第12章 ヘビすけ
下層の階段部屋は、真っ暗。光源を探そうと、カバンを床に置いた君の耳に、レオの切迫した声が響いた。
「待って、なにか音が」
動きを止め、目を閉じて耳を澄ませると、確かに少しだけ、ピキッと言う音が鳴ったような気がした。
「…近い」
君はカバンを床に置いたまま、剣を構えた。
するとまた、先程よりも確実に、ピキ、と何かが割れる音を聞いた。だが、敵の気配は依然として無い。
そして、何事もなかったかのような静寂が戻ってきた。
「今のは、一体…」
君は首をかしげ、剣を鞘に収めた。
そして、ランプを取り出そうと、再度カバンに手を突っ込んだ、その時。
かぷり
「?!」
声にならない悲鳴を出して、君は咄嗟にカバンから手を抜く。レオが辺りを警戒しながら、素早く君の隣に膝をついた。
「どうした!」
「か、噛まれた」
君はやっとの思いでそう言った。人差し指からはタラりと血が垂れており、よく見ると先端に小さな穴が2つ付いている。
レオは君の指先の小さな傷口を一瞥すると、厳しい表情で君のカバンを睨んだ。
「…すこし、下がって」
レオは腰の短剣にそっと手をかけながら、低い声で言う。彼は慎重にカバンに近づくと、その口をゆっくりと開いた。
刹那、きらりとルビーのように輝く二つの点が見えた。次の瞬間、白い影がカバンから飛び出した!
足元に落ちたそれを見て、君は息を呑む。
それは、まだ粘液に濡れた、生まれたばかりの、長ぼそい小さな生き物だった。白い皮に、血のように真っ赤な瞳。
それは、子供のヘビだった。
「な、なんでカバンの中から、蛇が…」
レオが慌ててカバンを確認すると、トレジャー動物園で見つけたあの謎の卵が、殻だけになっているではないか。
「…卵が、孵った」
君は呆然と言う。蛇は嬉しそうに君の頬をペロペロと舐め、「キュー」と鳴いた。
「まさか…君を親だと思ってるんじゃないか?」
レオが、呟いた。
君は、じっと、肩の上の蛇を見つめ、微笑んだ。
「よろしく、ヘビすけ」
「…まさか…飼うつもり?」
レオが目を見張った。
「君なんかが世話したら、すぐに死んじゃうんじゃ…」
「なにか?」
「何も」
それが、ヘビすけとのダンジョン攻略の始まりだった。だが、戦いの時はカバンをきつく締めて中に入れておかなくては、飛び出して殺されそうになる。穴に落ちそうになったり、石の下敷きになりそうになったり、キノコの胞子を吸って一日中眠りこけたり。レオがへとへとになりながら、そこら中の罠を解除しなくては、安心して進めない。
一筋縄ではいかない。攻略の効率は、確実に下がっていた。
レオが、君のブーツに噛みつくヘビすけを見つめながら、深いため息をついた。
「なあ、ヘビすけ、野に返した方が…」
その言葉に、君はレオに軽蔑の目を向ける。
「生まれたての子ヘビを捨てるとか、最低」
「でも、効率が…」
「私が、強くなるまで育てる」
君はそう言うと、ふん、と鼻息を出す。レオはため息をついて、肩をすくめた。
ヘビすけは夜、君の上でとぐろを巻いて寝るのが好きだった。小さな寝息を立てるその体を指でそっと撫でると、くすぐったそうに身じろぎする。その様子を見て、君は小さく微笑んだ。
「なんだか、シロを思い出す」
「…どうだか」
レオは知っていた。夜中、エイミーが完全に寝てしまうと、ヘビすけは見張りをしているレオに向かって、威嚇するように牙を向くのだ。
三日目の朝の事だった。ヘビすけの姿が見当たらない。
君が慌てて辺りを見渡すと、まだ探索していない部屋に勝手に入っていこうとするヘビすけが目に入った。
「あ!だめ!」
慌てて叫ぶも、小さくて素早いヘビすけは止まらない。あっという間に、どんどんと君たちを引き離していく。
「僕が!」
レオは素早く走りだすと、ヘビすけが通り抜けたドアを押し開ける。そして、部屋の奥へと逃げるヘビすけを追おうと、一歩足を踏み出した、その時。
レオが床の一点を見て目を見開き、叫んだ。
「だめだ!そこに罠がある!」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ヘビすけの体が、眩いほどの緑色の光で包まれた。
「レオ!」
君の叫びに、レオが咄嗟にヘビすけに手を伸ばした、刹那。バンッ!、と彼の手が見えない壁に跳ね返される。
レオが目を見開いて、叫んだ。
「レベルの高いトラップだ!発動したら僕でも止められない!」
「そんな…!」
固まったように動かないヘビすけの足元で、三角模様が使われた魔法陣が怪しく光った。
君は、力なくへろりとその場に膝をついた。魔法陣の光の中で動けないヘビすけの姿が、あの日の、血に沈んだシロの姿と重なる。
ああ、まただ。
また私は、目の前で、大切な仲間を失う。
見ていることしか、出来ない。
あの時から、なにも…変わってない。
「危ない!」
レオはそう叫ぶや否や君を抱き上げて後ろに跳んだ。その直後、鈍い爆発音とともに、光が割れるように飛び散った。
レオが君を庇うように抱き寄せ、君は反射的に目を瞑る。
段々と光が収まってきて、耳を劈くような静寂が訪れた。目を開けると、部屋は白々とした靄で充満されており、先が見えない。
「ヘビすけ…」
君はそう呟くと、レオを押しのけてヨタヨタとあるき出した。
すると、靄の中に、ぼんやりと何かのシルエットが浮かびあがる。
「ヘビすけ!」
君は安堵に顔を輝かせ、そのシルエットに走り寄った。
「待て!」
レオが叫んだ。だが、君は足を止めない。
「…クソ!」
レオは咄嗟に弓を構えると、矢を番えてそのシルエットを狙った。
君が靄を駆け抜けるにつれて、その姿は段々とはっきりしてきた。
だが、なにかがおかしい。ヘビすけと思われたその影が、近づけば近づくほど、だんだんと膨張しているように見えたからだ。
靄の中で、ルビーのような真っ赤な二つの点が、ギラリと光った。
「へび…すけ?」
途端、辺りを取り巻いていた霧が、一気に晴れた。
君の目の前に立っていたのは、ヘビなどではなかった。
そこに居たのは、背の高い、青白い肌の青年であった。
大きな漆黒の翼、動物の角、そして爛々と輝く、血のように赤い瞳。放たれる圧倒的な魔力の圧が君の足を縫い付け、肌を突き刺す。呼吸すら、ままならない。
「あ、悪魔…!」
そう呟くのが、精いっぱいだった。 本能が逃げ出せと叫ぶのに、身体は鉛のように動かない。
「…畜生!」
レオは必死に手の震えを押さえると、悪魔の脳天向かって、一気に矢を2本放った。寸分の狂いもなく放たれた銀の矢が、空間を切り裂いて悪魔に迫る。
「エイミー!今のうちに、逃げ…」
レオが、叫んだ。
だが、矢が悪魔に届くことはなかった。
悪魔は、不思議そうに小首を傾げただけ。すると、まるで空間がねじ曲がったように、矢が軌道を明後日の方向に変えた。彼は顔の横を通り過ぎていく矢をただ目で追いながら、興味なさげに首を鳴らした。 どすどすと音を立てて、矢が後ろの壁に突き刺さる。
「そんな…嘘だろ…」
誰一人、動かない。痺れるような静寂の中で、悪魔が、はあ、と大きなため息をついた。
「短い人生であった。まだ、生まれてから3日も経っていないというのに…」
悪魔はそう言うと、がっくりと肩を落とした。
「だが、運命とは、理不尽な物。死は、世界の理。だから、後悔ではなく、感謝をするのだ。ママ殿、育ててくれた恩は、一生忘れない…」
悪魔は、そう言って目を閉じた。
誰も動かない地獄のような沈黙の後、彼はゆっくりと目を開けた。
そして、困惑した様子であたりを見渡す。
「我は、トラップに乗って死んだのでは?」
君が、弱々しく顔を上げた。
「ヘビすけ、なの…?」
「我を呼んだか、ママ殿」
彼は、そう言って君を見下ろすと、心配そうに眉を下げた。
「危険だ、近づくでない。貴殿までトラップに巻き込まれてしまうぞ」
その一言で、全てが繋がった。その声も姿も、全くの別人。だが、間違いない、この縦長い真っ赤な瞳孔は、この目の前の悪魔は…!
「ヘビすけ!!」
そう言って抱き着く君を不思議そうに眺めながら、彼が首を傾げた。
「待て、ママ殿、いつからこんなに小さくなってしまったのだ?トラップの罠はまだ発動していないのか?」
悪魔は自分の手に気づくと、それを見つめ、ひっくり返し、まじまじと眺めた。
「…これは、手か?足もあるぞ。…なんだ?背中に何か!虫か?ママ殿、我が背に巨大な虫が!」
彼は自分の翼を掴もうとして、不器用にその場でくるくる回った。
「…お前の羽だよ、バカ」
その滑稽な姿を見て、レオは警戒しつつも、こめかみを揉んだ。
「まさか、変身の罠だったとはね」
レオは君の肩を掴むと、彼から距離を取った。
変身の罠。乗った者を別の姿に変えてしまう高位のトラップだ。ベアトラップや落とし穴とは比べ物にならない。存在は知っていたが、初めて見た。もう大分深い層まで来たという事か。
「…そうか、我は変身の罠で…悪魔に、なったのか」
悪魔はそう呟くと、君を見つめたまま、恭しく頭を下げた。
「…今までは、我が弱いために大変迷惑をかけた。だが、これからは、我もママ殿の役に立つと、そう約束しよう」
そう言って、悪魔は君の前に跪いた。
「我は悪魔ナルフィシュネ、ヘビすけと申す。貴殿は我を卵から育ててくださった。一生の忠誠を、ここに」
彼はそう言うと、君の手を取り、そっとキスをした。
「…ナルフ」
君が呟いた。悪魔が、顔を上げる。
「ナルフィシュネの、ナルフ。それが、あなたの新しい名前」
悪魔はそれを聞くと、心底嬉しそうに微笑んだ。
「その名、有り難く受け取ろう。我の名は、ナルフ。」
レオは、呆れたように頭を抱えた。ヘビすけといい、ナルフといい、ネーミングセンスがあまりに酷すぎる。
「エルフよ、我の名に不満でも?」
ナルフはそう言って顔を上げた。
レオが眉を潜める。
「僕はレオだ。せめて名前で呼んでくれ。それに、僕もお前の事育てたんだけど?」
ナルフはフンと鼻を鳴らすと、興味を失ったようにレオから顔をそむけた。
「おかしいだろ!餌の準備とか寝床の藁とか、細々した世話をしたのは僕なんだけど!?」
レオが叫んだ、その時だった。
向こうから引きずるような音がしたと思うと、部屋の開け放たれたドアから大きなミミズが顔を覗かせた。そのおぞましい牙の付いた口を大きく開けながら、物凄いスピードで君たちに襲い掛かってきた!
「クソ、最悪のタイミングだ!」
レオはナルフから目を離すと、素早く弓を握った。
「エイミー!君は逃げ…」
「いや、丁度いい」
ナルフが、ごきりと指を鳴らした。
「新しい体の腕試しだ。エルフ、貴殿は下がっていろ。我が倒す」
ナルフはそう言うと、ニヤリと怪しく微笑んだ。
彼が呪文を唱えだすと、天井に突き出した右手に、部屋中の空気が引き寄せられるように、強大な魔力が渦を巻いて集まっていく。
君とレオは思わず息を呑んだ。こんな量の魔力、見たことが無い!
次の瞬間、ナルフはカッと目を見開くと、手を振り下ろした。
「大炎球!」
その瞬間、物凄い衝撃音とともに、辺りが明るくなり、彼の手の上に大きな炎の球が現れた!
彼が手を前に振ると、それは凄いスピードで飛び出し、巨大ミミズに直撃した。凄まじい熱気と魔力が部屋を突き破り、焦げ臭い匂いと砂埃が立ち込める。
「凄い…」
君は感嘆の声を上げた。レオの顔は引きつって、青ざめて見えた。
「…これは、予想外だ」
ミミズは、跡形もなく消えていた。
「ふむ、少し疲れたな。」
ナルフはそう言って肩を回すと、指をパチっと鳴らした。すると、砂埃が一気に晴れる。
君は唖然としてその場に立ち尽くしていた。ナルフはフンと鼻を鳴らした。
「見ただろう、我の力を。これで我も、もう…」
ナルフの体がぐらりと揺れた。
「ママ殿の足を…引っ張ることは…」
彼はそう言うと、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
「ナルフ!」
君があわてて駆け寄ると、彼は小さな寝息を立てて、完全に意識を失っていた。レオが、呆れたようにため息をついた。
「…魔力切れだ。このバカは、あの一撃に魔力を全部注ぎ込んだらしい」
レオはそう言うと、力なく広がる漆黒の翼と、その傍らで泣きそうな顔をしている君を見比べ、困ったように天を仰いだ。
「邪魔にならないと、良いんだけど…」




