逃亡
――翌朝――
「居たかぁーーー?!」
「いや! 此方には居ない!」
「エレノワ様は何処へ行かれたのだ…ッ?!」
大聖堂に響くは、聖騎士の焦る声。
朝の祈りに出席予定のエレノワが現れず、朝食時世話係のロザリーが朝食を受け取りに来ないことから、両名が居ない事が発覚した。
聖騎士及び神官が周辺を捜索。
大聖堂で働く侍女に2人の部屋を確認させると、着る物など数点物が無くなっていることが判明した。
報告を受けた教皇は、部屋に居る人達に気付かれないよう溜め息を吐き、頭を抱えたくなった。
世話係りのロザリーはいいとして、エレノワが姿を消したのが問題だ。
エレノワは中立都市リリューネのシンボルとも言うべき存在。
神々が愛した女神の生まれ変わりとも称され、エレノワ見たさに礼拝へ来る者も居る程だ。
そのエレノワが不在となっては、民衆は愚か大聖堂に多額の寄付をしてくる貴族に示しがつかないどころか、寄付を打ち切られる恐れだってある。
数日であれば体調不良で押しきれる自信はある。
しかし、その間に見付けることが出来なかったら?
恐ろしい未来を想像し、教皇の額にうっすらと冷や汗が出た。
「ラファエル」
「はい。教皇様」
部屋の中心に居るラファエルを呼ぶ。
ラファエルは一歩前に出ると、祈りの様に両手を前であわせ背を低くした。
「エレノワ様を直ちに見付け連れ戻すのです。まだリリューネからは出ていないことでしょう。貴方には聖騎士とエレノワ様捜索の全権限を与えます」
「はい」
「但し、エレノワ様には傷一つ付ける事のないよう、細心の注意を払って対応なさい。あの方に傷などあっては、貴族や民衆を敵にまわす恐れがある…くれぐれも気を付けるのです」
「―――神の御心のままに…」
その様子を静かに見守っていた一人の司教が、恐る恐る発言の許しの意とし右手を伸ばした。
「何か意見がおありですか? マクガディ司教」
「っ……そ、その…! もし、万が一エレノワ様が見付からなかったら我々はどうしたら、良いのでしょう…!? 」
その発言を聞いた室内の何人かは、同じ様な考えだったのだろう。教皇が何を言うか固唾を呑んでいるのが分かる。
皆が皆、エレノワの所在よりも自身の保身を心配する。
それは暗に、エレノワに頼りきり何もしていない事を示唆することに他ならない。
そんな簡単な事も分からない者達に、教皇は吐き捨てるかのように言った。
「見つからなかった事を考える暇があるなら、一人でも多くラファエルに協力しエレノワ様を捜索したらどうです。司教の名を頂いておきながらこれとは…返す言葉もありませんね」
いつもの柔和な教皇は何処へやら。
呆れたと態度表し、マクガディ司教他数名はびくつき、それを見て教皇は溜め息を吐いた。
これで何度目だろうか。
こめかみを押さえ、苛立つ心を静めようとするが、一向に治まる気がしない。
「皆よ、解っていますね。くれぐれも悟られぬよう慎重に行動するのです。教会の者以外知られてはなりません」
その後、室内に居た者達は各自持ち場に戻った。
そのまま仕事を継続する者。
エレノワの捜索隊に加わる者。
独自にエレノワを捜し、功績をあげようとする者。
その他様々な思惑が交錯する中、一人ラファエルは教皇と共に室内に残っていた。
「ラファエル……これを―――」
教皇は立ち上がると、室内の書棚から古ぼけた箱をラファエルに差し出した。
一見すると只の箱である。
「教皇様、これは…?」
「時が来れば役に立つだろう…それを使うかどうかは―――」
「私次第、という事ですね」
「そういう事になる。開けるのもその時がきた際開けなさい」
これで話しは終わりだと言うように、ラファエルに背を向けた。
誰にも見つからぬよう、大きく広がった袖の中へ箱を仕舞うと、教皇の背に向かい一礼をし部屋を後にするのだった。
†-†-†-†
―――その頃、エレノワとロザリーはと言うと、女神の話しが終わるや必要最低限の荷物を鞄に詰め、街娘の様な簡素な服装に着替えると誰にも見付からないよう大聖堂から抜け出したのだった。
そして二人は今、街の中心地に位置する場所の地下を移動している。
「エレノワ様、そろそろ抜け出したのが分かる頃でしょうか?」
「…恐らく、今は朝の礼拝の時間なはずだけど、私が礼拝に出ない事は稀にあるもの。うまくいけば朝食の時間までは時間稼ぎが出きるはずよ」
たまに面倒さくてサボっていたのが功を奏したわね。
ま、只の寝坊なんだけど。
それにしてもこの地下、何処まで続いているのかしら?
女神様の話では、街外れの民家に続いているとの事だったけど…
二人は少しでも距離を稼ぐ為、夜中から朝方にかけて地下の中を歩いていた。
地下と聞いていただけに中は暗いと思っていた。
しかし、予想に反し地下の中は松明が壁に沿って付いているのでは?と思ってしまう程、歩くのには困らない明るさがあった。
「それにしても―――ホント不思議ですね」
そう言ってロザリーは壁に手をあてた。
岩と土が混ざったような壁にうっすらと輝く苔が生えていた。
それが、壁一面に生えておりエレノワ達を照らしている。
「これも女神様の恩恵って事かしら」
「エレノワ様丁度いい岩がありますわ。そこで少し休憩しませんか?」
ロザリーが指した先に、腰を下ろすには丁度良さそうな岩が幾つか転がっていた。
その辺りを見ると通ってきた道幅よりも広い空間がそこにはあった。
何度か休みはしたが、足を伸ばして休むことは出来なかった。
岩に腰を下ろし、歩き疲れた足を労り撫でるように揉んでいく。撫でるだけでも痛いけれど、揉んでいくうちに少しだけ疲れが取れたような気がした。
「ロザリー疲れてない?」
「平気ですよ。エレノワ様こそお疲れではありませんか?」
「私もまだ平気。……それにしてもこの地下道、まだ続くのかしら?街外れにある民家ってだけしか情報ないし…いったい今はどの辺りなの」
はぁ…と大きな溜め息を吐いた。
あの時女神は――――
『地下道をずーっと進むのよ~、一本道だから突き当たった先の隠し扉の奥にある梯子で上に出れるわ!地下道って言っても灯りはちゃんとあるから安心してね』
本当に女神か。と突っ込んで仕舞いたくなる能天気な話し方に、やっぱりいい印象を持てない。
私の女神への心証は未だに低いままだ。
女神が言っていた灯りとは、この光る苔の事だろう。
でも如何せん、突き当たらない。突き当たらないことには、隠し扉の梯子も見付けることは出来ない。
本当に女神を信用して良かったのだろうか。そう思っていた時だ。可愛らしい声が私達に話し掛けてきたのは。
【ローズさまつかれちゃったの?】
【もうすこしでつくよー】
緑色の光を纏わせた妖精が、頭上でヒラヒラと飛んでいる。
今日で二度彼等に会っている私は然程驚きはしなかったものの、ロザリーは初めて妖精に会ったという事もあり、目を見開き静止しただただ驚いているのが分かった。
―――そういう反応になるわよね。
私もそういう風に反応してみたかった。
まぁ、ちょっとだけなっていたかもしれないけど…礼拝の場だったし表立って表情に出せば妖精がはっきり見えるとバレる畏れがあったから我慢したけど。
「もう着くの?」
【うん!】
【すぐつくよー】
【こっちこっちー】
と二人の妖精は休んでいる私達を無視する形で、出口まで案内し始める。
ロザリーと目で合図し、妖精の後を追うことになった。
「…ちょっと待って……っ!」
思いの外、妖精はとても速く疲れきっていた私達は、妖精達を見失わない様にするのが精一杯だった。
でも妖精がすぐと言うだけあって、然程歩くこともなく目的の行き止まりまで来ることが出来た。
【ここ!】
【ここがでぐちだよー】
「ここ?」
「隠し扉があるはずですよね」
私達は女神が言っていた隠し扉を探した。
狭い地下道だけあって、壁を手探りで探していく。
すると直ぐにその隠し扉は見つかった。
ただ苔で覆われた壁は、只の行き詰まりにしか見えなくて隠し扉があると聞いていなければ、出口が見付からず戻っていたかもしれない。
「エレノワ様私が前を行きますので、後ろから来てください」
「ありがとうロザリー」
梯子を登ると木で出来た天板があった。
ロザリーが軽く押すだけでその天板は持ち上がり簡単に動かすことが出来た。
数時間ぶりの地上の空気!!
ずっと地下道を通っていたこともあり、解放感に溢れていた。
地下道を歩いてた時、私とロザリーは地上に出て安全が確認出来たら、とりあえず横になって寝たいと話していた。
女神が小屋に出ると言うのなら、どれだけ小さな小屋でも寝具の一つや二つあるだろう。という私達の推測である。
まぁ無かったら、雨風凌げて横になれるだけでも良しとしようと冗談交じりに言っていた。
そんなどうでも良くてくだらない話をしていなければ、ただひたすらにいつ着くかも分からない地下道を進むことは出来なかったから。
私達が出た場所は、どうやら小屋の地下にあたる部分のようで、更に上へ続く階段が目の前にあった。
扉を開けると朝日が登り終わり、九の鐘が鳴り始める頃だった。
この時間であれば、そろそろ居ないことがバレる時間だろう。
小屋の中は簡素な造りだった。
とりあえず、ロザリーと手分けして小屋の中を確認していく。
暮らすには最低限の物が揃っていて、暫くの間此処に居ても問題なさそうである。
「エレノワ様、中は殆ど確認し終わりましたので外を見てみませんか?」
その提案に是と応え、外に出ると想像していた景色とは程遠い光景が広がっていた。
―――あの女神…街外れの民家って、言ってたよね
「それがどうして森の中なのよーー!!?」
私達が辿り着いた場所は、街外れもいいところ外れの外れに位置する"霊峰山の麓"だった。