【漫才王になろうGP】アナザーストーリー もふもふ王国
――その日。芸能界が、お笑い芸人たちが、揺れた。
「速報です。人気お笑い芸人の松薔薇太志さんが、自宅で亡くなっていることが判明しました。現場には遺書が残されており、自殺との推測が――」
『松薔薇死にます。ほなさいなら』
お笑いの巨星、松薔薇太志の突然のスキャンダル。そして死。
このニュースに動揺しない者はいなかった。そして、多くの影響が出た。
松薔薇太志の出ていた番組は内容変更を余儀なくされた。他の大御所芸人たちも不自然に口をつぐみ、そして若手芸人たちにも避けられない出来事が起こる。
漫才王GPの中止。
誰もが目指していた。誰もが憧れていた。年に一度、必ず巡ってくるチャンス。
それが、消えた。
「マジかよ……」
「中止!?」
「うわー」
「ありえん。なんでなん……」
「ほんま、ほんまに……俺のラストイヤーが……」
若手芸人たちの嘆きの声。出場資格がある、誰もが絶望した。
しかし彼らは折れなかった。再びチャンスは来る。そう信じて、己の芸を磨き続けた。そして、チャンスは再び訪れた。
漫才王になろうGPの開催。
この一年で芸能界の力関係は大きく変わった。漫才王になろうGPもまた、制作陣や審査員の刷新が行われている。
しかし、それがなんだというのか。
俺たちがすべきことは、ひとつ。
ただ、見せつけるだけ。
俺たちが、一番、おもしろい!
その頂点に立ったコンビの名は……
『優勝は! もふもふ王国ー!』
26歳の二宮と、24歳の神埼。若手男女コンビによる漫才が、王の座を射止めた。
ファーストラウンドからトップバッターの重圧と共に出て、そのまま一位の座を誰にも譲らなかった。
その強さは、まさに絶対王政。王の名に相応しい振る舞い。
細かなギャグの連続と、それを包み込むように組み立てれられた全体の構成の巧みさが、審査員たちの心を掴んだ。
その瞬間のふたりは。
「ぃやったー! わーい! やりましたー! ひゃっほー! いえーい! うおおおおおおおお!」
「ちょっと落ち着け」
喜びを爆発させる神埼と、笑みを浮かべながらも相方を制する二宮。普段の漫才をしている時と同じ関係性が、漫才の外でも繰り広げられていた。
そんなふたりの、大会の舞台裏は。
「無理だー! 絶対にあっちの方が面白い! 負けたー!」
二次予選。ネタを披露した後の舞台袖。スーツ姿の神埼が床に転げまわっている。
「もうおしまいだー!」
「ほら。周りの迷惑だから。立て。行くぞ」
「二宮さんはなんで平気なんですかー!?」
「俺たちの方が面白いからだ」
神埼をなだめる姿。これが普段のふたりだ。
「神埼はさ、バカなんですよ。それも規格外の。で、バカはバカなりに静かにしていれば、まともに見えることもある。けどそれが出来ないんですよね」
ファイナリストになり、優勝した場合はアナザーストーリーがあるから密着させてくれ。スタッフがお願いしたところ、二宮は快諾してくれた。
「いいですよ。俺の家も見ます?」
気さくに招いてくれたのは、都内にあるワンルームのアパート。駅から歩いて15分ほど。
「学生時代から、ずっとこの家ですよ。売れたら、もっといい家住みたいなとは思ってます。散らかってますけど、どうぞ」
散らかっている。彼の言葉には嘘がなかった。
床一面に散らばる本や漫画や雑誌。それから服。
部屋の隅にも本が山のように積まれていた。
「漫才書くための資料です。大学入るまで本ってあんまり読んだことなくて。世間も知らなかった。本屋行って面白そうって思った本を片っ端から買って読んだりとか」
「本棚を買って整理しようとは思わないんですか?」
スタッフの質問に、二宮は苦笑した。
「買ってもすぐに埋まるし。本棚買うお金ももったいなくて」
漫才の研究に真摯。そう言えば聞こえはいいが、それだけではないという雰囲気もある部屋だ。
散らかっているのは本だけではない。細々なグッズや、服なんかもある。部屋の隅には埃が溜まっている。
「掃除は苦手ですね。散らかっているのは、正直それです。掃除する習慣がなかったから。虫が出るようになってからは、ゴミだけはちゃんと処理するようになりましたけど」
キッチンにも埃や汚れが目立ち、積極的に自炊している様子はない。
「そういう感じです。生活力ゼロですよ、俺は。神埼はバカですけど、俺も実は人のことを言えません」
「では、もふもふ王国って」
「駄目人間の支え合いですよ」
彼もまた、相方がいなければ立ち行かない。そんな想いを抱いているのが伺えた。
「俺の家ならいくらでも撮ってください。神埼の家はあんまり撮れないでしょうから」
にこりと笑う二宮。その言葉の意味を、スタッフはすぐに知ることとなる。
東京都大田区。田園調布。
高級住宅が立ち並ぶ一角に、その豪邸は建てられていた。
「ここがわたしの家です!」
神埼に案内された先にあった豪邸は、持ち主の意向で中の撮影はNGだという。
「お父さんが駄目って言うんですよね。お母さんは良いらしいんですけど。お屋敷を持ってるのはお父さんなので」
中に入って話を聞くことができない上、高級住宅街の路上にずっと留まるわけにはいかない。
近所のカフェに場所を移すことにした。オープンテラスの雰囲気のいいカフェは、飲み物も高め。神埼はウェイトレスに、いつものとだけ告げた。
漫才の舞台でバカな面を見せつけ笑いを取る彼女が、プライベートでは庶民とは違う世界にいることを見せつけられた。
「お嬢様、なんですか?」
「んー。自分でもよくわかってないです。小さい頃からそうだったので」
「お父さんは、何を?」
「商社で働いているって聞きました!」
そう屈託なく話す神埼の姿は、いつも見慣れたものではあった。
「確かに思い起こせば、小さい頃からあちこちに旅行に連れて行ってもらってましたし、夕飯は豪華だったなって。大人になった今から考えれば、恵まれてたのかなーって思います。それができるだけのお金を稼ぐの、大変ですから」
しみじみと語る神埼の様子は、まだどこか浮世離れした雰囲気でもあった。
あの豪邸が神埼の生家。子供の頃から活発で、勉強よりも体を動かす方が得意だった。
この手の家のお嬢さんにありがちなこととして、習い事はいくつも通っていたという。けれど。
「なーんにも長続きしませんでした。ピアノもバイオリンもバレエも。スポーツ関係の習い事は怪我すると危ないからって言われて、させてもらえませんでした。まあやったとしても、ルール覚えられなかったとかで、やっぱり続かなかったでしょうけど!」
屈託のない笑顔で語る。
この性質は小さい頃から続いていたものらしい。
「友達は多かったですけどねー。いい子ばかりでした。勉強はずっとできませんでしたけどね。あ、それから」
付け加えるように言った。
「親から、テレビはあんまり見せてもらえない生活をしてました」
ずっとこんな調子で、神埼は大学に進学した。そこで二宮と出会うことになる。
一方の二宮の生まれは、神奈川県横浜市だ。
「横浜って聞いて、みなとみらいを思い浮かべると思います。みんな好きだよな。確かに横浜の象徴だ。横浜の、一番綺麗な場所。けど俺の地元は、市内にあるドヤ街でした。……この令和の世でも、日雇いで生活してる奴がいる。そんな日雇い人夫の子供が俺だ。両親のどっちも生活能力がなかったから、散らかり放題の家で育った」
それから二宮は、散らかった今の自分の住まいを見つめて。
「血だな」
自嘲するように呟いた。
「ドヤ街ってのはスラム街とはまた違うんだけど、でも似たようなものと思ってくれればいい。まともには生きていけないろくでなしが集まる場所だ。無気力が支配する街。汚いおっさんどもが集まってダラダラと話しているのをあちこちで見かける。酒やタバコや風俗の話だ。そんなもん、すぐに中身は尽きるってのに、同じことを延々と話すんだぜ。まあ、酒やタバコなら合法だから、まだ理解できる。……明らかに違法なもの吸ってる奴もいた。それも、俺と同じくらいの歳で」
そう話す二宮は、自分の口調が幾分ぶっきらぼうになっていることに気づき、咳払いをした。
「そんな環境で、一生を終える気はありませんでした。脱出するために、実家から出るために、必死に勉強しました。大学は東京の、実家から離れた所に行こうと。神埼に会う前の俺はそんな感じです」
それから二宮は、ふと付け加えるように言った。
「テレビは好きじゃなかった。やたらキラキラしてて、出てくる人たちみんな幸せそうで。余計に自分が惨めになるから。親はよく見てたけれど」
こうして二宮は大学に入った。神埼と出会う二年前のことだ。
「まあ、大して偏差値の高い大学じゃなかった。神埼でも入れるくらいだって言えばわかりますよね」
「ええ、まあ」
「しかたないですよ。必死に勉強したと言っても、元々の環境が違う。それに学費だって親は出せない。俺が自分で稼がなきゃいけないから、バイトを必死にやった。ドヤ街の子供が行ける、精一杯のランクの大学です」
遠慮がちに頷いたスタッフに、二宮はわかっているという風に語った。
「そうやって入った大学でも、俺は浮いていた。やっぱり、東京の外から来たお上りさんっていうの、わかるんですね。それで敬遠されることもあった。でも、俺は大学に勉強しに来たわけで、特に気にならなかったです」
「学生の本分は勉強ですからね」
「周りの学生を見ても、そうは見えませんでしたけどね。大学の図書館とか行ってもガラガラ。だから落ち着いて勉強できた。読書にハマったのもその頃です。読めば読むだけ、新しい知識を手に入れられる」
再び、周りに散らばった本を見つめる。学びの楽しみの延長がこれだ。ドヤ街の出身の貧乏人は、こうして知識を手に入れた。
「神埼に出会ったのは、三回生の春。だから神埼は、入学した直後だったかな。大学の中でナンパされてたんですよ。正確には、サークルの勧誘のしつこいやつ。あいつ顔だけはいいから、自分のサークルに入れたいって強引に誘おうとした奴がいるんですよ」
「なるほど……」
「神埼の方も、親からは言われてたんだろうな。変なサークルに巻き込まれないように断ってたんだけど、逃げるって選択肢が頭の中になかったらしくて困ってた。だから声をかけたんです」
「それは親切心から?」
「それも少しは。実のところ、俺も神埼のことかわいいとは思いましたから、下心もあった。だから神埼がお礼にとカフェに誘ってくれたのも断らなかった」
少しばつが悪そうに語る二宮。しかし、これが運命の出会いだった。
「すぐに、神埼は信じられないほどのバカだとわかった。そして人がいい。頼みもしないのに、こっちの身の上話をペラペラ喋る。ほんと、危ういですよ。筋金入りの箱入り娘。これは誰かが守らないと、騙されて酷い目に遭う。……それからこうも思った。この女は、今のままでは一生社会に出られない」
その意味をわかりかねたスタッフに、二宮は続けた。
「簡単なことですよ。神埼には、商社のお偉いさんの父親みたいな会社勤めはできない。働くのに向いてなさすぎる。そんな女がこれから辿る人生といえばひとつしかない。結婚ですよ。親父さんが部下の中から将来有望な男を見繕って、嫁に行かせる。お婿さんは親父さんと同じく出世して、高級住宅街の豪邸を買う」
「そういうものですか」
「そうなるはずです。神埼の母親がそうであるように、この人生が悪いものかと聞かれたら、そうとは限らない。けどさ。神埼が良い妻、良い母として幸せな人生を送れるとも思わなかった」
遠慮のない物言い。スタッフは彼の説明に、苦笑するしか出来なかった。
彼の言っていることが正しいと思ったからだ。
「だから神埼が神埼として世の中に出られて、真っ当に良い人生を送るには、俺の力が必要だと考えました。神埼の家族には無理だ。友達も、所詮は親に大学に行かされた、何も考えてない奴らだけ。俺だけが神埼を助けられる」
そして、彼は笑う。
「俺も、こんなしょぼい大学をトップの成績で出たとしても、その後の人生なんかたかが知れてる。家のコネとか無いですしね。ドヤ街から出られただけでも十分かもしれないかもしれませんけれど、もっと上を目指してもいいかも。神埼は、世界一かわいい以外に取り柄のない女。けど、これは武器にもなる。俺なら、それをうまく使える」
だから二宮には、神埼が必要だった。
一方の神埼は。
「二宮さんは、わたしとは全然違う世界から来た人で。すごく話が面白くて。それに物知りでした。二宮さんが、今の暮らしとは全然違う所に連れて行ってくれるの、ちょっとワクワクしました。たぶん二宮さん以外だと、わたし世間に出るのは無理だったと思うので。なにより、世間から守ってくれる人が出来たのが嬉しかったです。わたしバカなので」
お互いに、この相方でしか駄目だった。
バカと貧乏人の逆襲が始まった。
このふたりが活躍する場は、ひとつしかなかった。神埼はよく知らず、二宮も嫌いだった、お笑いの世界。
「お笑い芸人は、世界で唯一バカであることが美点になる仕事だ。他はない。それに神埼の言動は、見方によっては面白くなる。あとは俺がネタの構成を考えて漫才にしていけばいい」
故に、二宮は漫才のやり方を学んだ。
過去の漫才師のやり方を研究して、自分たちに合った方法を模索していった。
その考え方はどこまでも理詰めだった。
「バカな神埼に俺が振り回される構図。とにかく神埼の姿を見せるためにボケの数を多くして、引き込ませる。で、全体の構造で工夫した所を見せて、客に感心させる」
「伏線回収というやつですね」
「そう。お笑いのファンがありがたがるやつですね。俺としてはそんなに好きではないですけど」
「そうなんですか?」
「面白くないじゃないですか。"なるほど"と思っても、それが即座に笑いに繋がるとは限らない。うまくやらないと、考えて、なるほどそうなんだと思って、それで終わり。客に考えさせる漫才は、相当面白く作らないと駄目なんですよ。ストレートに変なことを言って勢いよく突っ込んで笑わせた方がいい」
「でも、もふもふ王国の漫才は伏線をよく使いますよね?」
「そう。構造を作り込むというのも、それに繋がっています。そういうのが好きなお笑い評論家のためです」
「評論家?」
「ええ。本当に評論で飯を食ってる人だけではなく、お笑いファンの中でもネタの分析をするのが趣味な人。趣味まではいかなくても、このネタはこういうのだから面白いのだなと心の中で分析して悦に入る人です」
それはつまり、一般的なお笑いファンたちのことではないだろうか。
「そうですね。いや、いいんですよ。分析するのは。ひとしきり笑った後に、何が面白いのか考えて改めて笑うっていうのは、いいじゃないですか。けどそもそも、世の中には評論家気取りが多いんです。お笑い以外の分野で、という意味ですけど。各分野や業界に詳しくて、それについて得意げに解説する人が多い。みんな憧れてるんですね。世界中の誰もが語りたがっている時代です。動画やSNSで語る時、人は自分が賢いと自覚する。そこに快感がある」
例えば教養系YouTuberなんかだろうか。
「多くの人は解説する側に回れはしない。俺も含めてです。けど、その快感を味わいたいと思う。そこでお笑いです。漫才を見て、それがどう面白いのかを語るくらいなら、誰にでも出来る。特に、バカと思われている芸人には上から目線で講釈を語れる。そして次もやりたいから、もう一度もふもふ王国の漫才を見ようとして、そしてSNSなんかで感想を語る。そういう人たちの人気を得るという戦略もありました」
売れるための戦略として、彼は人の心理まで利用しようとしていた。
「漫才王になろうグランプリの審査員もそうです。漫才師経験者だけではない。アイドルも映画監督もいる。漫才師相手だと、話術とか笑いどころの言葉選びだとかを見られるんですけど、そうではない職業だとまた違う。物語を作ることを生業にしている小濱さんは、全体の構成をみるでしょう。綺羅さんはそれこそ、伏線の回収を喜びそうだ」
その作戦は見事に当たった。
「面白かったよ、君たちの漫才」
セミファイナルの本番が終わった後、審査員の小濱小判が二宮にそう語りかけていた。
「ネタを作るのは君なんだろう?」
「はい。俺が作っています」
そんな会話を少しして、別れる。それだけのやりとりだが、二宮には確かな期待を感じさせるものだった。
「そういえば、もふもふ王国って、名前の由来とかはあるんですか?」
ふとした疑問を尋ねてみた。
「わたしがもふもふってつけました! なんかこう、好きな言葉だったので!」
神埼のフィーリングが炸裂していた。
「王国の方は二宮さんがつけました」
「……神埼の面白さを見せるのが漫才のメインテーマ。ここは神埼の笑いが支配する領域だぞという意味を持たせたかった。つまり範囲を持つ言葉です。候補には、もふもふランドとかもふもふシティとかがあった」
「王国にしたのは?」
「支配者という意味合いが強そうだから。王様は神埼なんです」
そんな王を頂いての挑戦は、漫才の仕事という意味では順調だった。
神埼には華がある。事務所に所属してからの営業の成績はいい。名前を売るためにYouTubeのチャンネルを作ったところ、それも多数の登録者数を記録した。
「神埼がかわいい。顔目当ての視聴者も大勢いました。それでいいんですよ。その人たちが、俺たちの漫才面白いぞって思ってくれたら、名前が売れる」
実力は確かにあった。けれど実力だけで売れる時代ではない。
相方が神埼だから売れる。狙い通りに成功した。
「漫才師として食えることは証明できた。けど、このまま続けていくかどうかの、最大の難関がありました」
「お父さん、こういうのに厳しいから」
そう。神埼の家庭事情だ。
「俺の方から、神埼の家に言って説明しました。緊張しましたよ。あんな大豪邸。本当に、住む世界が違う人間がいるんだって。けど、俺も引くことはできない。……娘さんを俺にくださいって言ってるようなものだけど、やるしかない」
「お父さん、かなり怒ってましたねー。お父さんには内緒で漫才始めたので。ネットの動画見せたら驚いてました。今すぐやめろと言われました」
けど、やめなかった。
「ひとつは、かなり儲けが出てたこと。親に経済的に依存する必要がなくなったから、言うことを聞かなくても良くなった。それから」
「お母さんが、やればいいよって言ってくれました!」
「たぶん神埼の母親も、神埼には自分とは違う人生を送ってほしかったんだと思います。自分の力で生きてほしい。ドヤ街から来た貧乏人の俺も受け入れてくれた」
部屋の天井を眺めながら、遠い目をした。
「お腹がすいたらいつでも来なさいって言ってくれて。料理をご馳走してもらったりして。家庭料理っていうやつを初めて食べた。なんというか、ようやく自分の人生が始まった気がした」
二宮にとって、その存在の大きさはどれほどであろうか。
もふもふ王国は人気を手に入れた。あとは、名声だけだ。
その名の通りの王であるための称号。漫才王の座。
「松薔薇さんの死と、その後のゴタゴタについては、俺は静観していました。事務所も違うし、下手に関わらない方がいいと思ったから。元々こっちはテレビよりは、ネットの活動メインにやっていたし。でも、吉原でも伊達さんのクリスタルエデンでもない事務所の芸人が、漫才王になった方が面白いに決まっている。だったら俺たちが勝てばいい」
新たにメディアを牛耳ろうとした伊達によって鳴り物入りで開催された新たなる大会。確かに、吉原とクリスタルエデンの対決と世間は見ていた。
そして、そうはならなかった。
もふもふ王国は順調に勝ち進んでいった。事務所の力ではなく、純粋な実力で。
セミファイナルでも、その強さは十分に見せつけた。トップバッターの重責にも負けなかった。
「でも、神埼さんは焦ってましたよね?」
「いや。あれはあいつの平常運転だから」
スタッフの問いかけに、全く感慨もなく答える二宮。
「もう駄目だー! あの人たちの方が面白い! やだー! 負けちゃう!」
後続のコンビたちがネタを披露するのを暫定ボックスで見ながら、神埼は常に騒がしかった。
椅子ではなく床に崩れ落ちて、二宮の膝に顔をうずめていた。
「ほら。スーツ汚れるから。あとメイクも崩れるだろ。座ってなさい。点数出たぞ。俺たちの勝ちだ」
「やったー! でも! 次こそ負けそう! やだー!」
この繰り返しで、そしてふたりは勝った。
最終決戦の相手は瑞祥。その印象を神埼は語る。
「綺麗な人だなーって思いました。ネタも面白いし」
二宮の場合は。
「強敵だ。華があるし、ネタもしっかりしている。なにより、審査員が向こうを推している雰囲気が感じられた。アウェーでの戦いになるなと。だから審査員の評価を分析してネタを改良して、全力で立ち向かった」
その結果が優勝。
「その瞬間、何を思いましたか?」
「感謝です! 漫才やるの許してくれた、お母さんとお父さんに!」
「俺は……なんだろうな。なぜか故郷の街を思い出した。あそこから、よくここまで、きらびやかな世界にたどり着けたなって。しかもその中心に立っている。ガキの頃の俺が見たらどう思うかを考えていました」
こうしてもふもふ王国は、名実ともに王者となった。
王は忙しい。マネージャーの電話は鳴りっぱなしになり、そこから朝まで寝ずにあちこちを駆け回る。
朝の情報番組にも生出演して、ネタを披露したり感想を聞かれたり。
家に帰れたのは、大会翌日の昼だった。
テレビ局が用意した車の後部座席に、ふたり並んで座る。
神埼は疲れすぎたのか、既に寝息を立てていた。体を隣の二宮に預けている。
「ふへへ……勝ちましたー……」
そんな寝言を口にする神埼を見る二宮の視線は、どこまでも温かかった。
ふたり、同じ場所に帰る。神埼の屋敷だ。
「ほら。ついたぞ。起きろ」
「ふぁーい」
二宮に支えられながら歩く神埼。
玄関先に、母親の姿があった。
「お母さん。勝ったよー」
ずっと支え続けてくれた母親に、真っ先に駆け寄る神埼。二宮もまた、後ろからついていく。
王者たちの帰る場所が、そこにあった。
<終>