第10章 海
レオという強力な仲間が一人増えたことで、君のダンジョン攻略はスイスイと進んだ。
レオは、トラップにも敏感であった。どんなに巧妙に隠してある落とし穴や地雷などにも素早く気づき、解除もお手の物。
だったら、なぜ出会った時、ベアトラップに捕まっていたのか。階段を降りながら、何気なくレオに聞くと、彼はバツ悪そうに頭を掻いた。
「だから、あの時は昔の事を考えてたんだよ。少し、ぼーっとしてた」
「レオが罠につかまるほどの考え事って…何」
君の一言に、レオがピタリと動きを止めた。
「…あんまり、昔の事は話したくない。詮索しないって、約束でしょ」
そう言われて、君はそれ以上、そのことを聞くのをやめた。
その時、下から流れ込んだ潮風が、ふわりと君たちの髪を揺らした。
君はレオと顔を見合わせると、走って階段を駆け下りる。
そして、ぱっと開けた目の前の光景に、君は思わず感嘆の声を上げた。
そこは、水で覆われた開放的な平地だった。見慣れた石壁はないものの、いつも通り薄暗い。肌に張り付くような湿気の多い熱気に、所々顔を出す陸地はごつごつとした岩肌を露出させている。
「すごい…」
生暖かい風が、微かな腐臭と潮の香りを混ぜ合わせた、奇妙な匂いを運んでくる。水の中は光が一切届かず、吸い込まれてしまいそうなほどの深淵がぱっくりと口を開けているよう。だが、目を閉じれば、水の静かな音が響き、見上げれば、天井は水の反射を受けて輝いて見えた。
「…ここが、“海の層”だよ」
レオがそう呟いて、すっと目を細めた。
君は、ぬるい水を片手で掬ってみる。故郷の突き刺すような冷たさとはまた違う、どろりとした水だった。
…ここに、レオでも倒せない、ボスがいる。
「…倒せないというか、倒そうとした事もないんだ」
カタンと首を傾げて、レオが君に顔を向けた。
「なんてったって、この層には見た人を石に変える、蛇頭の女の怪物がいるって話さ。僕みたいな弓使いには、不利極まりない相手だよ」
…見た人を石に変える、蛇頭の女の怪物。どこかで、聞いたことがある。昔、誰かに、読んでもらった。そう、たしか…
「…メデューサ」
レオが、驚いたように君を見た。
「へえ?君が神話を知っているとは意外だな。君のことだから、ずっと熊とでも戦っているものだと思ってたよ」
君がギロリとレオを一瞥すると、レオは乾いた笑いを漏らした。
「…冗談だって」
話を逸らすように、レオはぽかんと浮いている岩だらけの島を指さす。
「ともかく。厄介なことに、奴はあの島の塔の中の小さい部屋に籠ってるんだ。倒しようが無いんだよ。射撃も出来ないし、扉を開けたら、その瞬間石になって終わり」
「じゃあ、戦かわないで先に進む選択肢は?」
レオがため息混じりに首を振った。
「前に陸地の床を掘って下に降りようとしたけど、硬すぎて無理だった。最悪、下の方に住む僕の古い知り合いの秘密通路を借りられれば、不可能ではないんだけど…極力、やりたくない。それに…」
すっと、レオの目が鋭く細められる。
「君はきっと、メデューサを倒さないといけない」
「まさか…」
君はそう呟いて、ギリと剣の柄を強く握りなおした。
「メデューサが、三神器の一つを、持ってる…?」
「そゆこと。ま、僕の勘だけどね。」
床に腰を下ろしながら、レオが頷いた。
「さて、問題はどうやって倒すか、だ」
君は、レオの正面に座ると、唸り声を上げた。
メデューサの神話。思い出せ。どんな話だった?
…そうだ。蝋燭が一つ、ゆれるベッドの上で。毎晩、読んでもらっていた。
霧の中の記憶が、少しづつ色づいてゆく。響く、優しげな声。赤い蝋燭の火に、冬の花のような香りをまとった、金髪の人。
そう。あれは、一人の美しい女性の、悲しいお話。結末は、確か…
「英雄ペルセウスは、青銅鏡の盾の反射を使い…直接メデューサを見ずに、彼女の首を刎ねた…」
自分でそう言って、君はハッと顔を上げた。
「…そうだ。なら、私たちもペルセウスと同じ方法で倒せばいい!」
「そうは言っても、僕たちは青銅鏡の盾なんて、持ってないじゃないか」
レオが呆れたように眉を潜めた。君は小さく舌打ちをした。
不服だが…その通りだ。今持っているこのおんぼろな木の盾では、反射など到底出来そうにないし…。
「…反射…」
君はそう呟くと、慌ててカバンを漁りだした。卵、宝石、携帯食料に、犬の首輪…。それらをかわすように指を滑らせていくと、冷んやりとした薄い板状のものが、君の指腹に当たった。
「これなら…あるけど」
そう言って取り出したのは、なんの取り柄もない、デイビッドの動物園で見つけた、唯の手鏡。
レオが、頭に手を当てた。
「…正気か?」
「他に案があるなら聞くけど」
君の一言に、レオは静かに唸り声を上げる。
「…手鏡?もしかしたら…いや、確かにあり得る…」
彼は少し考えて、頷いた。
「…分かった。やってみよう」
だが、まだもう一つ問題が残っている。それは、どうやって、海を渡って、メデューサの島までたどり着くか、だ。距離は数百フィートほど。そこまで遠くはないが、このまま渡れるほど近くもない。
水を覗き込んだレオが、顔を上げた。
「結構深いな。歩いて渡るのは無理だ」
「じゃあ、泳ぐ?」
その君の一言に、レオが信じられないとでも言うように目を見開いた。
「…鎧を着てる君はすぐ沈んじゃうけど」
それを聞いて、君は顔を上げた。…そうか、鎧。鉄でできているから、水に入れると、沈むのか。
君の表情を見て、レオがブッと噴き出した。
「まさか…泳いだことないとか、言わないよね」
レオの子バカにしたような表情に、君は眉を潜めた。そんなこと言われたって、雪しか知らないヴァルキリーの戦士に、泳ぎを習う機会など無いのだから、しょうがないだろう!
レオはひとしきり笑うと、満足げに息を吐いた。君はそんな彼を横目に頭を悩ませる。泳ぐのも無理、歩くのも無理となれば…いかだでも、作るか…?
「君の発想はホントに面白いね。ここに木は無いから無理だけど」
楽しそうに目を細めながら、レオはカバンの中から、ピンク色のポーションを取り出す。
「…なるほどね。ここで使えって事か」
レオはそう言うと、きゅぽんと勢いよくコルクを抜くと、それを一気に飲み干した。空になった瓶を床に放り投げ、混乱する君をひょいと抱きかかえる。
「え?レオ?」
「泳げないなら、飛べばいいじゃないか」
その時だった。君たちの体が、ゆっくりと宙に浮き始めたのである!
「ほら、さっき動物園で拾った、空中浮遊のポーションだよ」
口をポカンと開けたままの君を見て、彼は小さく笑った。
「準備はいい?」
レオは、君の答えも聞かずに、走り出した。水の上にまるでなにか足場があるかのように、華麗に水面の上を飛んでいく。心地よい潮風が君たちの髪を揺らし、美しい波の音が君の耳に響いた。
「す、すごい…」
君が思わず呟くと、レオがにっこり微笑んだ。
その時、君の目の端に、水面下の人喰いうなぎたちが、口を開けて君たちを見上げているのが映った。次の瞬間、そのうちの一匹が、不意に水面から高く跳ね上がった。鋭い牙が、君のブーツのすぐ下を掠める。
「わっ!」
「っと、危ない!」
レオは素早く高度を上げ、君を抱える腕に力を込めた。バシャりと、しょっぱい水しぶきが君たちにかかった。
「…急ごう」
レオは足を速める。君は無言で頷いた。
数分も経たないうちに、君たちは真ん中の島にたどり着いた。
「ホントに渡れた…」
島の地面を見下ろしながら、君は感嘆の声を漏らした。レオが自慢げに頷く。
「言っただろ。僕に出来ない事は無いよ」
彼はそう言って、ふふんと笑った。
そして、沈黙が流れる。
やがて、そのまま宙に浮き続けるレオに、君は眉を潜めた。
「そろそろ、下ろして?」
君がそう言うと、レオはバツの悪い顔をした。
「…実は、これ、いつ効果が切れるかわからないんだ」
君は頭を抱える。レオが慌てて付け足した。
「まあ、短すぎて水の真上で落っこちるよりはマシだろ?」
「そんなリスクが…」
君は呆れて、ため息をついた。
そして、だんだんと自分の今の状況に恥じらいを覚え始める。目の前には、整った顔立ちの銀髪エルフが君に微笑みかけている。こんなに近くで見ても欠点はどこにも見つからない。高い鼻筋、滑らかな肌、そして透き通ったようなアメジストの瞳。
「…レオって、意外と力あるんだね」
君は何だかいたたまれなくなって、呟いた。華奢な見た目だから、てっきり石一つも持ち上げられないとばかり思っていた。
「失礼だな。僕も女の子一人くらいは持てるさ」
彼はそう言って肩をすくめると、君をまっすぐに見つめた。
「…でも君、ちょっと重いな」
ピキリ、と君の額に青筋が走った。
「ちょ、冗談だって!今殴られたら二人で仲良くドボンだよ!」
レオは君の殺気を感じて慌てて言った。君がレオをギロリと睨めつけると、彼は咄嗟に目を逸らし、口笛を吹き始める。
その、次の瞬間。唐突に、レオの体が空中でグラグラと揺れ始めた。
「効果が切れる!しっかり掴まって!」
君の体が、彼の胸に強く押し付けられる。刹那、ぐるぐると世界が回転し、衝撃と共に視界が暗転した。
「……っ…」
恐る恐る目を開けると、レオの顔が目の前にあった。 衝撃があまりない。彼が下敷きになってくれたようだ。
「ごめ…」
君が慌ててそう言うと、レオがぐいと君を引き寄せた。吐息がかかるほどの至近距離で、レオが掠れた声で囁いた。
「…エイミー、怪我は…ない…?」
レオはそう言って体を動かすと、倒れた君の上に覆いかぶさるような形で、そっと君の頬に手をかけた。
レオの目が、すっと、細まる。
君は、上体を起こすと、レオをその場に座らせた。そして、レオの顔、腕、背中、をくまなくチェックする。
「…え?」
レオの混乱を片目に、君は彼の足を最後に確認して、頷いた。
「下敷きになったレオの方が、怪我してないかと思ったけど。ちゃんと受け身、取ったんだね」
君はそう言って立ち上がると、レオに手を差し出した。
「立てる?」
レオはぽかんと座って君の手を見つめていた。だが、君の真剣な表情を見て、小さく笑いだした。
「これは…初めてだ」
君は、レオがズボンの埃を払って自力で立ち上がるのを確認すると、目の前にそびえたつ砦を見据えた。
「行こう、メデューサ狩りに」




