第17章 鐘
君がスタッと床に着地した後、間をおいて、ゴロゴロと卿の首が床を転がり、マグマにドポンと音を立てて落ちた。
直後、安堵と極度の疲労の波が君を飲み込む。立っていることすらできず、君はガクリとその場に膝をついた。
朦朧とする意識の中、霞む視界に心配そうに君を覗き込む銀髪が映った。レオは君をふわりと抱き上げると、シュッと跳び上がる。
次の瞬間、君の後ろで、サーター卿の巨体が倒れる音がしたと思うと、地面がガタガタと揺れた。
…さっきのところで倒れていたら、君は下敷きになって死んでいただろう。
「…ありがとう」
君は弱々しく呟いた。
「君こそ、おつかれさま」
レオは安堵の息をもらすと、君の頭を軽く撫でた。
戦いの狂騒が嘘のように静まり返り、マグマの煮えたぎる音と、君たちの荒い呼吸だけが響く、奇妙に穏やかな沈黙が訪れていた。
レオは君を抱えたまま、倒れているナルフの元へ急いで駆け寄った。
「おい、大丈夫かい?」
ナルフは蒼白になった顔をゆっくりと上げ、か細い声で答えた。
「問題、ない…。ただ、魔法を使いすぎたようだ…」
「そうか。少し横になると良いよ」
レオはそう言うと、ナルフの横にそっと君を寝かせ、立ちあがった。
「ここで待っててくれ。目的の運命の水晶玉とやらを回収してくる」
レオはそう小さく囁くと、油断なく周囲を窺いながらも、サーター卿の巨大な亡骸へと慎重に歩み寄っていった。
「…見つけた」
レオは、卿の懐から目的の水晶玉を取り出し、君にも見えるよう光にかざすかのように高々と持ち上げた。
「手に入れたよ!」
レオがにこりと微笑んだ。君はそれを見て安堵の息をつくと、そっと、目を閉じた。
刹那。
レオの口元に、微かな笑みが浮かんだ。
次の瞬間、 動きは驚くほど速かった。水晶玉を持つ手はそのまま、レオのもう片方の手が、別の目的を探るように動き出す。
彼は隠密な手つきで、卿が腰に提げていた小さな銀細工のベルを、音一つ出さず留め具から外し取る。
キラリ、とベルが一瞬、鈍い銀色の光を放つ。レオはそれに表情一つ変えず、流れるような自然な手つきでそれを自身のナップサックの奥深くへと滑り込ませ、口をしっかりと閉じた。
しかし、すぐに彼は普段の飄々とした表情に戻り、君のもとへ早足で戻ってきた。
「水晶玉を手に入れた。目標達成だ、早く戻ろう。ナルフ、歩けるかい?」
レオはそう言って君たちに水晶玉を見せると、ナルフに肩を貸して彼を立たせた。
「ああ、問題ない」
ナルフの様子を見て、レオはそっと君を抱き上げた。
「さあ、“任務完了”、だね」
レオが、にこりと笑った。
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ノルンのいた玉座に戻ると、ヴァルキリー達が君たちを囲んだ。
「僕は大丈夫。この二人を」
レオがそう短く言うと、ヴァルキリーたちは頷いて、エイミーとナルフを治療室へ運んで行った。
レオは玉座の前まで進むと、無言で膝をつき、運命の水晶玉を差し出した。
ノルンはそれを見て、最初は信じられないというように目を見開いたが、やがて、震える手で水晶玉を受け取った。
「…サーター卿は、倒されたのですね」
「ギリギリでしたけど」
レオが弱々しく笑ってそう言うと、ノルンは目に涙を溜めて、天を仰いだ。
「ああ…!テュール様!お導きに、大いなる感謝を…!」
ノルンは恍惚とした表情で神への祈りを捧げると、一度大きく深呼吸をし、レオの手を強く握った。
「…本当によくやってくれました、勇者レオ」
「お役に立てたのなら、光栄です」
レオは乾いた笑いを漏らし、そっと手を離した。
すると、ノルンは思い出したように顔を上げた。
「ああ、そうです。開会の鐘は、忘れずに手に入れましたか?」
「はい、エイミーが。」
レオはそう言うと、いつもどおりの笑顔でニコッと笑った。彼のカバンの中で、銀のベルが少し揺れる。
ノルンは、安心したように微笑んだ。
「…お疲れでしょう、今日はゆっくりとお休みなさい。十分に休息が取れた後にでも、ゆっくりと話をしましょう。さあ、ノラ、お客様を連れていきなさい」
ノルンが合図すると、ノラと呼ばれた一人のヴァルキリーが、レオのそばへ駆け寄った。
「こちらへ」と促され、レオは立ち上がり、彼女の後に続いた。
移動中、ノラがおずおずと口を開いた。
「…あなたが、本当に、あのサーターを倒したのですか?」
「倒したのは僕じゃないよ」
レオは肩をすくめる。彼女はそれを聞くと、歩みを止め、レオを振り返った。
「…皆、心配しておりました。私達も戦士です、共に行きたかったのですが、ノルン様に、『あなた達の役目は、神殿を守り、勝利を祈ること』だと…」
彼女の声が震えた。レオは困ったように微笑んで、肩をすくめた。
「君たちのお陰で、僕達も戦いに専念できたんだよ」
ノラが、 ピタリと動きを止めた。そして、ゆっくりと深く被っていた兜を脱ぐと、彼女の少し赤くなった頬が露になった。
「…ありがとう、ございます」
ノラはそう言うと、ゆっくりと頭を下げる。彼女の明るい茶色の短髪が揺れた。
「先にお食事にいたしましょうか、それとも、お体をお流しになられますか」
レオは彼女の気遣いに礼を言うと、首を横に振った。
「エイミーに、会わせてくれ」
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君は、目を覚ました。
最初に目に入ったのは、白い天井、そして、流れるような銀髪。
「起きたかい?」
レオが君を覗き込んだ。君は一つあくびをすると、ゆっくりと上体を起こし、自分のいる病室を見渡す。
「…ナルフは?」
「ああ、アイツなら先に風呂だよ。大事な翼が汚れたとか何とか」
レオはそう言って肩をすくめると、小さく笑った。
「レオは、ずっとここに?」
君がそう聞くと、レオはすこし恥ずかしそうに頭を掻いた。
「まあね。どうせ暇だしさ」
君はそれを聞いて、クスッと笑った。
「なんだよ」
君の様子に、レオは顔をしかめた。君は思わず笑ってしまう。
「素直じゃないなって思って」
「は?」
レオが眉を潜める。君は口に手を当てて、片眉を上げた。
「レオ、私が居なくて寂しかったんでしょ」
君がそう言うと、レオは目を見開いた。が、その後拍子抜けに笑った。
「…さあ。そうかもしれないね」
君たちは笑い出す。
「そう言えば、レオ。聞きたいことが」
君の真剣な声色に、レオがピタリと動きを止めた。
「えっと…うん。なんだい」
「レオがさっきの戦いで叫んだ、“エルベレス”って言葉」
それを聞いて、レオがふっと顔を緩めた。
「ああ、なんだ。そのことか、びっくりした」
レオはそう言うと、椅子に座りなおした。
「エルベレス様、星の女王。二柱の創造神のうちの一人で、僕達エルフの信仰対象だよ」
そう言われて、ふと思い出した。確か、レオと会ったばかりの頃、そんな話をしたっけ。
あの時、死を覚悟したとき。レオが叫んだ瞬間、確かに光が降り注ぎ、火の巨人だけでなく、サーター卿までもが動きを止めた。その時、レオの足元に刻まれていた、“Elbereth”の文字。
「名を大地に刻んで、繋がりを築いた…」
「そう、よく覚えてたね。不安になって、念のため先に刻んでおいたんだ。ナルフのバカが、あんなに大胆に扉を破壊してなければ、もう少し余裕があったんだけど」
レオはそう言うと、腰に刺さっている短剣を取り出した。先が少し削れているのを見ると、これを使って刻んだということだろう。
「創造神って…」
「モロクとエルベレス様の二人。このダンジョンも、殆どのモンスターも、モロクによって作られた。だから、対抗する聖なる力のエルベレス様の力を恐れるんだ」
君は、目を見開く。そうだったのか。昔からテュール様だけを一心に信じてきたが…、もっと上の神が居たとは初耳だ。
「待って、じゃあ、ダンジョン生まれのレオは、モロクに創られたの?」
それを聞いて、レオがすっと目を逸らした。
「…一言で言えば、違う。僕は少し特殊だけど…エルフっていうのは、エルベレス様が創った種族なんだ」
「レオは特殊?」
「特殊というか…まあ、複雑というか」
レオはそれっきり、黙ってしまった。
一瞬の沈黙が流れる。
「…じゃあ、僕は体を洗ってくるから」
レオがそう言って立ち上がる。君も、頷いた。丁度、自分も体を流したいと思っていた。
「うん。また夜ご飯の時に」
「じゃあ、またあとで」
レオはそう短く言うと、ひらりと手を振って部屋を出た。
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一人無駄に広い廊下を歩きながら、レオは、ふっと安堵の息を漏らした。心配したが、エイミーが元気そうで安心した。それに、“あれ”の事も、気づいてないみたいだ。
がらりと男湯のドアを開けると、大きな浴槽の中のナルフが顔を上げた。
「なんだ、ママ殿ではないのか」
「…どういう意味だよ」
レオはため息をつき、辺りを見渡した。
広々とした空間の中央には、磨き上げられた石造りの円形浴槽。壁際には純白のリクライニングチェアが並び、壁にはエメラルドグリーンで描かれた精緻な模様が広がっている。
「これはまた無駄に豪華な風呂だな」
レオは思わず感心のため息をついた。
「最高指揮官様の財力なのか、“テュール様”の力なのか」
レオはそう言うと、スルリと服を脱ぎ、バシャンと浴槽に入った。あたたかなジャグジーが、レオの疲れた体を優しく包み込んだ。
「あーきもちいー」
レオはそう言って至福の笑顔を浮かべると、ゆっくりと目を閉じた。
「テュールとは、誰だ?」
ナルフの声に、レオが目を開く。
「エイミーとヴァルキリー達が信じてる神様。おまえのママは、そいつの為に魔除けを探してる」
「レオ殿も、テュールを?」
「いいや、僕達エルフはエルベレス様を信じてるよ。でも、ここではそう言う話はしない方が賢明かもね」
レオの声が低くなる。ナルフが首を傾げた。
「なぜだ?」
「なんか、ここの人たち…特にノルンさんとか、テュールの事になると…ちょっと怖いんだよ」
レオはそう小声で言うと、ちらりと辺りを見渡した。ナルフは少し考えるように眉を潜め、頷いた。
「そうか。忠告感謝しよう」
ナルフはそう言うと、一度大きく息を吐いて、再度口を開いた。
「…ところで、レオ殿とママ殿は、どういう関係なのだ?」
その質問にレオは思わず噴き出して、ゲホゲホとむせた。
「何だよ急に!」
「気になったのだ。我は、レオ殿とママ殿の過去を知らない」
ナルフは顎に手を当て、目を細めた。
「レオ殿、顔が赤いぞ」
「のぼせたんだよ!」
レオはそう叫んで、思わず立ち上がった。バシャりと浴槽の湯が揺れる。
「僕達は仲間さ。エイミーは、僕の命の恩人なんだ」
彼はここで言葉を切って、深い溜め息をついた。
「僕は、死にそうな所を助けてもらった恩返しとして、一緒に旅をしてる。ほら、これで満足かい」
レオはそう言うと、ゆっくりと座りなおした。ナルフはレオの横顔をじっと見つめる。
「ほう、恩返し、と」
「お前だって似たようなもんだろ。エイミーに育ててもらった恩返しで、仲間になってる」
レオはそう言うが、ナルフの視線に耐えられずにそっぽを向いた。
「…そういうお前は、どうなんだよ。“ママ殿”の事」
「育てて頂いたのだ。当然、感謝し、尊敬している」
ナルフの満足げな物言いに、レオが眉を寄せる。
「なら、僕への感謝と尊敬は何処だよ。卵のお前を見つけたの僕だからね、言っとくけど」
ナルフはそれを聞くと、何も言わずに立ち上がった。そして、振り返らずにスタスタと風呂から出ていってしまった。レオは呆れたようにこめかみを押さえる。
「あいつめ…」
唐突に訪れた静寂に、レオは少し考えこむように俯いた。
僕と、エイミーの関係、か。
「はは、仲間だってさ…」
レオはそう小声で言うと、力なく笑った。そして、大きなため息をつく。
「だって、僕は…」
君を、騙してるんだから。
最後は、声にならなかった。レオはただ、湯の中に顔を沈めるようにして、もう一度大きなため息をついた。




