第20章 出立
君たちはその後、3日ほどノルンの城に泊めてもらった。ふかふかな寝床に、毎晩豪華な食事。だが、その完璧すぎる歓待は、まるで美しい絹の布で、じわじわと首を絞められるような、奇妙な息苦しさを伴っていた。
朝はテュール神への祈りで始まり、昼はテュールの武勲を綴った叙事詩の朗読、夜はテュールに感謝を捧げる宴。彼女たちの会話は、最後には必ず「テュール様のご加護があらんことを」という言葉で締めくくられる。
故郷の村も、テュール神への信仰が生活の中心にあったが、これはあまりに度が過ぎる。
“禁断の子”の君は、テュール様の祭壇や儀式には、おじいさまの言いつけで、一度も出たことが無かった。それもあり、これほどの信仰は、君にとっては新しく、少し、不気味だった。
二日目の夕食後、レオが君の耳元で呟く。
「…明日の朝、ここを出よう。このままだと、頭がおかしくなりそうだ」
君は、静かに頷いた。
夜、辺りが静まり返った頃。君はそっと部屋を出ると、ろうそく片手に静かな廊下を歩いた。肌寒い空気の中で、カツン、カツンと機械的な自分の足音だけがこだまする。
君は一番大きな、金の扉の前まで来ると、小さく咳ばらいをして、コンコンと、ドアをノックした。
「お入りなさい」
ノルンの優しい声に、君はそっと扉を開け、小さく礼をして部屋に入る。顔を上げた、大きな机の前の柔らかなソファに腰かけるノルンとピタリと目が合った。
「夜分遅くに、失礼いたします」
「構いませんよ」
壁に掛かったヴァルキリーの紋章、そしてテュールの像が飾ってあるその部屋は酷く整理されており、氷の薔薇のような香りがどこからともなく流れた。君はそっと椅子に腰を下ろすと、ろうそくをコトンと机に置いて、姿勢を正した。
「…明日の朝、ここを発ちます」
君がそう言うと、彼女はすこし残念そうに微笑んだ。
「もう、行かれるのですね」
「はい。それで…ノルン様に、聞きたいことが」
「ええ、約束は守りますよ。お聞きなさい、私の知っている事なら、答えましょう」
その、包み込むような柔らかな声に、君は小さく深呼吸をすると、顔を上げた。
「私の、母の事。それを、聞きにきました」
ノルンの顔が、一気に険しくなった。
「…エマ、ですか」
「エマ…」
君は、その名前を繰り返す。なんだか、何度も言ったことがあるように、口になじむ。
「…彼女は、強い戦士でした」
「でした…?」
「ええ。あの日、道を踏み外すまでは」
ノルンは、苛立った口調で、そう呟いた。
「母は、一体何を…」
「…本当に、なにも知らないのですね」
ノルンは冷たくそう言うと、ふうと息を吐いた。
「彼女は、ヴァルキリー村の掟を破った…つまり、テュール様を裏切ったのです」
ノルンが吐き捨てるようにそう言った。君は、耳を疑う。
母が、テュール様を…裏切った?
「貴方が“禁断”と呼ばれる由縁は、あの裏切り者の罪。我々の恥です。彼女のしたことは、決して許される事ではありませんが…まあ、貴方に罪は無いので、いいでしょう」
そのノルンの物言いに、君は、言葉を失った。感じるのは、怒りでも、悲しみでもなく、奇妙な乖離感。脳がその事実を拒むかの様に、言葉が入ってこなかった。
「母は、今、どこに…」
「さあ。一度このダンジョンに足を踏み入れたのは確かですが」
その一言に、君はバッと顔を上げた。
母は、やはり、ここに来ていたんだ。
ノルンは静かに立ち上がると、君に背を向ける。
「私が知ってるのはこれだけです。今夜はもう、お休みなさい」
3日目の朝、支度を済ませて部屋を出ると、ヴァルキリーたちに広間に案内される。玉座に座ったノルンが、優しく微笑んだ。
「お待ちしてましたよ、英雄様。感謝の印として、旅の糧となる食べ物と、新しいマントをご用意させて頂きました。エルフの品には及ばないかもしれませんが、私たちが用意できる最上のもの。気に入っていただけると良いのですが」
「有難うございます」
君はそう言って、深々と頭を下げた。
ノルンが合図すると、君の前に、ノラが緊張した面持ちで現れた。渡された少し重たくなったカバンをしっかりと背負うと、次に差し出された新しいマントを、そっと受け取った。
それは、夜明けの空を焦がす太陽のような、真紅のマント。その金糸の合間には小さな宝石がちりばめられ、燃えるような深紅の布の上で幻想的に煌めいている。
ばさりとマントを羽織ると、ひんやりと滑らかな布地が肌に触れ、動くたびに光を受けてキラリと輝く。
「エイミー様には、魔法耐性のマントを。レオ様には加護のクロークを。そして、ナルフ様には、魔術詠唱のローブを用意しました」
ノラはそう言って、恥ずかしそうに手を後ろで組んだ。
レオへと顔を向けると、彼が羽織っていたのは、光を透過するような明るい緑色のマント。絹のように薄く、見るからに軽やかだ。
それに対して、ナルフのローブは紫のような藍色のような、夜明け前の空のようななんとも美しい色。胸元に小さな金の装飾が静かに輝いている。
「魔力が湧いてくるようだ。感謝する」
ナルフの言葉に、ノルンは満足げに頷いた。
「このマントとローブは、ノラをはじめとした、ヴァルキリー達からの感謝の気持ちです」
ノラは、ノルンに呼ばれ、少し照れくさそうに頭を下げた。
「ありがとう、ノラ」
君がそう言うと、ノラは顔を一層赤くして、俯いた。
「下がりなさい」
ノルンのその一言で、ヴァルキリーたちはそそくさと広間から姿を消した。ノルンはそれを確認すると、真っすぐに君を見つめて、にこりと目を細めた。
「…では、今度は、私から。貴方たちに、テュール様より賜りし贈り物を授けましょう」
「まずは、レオ」
レオは姿勢を正すと、ノルンの前に跪く。ノルンはそっと立ち上がると、彼の手に小さな金の指輪を乗せた。
ひんやりとした触感に、レオが不思議そうにそれを眺める。ついている小さなダイヤは、角度を変えると夜空の星のように輝いた。
「填めて見なさい」
ノルンにそう促され、レオはすこし躊躇った後、慎重にそれを指にはめた。
その一瞬、ほんのわずかに、レオは、自分の体が軽くなったような、纏わりついていた見えない枷が外れたような、不思議な解放感を覚えた。
「これは…?」
レオがノルンを見上げると、彼女は穏やかに微笑んだ。
「自由行動の指輪です。それがあれば、いかなる束縛もあなたを捕らえることはできません。物理的な拘束はもちろん、麻痺や鈍足といった魔法の効果、厄介な呪いによる動きの阻害からも、あなたを守ってくれるでしょう」
レオは驚いて目を見開く。
「こんな貴重な物…!」
ノルンが、すっと目を細める。
「ええ。…ですが、よくお考えなさい。あなたが本当に『何から』自由になるべきなのか。その答えを違えれば…分かっていますね」
その声は可憐なまま、けれどその瞳の奥には、底なしの闇が揺らめいていた。
「…ありがとう、ございます」
そのレオの礼に、ノルンは優しく頷いた。
「ナルフ」
静かに立ち上がったナルフを見て、ノルンは懐から一冊の光を放つ魔法書を取り出した。
「ナルフ、あなたには、この地に関わりの深い冷気の魔法書を授けます。きっと、あなたの旅路で役に立つ時が来るでしょう」
ナルフは魔法書を両手で受け取ると、小さく一礼した。
「…感謝する」
その抑揚のない声とは裏腹に、彼の瞳は、好奇心で輝いていた。
ノルンは小さく笑うと、今度は君に顔を向けた。
「では、最後は、エイミー」
ノルンの声に、君は少し身を引き締めて、彼女の前に進み出た。
一体、彼女は、何を選んだのだろうか。
すると、ノルンは、前に置いてある大きな水晶玉を、壊れ物を抱き上げるかのように、そっと持ち上げた。
「これを、あなたに授けましょう」
自分の耳を、疑った。
思わず、目を擦る。間違いない、これは、サーター卿から、君がやっとのことで取り返した…
「ええ、運命の水晶玉です」
そのあまりにあっさりした物言いに、君は目を見開く。
「これは、ノルン様がご自分の命よりも大切だと…!」
君の慌てように、ノルンが静かに笑った。
「ええ。ですが、サーター卿が倒された今、私たちはついに、次の段階に進んだのです」
「段階…?」
「そうです。私の『役目』は、もう運命を見る事ではなく、あなたが無事に魔除けをテュール様に捧げるのを手伝う事ですから」
その一言に、君は恐る恐る、水晶玉を受け取った。冷たく、ずっしりとした石の感触が手のひらに伝わってくる。
「…ですが…」
そう言いかけた、次の瞬間。まるで頭の中に冷たい風が吹き込んだような、奇妙な感覚が君を襲った。
「え…?」
困惑して瞬きをすると、目の前にいるレオやナルフの輪郭が、今まで見えなかったはずの淡い光のオーラを帯びて、ゆらゆらと揺れて見えるではないか。
ノルンが、そっと微笑んだ。
「その水晶玉は、相手の強さを読むことが出来るのですよ」
レオのオーラは、深く静かな夜空を照らす月光の様。ナルフのオーラは、鋭く揺らめく炎のように力強い。
そして、ノルンへと視線を移した時、君は思わず息を呑んだ。彼女を包むオーラは、まるで底なしの深淵を覗き込んだかのように、強大だったからだ。
彼女は、それを感じさせないような穏やかな微笑みで、静かに口を開いた。
「水晶玉の、運命を読む力は取り除かせて頂きました。あなた方なら、自分たちの力で運命を選べると、そう信じています」
君は、ノルンのオーラから逃げるように、水晶玉をカバンの中に押し込んだ。
「ありがとうございます」
君に続いて、レオとナルフも頭を下げた。
ノルンは満足げに頷くと、両腕を広げて高らかに声を上げた。
「さあ、英雄たちよ!魔除け探しに戻るのです!我々一同、テュール様の祝福を願っております」
彼女はそう言うと、そっと両手を組んで、天を仰いだ。
ヴァルキリー達は、君たちの出発を心から悲しみ、そして祝福してくれた。別れを惜しんで涙を流す者、力強く手を振ってくれる者、旅の無事を祈る言葉をかけてくれる者。ノラが、大声で叫んだ。
「エイミー様!!レオ様に、ナルフ様も!ご武運を!」
ポータルは、まるで君たちを待っていたかのように、眩い光を放っていた。
レオのカバンの底で、銀の鐘が光った事には、誰も気づかない。
足を踏み入れると、君たちは、紫色の光に包まれる。
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足が浮くような感覚の後、つんざくほどの静寂が辺りを包んだ。
目を開けると、先ほどまでの美しい氷の台地はもう無く、足元には冷たい灰色の石畳が広がっている。
狭い部屋の中で、君の影が一つ、ゆらりと寂しげに揺れた。次の瞬間、再度ポータルが光って、レオが現れた。
「…戻ってきたね」
レオの言葉に、君は小さく頷く。なんだか、あの歓声も、豪華な食事も、まるで長い夢だったように思える。
再度ポータルが光り、ナルフも姿を現した。冷たい石畳に降り立ち、ノルンにもらった冷気の魔導書を大事そうに抱き直す。そして、君をじっと見つめると、待ちきれないといった様子で口を開いた。
「ママ殿、我は、この魔導書を一刻も早く読みたい」
君は困ったように笑った。ナルフのいつも通りのマイペースな姿に、微かな安堵を覚える。
「そうだね。ここらへんで一旦、態勢を整え…」
君がそう言って頷き、大きな一歩を踏み出した、その時。
バコン、という乾いた音と共に、君の足元の床が、前触れもなく崩れ落ちた。




