序章
人が、理不尽な死に直面した時、どんな顔をするか。
君は、知ってる?
僕は知ってるよ。もう、何回も見てきたから。
一人目は、淡褐色の目の、自信満々な騎士だった。
白銀の鎧に、綺麗な剣捌きの、名家の一人息子。
僕の助言は鼻で笑うだけ。案の定、少し目を離した隙に、一人で突っ走って、棘付き落とし穴に落ちていた。
覗き込んだ時には、彼は驚きと恐怖に目を見開いたまま、全身を槍のような杭に貫かれて、死んでいた。
高価な装備も、家の紋章も、彼の赤黒い血糊に染まって、見えなくなってゆく。
ただの『優しい案内人』じゃ、駄目だ。
ちゃんと、信頼してもらわなくちゃ。
二人目は、濃い茶色い瞳の、痩身の祭司だった。
信じる神の為に、この迷宮に来たらしい。信徒になりたいと言ったら、途端に心を開いてくれた。
でも、些細な事で神に祈りすぎたんだ。乾いた喉を潤す泉を求め、躓いた小石の除去を願い、ついには暗闇を照らす光まで乞うた。
その時だ。天から光ではなく、轟音と共に紫電の閃光が降ってきたのは。結局彼は、黒炭のように全身を焼かれ、神を呪いながら死んでいった。
『信徒』は不成功。
信仰だけじゃなくて、自分で生きていける強さが無いと。
三人目は、黒い瞳の、慎重な魔法使い。
でも、慎重すぎて、食料が先に底を尽きたらしい。
腹を空かせて倒れているところに、救世主の僕が現れる。焼きたての香ばしいレンバスクッキーを渡したら、命の恩人だと崇められた。
相当腹が空いていたのか、彼はそれを貪るように、急いで口に詰め込んでゆく。僕が気づいたときには、もう遅かった。魔法のレンバスが、腹の中で一気に膨らんだんだ。
助けを求め、青くなった手が虚しく宙を掻いた。
魔法使いは、喉を詰まらせて、窒息死した。
まるで陸に打ち上げられた魚のように、その瞳から光が失われていく様を、僕はただ静かに見つめていた。
『救世主』も、失敗。
信頼されていても、慎重でも。結局、あっけなく死んでしまう。
次こそは、うまくやらないと。
僕は、動かなくなった彼の体を冷たい石畳の壁際に寄せると、逃げるように早足で階段を駆け上った。湿った冷たい空気の中、僕の荒い呼吸音と、壁を滴る水の音だけがこだまする。
今度は、“成功”させる。
その時、足元で、銀色の何かがキラリと光った。咄嗟に床を蹴って、体が宙を舞った、まさにその刹那。
ガシャン!
耳をつんざく金属音が響き、錆びついた鉄の顎が獰猛な獣のように噛み合った。ほぼ同時、僕は数歩離れた場所に軽やかに着地。マントの裾が、着地の衝撃でふわりと揺れた。
「…危ないな」
そう呟いて、ハッとした。これは、使えるかもしれない。
こうやって、まずは錆びた蝶番を軋ませる。それで、このまま上手く体重をかければ…ほら。牙のように並んだ鉄の半円の顎が、ガキンと音を立てて開いた。
完璧な罠には、完璧な準備が必要だから。
その時、唐突に地面が大きく揺れた。
手をついた湿った石壁が不気味に脈動し、高い天井からパラパラと灰のような砂が降り注ぐ。遠くで、岩が擦れ合うような低い地鳴りが始まった。
「…“扉”が、開いた」
僕は苔むした階段を一気に駆け上り、“扉”の近くの岩壁に身を隠すと、ちらと顔をのぞかせた。
刹那、この迷宮の澱んだカビ臭さを忘れさせるような、雨上がりの土と若芝生の匂いを乗せた風が、ビュウと流れ込んできた。
直後、カツンと鉄の靴音が響いて、 信じられないくらいまぶしい光を背に、若い人間が現れた。隙間風に揺れる短い黒髪に、深い青の瞳。手には片手剣がしっかりと握られており、足元には、白い子犬を連れている。
その表情は、希望と期待に満ちており、物珍しそうに薄暗いあたりを見渡していた。
その、深海の底で輝くラピスラズリのような、星屑の降る夜の海原を閉じ込めた瑠璃色の瞳と、一瞬だけぱちりと目が合って。僕は、慌てて身を隠す。
世界のすべての音が消え、時間が引き伸ばされるような錯覚に。
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。
…やっと、見つけた。
ゴゴゴ…と重たい石扉がぴったり閉じて、辺りに再度、暗闇が訪れる。
身体が、興奮で震えた。時が、来たのだ、と。そう、全身が叫んでいた。
足元の石畳の隙間で、一輪の小さな花が揺れた。黄昏の空のような深い紫色の花弁が、露に濡れてキラと輝く。その姿は、運命からのささやかな贈り物のように思えた。
僕はゆっくりと膝をつくと、硝子細工に触れるかのように、その│烏草頭の花の細い茎にそっと指を伸ばす。
さあ、劇の、幕開けだ。
舞台は、この運命の迷宮。偶然か必然かなんて気にならないくらい、完璧な夢を。
今までが序章なら、ここからが、本編。
今回は、『友達』?『相棒』?それとも、『恋人』?
どれでもいいよ。この僕が、しっかり演じ切るから。
この気まぐれな、死のダンジョンで。君なら、僕を、導いてくれる。君なら、僕を、壊してくれる。
君なら、僕を、終わらせてくれる。
そんな気が、してさ。