第14章 寒気
「敵襲だ!」
レオの緊張した声に、慌てて辺りを見渡すと、火蟻の群れが、君たちに向かって来ているのが見えた!
蟻と言っても、1メートルほどある巨大蟻。体からは轟々と火柱が立ち込め、細い足についた棘で氷の上にしっかりと立っている。
「氷の大地に火蟻?しかも、こんなに…」
レオの言葉に、君は頷いた。
「きっと、サーター卿の手下」
「ママ殿。ここは我に」
ナルフが庇うように君たちの前に立った。そして、右手を高く空に突き出すと、彼の手のひらに魔力がどんどんと溜まっていき、ボンと灼熱の塊が現れる。
「焼き尽くせ、大炎球!」
彼がそう叫ぶと、炎の球がすごいスピードで群れに激突した!
熱風と轟音に続いて、爆発的に水蒸気が吹き上がる。
「どうだ、蟻ども!我の…」
ナルフがそこまで言ったところで、水蒸気の中から、何事もなかったように顎をカチカチと鳴らしながら近づいてくる火蟻たちが現れた。
「なっ!」
ナルフが顔をこわばらせる。レオが肩をすくめた。
「火蟻に火の攻撃は効かないだろ」
「そんな条件が…!」
ナルフは弱々しく舌を鳴らし、青い顔でガクンと膝をついた。
次の瞬間、火蟻の群れはあっという間に君たちを囲い込む。
「この数とスピード…厄介だな」
レオが短剣を手に、呟いた。君も剣を構えるが、じりじりと迫る炎の壁に後退するしかない。
その直後、一匹の火蟻が、ナルフめがけて突進して来たではないか!
「危ない!」
レオはそう叫ぶと、素早く火蟻の足を切り落とした。鋭い刃が甲殻を断ち、ナルフに触れる寸前に火蟻は体勢を崩して氷の上に倒れ込む。炎がジュッと音を立てて消え、黒い死骸だけが残された。
「大丈夫?」
「ああ…助かった」
ナルフがレオを見上げて呟いた。
「一匹なら弱いんだけど…」
レオが汗を拭う。火蟻の死体も、直ぐに後ろからやってくる蟻たちによってずたずたに踏まれ、見えなくなってしまった。
「…行くしか、ない!」
君は熱を振り切るように声を上げると、剣を力強く振りかざした。
綺麗な軌道をなぞって、火蟻たちの身体が一瞬で切り裂かれる。君は手を止めない。
このまま、一体ずつ倒す!
そう意気込んで、力強く前に踏み込んだ、その時。先ほどまでの蒸すような暑さではなく、急激な熱が一気に君を包み込んだ。
「熱っ!」
思わず叫ぶ。 見ると、マントに火が燃え移っているではないか!
レオは素早くカバンから水を取り出すと、それを君の頭にかけた。マントの火はジュウと煙を出して消えたが、肌は赤く腫れ、ズキズキと刺すように痛んだ。
安堵の息をつく間もなく、ガシリと足に嚙まれたような痛みが走る。痛みの原因を突き止める前に、もう一匹の火蟻が炎を揺らめかせながら襲い掛かってきた!
「ママ殿!」
ナルフの叫び声が響いた。彼の足元には、青白い光を放ちながら渦巻く、魔法陣が浮かんでいた。
「…いでよ、棘の悪魔!」
ナルフがそう叫ぶと、魔法陣は一層に光を増し、空間が歪む。そして、緑色の身体に無数の棘を生やした、小さめの異形の悪魔が姿を現したではないか。腕が一本しかなく、羽の大きさも不対象。だが、その骨ばった顔には、ナルフそっくりな赤い光を放つ目が光っている。レオが息を呑んだ。
「召喚魔法?!」
「魔力が足りないせいで不完全だが…構わん!ママ殿を守れ!」
召喚された悪魔は、獲物を求める獣のように火蟻の群れに突進した。鋭い棘が蟻の甲殻を貫き、黒い体液を撒き散らしながら体を引き裂いていく。蟻たちの攻撃が止まっているその隙に、君は体勢を立て直すと、足に噛みついている蟻を引きはがして首を切った。レオも荒い息を落ち着かせようと、深呼吸を繰り返す。
「助かった…!」
君がそう呟いた直後、悪魔は役目を終えたかのように、黒い煙となって虚空に消えていった。
それとほぼ同時、ナルフがガクンと床に両手をついた。顔は青白く、呼吸は浅い。
「ナルフ!」
「…問題ない、まだ…」
ナルフは再度魔法を唱えようとして、荒々しく咳き込んだ。
「もういいよ、お前は休んでろ」
レオがそう言うと、ナルフがハッとして顔を上げた。
「だが…」
「大丈夫。私達を信じて」
君は鋭い目つきで蟻たちを睨んだ。
この量、君一人ではどう頑張っても捌ききれない。レオも強がっているがそろそろ限界だし、ナルフもダウン。
「レオ」
君がそう呟くと、君の背後で彼の耳がピクリと動いた。
「…賭けだよ。成功率は低いし、リスクも高い」
「レオの判断を信じる」
レオは頷くと、一瞬だけ君と目を合わせた。
「奴らを、ナルフの魔法が当たった所に集めてくれ」
そう言ったレオの視界の先には、大炎球が当たってクレーターのように氷がへこんでいる場所。
「わかった」
君は剣を構え、敢えて火蟻の群れの中へと飛び込んでいく。
「こっち!」
君が挑発するように叫ぶと、蟻たちが一斉に方向を変え、ものすごい勢いで後を追ってくる。
君はクレーターの中心で足を止めると、顎を鳴らしながら周囲を囲む蟻たちを睨みつけた。
その時。
ミシリ、と不吉な音が響いた。慌てて足元に目をやると、大きな亀裂が入っている。それもそのはず、薄い氷の上に、何十匹もの高熱を発する火蟻が固まっているのだ!
君は慌ててレオに目をやった。彼は、気配を消しながら、君を囲う円を描くように、短剣を氷に突き刺している。ミシミシと音を立てて、氷の床はさらに弱っていく。まさか、レオの作戦は…!
「合図で跳べ!」
「跳ぶ?!」
「3,2…」
君は、ごくりと唾を呑んで、今にも襲ってきそうな火蟻たちと、レオの立っている床を見比べた。距離は…数メートルはあるぞ!
「今だ!跳べ!!」
レオの合図とほぼ同時、火蟻たちが君に襲い掛かる。君は足に思いっきり力を籠めると、薄くなった氷の床を蹴った!
次の瞬間、それが引き金になり、ボコッと鈍い音を立てて、氷の床が大きく陥没する。君の目の下で、 夥しい数の火蟻たちが、炎を揺らめかせながら、轟音とともに暗闇の底へと吸い込まれる。
「やった!!」
レオの叫び声に、君は安堵の息をつく。そして、気を取られていた君は、着地の事を完全に忘れていた。目の前に迫ってくる硬い氷の床に、君は慌てて受け身を取るも、ガゴン、と鎧が凹む音がして、ゴロゴロと床を転がった。
「いっ…た!」
君の叫びを最後に、氷の大地に静寂が戻った。
「これを」
レオがそう言って回復のポーションを君に手渡した。そして、ばたりと床に倒れ込む。
「僕は…近距離は、苦手なんだよ…」
彼はそれだけ言うと、呼吸を整えるように深呼吸をした。
君は、ポーションを一気に飲み干す。すると、腰の打撲の痛みと、真っ赤に腫れ上がっていた火傷の跡が、しゅわしゅわと治っていく。
君は少しの間、じっと傷跡を眺めていた。何度使っても、このかゆみとも痛みとも違う感覚には、慣れない。
「…役に立てず、不甲斐ない」
ナルフが、呟いた。
「役には立ったよ。ただ、もう少し慎重に動いてくれると助かるかな」
レオが床に寝そべったままそう言った。そして、目を閉じる。
「冷たくて、きもちい…」
その時、ぐう、と君のお腹が鳴った。
「…なんか、腹減った」
その一言に、レオが待ってましたとでも言いたげに、起き上がる。
「奇遇だね、僕もだよ。回復薬の副作用かもしれないし、何か食べよう」
「なら、私、携帯食料が…」
レオは、君を手で制すと、目の前に転がっている火蟻の死体を持ち上げた。
「蟻って栄養豊富だし、食べ応えがあって僕は好きなんだけど。せっかくだし、どう」
君が答える前に、レオは短剣で手際よく蟻の頭を切り落とし、腹部の継ぎ目に刃を突き立て、器用に切り開いた。
中から乳白色の、とろりとした液体があふれ出す。半透明の粒は卵だろうか。君とナルフは、思わず顔を顰める。
「火蟻は僕も初めて食べるけど、蟻の腹身は酸が少なくてうまい。特にこいつは卵が詰まった上物だね」
「…要らぬ。我は食事を必要としない」
ナルフが眉を潜めた。
「へえ、食べないんだ。人生の半分損してるよ」
レオは短剣の先でその中身を少しすくうと、自分の口に運んでみせた。
「ん、うまい。ほら」
君は一瞬ためらったが、殻を皿替わりにして、恐る恐るそれを口に運んだ。
すると、濃厚で、ほんのわずかな酸味が、口の中に広がった。プチプチと弾ける卵の食感も、不思議で面白い。
「…わるくない」
思わず漏れた言葉に、レオが満足そうに笑った。
その、次の瞬間。
氷点下の風が吹き抜けたかのような、強烈な寒気が全身を襲った。汗を掻いていたはずが寒気に変わり、体温が一気に下がる。だが、その感覚は一瞬で消え去ってしまった。
「…どうした?」
レオが眉を潜めた。君は、目の前の火蟻の死体をじっと見つめる。
「いや、なんか、寒気が」
「寒気?」
レオが首を傾げた。君も頭を掻く。こんなことは、初めてだ。まさか…毒?
だが、その後、特に何か起きるわけでも無かった。
「どうなされた?」
ナルフが心配そうに尋ねた。君は手に持っていた殻を膝に乗せると、首を振る。
「何でもないみたい」
「やはり、火を通した方が良いのでは?寄生虫などが居たら、ママ殿のお腹にさわる。我が焼こう」
ナルフはそう言うと、立ち上がった。レオが肩をすくめる。
「生が美味しいのに。でも焼くつもりなら、火蟻の殻を着火剤に使うといいよ」
ナルフはレオには答えずに、目の前の火蟻の死体を手に取った。
レオが続ける。
「火蟻の殻は凄いんだ。殻の外側は燃えやすいし、なかなか火も消えない。なのに、外側に火が付いていても内側は煮えないように出来てる。でも、扱いには気を付けないと…」
その時だった。
ナルフの指先に炎の球が現れたと思うと、辺りに爆発的な光が溢れた。
何事かと顔を上げた時には、火蟻の死体が散らばっていた床は、火の海になり果てていた。床の氷が解ける音と、焼けるような水蒸気の熱に、君は慌てて立ち上がる。そして、その時にやっと、君の膝の上の、皿代わりにしていた火蟻の殻が、巨大な火柱を上げていることに気づいた。
「!?」
遅かった。
瞬く間に君のマントに火が燃え移り、次の瞬間には、君は炎に包まれていた。




