第13章 氷の大地
君たちの探索の旅は、前とは比べ物にならないほど効率が上がった。二人で手こずっていた敵も、ナルフが一人で倒してしまう。
レオに君が昔使っていた赤のマントを直してもらって、それをナルフにあげることにした。
「ママ殿、感謝する」
君がマントを手渡すと、ナルフは跪いて謝意を示した。
「直してくれたのはレオだよ。彼にもほら、お礼して」
君がそう言うと、ナルフは渋々レオに向き直った。
「…感謝する、レオ殿」
「呼び捨てで良いよ」
「レオ殿」
レオが、居心地悪そうに頭を掻いた。
「私の事も、エイミーで良いよ」
君はそう言うが、ナルフは首を振った。
「ママ殿は、このままでお願いしたい」
“ママ殿”。ナルフにそう呼ばれるたびに、君は自分の母親が頭に過る。だが、浮かぶのは、空白。彼女の顔も、匂いも、声も、何一つ君の中には残っていない。唯一覚えているのは、母が幼い自分を置いて、家を出て行ったこと。
思い出そうとすると、ずきずきとこめかみが痛む。君はその思考を振り払うように、小さくかぶりを振った。
その時だった。
唐突に、君の頭の中に切羽詰まった女性の言葉が浮かんでくる。
(…私は、ノルン…ヴァルキリーの使命……助けが、必要です…魔法の転送…を探し…来て……)
だが、メッセージは切れ切れで、最後は何を言っているのかよくわからなかった。
君たちは顔を見合わせる。
「聞こえた?」
レオが頷く。
「なんか、助けを求めてるみたいだね」
ナルフが、顔を上げた。
「面白そうだな。行ってみよう」
その彼の一言に、レオが眉を潜めて、首をふる。
「何言ってるんだ。罠かもしれないし、変なことに首を突っ込むのは愚策だ。時間の無駄だね」
レオがこめかみを押さえた。ナルフが鼻で笑う。
「レオ殿は随分臆病であるな。そんなにも怖いのか?」
「…臆病だって?」
ピキリ、とレオの額に青筋が浮かぶ。
「違うね、現実的なんだよ。お前のその脳みそは飾りか?」
レオがナルフを睨みつけた、その時。
君が、顔を上げた。
「行こう」
君がそう呟くと、レオが顔をひきつらせる。
「…正気か?」
「ヴァルキリーの使命。彼女は、私を呼んでる。それに、“ノルン”って名前…」
「ママ殿の知り合いか?」
ナルフが首を傾げた。
「いいや。ノルンって、“初めのヴァルキリー”と同じ名前なの。もし本当に彼女なら、私の故郷の謎を…ヴァルキリー村の事を、そして、私の母を…知っているかもしれない」
「母、ねぇ…」
レオが考え込むように目を伏せた。君は、レオの険しい顔を見て、慌てて付け足す。
「それに、情報とか、報酬だって貰えるかもしれないし」
君の言葉に、レオが顔を上げた。
「…確かに、話を聞くだけなら…三神器の事も…なら、このリスクは許容範囲か…」
レオが、ため息をついた。
「…うん、分かった。でも、罠だと思ったら、直ぐに身を引く。そう約束してくれ」
それを聞いて、君は顔を輝かせた。
「うん!」
「よし、じゃあ首を突っ込むならとことん突っ込むよ。魔法の転送なんとかを探せって言ってたよね」
「こっちだ」
ナルフがすたすたと歩き出す。君も慌てて後に続いた。
「分かるの?」
「少し先に、魔力の乱れが見えるのだ」
「へえ、すごい」
ナルフの言葉に、君は感心して頷いた。流石、悪魔なのだろうか。
レオがつまらなそうに口を尖らせる。
すこし歩いていくと、そこには小さな石畳の部屋があった。
「ここだ」
ナルフはそれだけ言うと、古い木の扉を勢い良く開けた。
「おい!もう少し慎重に…!」
レオの叫びを無視して、ナルフが部屋に足を一歩踏み入れた、その時だった。
ナルフが、紫色の光に包まれ、その場から
消えた。
「は…?」
君はその場に立ち尽くす。部屋は、まるで初めから何も無かったかのように静かで、いつも通り。
レオが頭を抱えた。
「だから言ったのに…!」
「そんな…ナルフ!」
一歩踏み出そうとした君を、レオが止める。彼は床にしゃがみ込み、薄く刻まれたエルフ文字を見つめた。
「落ち着いて。転移ポータルだ。ノルンさんが言ってたのはきっとこれの事だよ」
「じゃあ、ナルフは…」
「転移されただけ。僕達も行こう」
レオはそう言うと、君の腕を掴んだ。
「行くよ」
彼の足が床の文字に触れた瞬間、眩いほどの紫色の光が君たち二人を包んだ。
刹那、今までの乾いた空気から一変して、冷気が君の顔に勢いよく吹き付けた。君はその異変に身をこわばらせ、恐る恐る目を開ける。
そして、思わず感嘆の声を上げた。
君の目の前に広がるのは、息を呑むほどに美しい氷の大地。
辺り一面は分厚い氷、時が止まったかのような静寂、そして微かに聞こえる水の流れる音。目の前に一本続く石畳の道の先には、中央にそびえ立つ美しい神殿が佇んでいた。
道の脇には澄んだ氷が辺りを覆っており、光を反射して宝石を散りばめたように色とりどりに輝く。
「ママ殿」
背後から声がして振り向くと、ナルフがそこに立っていた。君は安堵の息をつく。
レオが、腰に手を当ててナルフを睨みつけた。
「単独行動はやめてもらいたいんだけど!今回は良かったけど、また何かの罠だったら…」
「罠では無いと分かっていたから乗ったのだ。我はレオ殿のように“臆病”では無いからな」
「お前…!」
レオは顔を引きつらせて叫ぼうとしたが、直ぐにその異様な寒さに気づくと、ガチガチと歯を鳴らした。
「…さ、寒い…」
彼はそう言いながら、慌ててマントをピッタリと体の周りに巻いた。
ナルフはレオを鼻で笑うと、自身の大きな翼を一度広げ、それを体の周りに巻きつけた。
「は?ずるいだろ!」
君は仲良さげに話している二人を見て微笑むと、道の先に佇む神殿に目をやった。
それは、光を内包して輝く、透明な鉱石で造られており、至る所に繊細な彫刻が施されている。実際に近づいてみると、正面には、金でできた大きなドラゴンのノッカーが付いた立派な大扉があり、その左右には強靭な女性が二人、立っていた。
二人は君たちを見るなり、頭を深々と下げると、あれほど重厚に見えた大扉を、まるで羽のように軽々と、音もなく開け放った。
君はゴクリとつばを飲み込むと、剣を握り、中に足を踏み入れた。
一歩入った瞬間、雪解け水のような澄み切った冷気が君のマントを靡かせた。そして、広がっていたのは、息を呑むような透明な世界。内部は壁も床も柱も、すべてが磨き上げられた透き通る水晶でできており、そっと床を覗き込むと、星雲のような淡い光が揺らめいた。壁には、2本の剣のクロスの紋章の、淡い紫と金の糸のタペストリーが飾られている。
通路の脇には、鎧をまとった者たちが真っすぐに並んで佇んでいた。君が前を通り過ぎると、水晶の鎧がしゃら、と涼やかな音を立て、揃って深々と頭を下げる。深く兜を被っているため顔は見えない。…人間、だろうか?
ここは、何処だ?
奥に進んでいくと、少し開けた広場に出た。高いドーム状の天井には、巨大な水晶のシャンデリアが、星空を閉じ込めたかのようにキラキラと輝いている。 そして、広場の中央。同じく巨大な水晶から削り出された玉座に、ひと際目を引く、紅蓮のマントに身を包んだ女性が座っていた。
「ああ、やっと運命の神殿に来てくれた!私の声が、ようやく届いたのですね!」
濃い紫色の髪に、頭に小さな金の冠を乗せた、美しい中年女性。彼女は君たちを見ると、ゆっくりと玉座から立ち上がり、歓喜に目を輝かせた。
「エイミー、貴方と会うのを今か今かと心待ちにしてました!」
「私のことを…知ってる?」
君が思わず目を丸くしてそう聞くと、彼女は「それはもう」と力強く頷いた。
「私と、この運命の水晶玉は、常にあなたと、清浄なるヴァルキリー村の全てを見守っておりましたから」
ヴァルキリー村を…君の故郷を見守っていた?
「あなたは…一体…」
「失礼。私は、ヴァルキリーの最高指揮官、ノルンです」
ノルンはささやかに頭を下げ、恭しく胸に手を当てた。
「あなたが私を見るのは、これが初めてですね、エイミー」
間違いない、やはり彼女が、テュール様に創られた、全てのヴァルキリーのトップ、“初めのヴァルキリー”、ノルン。伝説上の存在を目の当たりにして、君は思わず息を呑んだ。
そして、咄嗟に床に膝をつく。
「…先ほどは、ご無礼を…」
「いいですよ、楽にしなさい。なにか、質問が?」
ノルンが優しくそう言った。君は顔を上げる。
「では…ここは、何処ですか?」
「正確には、ダンジョンの中です。ですが、貴方たちがさっきまでいたメインのダンジョンとは別の空間にある。私がテュール様のお力をお借りして、ここに神殿を建てたのです」
ノルンはそう言って、満足げに辺りを見渡した。
「ここに、“ダンジョンの掟”は…」
「神に創られた私と、私に創られたここの者は皆、“中の存在”です。ずっと、“冒険者”を…貴方を、待っていました。」
ノルンは早口でそう言うと、続けた。
「…さあ、そろそろ本題に入りましょう。もはや、一刻の猶予もないのです」
彼女の表情が、絶望に陰る。
「始まりは、忌まわしきサーター卿。彼が、私の運命の水晶玉を奪ったのです」
ノルンが、眉間にしわを寄せた。
「卿は、忌まわしきイェンダーの手下。彼を倒すことが出来れば、魔除けを守る三神器の一つ、開会の鐘も手に入れることが出来るでしょう」
レオが、バッと顔を上げた。
「開会の鐘だって?」
「ええ。モロクの聖地に入るのに、必要でしょう?」
モロクの聖地、オラクルの神託に出てきた、魔除けが眠る場所。
ノルンの言葉に、レオの目がギラリと光った。
「サーター卿は、今どこに?」
「このすぐ近くの、巨大な洞窟に身を隠しています」
ノルンはそう言うと、静かに立ち上がった。
「エイミー、我が戦士よ。テュール様の御ために、どうかサーター卿を討ち取り、運命の水晶玉を取り返してくださりませんか」
ノルンが深く頭を下げた。周囲にいたヴァルキリーたちも、一斉にそれに倣う。
君は、そっと目を伏せた。サーター郷が開会の鐘を持っている以上、これは避けては通れない戦いだ。それに、ノルンの言葉はテュール様の言葉。君が断ることは、できない。
だが…
「…私で、良いんですか?」
君が、小さな声で呟いた。
「私なんかが…ノルン最高指揮官様直々に、こんな大切な任務を…。だって、私は…」
ノルンが、困ったように眉を下げた。
「貴方が村で、“禁断の子”と呼ばれているのは、知っています。ですが、今、貴方が私の前に立っているということは、それがテュール様のご意思、そして、定められた“運命”なのです。ですから、なにも貴方が心配することはありませんよ」
ノルンが、優しく微笑んだ。
「…全力を尽くして、任務を遂行します。」
君がそう告げると、ノルンが再度深々と頭を下げた。
「心からの感謝をここに。テュール様の加護があらんことを」
「ですが…条件が。この任務を成功させたら、聞きたいことがあります」
君のその一言に、ノルンが目を細めた。
「私に条件を突きつけるとは…肝が据わっていますね。いいでしょう、無事水晶玉を手に入れれば、なんでも一つあなたの欲しい情報をあげましょう」
ノルンとヴァルキリー達に見送られて、君たちは城を出る。バタン、と大きな音を立てて、扉が君たちの背後で閉まった。
「…どう思う?」
レオが、君の耳元で囁いた。
「どうって、何が」
「話が良すぎないか?何十人もの兵士と、あの強そうなおばさんの城から、大事な水晶玉を盗んだ悪者…そして、そいつは開会の鐘も持ってると来た」
君は、声を潜めて、呟いた。
「サーター卿が相当強いんじゃない?」
「なら尚更、なんで兵士たちを一人も僕らと一緒に寄越さないんだ?」
レオが背後の扉を睨み返した。君は顔を上げる。
「…それは、分からないけど、きっとテュール様のご意思なんじゃないかな。ヴァルキリーの任務は基本単独だし」
レオが、肩をすくめた。
「…テュール様ねぇ」
「そんな事言っても、サーター卿が開会の鐘を持ってる。どっちみち、避けては通れない」
君がそう言うと、また広がる辺り一面の氷を珍しそうに靴でつつきながら、今まで黙っていたナルフが顔を上げた。
「開会の鐘とは、なんであるか?」
「それは、イェンダーの魔除けを守る3つの神器の一つで…」
君がそこまで言いかけたところで、レオが大声を上げた。
「敵襲だ!」




