第15章 火
息が詰まり、灼熱が喉を焼く。視界が真っ赤に染まる中、髪の焦げる匂いと、カバンのポーションが沸騰して割れる音がした。
自分はここで死ぬのか?生きたまま焼かれて。
そう思った、その時だった。
「ナルフ!!」
レオの、喉が張り裂けんばかりの怒声が響いた。
「突っ立ってるんじゃない、バカ!水だ!水をかけろ!」
その言葉に、金縛りにあったように動けなかったナルフが、ハッとして頷いた。 彼は両手で足元の氷混じりの水をかき集めると、必死に君に向かって投げつける。だが、一瞬で蒸発してしまい、火は弱まらない。
「クソ、何か…!!」
レオの焦り声に、ナルフの頭が更に真っ白になる。その時だった、彼が、自分の背中に生えている、巨大な翼を思い出したのは。
水を!
彼は、溶けて水になった地面に己の翼を叩きつけると、巨大なシャベルのようにして、ありったけの氷水を掬い上げた。
「ママ殿!!」
翼が灼熱の蒸気で焼ける痛みも構わず、彼はその全てを、君に向かって叩きつけた。
バシャン!!
灼熱を打ち消す、絶対零度の衝撃。 大量の氷水が君の体を叩き、一瞬で炎をかき消した。ジュウウ、と分厚い水蒸気が立ち上る。
君の視界は、水蒸気と、ぜえぜえと肩で息をするナルフの姿でいっぱいになった。 彼の顔は蒼白で、その赤い瞳からは、涙か、氷水か、雫が止めどなく流れ落ちていた。
「エイミー!!」
レオが、ナルフを押しのけて君に駆け寄る。
「良かった、意識はある!早く怪我を!」
君はそう言われて、ハッとしたように自分の体を、両手を、そして両足を見た。
だが、そこに、火傷の跡は一つもなかった。
「一体…どういう…」
次の瞬間、ナルフが安堵の涙を流して、君の前に跪いた。
「なんと、炎耐性を付けておられたとは!!」
「ファイヤー…何?」
君が眉を潜める間もなく、顔をぐしょぐしょにしたナルフが君に縋りついた。
「ママ殿、我のせいで貴殿を危険にさらしてしまった!なんという失態か、我はどんな罰でも受ける!だが、どうか…我を捨てないでくれ!」
そう泣き叫ぶナルフを横目に、レオがハッとして手を叩いた。
「そうか、火蟻だ!」
そう言われて、君は顔を上げた。もしかして、さっき火蟻を食べた時に感じた…あの寒気?
「火蟻を食べて、耐性が付いたんだ!体が新しい耐性に馴染むときに、一時的に体温調節が狂うことがある。僕も毒耐性を得た時に、悪寒を感じたよ!」
君は目を瞬かせる。
「レオは、何を食べたの…?」
「昔、毒矢を作ろうと殺人蜂を狩ってたんだけど、その時腹が減って、一匹食べたんだよ」
レオが、懐かしむように微笑んだ。
その時、君の目に、真っ黒になった自分のマントが目に入った。
「あ…!」
これは、レオに貰った、エルフの超高級マント!体は無傷だが、マントは黒焦げ、カバンの中のポーションは全滅だ!
「そんな…!」
レオが、そっと君の肩の煤を払った。
「割れたポーションはしょうがない。マントは、また僕が用意するから。とにかく、君が無事で良かった」
君は、そっとマントの端を掴む。今までのような美しい色味は失われ、硬くゴワゴワになってしまった。
か細い声が、唇から漏れる。
「せっかく、レオが、くれたのに…」
レオは一瞬驚いたような顔をしたが、直ぐに小さく笑うと、そっと君の頭を撫でた。
「マントなんか、いくらでもあげるから」
「ママ殿…」
何時の間に床で小さくなったナルフが、呟いた。
「まずはその頭を冷やせ。死んでたかもしれないんだぞ」
レオの冷たい声に、ナルフは言われた通り、氷の床に頭を擦りつけ始めた。
君は困ったようにため息をつくと、そっとナルフの横にしゃがんだ。
「私の為に調理しようとしてくれたんだよね、ありがとう。でも、次からはレオの言う事もちゃんと聞くんだよ」
「ママ殿…!」
ナルフがバッと顔を上げた。レオが呆れたようにため息をつく。
「君は甘すぎるよ」
「レオが十分怒ってくれたでしょ」
君はそう言うと、そっとナルフを立たせた。そして、顔を上げる。
目の前に見えるのは、氷の大地の一角。そこに、不吉な洞窟の入り口が黒々と口を開けていた。
レオが、目を見開いた。
「サーター卿の、洞窟だ」
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十分腹ごしらえをして休んだ後、君たちは洞窟の入口まで来た。
君は、唾をゴクリと飲み込む。
この中に、サーター卿がいる。
君は勇気を振り絞って足を踏み出す。中に入った瞬間に、熱波が一気に顔に吹き付けた。
「暑っ、ここ暑い」
レオが思わずシャツの襟元を緩める。外の極寒が嘘のように、洞窟内は皮膚を焦がすような熱に満ちていた。熱で景色が陽炎のように揺らめき、奥の景色を歪ませている。洞窟のいたるところで溶岩がふつふつと煙をあげ、硫黄のむせるような匂いが肺を焼く。
前を見ると、硫黄ガスの雲を通して、泡立つ溶岩の堀に囲まれた巨大な岩の柵が目に映った。
「サーター卿の隠れ家は、ここで間違いなさそうだな」
ナルフの言葉に、君は汗を拭って頷いた。
柵の正面の巨大な木の門の前で、君たちは立ち止まった。
「で、でかい…」
君はそう言ってその門を見上げた。
「ボス様はこの中で隠れてるわけか」
レオは素早く弓を取り出すと、辺りを見渡した。
「僕は援護にまわる。ナルフ、エイミーを頼んだ」
「そのつもりだ、レオ殿」
ナルフの言葉を聞くと、レオは頷いて高くジャンプした。身軽に壁の出っ張りに飛び移り、フードを深くかぶると姿を消した。
レオの気配が完全に消えると、君は眼の前の巨大な門を睨みつけた。問題は、どうやってこの門を開けるか、だ。君は頭を掻く。流石にこれは、君のキックではびくともしないだろう。全力で押してみるか?引いてみる?いや、だが余計な事をしてサーター卿にバレてしまっては奇襲の意味がない。ここは慎重に考えなくては…。
ナルフはじっと君を見つめていたが、君の唸り声を聞いて顔を上げた。
「我に任されよ」
ナルフがおもむろにそう言うと、両手を門に突き出した。
「え?待っ…」
ナルフが、ピタリと動きを止め、君に顔を向けた。
「入り口を壊す。危ないので、ママ殿は我の後ろに」
「待って、ナルフ。壊さないで入りた…」
君がそこまで言ったその瞬間、物凄い衝撃音と土埃が地面を揺らした。君の目の前にあった巨大な木の門が、まるで薄いガラス細工のように粉々になったではないか!
舞い上がっていた砂埃がゆっくりと落ちる中、君は唖然として門を見た。
「ナルフ!壊さないでって…!」
「…今のは、我では無いぞ」
ナルフのその真剣な声に、君は再度門に目をやる。砕け散った門の向こうの闇から、何者かの強い魔力が肌を刺した。君は袖で汗をぬぐうと、剣を握りなおす。
「…来る」
そして、君は、サーター卿を見た。
身の丈は5メートルを優に超え、洞窟の天井に頭がつくほどの巨躯。彼の膝小僧が、ちょうど君の目線の高さにあった。
思いっきり見上げると、卿の鋭い瞳が君を射抜く。その髪とひげは真っ赤に燃え盛る炎そのもの。強靭な巨躯には、同じく炎を纏う両手剣が握られている。
「これが…サーター卿…!」
君は、目を見開くナルフをさっと手で制した。
「…ナルフ。サーター卿は火蟻の様にはいかない。私が言うまで、絶対に手を出さないで。分かった?」
ナルフは、卿を見上げたまま、何も言わずに頷いた。
その時、彼の腰に下げられた銀色の鐘が、ちりんと小さな音を鳴らした。
「…ビンゴだ」
レオが、目を細める。
卿の復讐と野望にぎらつく鋭い目が君を捉え、彼は声を上げて笑った。
「そうか、 ノルンの奴め、ついにヴァルキリーを使って儂に挑む気になったか! 偽りの正義を掲げるテュールを討ち、この地に真の秩序をもたらすのが先と思っていたが…良いだろう」
彼が笑うだけでガタガタと地面が震え、熱気が一気に降り注いだ。卿は、両手剣を握りなおすと、ぎろりと君を睨みつけた。
「…まずは、お前からだ」
その圧力に、君の膝がガタガタと震えた。
…怖い。逃げたい。
だが、恐怖よりも先に込み上げてきたのは、テュールを愚弄された怒りだった。
「…偽りの正義は、お前だ。お前なんかに、テュール様は倒せない」
卿はそれを聞いて、さらに大きく笑った。
「 安心しろ。テュールとの最終決戦は、貴様を片付けた後だ」
そう言い終わるやいなや、空気を焼く轟音と共に、巨大な炎の剣が君めがけて振り下ろされた!
硬直しかけた体を衝動的に突き動かす。全力で床を蹴り、転がるように身を投げ出した、その直後。君がいた場所に叩きつけられた剣が溶岩を爆ぜさせ、灼熱の波が君の背中を舐める。卿は君によけられたのを見ると、再度その炎の刃を振り上げた。
「…速い!」
君は思わず呟いた。巨体からは想像もつかない速度の追撃が、休む間もなく君を襲う。必死に床を転がり次撃を紙一重で躱すが、毛先がチリリと焦げる匂いがした。
「さっきから、ちょこまかと…」
卿は苛立った表情で一度攻撃を止めた。君は荒い息を落ち着かせるように深呼吸をすると、袖で汗をぬぐう。重たい攻撃にこの速度、逃げるのが精いっぱいで全く攻撃する隙が無い!
卿は凍るような目で静かに君を見ていたが、剣を床に突き立てると、ニヤリと口角を上げた。ぞっと、悪寒が君の背筋を走った。
「では…これはどうかな」
サーター卿はそう言って口を大きく開けた。喉の奥が炉のように赤熱したと思うと、次の瞬間、物凄い勢いで紅蓮の炎が吐き出された!
ナルフは咄嗟に翼を羽ばたかせて後ろに跳んだ。だが、卿の攻撃の熱量とパワーに吹き飛ばされ、背中を壁に強く打った。
「…っ!」
そこで、ナルフはハッとして顔を上げる。
「ママ殿!」
遅かった。さっきまで居たところはもう、燃え盛る炎の海の中。この距離でも肌を焼くような熱気に、息が出来ない。
離れていて翼のあるナルフでさえ、ギリギリの回避。
「ママ殿!!」
卿が、勝利を確信したように目を細めた、その時だった。
燃え盛る炎の中から、ゆらりと人影が揺れた。
「馬鹿な…」
サーター卿が目を見開いた。ナルフも思わず息を呑んで、炎の中心を凝視する。
業火が渦巻く中、その人影は一歩、また一歩と、確かな足取りでこちらへ向かってくる。炎はまるでそれを避けるかのように揺らめき、その輪郭を陽炎のように歪ませた。
ゴウゴウと燃え盛る音だけが響く中、カツン、とブーツが溶けた石畳を踏む音が響いた。
やがて、炎の壁から、黒髪の女戦士が姿を現した。 その体には、火傷一つない。煤で少し汚れた顔には驚きと安堵が浮かんでいる。
「ママ殿!」
ナルフが思わず叫んだ。サーター卿の声が震える。
「なぜ…なぜ生きている…!」
「言ったでしょ。私ですら倒せないお前に、テュール様は倒せないって」
君はそう冷たく言うと、ばさりと髪を靡かせた。だが、その内心は安堵でいっぱいであった。あの炎が迫って来た瞬間、本気で死を覚悟したが…炎耐性があってホントに助かった!
サーター卿の顔が真っ赤に染まった。
「…まだ、本気ではないわ!」
サーター卿はそう吐き捨てると、ドン! と両手剣の柄を床に打ち付けた。すると、それを合図に、門の奥から巨大な影がゆらりと揺れた。
一つではなかった。闇の奥から次々と姿を現したのは、身の丈2.5メートルはあろうかという屈強な火の巨人たち。燃え盛る髪は逆立ち、顔にはただ憎悪を宿した灼熱の瞳だけが爛々と輝いていた。
三体の巨人はサーター卿の前に横一列に並ぶと、まるで揺るぎない炎の壁のように、君たちの前に立ちはだかった。
…しまった!卿だけでも手一杯なのに、三体も同時に一人で相手にできるわけが…!
「ママ殿!合図を!!」




