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2.押しかけ女房の正体



 ふいにアリスは馬が駆けていく音で目が覚めた。おそらくノワールが王都に向けて出発したのだろう。外を覗くと、まだ夜といっていいくらいに暗かった。


 …日が昇る前なのに、お早いこと。


 でも考えて見ればそうか。王都までフォード領からは馬で駆けて半日はかかる。彼は()()()()()()()()()、出仕時間は厳守である。


 幸い彼は五日は帰ってこない。その間に出来る限りの情報を集めなくては。





 二度寝の後、朝食の時間になり、アリスは食堂で一人給仕を受ける。そして食事が終わる頃、側に立っている家令のユベールに同席を促した。


「さてと。そちらにお座りになってくださいな。少しお話をしましょう。」

「いえ、私は」

「今は伯爵閣下はいらっしゃいませんわ。どうぞ、向かいの席にお掛けになって。ああ、あなた、申し訳ないのだけど、お茶を淹れて下さる?」


 ユベールが逃げる前に、メイドにお茶を指示し着席を促す。

 そう言うと、彼はどこか緊張した面持ちで席につく。


「そう緊張なさらないで。」

「…それで、御用件は何でしょうか。」

「先ほど申し上げましたように、少しお話をしましょう。あなたに確認させて頂きたいことがございますの。」


 アリスは、こちらを警戒しているユベールに対し、攻撃しないようできる限り優しいトーンで告げる。


「あなたは、家令などではございませんね?」

 ユベールの瞳が動揺で揺れた。


「貴方様は、()()()フォード領地ご当主のユベール・フォード・ヴェルゴ子爵様とお見受けします。間違いないでしょうか?」

 私が確信をもって彼にそう尋ねると、彼は視線を下にやった後、やや躊躇いがちに頷いた。


「……ご挨拶が遅れて申し訳ございません。はい、私はヴェルゴ子爵、ユベール・フォード・ヴェルゴと申します。」

 周りの使用人が彼に対しても頭を下げる様子と、家令にしては所作が貴族のそれであったことから怪しんでいたが、どうやら当たっていたようだ。同時に、推理が外れていた場合に飛んだ無礼を働かなくてよかったと内心安堵する。


「王太子殿下から人を寄越すと言われていたのはあなたでしたか。」

「ええ、その通りですわ。」

 ユベール改め、ヴェルゴ子爵にニコリと笑いかけ、アリスは正体を明かす。


「王太子殿下直々に、側近である伯爵閣下の状態が日に日に悪化していると、治癒師である我がドルー家に相談が持ち掛けられました。そこで私が担当医としてこちらに治療に参りましたの。彼の後妻という体を装って。」


 ただの医師としてなら追い返されていただろう。これまで他の医師数名がノワールの元を訪ねたらしいが、全て門前払いにされてしまったという。今回は若い娘が押し掛ける、しかも殿下のよくわからない勅命付き、という状況を作ってみた。彼がアリスを受け入れるかどうかは、やや賭けではあったが、結果、こうして彼に近付くことができた。


 アリスはそのまま話を続ける。

「閣下は()()()()()()()()()()と思い込んでおいでです。彼が伯爵位を継いだときに、ルテル伯爵家の所有であったフォード領地は分家であるヴェルゴ家に譲渡し、彼は領地を持たない宮廷貴族となったにも関わらず。」


 そう、ノワールは伯爵位は継いだが、フォード領は手離した。そのため、彼の名前はノワール・フォード・ルテルではなく、ノワール・ルテルなのである。


「わたくしが殿下から聞いた話を共有致します。」

 話が長くなりそうなので、アリスは一度喉を潤わせるため、お茶を一口飲んだ。 


「最初のうちは週末になると度々フォード領を訪れて様子を見に来るだけだったとか。けれども、いつしか自分はフォード領主であるという発言が徐々に混ざり始めた。周りがそれとなく間違いを指摘しても、何をおかしなことを言っているんだと、彼は自分の認識の誤りを認めようとしない…。」


 彼の周りも、最初は冗談を言ってるのかと思っていた。しかし、彼の認知がおかしくなっていると気づく。彼は、心の底から、自分はフォード領主のノワール・フォード・ルテル伯だと思い込んでいた。


「彼の言動を訝しんだ殿下は、内々に彼の調査を始めました。すると、彼は週末になると、生家があったフォード領にある元ルテル伯爵邸で生活し、そこでフォード領主として振る舞っていた…そして週明けにはきちんと王都に戻り、側近としての仕事をこなすという、二重の生活をしていることが判明しました。」


 そこまで言って、アリスはユベールに責めるような目線を送る。


「そして、ヴェルゴ子爵であるあなたはこれを黙認しているとか。・・・ここまでの話と、貴方様の認識に相違はありますか?」


「…」


 彼が押し黙ってしまったので、しばらく返答を待つ。


「…いえ、相違ありません。殿下のお話は全て真実です。」

 観念したのか、そう溢すと、ユベールはポツポツと現状について話し始める。


「ノワールとは従兄弟同士で、私は彼の兄、つまり元伯爵と同い年であり、ノワールのことは本当の弟のように思ってきました。」

「なるほど、それで?」

 続きを促すように相槌を打つ。


「フォード領を襲った悲劇は、皆の心に深い爪痕を残しました。幸い、私の家族は、たまたま妻が下の子を妊娠中で、妻と上の娘は出産のため妻の実家に帰省していました。私も出産に立ち会うため、補佐の仕事を代理の者に頼みフォードの地から離れていました。そのおかげで、フォードの感染爆発に巻き込まれずに済んだのです。」


 なんという幸運なんだろうか。フォード領に住む者の中で一家全員が無事だったというのは非常に珍しい例である。


「…しかし、彼の場合、フォードの悲劇により、疎開していた妻、兄夫婦、そして故郷であるフォードの民と、全てを失いました。彼は両親をも数年前に亡くしております。」

 そうして、ノワールはルテル家の直系血族で、ただ一人の生き残りとなってしまった。


「国が混迷する中、彼は側近として国の中枢の仕事を担っていたため、その心労も重なっていたのだと思います。しばらくは仕事以外のことを考える余裕もなく寝る暇もなく仕事に追われることで、逆に自分を保てていたのでしょう。しかし、国内全体がようやく落ち着きを見せ、同時に仕事も落ち着いて過去を振り返る時間ができてしまった。結果、徐々に心のバランスが崩れていってしまったのではないかと。」


 当初フォード領は、亡くなった伯爵家当主の兄に代わり、弟のノワールが今の職を辞して、爵位と共に引き継ぐ予定だった。


 しかし、彼は側近として非常に有能であり、そして国内全体が混乱の時期だったため、今抜けられては困ると王太子殿下から直々に引き留めにあう。代わりに分家筋のヴェルゴ子爵家のユベールが長年兄の補佐をしていたことから、ルテル家の爵位はそのままに、ヴェルゴ子爵家が代わりにフォードの領地を治めることとなった。

 その際、宮廷貴族となったノワールは、フォード領地にある伯爵邸もユベールの一家にそのまま譲り渡すことにした。彼は故郷の様子が気になっていたのか、フォード領にやってきては、元伯爵邸に住む唯一の親族ともいえるユベールの元を訪れていた。


 最初はもちろん、彼も従兄弟が領主となったことを理解していたし、何か手伝えることがあれば、とユベールに対し気遣いの言葉すらかけていたという。


 しかし、いつの頃からか、自分は宮廷の職を辞し、当主を引き継いだのだと思考が捻じれていく。

 

 当主のユベールを家令扱いし、子爵家の使用人を伯爵家の使用人として扱う。さらに、一番奇妙であったのは、ユベールの子供であるユリウスのことを一切認識しなくなったことだった。


「彼には私の息子、彼にとっては従甥であるユリウスの存在がわからなくなってしまったようでした。」


 それまで可愛がっていたユリウスに対し、そもそもそこに存在しないかのように振る舞う。いくらユリウスが彼に話しかけても、まったく聞こえていない素振りをする。ノワールのあんまりな態度に、何度も強く抗議した。

 しかし、いくらこちらがノワールの態度を非難しても彼は聞く耳を持たない、それどころか、ユリウスとは誰のことだ?と、彼の認知は明らかに正常のそれではなかった。


「ノワールが今の状態になってからは、息子は別邸に避難させています。」

「賢明な判断ですわね。」

 ヴェルゴ家は子供を含め皆別邸に移り住んだようだった。そのためアリスは昨日今日とユベール以外の子爵家の人たちと遭遇することが無かったのだろう。


 彼は懺悔をするかのようにテーブルの上の手を強く握りしめ話を続けた。

「…私がノワールの行動を黙認していた理由は二つあります。一つは、フォードの悲劇の際、私は補佐の仕事をしていたにもかかわらず、何も力になれなかった。その負い目があります。もう一つは、お恥ずかしい話ですが……彼は何事においても、非常に能力が高い。平日は私が領主の仕事をするのですが、週末になると、彼は私に代わりそれら全てを難なく引継ぎこなしていく。ご存じの通り、一時フォード領は荒廃し、いまだに復興中です。しかし、この一年、彼が週末に領主として振る舞うようになってから、急速に街の機能が回復し始めました。」


 疫病で人口が激減した街に人を呼び戻すための施策、空き地や空き家の整備・活用、これまで無かった診療所の設置計画など、ノワールはユベールが纏めた現状の問題を把握し、それに対し次々と計画を立て実行に移していく。

 決してユベールの領主としての腕が悪かったわけではない。彼が有能過ぎた。


「この状態が異常とわかりつつも、気づけば、私は彼に依存しておりました。」

「…そうだったのですね。」


 気持ちはわからなくもない。領地の復興が早く進むに越したことはないのだから。

 しかし、彼の認知の歪みは相当なものだ。自身の虚言を全て行動に移してしまっている。


「一つ確認なのですが、伯爵閣下からユベール様に、亡くなられた奥様のお話をされたことがありますか?」

 侍女のカリンの話では、彼は亡くなってしまった奥方の話は全くしなかったとのことだったが。


 ユベールは記憶をたどるようにしてしばらく沈黙し、それから口を開く。

「まだ彼が正気だったときも、そして今も、ノワールから亡くなった奥方について話が出たことはありません。もちろん、私や他の者から話題にのぼることもありましたが、彼の口からそれらについて語られることはありませんでした。」

「なるほど。」

 やはりノワールはカリンだけにではなく、他の者にも奥方の話はしていないようだ。


「それに、伯爵家の霊廟が敷地内の外れにあるのですが、ノワールはまだ一度も足を踏み入れたことはないそうです。」

「元伯爵家侍女のカリンさんからも聞きました。彼女の夫のラザロさんが管理をしているとか。」

「はい、彼は伯爵家の元家令です。今は引退してそちらの管理にあたっています。もし気になるようでしたら、ラザロの今住んでいる場所をお教えしますので会いにいかれるとよいでしょう。」

 ちょうどカリンにラザロに会いに行くことを相談しようとしていたところだ。子爵の申し出はありがたかった。


「ぜひお願いしますわ。わたくしは伯爵閣下が戻られるまでの間に、彼が歪んでしまった原因について情報を集めようと思っています。そのため、屋敷の者や、貴方様のご家族にこうして話を伺う時間を設けていただくかもしれません。その場合はどうぞ、ご協力のほどよろしくお願い致します。」

「勿論です。殿下からも、あなたに協力するよう命じられておりますので、必要あれば何でもおっしゃってください。」

「お心強いお言葉感謝致します。」


 話に区切りがついたところで、アリスは残っていたお茶を飲み干し、席を立つ準備をする。が、その前に大事なことを確認し忘れていたことに気づく。


「あの、最後にもう一つ確認なのですが。」

「なんでしょうか。」


私は首をかしげながら彼に尋ねる。




「閣下は何故、あんなにも自分の容姿を太っていると思い込んでいるのでしょう?」







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