第19章 宴
「さあ、三人の英雄に、大きな拍手を!」
君たち三人を会場の真ん中に立たせ、ノルンがそう叫んだ。会場に居る全員が手を叩く。
「宴の始まりです!さあ、今夜は楽しみましょう!!」
そのノルンの一言を合図に、一気に陽気な音楽が流れ出し、人々の賑やかな話し声が広がった。
「レオ!ナルフ!」
君は二人のもとへ走り寄った。
「ママ殿」
そう言ってナルフが君の前に立った。その姿を見て、君は思わず息を呑む。
夜の闇を織り込んだような、黒いタキシード。その高貴な黒と金の装飾が、彼の白い肌と赤の瞳を強烈に引き立てている。
「すごい…ナルフ、かっこいい」
「ママ殿も、凄く似合っている。とても綺麗だ」
ナルフはそう言って、にこりと微笑んだ。
その真っすぐな一言に、君は思わず目を伏せて髪を耳に掛ける。
「…あ、ありがとう」
その時だった。カツン、とノルンが銀の杯でテーブルを軽く叩いた。
その瞬間、食堂の全ての音が消えた。
まるで時間が止まったかのように、全員がぴたりと動きを止め、背筋を伸ばす。そして、君とレオ、ナルフを除く全員が、寸分違わぬ動きで右の拳を左胸の心臓の上に置いた。
ノルンが、朗々とした声で唱え始める。
「我らが主、戦神テュールよ」
「「戦神テュールよ」」
他の全員が、それに続いた。君も手を胸に当てる。レオとナルフも慌てて君にならった。
ノルンが再度口を開く。
「その御名の下に、我らは今日一日を戦い抜きました。この糧が、我らの肉を鋼とし、血を炎と変え、来るべき聖戦の礎となることを信じます」
「「――信じます」」
「…これは?」
ナルフが眉を潜めた。君は小声で答える。
「テュール様への感謝」
ノルンが、銀の杯を高く掲げた。
「では、我らが正義と戦争の神、テュール様に、心からの感謝を込めて。頂きます」
「「――頂きます」」
最後の言葉が一つに重なり、静寂が戻る。
ノルンがそっと銀の杯を降ろすと、先程までの静寂が嘘のように、再び食器の音が響き始めた。
君がそっと胸に当てていた手を降ろすと、ナルフが待ち切れないとでも言いたげに、顔を上げた。
「ママ殿」
彼が宝石のようなデザートコーナーを指さす。君が頷くと、ナルフは目を輝かせた。
「では、またあとで。何かあれば、すぐに我を呼んでくれ」
ナルフはそう言うやいなや飛ぶようにデザートコーナーへ直行した。彼は食べる必要がないはずだが、ものすごい勢いでフォーク片手にケーキを掻き込み始めた。
君はそれを見て、小さく微笑んだ。
「その、エイミー…」
その小さな呟きに、君は振り返る。
顔を向けると同時に、君は、思わず息を忘れた。
レオだ。
シルクの白いタキシードに、ワックスされ、掻き上げられた銀髪。ナルフが黒曜石の彫像ならば、レオは神が創り上げた白亜の彫像そのものだった。
普段の服では隠されているすらりとした立ち姿が際立つトラウザーズに、大きな銀のブローチが付いたジャケット。
感嘆の息を漏らさずにはいられなかった。彼の透き通るような肌とアメジストのような瞳も相まって、月から舞い降りた最高傑作の芸術品そのものだ。
「…すごい、似合ってる」
君がそう言うと、レオは頬を少し赤く染め、前髪を小さくいじった。
「…君も、その、悪くないと、思う」
彼はちらりと君を見てそう言うと、すぐに視線をずらした。
…綺麗だ。
その一言が、レオの喉に詰まって出てこなかった。口を開きかけるも、結局言葉は続かない。遠くでにぎやかな音楽が流れ、人々の明るい笑い声が響いた。
「どうしたの?」
君が不思議そうに首を傾げると、レオの肩が大げさなほどびくりと震えた。「いや、なんでもない!ただ、喉が渇いたなって!」
彼はそう早口でまくし立て、手近にあったワイングラスをひったくるように掴んで、中身を一気に呷ってしまう。その様子に、君は眉を潜めた。
「…?まあ、飲みすぎないでね」
ひとまずそう声をかけ、君が料理の方へと足を踏み出した、その時。
「…ちょっと、待って」
その声に呼び止められ、君はレオを振り返った。
そこには、迷子のような瞳をしたレオが立っていた。いつも飄々としている彼の白い頬が、耳まで真っ赤に染まっている。
心配になって、君は無意識に手を伸ばしていた。そっと触れた彼の頬は、透き通るように柔らかく、驚くほど熱かった。
君が指先の熱に驚くより先に、レオの息が止まり、彼の瞳が大きく見開かれる。
「…え?」
「レオ、顔、熱いよ。真っ赤だけど、大丈夫?」
君が心配げに彼の顔を覗き込むと、レオは弾かれるように顔をそむけた。
「な、なんでもない!これは…そう、酒のせいだよ!」
レオのその早口の答えに、君はため息をつく。
「一気に飲みすぎ。お酒は逃げないから」
その君の本気の心配に、レオは一瞬ぽかんとしていたが、少しすると、小さく笑った。
「君ってやつは…ほんとに」
「なに」
「なんでもない」
諦めたように、けれどどこか嬉しそうに笑いながら、レオは天井を仰いだ。君は首を傾げる。
「?そう。じゃあ私は…」
君がそう言って、少しレオから離れた、その瞬間。明後日の方向から、甲高い歓声が響いた。
「レオ様よ!!」
少し離れたテーブルから、1人のヴァルキリーが立ち上がって叫んだ。その声を合図に、鳴りを潜めていた他のヴァルキリーたちも、一斉に色めき立つ。
「ホントだ!」「お一人かしら?」「今なら話せるかも!」
次の瞬間、地響きのような足音が響いた。
「え、ちょっ…」
レオが身構える間もなく、あっという間に十数人のヴァルキリーたちに囲まれ、身動きが取れなくなっていた。
「レオ様!」「こっち向いてください!」「近くで見ても素敵だわ…!」
「あ、エイミー…」
そのレオの一言は、熱狂的な声の渦に埋もれてしまった。
レオは、やっぱり人気者だ。私が側に居ても邪魔だろう。君は肩を竦めると、ずらりと並んだ食事に目を向けた。漂ってくる香ばしい香りに、お腹がグルと音を立てる。
「じゃあ、ご飯食べてくるから」
君はそう小さくレオに合図をすると、料理へと足を運んだ。
並べられているのは、豪華な料理の数々だった。飴色に焼かれた猪の丸焼きに、深紅のベリーソースが輝く鹿肉のロースト。その横には色とりどりの温野菜が並び、パン籠からは、麦の甘く香ばしい匂いが立ち上ってくる。
君は小さな皿を手に取った。青白く光る不思議なキノコのソテーを口に運ぶと、豊かなバターの香りが鼻を抜ける。うん、おいしい!
最近の食事は干し肉や硬いパンやモンスターばかりで、こんな大ご馳走は久々だ。思い出される火蟻の食感を必死に追い出しながら、ポテトサラダを大きく頬張った君の耳に、ふと聞き慣れた声が響いた。
「おかわり」
声のもとを辿るように視線を彷徨わせると、君の目に映り込んだのは、無言でデザートを掻き込む、ナルフだった。
ナルフの前には、食べ終えたデザートの皿が、まるで塔のように積み上げられている。
「おかわり」
普段の様子はどこへやら、ナルフは小さなケーキを次々と頬張り、味わう間もなくゴクリと飲み込むと、空になった皿を無言で積み上げた。その横で、給仕役のヴァルキリーたちが額に汗を浮かべ、引きつった笑顔で次から次へとデザートを運び続けている。
君は小さく笑うと、美味しかったベリーソースを一皿持って、ナルフに声をかけに行こうと席を立った。
その時。
何処からともなく、ノラがモジモジと現れた。
「その、エイミー様。お聞きしたいことが…」
「どうしたの?」
君がそう聞くと、ノラが少し顔を赤らめて、俯いた。
「突然で申し訳無いのですが…エイミー様は、レオ様とどういう関係で?」
君は首を傾げた。そして、後ろでまだ囲まれているレオにちらと目をやると、ノラに向き直った。
「…仲間だけど」
君がそう言うと、ノラが一層顔を赤くした。
君は、ぱちりと目を瞬いた。
このリアクションは、見たことがあった。同期の子に、ジェームズとの関係を聞かれたとき、彼女も同じように顔を赤くしていた。これは、間違いない。ノラはきっと…
「レオが、好きなの?」
確かに、レオはべらべら喋っている時は煩いが、黙っていればクレオパトラも気絶するほどの美人だ。イケメンも大変らしい。
「話したいなら、呼んでくるけど」
「あ、いえ…!大丈夫です!」
ノラの呟きに、君は首を傾げる。
「じゃあ…何」
その君の問いに、ノラの顔が耳まで赤くなった。
「いえ、その、えっと…私は、エイミー様と、お話がしたくて…!」
「…私?」
君が思わず聞き返すと、ノラがコクリと頷く。
「はい!今までの冒険の話や、もちろん故郷の話でも…!」
君は、ぱちぱちと目を瞬いた。この子が、私と、話したい?
…何故?
その時、レオがふらりと君の肩に肘を載せた。
「んー、なんの話?」
そう言いながら、バランスを取るように君の肩に体重を乗せる。ふわりと、彼の森林の香りが君を包み込む。
「ちょっと、重い」
君がそう呟くと、レオが赤い頬を膨らませた。
「いいじゃん」
「また飲んだの?」
君たち二人を見て、ノラが思わず口元を押さえた、その時。
先ほどまでレオを取り囲んでいたヴァルキリー達が、再度大きな声を上げた。
「レオ様、見つけたわ!あそこよ!」
その一言を合図に、ヴァルキリー達が再度、レオの名を叫びながらすごい勢いで駆け寄ってくる。君は、レオの肘をつついた。
「レオ、呼ばれてるけど」
レオが口を尖らせ、君の肩に顎を乗せた、まさにその瞬間。
殺到してきたヴァルキリーたちの足が、ぴたりと止まった。
彼女たちの目に映ったのは、ノラの、君をじっと見つめている、切ない横顔だった。
誰かが誰かと視線を交わす、一瞬の静寂。次の瞬間、彼女たちの間で無言の合意が形成された。
「…ほら、ノラ!」
彼女たちは、さっとノラの周りに集まると、ぐいとノラの背中を押した。
「あ…」
ノラがよろめきながら、君の前に突き出される。ヴァルキリーたちが、祈るような視線で、ノラの背中を見つめた。
ノラは助けを求めるように辺りを見渡すも、やがて覚悟を決めたように、ぎゅっと両目をつぶる。そして、勢いよく頭を下げた。
「エイミー様!」
そして、小さな赤い花を、君に差し出した。
「…よかったら!あちらの方で、私とお食事でも…!」
辺りが一斉に静かになる。花を見つめながら、君は思わず目を見開いた。
「…私?」
ノラが、コクリとうなずいた。
そして、それを見ていたレオが、つまらなそうにすっと目を細めた。
君は、目の前の差し出された赤い花と、固唾を飲んでノラを見守っているヴァルキリー達を交互に見やった。そして、眉を潜めると、呟く。
「え、別に、良いけど…」
君がそう言いかけた、その時。
レオが、コトンと首を傾げて、君の頭に自分の頭をぶつけた。
そして、呟くように、囁くように、一言。
「...駄目」
「「!!!」」
そのレオの一言が、大広間に爆弾を投下した。
最初に上がったのは、抑えきれない黄色い悲鳴だった。皆顔を真っ赤にして、熱に浮かされたような顔で床に崩れ落ちた。
しかし、その直後、視線の先で、ノラが差し出した花を握りしめたまま、顔を赤くして凍りついているのを、全員が目にした。ノラは顔を真っ赤にして口をパクパクさせたまま固まり、大広間は阿鼻叫喚の渦に包まれる。
君は、ため息をついた。この女たらしは、すぐにこういうことを言う。
「酔っぱらい」
「冗談冗談ー」
レオが、楽しそうに笑った。
「でも、少し、飲みすぎたかも。それに、もうナルフが限界だよ」
レオに言われて、ちらりとナルフに目をやる。すると、タワーのように積み重なった何十枚ものデザートの皿の横で、腹を膨らせて爆睡しているナルフが見えた。
その、君がレオから目を逸らした一瞬。レオは手に持っていたなみなみと注がれたワインを、ゴクリと一気に飲み干した。
「もう一杯!」
君は、頭を抱えた。
「ごめん、ノラ。今夜はもう戻る。話は、また今度。」
君はそう言うと、酒臭いレオと腹をパンパンにしたナルフの服を引っ掴み、早足で会場を出ていった。
残されたヴァルキリー達は顔を見合わせて、最後にもう一度キャーッと声を上げた。
その、叫びの中で。レオの口が、小さく動いた。
「…綺麗だよ」
と。
その呟くような一言は、君の耳には届かなかった。




