7.これは勅命だ
「最初はうまくいくのか半信半疑だったが、さすがはドルー一族。これほどの短期間で、心の病も見事に治してしまうとは。」
アダム王太子殿下は肩の力が抜けた様子で感嘆の言葉を述べた。
「色々、ご迷惑をおかけしました。」
「いや、おまえは誰にも迷惑などかけておらんよ。この国が想定以上に早く安定を取り戻したのは、おまえが休み無く必死に働いてくれたおかげでもあるからな。…いや、違うな、ヴェルゴ子爵の家族は別邸に追いやられたんだったか。アレらは正真正銘の被害者だな。」
自分の心を抉りながら、殿下はクツクツと笑う。
殿下から被害者と言われた子爵家の面々には、使用人を含め言葉での謝罪と迷惑をかけた分の慰謝料をどっさり渡しておいた。ほとぼりが冷めるまでフォードには行けないと思っていたが、従甥のユリウスが会うたびに次の約束をしてくるものだから、なんだかんだで子爵邸に遊びにいっている。
「しかし、おまえが自分のことを太って醜いと言い出したときは、こいつは悪魔にでも取りつかれたのかと思ったぞ。」
「はぁ…まあ、実際身体は重かったので。」
「毎週末半日以上かかる距離を往復馬で駆け、そのくせ食事量はその辺の女子より少ないのだから肥えようがないだろうに。」
全くもってその通りである。何の反論もしようがない。
「結局のところ、なぜあのように思い込んでしまっていたのだ?」
殿下はついていた肘を下ろし、興味深そうにこちらを見やる。
「いえ、それは私にも…」
「今は私しかこの場にいない。」
「正直、俺にも何故そんな風に思い始めたのか、わからないんだ。」
かしこまる必要はないと受け取り、口調を崩して説明する。
「アリス嬢が言うには、おそらくだが、エカテリーナの大きくなっていく腹を撫でてやりたかったという願望を、自分は太って腹が大きくなってしまったという思い込みで昇華していたのではないか、と。」
うまく説明できないが、あの頃の自分は本当に自分がとんでもなく太っていると思っていたし、服すら窮屈に感じていた。腹に手をやっては、自分はどこまで太って行くんだろうなんて思っていた。
「ふむ、そうか。中々興味深い考察だな。ところで、ドルーの娘とはあれからどうなっている?」
ふいに彼女のことを尋ねられ、思わずギクッとする。
「……それが俺の屋敷にずっと居座ってるんだ…しかも、屋敷の一室を勝手に診療所にしてしまった。」
あの後しばらくして、自分は王都に、彼女は実家へと帰っていった。彼女には本当に世話になったし、またいつかどこかで会えたら、なんて思っていた。
が、そのわずか数日後、彼女はルテル伯爵邸に沢山の嫁入り道具および医薬品、医学書を馬車いっぱいに引き下げて押し掛けてきた。
『改めまして、わたくし、ドルー家が次女、アリスと申します。ノワール・ルテル伯爵閣下の妻になるため、こちらに参りました。これからどうぞよろしくお願いします、旦那様。』
デジャヴか、と思わずツッコミを入れた俺は間違ってない。
「おお!なんと!よいではないか!」
執務室に笑い声が響き渡る。
「いや、ほんと、笑い事じゃないから。」
「実はドルー家におまえの治療を相談した際、あの娘から、完治させた場合に治療費とは別に褒美が欲しいと強請られていたのだよ。しかも、前借りで。」
「前借り?なんだそれ。」
仮にもコイツは王太子、よくぞこんな大物の前でおねだりができたな。
「その褒美の内容というのが、おまえとの婚姻だった。」
「え、あれ、本気だったのか。」
「さすがの私も、おまえの了承なしに約束はできないと思ってな。それがあの勅命だった。」
『ドルー家のアリス嬢に全てを任せる。』
「これだと、どうとでも解釈できるであろう?道具としてうまく使うもよし、全てが終わった後に婚姻命令として使うもよし。」
「なんて恐ろしい…」
「まぁそう言うな。私も信頼のおける臣下であり長年の友を裏切りたくはない。ノワール、おまえの意思を聞こうではないか。」
全く心の準備ができていないまま、今後の将来に関わる判断を問われている。
え、コレってこの場で決断しないといけない?
「…聞くまでもないか。おまえが屋敷に迎え入れている時点で、答えは出ていると思うのだが。」
「そうですね…受け入れてはいるのだと思います。」
思わず敬語に戻ってしまった。
「よし、わかった。今から令状を書く。ドルー家アリスのこの度の貢献に対し、ノワール・ルテル伯爵との婚姻を結ぶことを褒美とする。そしてこれは勅命である。」
「おい、冗談だろ!?」
◇
「おかえりなさいませ、ノワール様。」
「ただいま。まだ起きてたのか。」
あの後殿下とすったもんだがあり、伯爵邸に帰宅する頃にはすっかり夜も遅くなっていた。
「患者さんで気になった方の症状を調べていたら、遅くなってしまいました。せっかくだから、お帰りをお待ちしようかと思って下に降りてきたら、ちょうど貴方が帰ってらっしゃったの。良いタイミングでしたわ。」
肩にかけたストールを両手で抑えながら、微笑むアリス。そんなアリスの顔を見てノワールはホッとする。自分は彼女が家にいる生活に慣れてしまったのだと自覚する。
「寒くはございませんか?」
「そうだな…少し身体が冷えた。」
季節は既に冬を迎えている。従者に外套を預け、先ほどまでアリスが居た談話室へと二人移動する。
「実は、君に話があるんだ。」
暖炉の前のソファにアリスが腰掛けた後、そう切り出した。
「あら、なんでしょうか?」
「結婚してくれ。」
「あらあら…え?」
いつものように軽く流そうとしたアリスは思わず動きを止めた。
「君に拒否権はない、これは勅命だ。」
そう言って、殿下から渡された令状を見せる。
アリスはそれを震える手で取り、信じられないと言わんばかりに令状と俺を見比べる。
お願いだ、拒否しないでくれ。
「…謹んで、お受けいたします。この度の褒美、確かに承りました。」
少し放心した状態の彼女のそばにいき、その身体を思いっきり抱き締めた。
「ありがとう。俺は、なんだかんだと君に絆されてしまったようだ。」
最初は彼女の押しの強さに流されてしまっていただけだった。しかし、次第にアリスの懸命なところや、真っ直ぐに自分を慕ってくれているところに徐々に惹かれていった。
ノワールの告白を受け、アリスは口を開く。
「…わたくしは、エカテリーナ様の遺言先の主の“ノワール様”にずっと興味を持っておりました。」
お腹を触らせてください、などと彼女が言う旦那様のノワール様。一体どんな方なのかしら?と、彼の居場所を探そうとした矢先、殿下から治療の話が降ってきた。
(これは運命だと思った。)
ノワールの治療はドルー一族に持ち掛けられた話だったので、アリス個人が指名された訳ではない。しかし、押しかけ妻として潜入します!という無茶な設定でもって、アリスは彼の担当医となったのだ。
実際に彼に会ってみて、精神状態は想定していたものより最悪だったが、“押しに弱いお人好し”な所は正常時でなくとも変わらないようだった。
「わたくしは、貴方ほど美しい人を見たことがありません。それは決して見た目だけの話ではなく、国や領地のことを第一に考え、他者を優先する心は、美しい以外の何ものでもないと、わたくしは思います。」
王都のこの屋敷を訪れたとき、口では小言を言っていたが、追い返すようなことはしなかった。屋敷の一室を改装し診療所を始めた際も、医療を根付かせたい気持ちは一緒だと、アリスの好きにさせてくれた。
いつか追い出されるのではと思っていたが、自分を見る目が日に日に優しくなっていく様子を見て、心が弾んだ。
「貴方が好きです、心の底から。」
そう言って、アリスは抱き締められた手を横に退ける。
それから徐ろにノワールの脇腹を触り始めた。
「…いや、今じゃないでしょ。」
「いいえ、今ですわ。前はエカテリーナ様のものなので、わたくしは脇腹を堪能させて貰いますわ。」
ノワールは遠い目をしながら、アリスにされるがままにする。彼が仕返しにアリスの大きくなったお腹を撫でるのは、もう少し先のお話。
最初は魔女やら呪いやらがわんさか出てくるめっちゃコメディ路線のファンタジーな話だったのに、いつのまにか180度違う話に変わってました…
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