4.現状把握(2)
ひたすら聞き取り調査です。
週末が近付くにつれ、自分の意識は曖昧になる。
仕事から帰ってベッドで眠りにつく。しかし、その眠りはいつも浅い。
自分は何故王都にいるんだろう?自分は側近の仕事は辞めたはず。こんなところにいる場合ではない、早く領地に帰らなければ。
慌てて支度をしよう身体を起こそうとするが、身体が鉛のように重い。
ああ、そうか。俺はとても太っているんだ。
身体を起こすのもツラい位に太ってしまったなんて、彼女に笑われてしまう。
自分の居場所はここではない。守るべきものはフォードの地にあるのだから。
◇
翌日、アリスは午後にユリウスの勉強を見る約束をしたが、午前中はフリーである。そこで、ヴェルゴ子爵に頼んで、伯爵邸時代の元家令ラザロの元を訪問することにしてみた。
彼はヴェルゴ子爵家に領主権が交代した際に、ルテル伯爵家の家令を辞していた。今はフォード領内の外れの小さな家で墓守をしながら静かに暮らしている。
「ご無沙汰しております、ラザロさん。わたくしのことを覚えておいででしょうか。ドルー一族のアリスです。」
すっかり白髪になってしまったラザロに、再会の挨拶をする。
「ようこそお越しくださいました、アリス様。恩人であるあなたを忘れるはずがございません。大したおもてなしもできませんが、さぁさどうぞ、中にお入り下さい。」
そう言ってアリスは家の中へと促され、彼は小さなキッチンでお茶の準備をし始める。
アリスは椅子に掛けながら、ラザロに話を振った。
「伯爵邸で侍女をされていたカリンさん、今はヴェルゴ家に仕えているんですね。」
「はい、家内はあの屋敷に思い入れがあるようでして…生き残った使用人たちが王都の伯爵邸に移り住む中、私たちはフォードに残りました。私はあれ以来、体調を崩してしまい引退してしまいましたが…」
彼は命こそ助かったが、その後遺症のため、普段から息が切れることが多くなり、このまま家令を続けることはできないと、職を辞したようだった。
「ラザロさんは最近伯爵閣下にお会いしていますか?」
「ノワール様にですか?以前はノワール様がフォードに来られる際に、度々私の元を訪れてくださっていましたが、そうですね、ここ一年くらいはお会いしておりません。」
一年前というと、彼の異変が顕著になり始めた時期である。
「一年前、あなたが最後に閣下にお会いになった時、なにか普段と違った出来事はありませんでした?どんな些細なことでもかまいません。もし覚えていることがあれば、すべて教えて欲しいのです。」
そう言うと、ラサロは顎に手を充て考える様子を見せた。
「少々お待ちください。」
彼はお茶の準備の手を止め、部屋の隅のキャビネに向かい、その引き出しから一冊にまとめられた紙を取り出した。
「これは私が家令をしていた頃から一日の予定を記録するようにしたものです。日記というには少々雑なものなのですが。」
彼はペラペラと紙をめくり、ある日付がきたときに手を止めた。
「ああ、ありました。最後に来られたのはちょうど今と同じ時期ですね。確か、ヴェルゴ子爵家の皆様が奥様のご実家から本邸に越して来られる日だったようです。」
「あら、随分最近なのですね。子爵のご家族はユリウス様のご出産で奥様のご実家に帰省されていたとお伺いしましたが、出産後もフォード領にはいらっしゃらなかったということでしょうか?」
「ええ、その通りです。まだしばらくはフォードは荒れていましたので、ユベール様はご家族と離れて暮らしておりました。ユリウス様が五歳になられたのを機に、ご家族をフォードの屋敷に呼び寄せたのです。」
ノワールは一年前に初めて子爵の家族に会ったということか。いや、それまでも会ったことはあったかもしれないが、少なくともまだ生まれてなかったユリウスと会うのは、その時が初めてだったはずだ。
「伯爵閣下は彼らについて何か言ってたか、覚えてらっしゃいますか?」
「この日は子爵家の皆様との顔合わせを終えられた後に、私の元へ来られたのですが、確か体調が悪くなってしまったとかで早々にお帰りになりました。なので、大した話はしていなかったかと。」
顔合わせの後の体調不良。子爵家と接触したときに、彼に何かあったのかもしれない。
…子爵あるいは子爵夫人に話を聞くか。
他にも情報を持っている人物はいるかもしれないが、彼が王都から帰って来るまであと三日、できるだけ当たりは絞った方がいい。
思案している間に、アリスの前にカップが置かれる。ラザロも自分のカップを持って、テーブルの向かいに座った。
「昨日、家内からアリス様がノワール様の担当医になられたと話を聞きました。身体の病だけではなく、心の病も治療の心得があるのですね。」
「ええ…実のところ、専門というわけではないのですが、そういった患者を診た経験はあります。」
あるにはあるが、これほどの事例は取り扱ったことがない。殿下から話を伺った時点で、ある程度覚悟はしていたが、思ったより長期戦になりそうだ。
「私は、ノワール様の気持ちが少しわかる気がします。」
「え?」
「私はフォードの悲劇により、息子たち家族を亡くしました。なぜ老い先短い自分が生き残り、息子たちは死ななければならなかっただろうと、何度も自分を責めました。」
ラザロの息子家族は夫妻を残し、疫病により儚くなってしまっていた。
「ノワール様は奥様の死に立ち会うことができませんでした…ご事情があったにせよ一番守りたかったであろう人を守れなかった。彼の後悔や嘆きは痛いほどわかります。領主という偽りの自分を演じることでしか、心のバランスが保てなかったのかもしれない、そう思うのです。」
ラザロはカップを置き、静かに言う。
「そして、これはあくまで私の個人的な意見なのですが、ノワール様はまだ奥様の死を受け入れ切れてないのだと思います。」
「というと?」
「奥様の死後しばらくして、ノワール様が伯爵となられた後でしょうか、その頃から私はノワール様の口から奥様の名前を聞いたことは一切ありません。そして、あの方は奥様たちが眠られている墓に、まだ一度も足を踏み入れてないのです。」
ラザロが言ってることは、昨日カリンと子爵が自分に話してくれたことと同じだった。何故彼は奥方の話題をこれほどまでに避けるのだろう。ラザロが言うように死を受け入れたくないから?
「奥方の死は、何かしら関係しているのかもしれませんね…子爵家との顔合わせも。」
奥方の死は今から六年前だ。けれど、悪化した時期の一年前まではかなりのタイムラグがある。奥方の死と子爵家との顔合わせ。果たしてこの二つは何か繋がりがあるのだろうか?後ほど話を整理しなければ。
「色々お話していただきありがとうございます。もしかしたら後日、再度お話をお伺いに来るかもしれませんが、その際はまたよろしくおねがいします。」
姿勢を正し、ラザロに丁寧に礼を述べた。
「いえいえ、こちらこそ。少しでもお役に立てたなら何よりです。」
席を立ちながら、ここに来たもう一つの目的を告げる。
「もしラザロさんさえよろしければ、この後フォードの共同墓地にご案内頂けないでしょうか。彼らに祈りを捧げに行きたいのです。」
「それはもちろん。あなた方一族のおかげで、苦しまずに安らかに逝くことができた者は大勢おります。きっと彼らも喜んでくれるでしょう。」
◇
屋敷に戻ったあと、アリスはこの二日間で得た情報を整理することにした。
まず、殿下から聞いたノワールの現状は、子爵、ユリウス、侍女のカリン、元家令のラザロの話と一致する。現時点でわかっていることを簡単に箇条書きにしてみる。
・彼は一年前から精神状態が悪くなっている。
・彼は自分をフォード家領主だと思っている。
・彼は自分を太っていると思っている。
・彼は王都の側近の仕事は辞めたと思っている。
・彼は従兄弟のことを家令と思っている。
・彼は従甥のことを認識できない。
・彼は五年前から奥方の名前を口にしなくなった
(ううん、ひどい)
わかってたけど、酷い。今まで見てきた心の病を患った患者の中でもトップ3に入るくらい症状は重い。
なまじ行動力があるから尚のこと。
アリスはため息をつきながら、まだ未確定のことも書き出していく。
・彼は奥様の死を受け入れられてない可能性がある?
・一年前に子爵の家族が元伯爵邸に引っ越してきたことが、何かのトリガーになっている?
あとは、初日の晩餐の席でのノワールの言動について振り返る。それとなく、一年前から忙しくしている理由を聞いてみたが、本人に自覚なし。
側近と領主のダブルワークを始めて一年、とっくに倒れてもおかしくない。
家族のことにも触れてはみたが、寂しくはないという回答。まぁ、これは自分がグイグイ行くもんだから、けん制の意味を持っていた可能性もある。
(まぁ、遠回しな表現なんて通用しないでしょうね。この一年、王都でもフォードでも本人に直接おかしい、間違ってる、と周囲の者が言ってるにもかかわらず、彼の認識は全く正されていないのだから)
殿下やユベールのような信頼関係があるものが頭ごなしに論破しても、彼はそれを否定してきた。
彼へのアプローチは、否定や現実を突き付けるのではなく、時間をかけて、共に現実との接点を見つけていくのがベストだろう。
明日は朝から子爵夫人に一年前の顔合わせの時の様子を確認する予定だ。
今日の午後にユリウスの勉強を見てやったあと、子爵家の本物の家令(普段は別邸にいるらしい)に子爵夫人とのアポイントを取ってもらったのだ。
自分がやるべきことは、ノワールの現状の把握、原因の情報収集。
それらが終わった後、ようやくノワール本人へのアプローチを開始できるはずだ。
そんなふうに思考を整理し、アリスはそのまま眠りについた。
◇
「ヴェルゴ子爵ユベールの妻、トリクシーですわ。初めまして、アリス様。主人から貴方がドルー一族の治癒師としてこちらにいらしていることを伺っています。」
子爵夫人トリクシーがアリスに向けて挨拶し、アリスもそれに応える。ありがたいことにユベールはアリスが治癒師であることを事前に伝えてくれていたようだ。
「初めまして、トリクシー様。ドルー一族のアリスと申します。本日はお時間頂きありがとうございます。」
夫人は親しみやすい雰囲気をしており、どことなくユリウスに感じが似ている気がする。しかし油断は禁物、貴族女性との会話は大半が腹の探り合いだ。
「いえいえ、私もちょうど暇をしていたの。話相手ができて良かったわ。アリス様は以前フォードに来られたことがあると聞いたのだけど、当時と比べてどうかしら?」
早速トリクシー様が試すようなことを聞いてくる。正直、前回訪れたときは、街の機能は停止状態だったので、あれに比べたら今の状態は復興中と思えない位に回復していると思う。
「私が以前来た六年前と比較すると、ほぼ復興は完了していると言っていいくらい、街としての機能を取り戻しているのではないかと思います。子爵邸に着くまでの間に、街の中の様子を見てきたのですが、領民も戻ってきていますし、浮浪者の類も私が見た限りでは見当たりませんでした。自警団の方を街のあちこちに見かけたので治安も安心ですし、露店の品も適正な価格に戻っていました。前回訪れたときとはまるで違う街に来たようです。」
とりあえず正直な感想を一通り述べてみたが、トリクシー様はその返答に満足したのかうんうん頷いている。
「そうなのよ。これも、領主である主人のおかげ…、といいたいところなんだけど。」
そこまで言って、夫人は頬に手を充てる。
「大半はノワール様のおかげなのよね。あの方が主人の代行で手腕を振るいだしてから、急速にフォードの街が活気付いてきたのよ。彼は側近をしてるだけあって王都に伝手があり人脈も広いでしょう?主人が諦めた計画も次々と実行に移していったの。その結果が今のフォードの状態よ。」
トリクシー様がノワールを褒めているような内容に、思わず口を挟む。
「あの、もしお気を悪くされたらすいません、トリクシー様は、旦那様のヴェルゴ子爵にとって代わってノワール様が領主面していることにご不満はないのですか?」
私がそう本音を問うと、トリクシー様はコロコロと笑いだす。
「まさか!感謝こそあれど、不満なんてございませんわ。私とてフォード領主の妻、領地が繁栄していくことを望んでいます。もともと主人も先代伯爵の補佐をしていたのだし、サポートの方が向いてるのではないかしら?ああ、ユリウスのことは私も怒りましたよ。あんなに可愛がって下さっていたのに、急に態度を変えたものだから…でも、そういう病気だ、と思ったら荒ぶっていた心も落ち着いていったの。」
どうやらトリクシー様は相当懐が広いお方のようだ。元領主の血縁且つ爵位が上の者であれ、週末は本邸に居座り、自分たち家族はいつのまにか別邸に追いやられるとか、私なら怒り心頭になりかねないが…
「それにね、私あの方のお顔が大好きなの。初めてノワール様に会った時、本当に親族なのかと主人に何度も確認したわ~…。こんなに凄まじい美貌を持った方になら、多少理不尽なことをされても許せちゃう!と思ったのよ。」
彼女は面食いでもあったようだ。やはり容姿がいいと得である。
「わたくしも彼以上の容姿をお持ちの方に出会ったことがありませんので、気持ちはよくわかります…。ところで、ノワール様と初めて顔合わせをしたときのことを詳しくお聞かせ願ってもよろしいでしょうか?これは治癒師としてのヒアリングと受け取ってください。」
ここからは治癒師としての仕事モードに切り替えて質問をすることにする。
「初めて顔合わせをしたときのことね。よろしいですわ。」
トリクシー様はそう言って、頬に手を当てるのをやめ、姿勢を正した。
「ちょうど一年前くらいかしら?私と子供たち…娘と息子がフォードの本邸に越してきて間もなく、ノワール様が挨拶に来たのよ。その時が初対面ね。私も娘も彼に見惚れちゃって。息子のユリウスは最初人見知りをしていたのだけど。ノワール様のほうから積極的にユリウスにかまいだして、あっという間に仲良くなっていたわ。小さい子の相手も慣れてらっしゃって、私、二人が遊んでる光景を何度も絵に収めたいと思ったわ…」
ほうっとしたように思い出して頬を紅潮させていた。
彼女は本当に彼の顔が好きなようだ。
「そのとき、ノワール様の様子に何か変わったことはありませんでしたか?」
「変わったところ?いいえ、特には無かったと思うのだけど。ユリウスのことを構い倒すから、『子供が好きなのですね?』と聞いたら『ええ、子は皆宝ですから。』とおっしゃっていたわ。」
子は宝か…会話自体に特に違和感はないように思う。
「閣下は娘さんとも遊んでいましたか?」
「娘も彼に話相手になって貰っていたけど、ユリウスに比べると、そこまでかしら。ユリウスの場合、まだ小さいし男の子同士だから構いやすいというのもあったのかもしれないわ。」
ユリウスと違って、娘のほうとは今も普通に接しているとは聞いていた。ユリウスのことだけ認識できなくなるくらい、彼はユリウスに何か特別な思いを感じていたのだろうか。
「閣下がユリウス様を認識しなくなってしまったのはいつ頃なのでしょうか?」
「そうねぇ、徐々に…かしら?徐々にノワール様が毎週末フォードにやってきては領主としてお仕事に関わるようになって、それと同時にユリウスのことを構わなくなっていった感じね。」
こちらに関しては明確な時期は無さそうだ。ある日を境に急に、というわけではないということか。
「そうそう、まだノワール様がユリウスに構ってやってた頃、ノワール様と私と主人で、庭で遊んでいるユリウスと娘の様子を眺めていたときのことがあったのだけど。そのとき、彼が少し思い詰めた顔で子供たちを眺めていたのを思い出したわ。」
「思い詰めた顔?」
「ええ、それで、子供たちのほうを見ながら『彼らが何の気兼ねもなくフォードの地で安心して暮らしていけるよう、一刻も早く何とかしないと』確かこんな感じのことを呟いていたのよ。最初は主人に対して激励の言葉か何かだと思ったのだけど、今思うと、この時からかしら。ノワール様の様子が変わっていってしまったのは。」
(彼が変わってしまったのは、やはりユリウス様が関係している)
となると、閣下がユリウス様に構っていたときのことで、何かわかることがあるかもしれない。
ユリウス様に再度話を聞く必要がある…今日はここまでかしらね。
アリスはノワールの話を切り上げ、治癒師としてではなく、令嬢アリスとして、トリクシーとの会話に花を咲かせながら穏やかなひとときを楽しんだ。