!
硬い石への激突を覚悟してぎゅっと目を瞑った君の体は、不意に、ふわりと柔らかな何かに受け止められた。
恐る恐る目を開けると、そこは暗闇ではなかった。君が落ちてきた穴は、頭上のはるか高くに見える。そして、体の下にあるのは…柔らかな土と、青々とした芝生だった。
そこは、美しい、果樹園の森のような場所。
爽やかな風と、花の香りが君の肌を撫でる。天井は高い木の枝と生い茂った葉で覆われており、木にはおいしそうな実がたくさんぶら下がっていた。
「すごい…!」
君はダンジョンに居る事すら忘れて、鉄の手袋を脱ぐと、そっと柔らかな草を撫でた。冷たいふさふさとした感触に、くすぐったくて小さな笑いを漏らす。
少しすると、上の穴から、翼を広げたナルフと、その腕にしがみついたレオが下りてきた。
ナルフがそっと床に着地する。レオは、ナルフからそろりと手を離すと、自分の足が確かに地面についていることを確かめるように、恐る恐る芝生を踏みしめた。
そして、小さく安堵の息をつくと、床にはいつくばっている君を、心配そうに見つめた。
「大丈夫かい?怪我は…」
そこまで言って、レオは君が芝生を触っているのだと理解すると、弾かれたように顔を上げた。
「ま、まさか…ここは…」
レオが苦虫を噛み潰したような顔で、辺りを見回す。
「…早く、行こう」
レオが、引きつった顔で呟いた。君は首を傾げる。
「もう行くの?こんなに綺麗なのに」
ナルフも頷き、興味深そうに辺りを見渡した。
「運命の水晶玉も手に入った。我も魔導書が読みたいし、すこし、ゆっくりしても良いと思うが」
レオはブンブンと首を振ると、早口の小声で呟いた。
「ここは絶対駄目だ。休むのはもう一層下に降りてからでも遅くないよ」
君は物惜しそうに芝を撫で、ナルフが残念そうに魔導書を仕舞った。
「行こう。早く、あいつらに気づかれる前に…」
レオが切羽詰まった声でそう囁いた、まさにその瞬間。
ヒュンッ!と鋭く空気を切り裂く音がしたと思うと、短剣がレオの耳を掠めて背後の木の幹に深々と突き刺さった。レオの顔から、サッと血の気が引く。
すると、木漏れ日の中から、音もなく滑るように人影が現れた。
「よくも、のこのこ来れたものね」
その声は、小川のせせらぎのように美しいが、氷のように冷たい。柔らかな光がその姿を照らし出すと、君は思わず息を呑んだ。
凛とした気品と、剃刀のような鋭い敵意を併せ持った、一人のエルフ。長くしなやかな脚、尖った耳。陽光を溶かした金のような輝く髪は腰まで流れ、澄んだ空のような淡い青の瞳は、射抜くようにレオを見据えていた。
「久しぶり、レオ」
「やあ…エラーラ」
レオは引きつった笑みを浮かべていた。
「…知り合い?」
「いや…旧友というか…腐れ縁というか…」
その煮え切らない答えを聞いた瞬間、エラーラは二本目の短剣の切っ先を彼の喉元に突きつけた。
「何が旧友よ。私の心を弄んだ挙句、捨てたくせに…どの口が言うの」
レオは両手を上げ、ため息をついた。
「あの時は悪かったよ。でも、もう大分昔の事じゃないか」
レオの言葉に、エラーラはフンと鼻を鳴らす。そして今度は、芝生に座り込む君を、値踏みするように、頭のてっぺんからつま先まで、じろりと一瞥した。
「…また、新しい女?」
君はその場から動けずに、パチパチと目を瞬かせた。エラーラが眉を顰める。
「黒髪…しかも、人間とはね。エルフは食べ飽きたって事かしら」
ゴホッと、レオが咳き込んだ。
「ち、ちがうよ!彼女はそんなんじゃないんだ!命を助けてもらったお礼に、冒険に同行してるだけなんだよ」
エラーラが目を細める。
「超秘密主義の貴方が、仲間と冒険?…一体、どういう風の吹き回しかしら」
レオは乾いた笑いを漏らすと、目を逸らした。
エラーラは短剣をゆっくり鞘に納めると、くるりと君たちに背を向ける。
「まあ、いいわ。元気そうで、安心した」
エラーラはそう言うと、チラとレオに目をやった。
「生きてるなら、もう少し会いに来て頂戴。休む場所が必要なら、泊まってもいいわよ」
「ありがとう、でも、遠慮するよ」
「そ」
エラーラはそれだけ言うと、溶けるように木の中に姿を消した。
安心したようにほっと息をつくレオを見て、君は眉を潜めた。
「…今のは…?」
「えっと…昔、たまたまあいつに会って…まあ、色々あったんだよ」
レオは大きなため息をつき、頭を掻いた。
「前にレオ殿が着ていたのと、同じマントを着ていたな」
ナルフがそうぼそりと呟いた。レオがさっと目を逸らす。
そう言えば、旅に出るときに、君もレオからエルフのマントを貰った。確か、レオが作ったんだっけ…。
「あ、余ってたから…」
レオがぼそりと呟いた、その瞬間。木々の中から、高い声が聞こえてきた。
「レオー?レオー?」
木々の間から聞こえる鈴を転がすような声に、レオが絶望したように顔を覆った。
「これは…まずい…」
「あ!レオだー!」
弾むような声と同時に、木々の間から赤茶のツインテールの可愛げなエルフが、レオの胸に勢いよく飛び込んだ。
「なかなか会いに来てくれないから、もう死んだかと思って、うち、すっごい悲しかったんだから!」
「ローナ…」
ローナと呼ばれたエルフは、レオの顔をそっと撫でると、片眉を上げた。
「最近は前みたいに遊んでないって聞いたよ?本命でも見つけた?」
「いや…だから、そういうわけじゃなくて…」
「そ!じゃあ、うちに遊びにおいでよ!」
レオはローナを引きはがそうと必死に彼女の肩を掴む。
「おい、ちょっと…離れろ…」
君は、あっけにとられてパチパチと目を見開いた。
「レオ…これは…」
君が言い終わる前に、もう一つの影が揺れた。
「おい、この辺にレオが居たって…」
振り向けば、木の幹に寄りかかるようにして、腕を組んだショートヘアのエルフが立っていた。陽の光を浴びて白金の輝きを放つ髪、皮の鎧に身を包んだしなやかな身体に、鋭い眼差し。
だが、その目がレオを捉えた瞬間、殺意がメラと燃え、勢いよく腰のブロードソードを引き抜いた。
「見つけたぞ!このクソエルフ!!」
「…サフィラ」
「久々に面見せたと思ったら…女二人連れてるとは、良いご身分だな?」
「いや、だからちょっと待てって…」
レオが渋い顔をした。君は、目の前で繰り広げられる光景に、もはや言葉を失っていた。ローナが、レオの銀髪を撫でながら口を開いた。
「駄目だよサフィラ、今回はうちが先に捕まえたんだから」
「ローナ、お前レオから離れろ!」
ローナはレオの右腕に抱きつき、サフィラは彼のマントの襟を掴む。まるで一枚のパンを奪い合う鳥のように、二人の甲高い声が森に響き渡る。その間で、レオは無表情で立ち尽くしていた。
君は、このカオスに居た堪れなくなって、ちいさく「あの…」と声を上げた。
途端、全員の視線が、君に集まった。
「なんだ?おまえは…人間?」
サフィラが、レオの髪を掴んだまま、君を値踏みするように細い目で見つめる。
「しかも、黒髪って不吉ね!」
ローナが、レオの腕に自分の胸を押し付けながら、眉を上げた。
「えっと…紹介するよ。彼女は、エイミーって言って…」
レオがそう言いかけた時にはもう、二人の女はもう彼に興味を失っていた。
二人はするりとレオから離れると、今度は君を囲むように立ち、君は思わず身を固くした。
「へえ…」
ローナが、面白そうに君の顔を覗き込んだ。
「顔は、中の上…いや、中の中!」
「胸は…無いな」
「良い筋肉だけど、抱き心地は悪そうね!」
「これは、良い剣だな。人間には勿体ない」
美女二人に見つめられ、君はごくりと唾を呑む。
「あ…えっと…」
「…ふーん」
ローナの顔から、すっと笑顔が消えた。彼女は横で突っ立っているレオに目を向けると、少し寂し気に片眉を上げる。
「レオ、変わったね」
「…え?」
ローナはレオには答えず、ぱっといつもの笑顔に戻ると、後ろで真剣に花を調べているナルフに駆け寄っていった。
「あ!イケメンみっけ!」
「離れろ。邪魔だ」
一人残されたサフィラは、ふう、とため息をつくと、君にだけ聞こえるように、そっと声を潜めた。
「おい、人間。顔色が悪いが…嫌な事とか、されてないよな」
「え…レオに?いや、全然…」
君がそう言うと、サフィラは珍し気に眉を上げた。レオが、おどおどと声を上げる。
「だから、エイミーはほんとにそういうんじゃないんだって…」
「あんたは黙ってな」
サフィラは冷たく言い放つと、再度君に向き直り、真剣な眼差しで忠告した。
「…気を付けろ、あの顔に騙されるなよ。こいつは、取るもんだけ取ったら、風のように消えるぞ」
サフィラはため息をつくと、レオを睨みつけた。
「こいつは、武器屋のあたしをたぶらかして、散々タダで矢を持ってった挙句に、ある時忽然と姿を消したクソ野郎だ」
「…悪かったって」
レオが頭を掻いた。君は混乱したままレオを見つめる。
「だが…まあ、弓の腕と、口の上手さだけは保証できるがな」
サフィラがわざとレオに聞こえるようにそう言うと、レオはサフィラを一瞥した。
「おい…余計な事言うなよ」
「…でもね、」ローナが、つまらなそうにナルフの角の先端を指でつつきながら、唇を尖らせた。
「レオってば、朝になると何も言わずに消えちゃうの」
レオが、頭を抱える。サフィラが顔を上げた。
「ああ、あたしの時も…って、待て、ローナ…なんでお前がそんな事知ってんだ?」
「さあね?レオに聞いてみたら?」
「…」
レオは冷や汗を流しながら、じりじりと後ずさった。
「昔の話だろ…」
「レオ…」
君の軽蔑の目に、レオはウッと息を呑んだ。
「わ、悪かったって…」
サフィラがため息をつく。
「…まあ、昔の事は一旦置いておく。それより、あんたの矢筒、もう空っぽじゃないか。そんなんでこの先どうするつもりなんだ?」
彼女は吐き捨てるように言うと、逃げようとするレオの手首を強い力で掴んだ。その指先が、無意識に彼の手首の筋をなぞる。はっとして、彼女はバツが悪そうにその手を離すと、わざとらしく咳払いをした。
そして、今度は君に鋭い視線を向ける。
「こほん。あと…エイミーだっけ?ついでに、あんたの武器も手入れしてやるよ。不思議な剣だ、興味がある」
「えっと…」
君がごたついていると、レオは自分の空の矢筒を見て、観念したように肩をすくめた。
「…ああもう、わかったよ。お詫びもかねて、君の矢を買わせてもらう。エイミーの武器も見てやってくれ。今回はちゃんとお金も払うから、出来るだけ早く終わらせて」
君は、目を見開いた。
「…良いの?」
「サフィラの武器の手入れの腕は本物だからね」
「う、うるさい、バカエルフ!当たり前だろ!」
レオのストレートな称賛に、サフィラの顔がカッと赤らむ。彼女はそれを隠すようにそっぽを向き、ぶっきらぼうに言い放った。
「…あんたら、ついてきな」
レオが首を振った。
「えっと…嫌われてるみたいだし、僕はここで待ってるよ」
君は、ナルフに目をやった。背中に張り付いているローナには目もくれず、珍しそうに床に生えた草を触っている。
「すぐ、もどるから」
君はナルフには答えず、レオにそう言うと、もう先に行ってしまったサフィラを慌てて追いかけた。




