表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/7

1.嫁に来ました

短編のつもりが長くなり過ぎたので分けました。明るい(?)題名のわりに、暗いお話になってしまいましたが、よろしければお付き合いください。




『旦那様ったら、毎晩こんな夜中に食べてたら、あっという間にブタさんになってしまいますよ。』

『体型は維持しているように気を付けているが・・・君はブタになった俺は嫌?』

『あらあら。まん丸のお腹になった旦那様も見てみたい気もするわ。きっとあなたのファンは泣いちゃうと思うけれども。』

『君は俺の一番のファンだろう?俺は君に泣かれるのは嫌だから、そうならないよう努力するよ。』



―――暖炉の明かりが灯る部屋で会話をしたのは、一体いつのことだったろう。






「わたくし、ドルー家が次女、アリスと申します。どうぞ、アリスとお呼び下さい。」

  

 伯爵邸のサロンにて、アリスと名乗った女性が親しみを込めた笑顔をこちらに向け挨拶をする。

 そして、その可愛らしい口からとんでもないことを言い出した。


「王太子アダム殿下の勅命により、貴方様…ノワール・ルテル伯爵閣下の妻となるためこちらに参りました。これからどうぞよろしくお願いします、旦那様。」


「へ?」


 正式にはノワール・フォード・ルテルだ、略すな。

 いや、ちがう、大事なのはそこではない。

 ・・・旦那様?

 

「旦那様?おれ、いや、私が?」

「はい。」

「それで、妻?君が?」

「はい。」

 彼女は短い返事をニコニコと返してくる。


 なぜに???


 ルテル家とドルー家が懇意にしていたかと言うと、個人的な付き合いは全くなかったはず。

 自分は伯爵位こそ持っているが、バツイチであり、治めている小さな領地は、数年前の疫病の流行のおかげで治安が悪化し、いまだに色々大変な状態だ。

 彼女からしたら、何のメリットも無さそうな自分の元に、何故わざわざ王太子の命令で嫁に来る必要がある?

 

「わかった、デブ専か。」

「いいえ。」

 違うのか。

 ()()()()()引かないからそういった趣向なのかと思った。


 自分の目線を足下にやると、どん、と突き出た存在感のあるお腹が見える。ベストのボタンが悲鳴をあげている。苦しい。

 そう、俺は、率直に言って、大変なデブである。

 身体は以前より三倍ほど横に広がってしまったため、アリス嬢が後ろに立ったら、彼女はすっぽり隠れてしまうだろう。


 数年前までであれば、自分はそれなりに優良物件であったと思う。王太子殿下の側近として王宮では重用されて、王都にはまあまあ大きな邸を構えていた。

 そしてその頃は見た目もすっきりしていたので、今の100倍はマシだったと思う。(今は見る影もない)

 が、妻と兄夫妻を同時に亡くして以降、伯爵家を継ぐため、王宮の職を辞した。

 身近な人たちの死に悲しむ間もなく、慣れない領地経営に追われるうちに、身体にはいつのまにか肉がずっしりたっぷり付いており、気づけば五年の月日が流れていた。  

 今の自分が王都を歩いても、きっと誰もがノワール本人だと気付かないに違いない。


「その、勅命って、本当に?」

「はい。」

 自分にはそんな命令を受ける覚えが、全くこれっぽっちも露ほどもない。


 いつもであれば、先触れの時点で客人を追い返しているところだったが、家令のユベールがあまりにもごねるから、会ってみたらこれだ。

 しかも、彼女は侍女や護衛を一人も伴わず、馬で単身乗り込んで来たらしい。どんな訳あり令嬢なんだよ。


と、ここまでのことを頭の中で高速で考え、極めて冷静にお断りの文言を告げる。


「…申し訳ないが、私はそのような命を受けた覚えは一切ない。何かの間違いだ、お引き取り願おう。」

 さあ、間違いだと言ってくれ。


「いいえ、間違いではありませんわ!確かにわたくしはノワール・ルテル様、貴方に嫁ぐように、と命を受けております。」

「ノワール・フォード・ルテルだ、ご令嬢。」

 だから、ミドルネームが足りてないから!


 この国では領主の場合、名前・領地名・爵位名で名乗る。仮にも嫁ぎに来たのなら覚えてきなよ…。さり気なく名を訂正するが、全く聞こえてないようだ。


「あらまぁ、王太子殿下からは話がついてるとのことでしたのに。では、こちらをご覧くださいな。書簡を預かってきております。」


 そう言うと彼女は封蝋が施された書簡を渡してきた。印は確かに王家のもの。宛名も我が家となっている。

 あぁ、嫌な予感しかない。おせっかいな元上司兼悪友の悪い顔が浮かんだ。


 書かれていた文字はただの一文。



『ドルー家のアリス嬢に全てを任せる。』



 続きがどこかに書いて無いか、日に透かしてみたり、裏面を入念に確認してみたが、日付と殿下の署名以外は何も書かれていなかった。思わず空いてるほうの手で頭を掻きむしる。


 言葉が足りなさすぎる…!


 暗号か、暗号なのか。

 任せるとは書かれているが、妻云々については一切書かれていない。


 やはり何かの間違いでは?明らかにこのご令嬢、俺よりかなり年下でしょ。俺はもう28だよ。彼女から見たら、28なんておじさんでしょ。

 あ、あれか!もしかして何かの罰で結婚を押し付けられたのか?どこかの国で流行ってるらしい、婚約破棄からのちょっと難ありな所への強制輿入れというアレ。

 受け入れる側にとってはめちゃくちゃ失礼な話だと思うんだが、そこんとこどうなんだ。


「失礼ですが、ルテル伯爵閣下。今のセリフ、口から全て出てしまってます。」

 アリス嬢の冷静なツッコミを華麗に無視して、やんわりと彼女の言う命の内容を否定する。


「悪いが、こちらの書だけでは、何とも言えない。アダム殿下には急ぎ詳細を確認をする。数日要するだろうから、このままお帰り頂くことを勧めるよ。確認した内容については後日連絡を」

「…せっかく、お嫁さんとして遠路はるばる来ましたのに…」

 アリス嬢の目にはみるみる内に涙がたまっていく。そして、いそいそとハンカチを取り出し顔を伏せてしまった。

 やめて、泣かないで、こちらが悪いことをしているみたいじゃないか!


「…か、もしくは、しばらくの間だけなら、客人としてこちらに滞在して貰っても構わないが…」

「はい!喜んで!それではご確認が取れるまで、有り難くこちらに滞在させて頂きますわ。」

 食い気味の返事と共に勢いよく上げた顔は、満面の笑み。さっきまであった涙はどこにも見当たらない。

 してやられた!絶対に最初から世話になる気だっただろ!


「ところで、」


 うなだれている俺に、完全に機嫌を取り戻したアリス嬢が声をかける。

「わたくしが正式に貴方様の妻と認められた暁には、そのお腹を触らせてくださいまし。」


「は、?」

 思わず表情が消えた。





「あらま、聞こえなかったようなので、もう一度。はしたなくて申し訳ございません、貴方様のお腹に触れさせてくださいませ。」

 アリス嬢は顔を赤くしながら、俺のお腹をガン見している。


 はしたないというか、とてつもなく失礼というか。変な趣向…いや、やっぱりデブ専なのか、このご令嬢。

 

「んんん?あなたはふくよかな者が好きなのか?」

 言葉を言い換えてみるが、彼女は不思議に首をかしげる。


「…ええと、申し訳ないが、あなたの願望は叶えられそうにない。」

 そう言いながら、ユベールに客室を整えるように指示を出す。軽く流せた俺、エライ。


 アダム殿下への事実確認の間と言ってみたものの、彼女は本当にそれまでここに居座る気なのだろうか?ドルー家の面々はそれでいいのか?


「あなたの家にはこちらから何か連絡を入れたほうがいいだろうか?」

「いえ、我が家への連絡は結構ですわ。」

 いいのか、いや、ダメだろ。

 後でお宅のお嬢さんを一時的に伯爵邸で預かっておりますと一筆書こう。


 メイドが新しいお茶を入れたタイミングで再度確認する。

「それで、あなたは何故アダム殿下から私と結婚などという血迷った勅命を下されてしまったのか、いや、下されてないにしても何故そう思い込んでしまったのか、その経緯を聞いても?」

「血迷ったなどとおっしゃらないで下さいな。この度の件は、先の流行り病への貢献に対する褒美として、わたくし自身が願ったものでございます。」

「先の流行り病への貢献…ああ、そうか。君はドルー一族と言っていたな。」



 今からおよそ八年前のこと。

 ある疫病の急激な流行により、国全体が恐慌状態に陥った。


 最初は地方のある村から広まったと言われており、村から村へ、村から町へ、そして瞬く間に王都まで感染が広がるのに時間はかからなかった。

 感染初期はミミズ腫れのような(あざ)が全身に表れる。(あざ)は痒みを持ち、発症者は血が噴き出すまで掻きむしる。

 それと同時に高熱、場合によっては呼吸器症状が現れ、感染から一週間もしない内に死に至る。


 この疫病は不治の病として、国内および近隣国に古くから恐れられていた。しかし今回の規模ほどのものはこれまでに例が無く、あっという間に貴族平民関係なく、大勢の人の命を奪っていった。

 特に、フォード領では感染爆発が起こり、他の地域と比較にならないくらい甚大な犠牲者が出た。人々はこの出来事のことを“フォードの悲劇”と呼んだ。

 諸外国にも協力を仰ぎ、治療法や予防法を探しが、感染者の隔離以外、有効な手立ては一向に見つからなかった。その上、感染を恐れた諸外国が国境を封鎖し始める事態にまで陥っていく。


 しかし、急な大流行からわずか三年ほど経った頃、事態はようやく収束の兆しを見せ始める。ドルー家の一族がワクチンの開発に成功したのである。ドルー家はこのワクチンを国の医療機関で国民全員分生産すること、さらに無償提供することを条件に、権利ごと国に譲渡。全国民に対しワクチン接種が提供された結果、この感染病による混乱は終息していった。


 現在この病はドルー一族の貢献により予防法は確立されたが、未だ治療法は見つかっていない。そのため、この国では出生者全員にワクチンの接種を義務付けるようになった。


 

「……あなた方一族のおかげで、多くの命が助かった。私からも、改めて礼を言わせてもらう。」

「とんでもございません。我が一族はただ我ら治癒師としての役目を全うしただけのこと。ここだけの話、この通り、個人への褒美を頂いておりますし。」


 ドルー子爵家はこの国の中でも重要な役割を担う医学に長けた一族である。彼らは自身のことを"治癒師"と呼称する。ワクチンの件だけではなく、これまでも彼らは医療を通じて国に貢献してきた。その数々の功績を鑑みて、国はより高位の爵位を授けようとしたが、「権力に興味はない」と歴代のドルー当主にかわされ、現在も下位貴族として独特のポジションを築いている。

 権力に興味はないが、その他の褒賞は喜んで受け取るらしい。アリスの話から、今回、一族としてではなく、個人に対して何らかの褒美が出たようだ。


「しかし…正直に言うと、あなたに褒美として強請られる要素は一つもないと思うのだが…私は元既婚者で、しかも、うん、見た目はこの通り残念なものだし、あなたと私は今日初めて会った。それに、当主の私が言うのもなんだが、フォード領はこれといった特産物も無く、森しかないような小さな領地で、今もまだ復興中だから経営も安定してると言い難い。一応私は伯爵位ではあるが、ドルー一族はそういった権力に興味がないと聞くし…」


 自分で言ってて悲しくなってきた。

 しかし、本当に思い当たる節がない。


「そうですね…この要望はわたくしの個人的な感情で成り立っております、とだけ。」

 そう言って口を閉ざす。これ以上この場で理由を話す気はなさそうだ。


 ちょうど会話が途切れた頃、ユベールが戻ってきた。客室の準備が終わったらしい。

「部屋の準備が整ったようだ。荷物はそこに運ぶよう指示してある。何かあれば、その辺の使用人に申し付けてくれ。ああ、一応家令のユベールを紹介しておこう。あなたが今日初めて屋敷に来た時に、すでに顔を合わしているとは思うが。」

 そう言って、ユベールにアリス嬢に挨拶するように促す。


「ルテル伯爵家の家令のユベールと申します。以後お見知りおきを。」

「ご丁寧にありがとうございます。しばらくお世話になりますわ、ユベールさん。」


 簡単な挨拶が終わったところで、席を立つ。

「では、申し訳ないがこの後執務があるので、一度失礼する。晩餐は一緒にとろう。うん、まぁ…なんていうか、ゆっくりしてくれ。」

 本当はお引き取り願いたいが、建前上くつろいでと言わざるを得ない。

「お気遣い感謝致します。しばらくの間、お世話になりますわ。願わくばこれから先も、、、」


 彼女の最後の言葉は聞かなかったことにして、ユベールを伴い部屋を後にした。





 ノワールと別れた後、アリスは急遽用意して貰った客室にて荷解きをしていた。

 荷物は驚くほど少ない。元より、嫁に来た!と言っても本気と受け入れられないことは分かっていたため、馬に乗せれる分の最低限の荷物しか持ってきてなかった。


「あれは重症ね~・・・それで以て、噂通り、容姿はかなりインパクトがあったわね…」


 誰もいない部屋で一人呟く。


(でも、我がドルー一族に治せないものは無いもの。しっかりやり遂げないとね。褒美も貰いたいし。それに、さっき一番大事なことをお伝えできたわ。何にも響いた様子は無かったけど…)


 荷物の整理を終え、ベッドに倒れこんで一息つく。

 以前ここに来たときは、この部屋は隔離場所として使用されていた。壁紙を貼り替えたのだろう、雰囲気が変わっている。


 ノワールには伝えなかったが、アリスがこの屋敷を訪れたのは実は二回目である。


 前回来たのは六年近く前なので、そのときはノワールの兄が伯爵家当主としてこの屋敷にいた。その際、王都にいたであろうノワールとは会っていない。

 疫病の蔓延でフォードが壊滅的な状態になった際、屋敷の面々も入れ替わったのだろう。当時は初老の男性のラザロが家令をしていたはずだったが、ユベールという三十代半ば程の男性に代わっていた。


 目を閉じると、一気に疲労を感じ、眠気が襲ってくる。このまま眠ってしまいたい気持ちに駆られながらも、なんとか気力を保つ。


 (晩餐の時間までに、()()()()()()()()()()()少しでいいから情報を手に入れとかないと)


 アリスは眠気と戦いながら身体を起こし、扉に向かう。そして開けた扉から少し顔を出し、廊下を見渡した。とにかくこの屋敷に仕える者なら誰でもよいから、主人であるノワールの話を聞きたかった。


 (誰か通りかからないかしら……あ!)


 偶然にも、以前この屋敷で会ったことのある侍女の姿を廊下の端に見つけ、客室に入るよう手招きする。


 アリスは一人掛けのソファに腰を下ろし、部屋に入ってきた侍女に向かって声を掛けた。

「ご無沙汰しています、お元気そうで何よりだわ、カリンさん。」

「またお会いできて嬉しゅうございます、アリスお嬢様。すっかり大人の女性になられて。客人がしばらく滞在されると伺ってはいたのですが、アリスお嬢様のことだったのですね。」


 前にこの屋敷で彼女に会ったとき、アリスはまだ少女と言って差支えない年齢だったが、覚えてくれていて何よりだ。いろいろと説明の手間が省ける。


「まだどれくらい滞在できるかは決まっていないのだけど、しばらくの間お世話になります。それにしても、あの時にいた使用人の中で、今もこの屋敷にいるのはカリンさんだけかしら?」

 念のため、今の屋敷の使用人の状況を確認する。


「はい、今残っているのは私だけとなりました。家令を勤めておりました夫のラザロも引退し、今は墓守りをしてのんびり暮らしております。」

 やはり家令は代替わりしていたようだ。ラザロにも後日挨拶に伺わねば。


「それでアリスお嬢様、何か御用があったのでは?」

「ええ、少し伯爵閣下のお話を聞きたくて。」

「私でよろしければ、何でも聞いてください。」

 そうカリンが答えると、アリスは先に約束をとりつける。


「その前に、わたくしがここに来たことがあるということは、伯爵閣下にはまだ内緒にしていて欲しいの。わたくしとあなたが面識があるということも。」


 アリスの提案に、カリンは頷く。

「はい、承知いたしました。」

「ご協力感謝するわ。では、早速なのだけど…」

 やや声のトーンを落として尋ねる。


「伯爵閣下が()()()()になってしまったのはいつ頃かしら?およそ一年ほど前から特にひどくなっていったと伺っているのだけど。」


 遠回しな表現はせず、聞きたいことをストレートに伝えた。

 すると「ご存じでしたか。」と驚いた様子を見せ、カリンは組んでいた手を強く握りしめた。


「はい、その通りでございます。アリスお嬢様は…どこまでご存じなのでしょうか。」

「概ね、かしら。一年前から顕著になったとのことだけど、それ以前は何か兆候は見られた?例えば彼が伯爵位を継承した時期とか。」


「ノワール様が伯爵を継承された時期というと、およそ五年前のことですね。当時私は療養中だったので、ノワール様は度々お見舞いに来てくれていたのですが…その頃は、特に変わった様子は無かったように思います。お聞きになっている通り、()()()()()()()()()()()()()()()()()()のは、ここ一年のことですので…」


 と、そこまで言った後、すぐに訂正が入った。

「あ、いえ、一つだけ、心当たりがあるかもしれません。」


「心当たり?」

「ええ、以前から気になっていたのですが、おそらく五年前に伯爵位をついで以降、ノワール様から亡くなられた奥様のお話をされたことは、私の知る限りただの一度もございません。まだ奥様のことを引きずられているのかと、こちらから話を振ることもしなかったのですが…しかし、奥様の侍女を勤めていた私に対しても、不自然なくらいに話題に上がらないのです。」

 確かに、亡くなった妻の侍女を勤めていた彼女に、思い出話としても妻の話を一切しないというのは不自然なように思えた。


 ノワールが()()()()()()()()()()()のは、亡くなられた奥様が関係している?


「なるほど。ちなみに、閣下は家族の墓参りには?」

「いえ…私の夫が時折伯爵家の霊廟の前を管理のため訪れているのですが、ノワール様が中に入られた形跡はまだ一度もないと、度々ぼやいていました。」


 そこまで言った後、一度言葉を切る。

「ご本人はもちろんのこと、()()()()()()()、そして屋敷の皆も、そろそろ限界のように感じます。どうか……どうか、閣下を、ノワール様をお救い下さい。」

 彼女は涙ながらに、その切実な願いをアリスに訴えた。





 晩餐の時間になり、食堂に降りてみると、すでにアリス嬢が廊下で待機していた。

「すまない、待たせしてしまったようだ。」

「いいえ、わたくしも今来たばかりですわ。ご相伴預かりありがとうございます。」


 自分が食堂に足を踏み入れると、アリス嬢も後に続き、指定された席に座る。今日の食事の内容はスープ、メイン、パン、以上である。


 俺はこんな体型なのに、内容の質素さに、さぞガッカリしたに違いない。


「ここ数年で、食料も安定してきて安心ですね。」

 ところが、アリス嬢は文句を言うでもなく、寧ろメインに肉が出てきたことに感動しているようだった。


「ドルー家の一族は各地に点在していると聞くが、あなたが住んでいた地域は…なんというか、無事だったのか?」

「無事かどうかというと…食料に関してはどこも似たり寄ったりだったと思いますわ。私の家族は一族の中でも巡回医として生計を立てていますので、国内各地を巡ってはその惨状を見て参りました。特に隣国と国交断絶状態になった年は物価の高騰がひどくて、店に食料は並んでいるのにみんながみんな痩せ細っていくという地獄のような状態でしたわね。ですがこの通り、無事だったからこそ、今こうしてこの場にいるのですわ。」


「すまない、食事中に話す内容では無かった。いや、食事中でなくとも触れるべきでは無かったな…申し訳ない。」

 最低な話題の振り方だった。時を戻してやり直したい。


「いいえ、何も問題ございません。ところで、明日は領内を見て回ろうかと思うのですが。」

「残念だが、お勧めはしない…まだ治安が安定していると言い難い。護衛をつけられるといいのだが…」

 護衛をつけたところで、少し不安が残る。仮にも彼女を預かっている身として、アリスには伯爵邸の敷地内で大人しくしていて欲しかった。


「そうですか。では屋敷の周りを散策でもして過ごそうかと思います。」

「そうだな、それがいい。それと・・・急で申し訳ないのだが、明日から五日ほど王都に行く予定がある。その際、殿下にもあなたの褒美だとかいう勅命の件について、直接確認しに行くつもりだ。」

「承知致しました。わたくしはこのまま滞在していても?」

「ああ、かまわない。客人を残して留守にするなんて非常識であるとはわかっているんだが…」


 本来であれば有り得ないことだが、だからといってこちらの予定を変更することもできない。急に訪れてきたのは彼女のほうなのだから、我慢してもらう他ない。


「いいえ、突然押し掛けたのはわたくしですもの。留守を預かる位の気持ちでいます。」

「本当に申し訳ない。何にもないところだけど、のんびりしてほしい。」

 寧ろ暇になって、家に帰ってもらってもいいくらいだ。


「ありがとうございます。ちなみに王都へはどうやって?馬車で迎えが来るのですか?」

「いいや、馬で一人駆ける。もちろん、私の体重を支えられるくらいの丈夫な馬だよ。」

「伯爵閣下の体重を支えられる馬なんて、この国には履いて捨てるほど存在しますわ。」


 いや、捨てるほど存在しない。割と貴重だと思うよ。


 会話が途切れたので食事を進めていると、アリス嬢が再度口を開いた。

「この伯爵邸には今は閣下おひとりで住んでらっしゃるのですか?」

「いや、使用人たちも一緒に住んでいるから、厳密に言えば一人ではないな。」

「寂しくはございませんか?」

「今のところ問題ない。」


 目の前のやることが多すぎて、孤独を感じる暇もない。


「私と家族になったら楽しいと思います。」

 思わずスープを吐き出しそうになった。


「しれっとそういうことを挟まないで。」

「閣下が不在の間、わたくしは伯爵家のご先祖の方たちに嫁に来ましたとご挨拶をしたいのですが、よろしいでしょうか?」

「よろしくない。先祖の墓は親族以外立ち入り禁止だ。」

「あら残念。」

 すぐに引き下がる感じからして、アリス嬢も本気で言った訳ではないようだった。


「王太子殿下から勅命を受ける際、閣下のことをいくつかお聞きしております。一年ほど前から、閣下は領地のためプライベートを犠牲にするほど多忙を極めており、しかしそのおかげでフォードの街の復興が着実に進んでいるとか。本当に素晴らしいことですわ。」

「まぁ…そうだな、しばらくは寝る間もないくらいに忙しかった。今も大して変わらないが。」

 ここ数年は睡眠不足が続いている。こんなに忙しくしているのに、なんで痩せないんだろう…


「どうぞご自愛くださいませ。ところで、閣下が伯爵位を継いだのは五年前と伺っておりますが、なぜここ一年で急激に忙しくなってしまったのでしょう?もし理由があるのであれば教えていただけませんか?わたくし、貴方様のお力になりたいのです。」


 アリス嬢の言葉を聞いて、突如思考がストップした。


 ・・・あれ、なんでだっけ?


 確かに五年前に亡くなった兄から伯爵位を継承し、領地もそのときに譲り受けた。まだ領地の仕事に慣れていなかったから、当時の方が忙しくあったはずである。特に、疫病が終息を迎えたあたりの後始末が大変だったと記憶している。なんで今になって仕事に追われているんだろう?

 考え出すと、少し頭が痛んだ。


「特に明確な理由はないが…」

 自分でもわからないので、うやむやに返事をする。

「そうですか。もし、わたくしでお手伝いできることがございましたら、なんでもお申し付けくださいね。」


 そんなこんなで、軽い会話をはさみながらも、淡々と食事を終え、俺は自室へ、彼女は客室へと戻っていった。

 

 (疲れた。)


 食事でさらに重くなった身体を、どすんとソファに預ける。

 久しぶりに仕事以外のことで考えることができてしまった。

 嫁に来たというアリス嬢のことや殿下の謎の勅命のこと…

 晩餐を共にして感じたことだが、彼女は自らが望んだと言う割に、自身にはそこまで興味がないように見えた。


 本当に彼女は嫁になるためここへ来たのか?もし違う目的だとしたら、一体何をしにここへ来たんだろうか?


 (いや、今はいい、深く考えないようにしよう。明日からは王都だ。()()()()()遅れることがあってはならない…)


 そうして目を閉じ、意識を手放した。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ