第16章 エルベレス
「合図を!!」
君の思考を遮るようにナルフの叫び声が響いた。バッと顔を向けると、床に魔法陣を書き終えたナルフが、真っすぐに君を見つめていた。
君は一瞬戸惑うが、剣を握りしめ、叫んだ。
「…ナルフ!火の巨人たちをお願い!」
その瞬間、ナルフの手から放たれた魔法が一体の巨人の肩に当たった。途端、侮辱されたと悟った巨人たちの灼熱の瞳が一斉にナルフに向けられた。
「火の巨人ども、貴様らの相手は我だ!」
君には目もくれず、地響きを立ててナルフへと殺到する巨人たち。ナルフはすかさず魔法陣の上に立ち、詠唱を開始した。
「いでよ!棘の悪魔!」
魔法陣が怪しく光ったと思うと、棘の悪魔が姿を表した。その異様な姿に巨人たちが怯んだ隙を見逃さず、ナルフは命じた。
「逃がさぬ、行け!」
合図と共に、異形の棘の悪魔は甲高い奇声を上げながら巨人たちの群れへ突貫した。素早い動きで巨人たちの攻撃をかいくぐり、その棘で巨人の強靭な体を貫いてゆく!次の瞬間、棘の悪魔の攻撃を受け、一体の巨人が崩れ落ち、二体目の巨人の腕が音を立てて床に落ちた。
「いいぞ!そのまま…」
ナルフがそう叫んだその時。残りの巨人が棘の悪魔を掴み、まるで雑巾でも絞るようにその体を捻り潰した。
ナルフは、目を見開いた。
棘の悪魔が…敗れた?たった三体の、デカいだけの奴らに?
「…あり得ん…!」
考えてもいなかった、最悪の状況。切り札だった召喚魔法は破られ、残った魔力はわずか。得意の炎の魔法は、奴らには通じない。
このままではママ殿を助けるどころか…足手まといだ!
その時、ナルフの目に、サーター卿と対峙するエイミーと、何やら短剣で熱心に何かを床に刻んでいるレオが映った。
ナルフはそこで、思わず一歩後ずさった足を止めた。そして、ギリと強く歯を食いしばると、その真っ赤な瞳で、巨人たちを睨み返した。
ナルフは、勢いよく両手を合わせ、残った魔力を集め始めた。
「…貴様らに、ママ殿には指一本、触れさせん!」
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「お前の相手は、私だ!」
君は、サーター卿を睨みつけた。
「悪魔を従えているとは…正義と武力のヴァルキリーも落ちたものだな」
卿は鼻で笑うと、再度勢いよくその両手剣を振りかざした。
轟音と共に、灼熱の刃が君の頭上を薙ぐ。君は咄嗟に身を屈め、熱風が髪を激しく逆立てるのを感じた。背後で剣が岩壁に激突し、岩が溶け、砕け散る音が響く。
息をつく暇もない。卿は獣のように踏み込み、今度は横薙ぎに刃を振るう。
君は床を転がり、盾を構えて衝撃に備えた。剣先が盾の縁を掠め、腕を痺れさせるほどの衝撃が走る。金属が擦れる甲高い音と、焦げ付く匂い。
速い、重い。ただ避けるだけで、全ての神経がすり減っていく。
いくら炎耐性があっても、あの攻撃をもろに食らえば、空き缶のように潰されてしまうだろう。
このままでは、消耗戦だ。なにか、逆転できる方法は…一瞬でも、防御から、攻撃に転じられる好機があれば!なにか!!
君が、少しの思考に没頭して、辺りを見渡した、その一瞬。
目の前に炎の剣が出現し、君めがけて振り下ろされた。
「ぐっ…!」
君は咄嗟に、盾で炎剣を受けた。 ガギィィンと、耳をつんざく金属音と、腕が痺れるほどの衝撃が君を襲う。
膂力の差は歴然だった。受け止めきれず、君の体は枯れ葉のように弾き飛ばされ、岩壁に背中から叩きつけらる。
「がはっ…!」
肺から空気が絞り出され、一瞬、視界が白く飛んだ。青銅鏡の盾が悲鳴を上げるように軋み、背中と後頭部に焼けるような痛みが走る。焦げ付く硫黄の匂いと、岩壁が砕ける乾いた音が響き、サーター卿の足音が、ゆっくりと、しかし確実に近づいてくるのが分かった。
君は口に入った砂利を吐き出すと、おでこの汗を荒々しく拭った。なにか、方法があれば――!
その時、ハッとした。
方法なんて…無いんじゃないか?人間が、たかが女戦士が、一人でこの炎の巨人に勝つだと?そんなの、初めから、不可能だ。
だが、ならなぜ君は、それでもこの洞窟に足を踏み入れたのか。
それは、君には、最強の相棒が居るから。百戦錬磨の巨人にも見えない死角で、空気のように気配を消して、ずっと好機を狙っている…完璧な、サポーターが!
「レオ!!」
君が叫んだのとほぼ同時、音もなく、一本のエルフの矢が卿の背中に刺さった!
「ごめん!遅くなった!」
何十メートルも離れた卿の隠れ家の屋根の上から、レオが素早く次の矢を番える。
君の顔に、安堵の笑顔が浮かんだ。
好機は来た。レオと二人なら、勝機はある!
卿は一瞬、眉をひそめて屋根を見やったが、自分に刺さったのが、たった一本の小さな矢だと分かると、痛くもかゆくもないとでも言うように、君に視線を戻した。
「だから何だ?こんな小細工、儂には効かん」
サーター卿はそう言って、フンと鼻で笑った。
「…どうかな?」
レオの不敵な笑みとほぼ同時、ガクリ、とサーター卿の動きが明らかに鈍った。
「な…」
次の瞬間、卿は両手剣の重さを支えられないとでも言うように、落とすように剣を床に突き立てた。そして、激しく咳き込んだと思うと、苦しげに、口から黒ずんだ血を吐き出した。
「…毒か、この小童!」
君は、その隙を見逃さなかった。
痛む頭と全身を無理やり動かし、剣を握りしめる。
レオがくれた、千載一遇のチャンス。今、やるしかない!
君が卿の懐に走り込もうと駆け出すと、卿は君を迎え撃とうと両手剣を振り上げようとした。だが、ヒュン、と空気を切り裂く音と共に、銀の矢が立て続けに卿の肩と腕に突き刺さった!
「ぐっ…!」
卿の体勢が崩れる。君の正面からの突撃と、レオの死角からの精密な射撃。完璧な挟み撃ちだ!
卿は君の攻撃に気づき、必死に身体を捩る。だが、その動きは致命的に遅い!
行ける!!
君は、滑るように卿の懐に入り込むと、思いっきり剣を腹に突き刺した!
肉を貫く重い感触が、柄を通じて君の腕に伝わる。熱い血飛沫が君の顔にかかり、鉄錆びた匂いが鼻をついた。
卿が目を見開き、咆哮と共にその巨体をうねらせる。君が咄嗟に剣を引き抜くと、熱い血飛沫が雨のように君に降り注いだ。
君は思わず安堵の息をついた。やった!やっと、攻撃が当たった!!
「その調子だ!このまま畳み込むぞ!」
レオの叫びに応えるように、君は剣を構え、再度走り始める。
勝てる!君の全身を、勝利への確信が駆け巡った。背中の痛みも、頭を殴られたような衝撃も、アドレナリンの奔流に掻き消されていく。
目の前では、サーター卿が腹の傷口を押さえ、獣のような咆哮を上げていた。
君の手の中で、剣が淡い青の光を放つ。
次の一撃で、決める。
そう思って、全力で床を蹴ろうとした、その瞬間。
君の耳に、火の巨人の雄たけびと、弱々しい叫び声が、響いた。
ほんの一瞬、君の目が、動いた。崩れた瓦礫の影に、浅い息を繰り返す人影。 その姿に、君の心臓がぴしりと凍る。火の巨人に頭を掴まれ、力なく両腕を垂らしているのは…
「ナルフ!!!」
考えるより先に、そう叫んでいた。
「危ない!」
レオが叫ぶ。
が、遅すぎた。
百戦錬磨の巨人が、君の致命的な一瞬の油断を見逃すはずがない。
卿は即座に体勢を立て直すと、君めがけて、思い切り振りかぶった。
グオン、と音がして。
灼熱が、君を一気に包み込んだ。
世界から色が消え、音が消える。灼熱の白光が視界を塗りつぶし、君の影すらも焼き尽くす。
咄嗟に盾を構えるが、その攻撃の重さに、青銅鏡の盾が腕ごとへし折れんばかりに軋んだ。巨人の圧倒的な膂力の前では、君はあまりに無力だった。
視界の隅で、レオに貰ったマントの残骸が、最後の火の粉を上げて塵と化すのが見えた。
…ここまでか。
君は、無意識に胸のオパールのネックレスを握りしめた。
死の指先が、君の額に触れようとしていた。
迫りくる炎の剣のその揺らめきが、非現実的なまでに美しい。一瞬が、まるで永遠であるかのように引き伸ばされていく。
そっと目を閉じると、レオとナルフの、必死な姿が浮かんだ。
次に、瞼の裏に眩しい笑顔を浮かべた赤毛の男の子が浮かんだ。遠い日の快活な笑い声が、脳裏に微かに響いた。
そして最後に、長い金髪の女性が、君を真っ直ぐに見つめていた。
君が死を覚悟して、剣を握った、刹那。
「エルベレス!!」
誰かが、叫んだ声がした。
次の瞬間、サーター卿と火の巨人の動きが、同時に凍ったようにピタリと止まった。君に振り下ろされかけた炎の剣が、不自然なまでに宙で静止する。火の巨人の手から、ナルフがどさりと床に落とされた。
「エルベレス!白き輝き、丘の宝石、栄光の星よ!」
レオだった。
膝をついた彼の両手は胸の前で組まれており、両目はきつく閉じられている。彼の膝の先には、刻まれた文字。
たった一単語、《《エルベレス》》、と。
彼は天を仰ぐと、再度大きく息を吸った。
「死の影の下で嘆く我を、遥か遠い天国よりお助けあれ!我に慈悲を、永遠の白!」
レオはそう叫び終えると、まるで魂の一部を削り取られたかのように激しく咳き込んだ。
そして、次の瞬間。
彼の真上から星屑を束ねたような、清浄な白い光の柱が降り立ち、辺りを照らす。無数の光の粒子が、螺旋を描きながらゆっくりと降り注いだ。
無数の小さな銀の鈴が揺れるような、清らかな音色がどこからともなく響いたと思うと、光はふわりと空気に溶けるように、跡形もなく消え去った。
一瞬の静寂が、辺りを支配した。
君が状況を理解する前に、サーター卿の顔が土気色へと変わった。
「お、お前…お前は、今…」
卿はそう言ってドスンと膝をついた。燃え盛っていた髪の炎が弱々しく揺らめき、純粋な恐怖が、卿の瞳を支配した。
「あの…お方の、な、名前を…!」
サーター卿が言い終わる前に、ヒュンと風を切る音がして、レオの弓から放たれた一筋の毒矢が、ナルフを掴んでいた火の巨人の眉間へと、寸分の狂いもなく吸い込まれた。
巨人は呻き声一つ上げる間もなく、その巨体をぐらつかせ、力なく崩れ落ちた。
「今だ、エイミー!!」
レオの全身全霊の叫びが、死の淵で凍りついていた君の体を突き動かした。
君は立ち上がると、震える手で剣を握りしめ、大地を蹴って走り出す。君に呼応するように剣が黄金の輝きを放ち、君の鉛のようだった四肢に最後の力を与えている!
その時、君の背後で、微かな声が響いた。
「まだ、我も…戦える!」
ナルフはそう言って、ガクリと片膝をついた。が、震える手を掲げると、魔法を唱え始めた。
レオの毒矢の雨を背に、君は、走る。
卿の首を、めがけて。
そして、次の瞬間。
レオが、矢を射った。
ナルフが、魔法を放った。
君が、高く跳んだ。
ほんの、一瞬の出来事。
卿の目が、君を捉える前に。
君の刃が、卿の首を
刎ねた。




