3.現状把握(1)
『次に会う時、私があなたのお腹を触って、健康かどうかを確かめてあげます。』
『君の膨らんでくるお腹よりも大きくなってたらどうする?』
『もう、笑わせないでください。』
しばらくは互いに離れて暮らすこととなる。本当は行かせたくなどない。
部屋をぼんやり暖かくしている暖炉の前で、彼女の肩を抱き寄せる。
パチパチと炎が立てる静かな音を、その暖かな光景を、しばらくの間二人はずっと無言で眺めていた。
◇
「殿下!一体彼女は何なのですか?」
王太子殿下に会うなり、開口一番、アリス嬢の件について詰め寄る。
「おや、彼女とはドルーの娘のことかな。あの娘はおまえに何と言ってきたんだい?あ、今は二人だから、敬語は抜きでいいよ。」
「アダム殿下、とぼけないでほしい。あのご令嬢、いきなり俺のところに嫁に来たとかなんとか言い出したんだが。」
アダム殿下は意表を突かれたらしい、思わず口に手を当て、ぷは、と噴き出した。
「なんと!そうきたか!いいではないか!まだ20かそこらの若い美しい娘だ。綺麗なおまえにピッタリだ。」
「冗談はよしてくれよ…。しかも、勅命ときた。これは事実なのか?」
「うん?勅命?」
殿下の反応からして、嫁ぎに来たというのは真実では無さそうだ。やっぱりあの娘、嘘をついていたな?
「いや、うん、いいね、よし、嫁に行く、という勅命にしておこう、あの娘はおまえの後妻だ。良かったね、これで寂しい生活ともおさらばだ。」
「まてまてまてまて。どんな軽いノリなんだよ。」
「今決めた。あの娘がそうと言ったらそうなんだろう。書簡に記した通り、私は彼女に全てを委ねた。それでおまえが救われるなら、どんな手段であろうと構わないと思っている。」
どうやら全てを任せるというのは本当らしい。
でも、全てってなんだよ、そこに結婚も含まれるって幅が広すぎやしないか。
そこまで言うと、軽口を叩いていた殿下の表情は真剣なものに変わった。
「ルテルの血を絶やすな、ノワール。私はおまえの能力を高く買っている。その美貌もな。潰れるなよ。」
潰れる?
それに自分の能力の高さは自負しているが、この五年で肥え太った俺の美貌を買ってくれてるとは、殿下の審美眼はどうなってるんだ。
「いや、何を言って「殿下、お時間です。」
ノックの音と同時に横槍が入り、結局、この話はここまでとなった。
◇
「初めまして、ユリウス様。わたくし、ドルー家一族のアリスと申します。」
彼に警戒心を抱かせないよう、ニコリと人のいい笑顔を浮かべる。
「どうぞ、アリスとお呼び下さいな。わたくしはルテル伯爵ノワール様の妻となるため、こちらに参りました。今はヴェルゴ本邸に一時的に滞在させて頂いています。どうぞよろしくお願いします。」
私は今、ヴェルゴ子爵のご子息であるユリウス様にお会するため別邸に遊びに来ている。伯爵閣下の従甥にあたるお方だ。
ユリウス様の年の頃は五、六かそこらで、年齢の割に利発そうな顔をしている。
「初めまして、僕はヴェルゴ家長男のユリウスです。ノワールおじ様のお嫁さんになられるのですね。親族として、今後ともよろしくお願いします。」
なんとしっかりした、それでいて素直な子供なのだろうか。私の言葉に全く不信感を持つことも無く、親族として受け入れようとしてくれている。自分で言うのもなんだけど、こんな怪しい大人の言うことを信じて微笑んでくれるなんて、そのうち悪い大人に騙されたりしないかしら?
ふと、彼を見ると、長袖の服の上から、腕を擦っている。そしてまだ暑さも残るのに、彼は手袋をしていた。
「ユリウス様、差し出がましいようですが、腕を拝見させて頂いてもよろしいでしょうか?」
そう言うと、彼の表情が固いものに変わる。
「大丈夫、わたくしは治癒師の一族です。少し診せて下さい。」
「…」
おずおずと腕を差し出すユリウス。ゆっくりとできふだけ優しい手つきで手袋を外し、袖を捲った。
「うーん、これは、痒いですね。」
手の甲と腕には、先の病の発疹の跡があり、瘡蓋から所々血が出ていた。
「すぐに軟骨をお持ち致しますね。痒みが抑えられますよ。掻きむしると余計に痒くなってしまいますので、定期的に塗るようにしてください。」
簡単な診察を終えると、彼はすぐさま袖を元に戻し、再度手袋を嵌めた。
「…アリス様はこの跡を見ても気持ち悪くならないのですか?」
暗い顔をしてそう告げる。どうやら、彼は発疹跡にコンプレックスを感じているらしい。父であるヴェルゴ子爵から聞いた話によれば、生後間もなくワクチンを打った結果、副反応が強く、腕に発疹跡が残ってしまったということだった。
「いいえ、全く。それは幼いあなたが病に打ち勝った勲章のようなもの。誇るべきものです。ただ、人によっては口笠が無いものもいるでしょう。ユリウス様が気になさるのであれば、跡が薄くなる塗り薬も一緒にお持ちしましょうか?」
「ぜひお願いします。」
曇っていた顔がようやく晴れた。お年ごろの少年である。やはり見た目が気になるのだろう。今回薬を多めに持ってきておいて良かった。
「あ、あの、アリス様。」
アリスに気を許した様子のユリウスが、躊躇いがちに話しかける。
「ノワールおじ様の病気も治せますか?おじ様を、一度診て頂けないでしょうか?」
こちらから話を振る手間が省けた。
今日ユリウスの元を訪れた本当の目的は、彼からノワールの話を聞き出すことにあったからだ。
「ユリウス様は、伯爵閣下はどのような病気になってしまったのだとお思いですか?」
「…僕のことが見えなくなる病気。」
「なるほど。わたくしも閣下が患っているその病気について、お父上から聞き及んでいます。そうですね、わたくしが治癒師の名にかけて、必ずその病から彼を救って見せますわ。だから安心なさって。」
そう言うと彼の悲しげな表情がほっとしたものに変わった。
アリスは純粋な興味で、ユリウスがノワールのことをどう思っているか聞いてみることにする。
「ユリウス様は閣下のことをお好きですか?」
すると、彼は目を輝かせるようにして返事をした。
「はい!ノワールおじ様のことは大好きです。あの人はとても優しくて、誰よりもキレイで、フォードに来た時はいつも、僕と一緒に遊んでくれたり、勉強を教えてくれたりしました。しかも殿下の側近というだけあって、剣術もお強いんです。僕にとっては父以上に憧れの存在でした。」
ユリウスの話からは、本当にノワールのことを尊敬している様子が伝わってくる。その様子に思わず笑みがこぼれた。
そして、ユリウスのノワールに対する評価の中で、誰よりもキレイだということにアリスは激しく共感する。
自分は今まで一族の巡回医として色んな人に出会ってきたが、彼ほど完成された美を持つ者はいなかった。それ程までに、彼は素晴らしく容姿が整っていた。
王太子殿下は彼のことを「現世における最高傑作」と評していたが、それは決して過大評価なんかではない。
だからこそ、なぜ彼が自分は太って醜いと思い込んでしまっているのか、不思議でならなかった。
「けれど…」
彼の言葉が詰まった。その先を察して彼の言葉を拾う。
「無視されるようになってしまった?」
「…はい。最初はそういう遊びなのかと思いました。僕が話かけても、答えてくれない。身体を触って気を引こうとしても、全く無反応なんです。まるで、僕は自分が幽霊になってしまったのかのように思いました。」
彼の目に涙がにじみ始める。彼の豹変ぶりに、憧れが大きかった分、相当なショックを受けたに違いない。
「でも、父上が僕に教えてくれました。おじ様は大変な病気にかかってしまったのだと。治すには時間がかかるかもしれないと。それ以来、僕はノワールおじ様の病気が治るまでは、会わないことに決めて、おじ様と鉢合わせることが無いように別邸に移り住むようになったんです。」
子爵は病気だから仕方がない、そう子供に教えつつ、物理的に距離を離すことで、ノワールの異常さを子供の目から隠すことにしたらしい。
アリスは暗くなってしまった雰囲気を払拭すべく、前向きになれるような話題を振る。
「閣下のご病気が治ったら、何がしたいですか?」
「たくさんお話がしたいです!おじ様の暮らしている王都のことも聞きたいし、僕もお話したいことがたくさんあります。」
「それは楽しみですね。ぜひ私もその話の輪に混ぜてくださいな。」
「もちろんです!」
その後、ユリウスに邸内の敷地を色々と案内してもらい、ゆったりとした時間を過ごした。
意外なことに、彼はアリスのドルー一族の医療の話に大変な興味を示した。そのため、明日の午後は医学について少しばかり勉強をみてやることとなった。
フォード領内には以前から診療所というものが存在しない。定期的に来るわたしたち一族のような巡回医が唯一の医療機関であるようだった。行々は爵位を継ぐであろう彼が興味を持つことは良い傾向である。
…フォードの地に、診療を専門にする施設が根付くことになればいいな。そうアリスは願った。