少女エレノワ
―中立国家 都市=リリューネ―
丁度、国と国との境目、その中心にその都市は栄えていた。
四つの国を繋ぐ大事な関門としての役割をも担っている。
中立の立場を貫く為、国としてではなく都市として全ての人種を受け入れていた。
「おや? ロザリーそんなに慌ててどうしたんだい?」
ロザリーと呼ばれた少女は、走るのをやめ呼び止めた人に顔を向けた。
「レミーおばさん! おはよう! これから礼拝なのに寝坊してしまったの」
そう言った少女の手には、礼拝で使われる本とお供えの花束があった。
「そりゃ大変だ! 間もなく鐘が鳴るよ、お急ぎ! あぁ、ロザリーどうせ朝ごはん食べてないんだろ持っていきな」
「ありがとう!!」
レミーから包みを受け取ると手提げ袋にしまい、ロザリーは大聖堂へ走り出した。
小高い丘の上に建つ大聖堂[ルミナス・プリエール]
都市の何処からでも分かる程の大きさで、中央都市のシンボルとして存在している。
その大聖堂までの道は、小高い丘の上に建っていることもあり緩やかではあるが、登り坂になっていた。
毎日通っているロザリーでさえ、坂道を走りながら登るには体力の限界があった。
もう少しで、という所で無情にも礼拝の時間を告げる鐘の音が鳴り響いた。
「あぁー!! ロザリーに怒られるー!!」
少女はありったけの力を振り絞り、大聖堂へ急ぐのだった。
し、失敗した…!
昨日の夜、とても面白く続きが気になって書物に夢中になり過ぎた。
あれだけ口酸っぱく今日の礼拝には遅れるなと、ロザリーに言われていたのに。
こんな日に限って寝坊するなんて…!?
……うぅ、お説教…何時間だろう。
力の入らない足を叱咤し、大聖堂の裏側へ廻ると小さな人一人通れる扉の前で、人が周り居ないことを確認し中へ入った。
少女は小走りながら周囲に気を付け、ある一つの部屋の前で止まった。
――――ふぅ…
小さく息を吐き、扉を叩こうとした時だ。
ガチャリ…
目の前の扉が不意に開いた。
「…あ」
――――死んだ。
ふと、そう思った。
だって、ロザリーの背後に地獄とデーモンが見えたんだもん。
ニコニコ顔でいるロザリーの時は一番危ない。
何が危ないかって、それは…口に出来ない程の…ちょっと考えるの止めよう。
早く部屋に入らないと見つかるし色々ヤバい。
だから覚悟を決めて中に入ると…
「貴女という人は!? 今何時だと思っておいでですか! あれだけ…"今日だけ"は今日だけは遅刻せぬようにと申し上げましたのに!!」
「……ご、ごめんねロザリー」
「今は貴女がロザリーでしょう! 誰が聞いているか分からないのですから!」
「うぅ、ごめんって」
「はぁ…兎に角急いで着替えを。もうすぐ、教皇様が来られますよ。昨日食べたクイニーにあたってお腹を下してる事にしてますから、話を合わせてくださいね」
な、なんて事を言ってくれちゃってるんだ!
確かにクイニーにあたったことはあるけど!
言いたいことはいっぱいあるけど、折角時間を稼いでくれたんだから早く着替えなきゃ。
いそいそとやたら裾の長いドレスの上からこれまた長いローブを上から羽織、首もとで結ぶ。結んでいた髪をほどき左側に流して右耳にイヤカーフを付けていく。イヤカーフには繊細なデザインが彫り込まれ、細い鎖の先端には赤い石が嵌め込まれている。
ドレスはシンプルながらに刺繍が施された大変美しいドレスである。
ロザリーも今しがた私が着ていた服に身を包むと私の残りの着替えを手伝いだした。
既に何度も着替えている服だけに一人でも着替えは出来るけど、今は緊急事態だ。少しでも時間が惜しい。
「…と、変身呪文解いてください。いつまでワタシになっているつもりですか」
あ、忘れてたわ。
言われて気付いた。
慌てすぎて解除してない。映し硝子にはロザリーが二人。
このまま教皇が来たら、確実に抜け出していたことがバレる。
「βΦκωλδ」
足元からフワリと光が浮かび上がり、全身を包み始めた。
時間にして数秒と言うところだろう。
一般的なブロンドの髪から白銀の中にピンクローズが混ざった髪が左右に一束ずつ、背中まで伸びた髪が現れる。
瞳も髪色に近いが白銀部分は光の加減で淡い碧にも見え、中央にいく程ピンクローズになっていく。
しかし、少女は解除が終わると続けざまに…
「ΦИЖЁΨβππΨΔηΩΨε…εΦΨΩδ」
掌に集まった光を目元に翳す。
すると少女の瞳の色が変化し、アクアブルーとなった。
「これでよし…と、ロザリーどう? 変なところは無いかしら?」
「…えぇ、問題ありません。いつものエレノワ様のお姿ですわ」
「そう。なら急ぎましょ。教皇が最後の角を曲がったわ」
「ほんと便利ですよね、その能力」
「言う程便利でもないわよ。元の姿に戻らないといけないし、意外と神力使うのよ?」
いけない、いけない。
こんなくだらない話をしてる間に、教皇がもうすぐそこまで来てるじゃない。
エレノワは魔石で飾られたワンドを持つと、ロザリーを連れ部屋を後にした。
部屋から出ると案の定、すぐ目の前まで教皇が聖騎士を伴って来ていた。
「これはこれは、エレノワ様。御加減はもう宜しいので?」
「えぇ…ご心配をお掛けしました」
「それでは急ぎ大聖堂に向かいましょう。皆が待っております」
「私のせいで式を遅らせて申し訳ないことしたわ」
「式は現在、ラファエルが至福の詩を聴かせております故…ご心配には及びませぬ」
「……そう」
これ以上の会話は不要と判断し、教皇と聖騎士、ロザリーと共に大勢の人が待つ大聖堂へ移動を始めた。
大聖堂へは、渡り廊下を通る必要がある。
その渡り廊下から、ふと…何気なく大聖堂の裏側に位置する広場に顔を向けた時だった。
「………」
この大きな大聖堂の裏側には、これまた大きな樹齢五百年とされるソフィテアの樹が都市を見守る様に植えられている。
樹齢五百年を過ぎているから、植えられているというのは可笑しいかも知れないけど。
そのソフィテアの樹に寄り添う様に立つ人が居た。
ほんとただ何気なく顔を向けただけだった。
それなのに、その人は私を見ている様で――――瞳があった気がした。
え…?
瞳があったなんて、ソフィテアの樹までは大分距離がある。
あったと思うには無理がある程の距離だ。
それでも視られてる様な…気付いて欲しいと訴えている様な雰囲気が感じられて、私はいつの間にか歩くのを止めソフィテアの樹を…ほんの一瞬だけど彼を見つめていた。
「エレノワ様? 如何されました?」
「…あ、いえ」
声を掛けられ、ほんの一瞬止まっていた時間が動き出した。教皇に振り向き何でもないと伝え、大聖堂に入る前にもう一度ソフィテアの樹を見るも既に彼は居なかった。
大聖堂に続く舞台裏に着くと、ラファエルが至福の詩最後の一節を詠むところだった。
「カヴァエラより賜ったこの美しき都。我等はその恩恵に預かり賜った。カヴァエラは言う…愛し愛されそして慈しむ心を忘れるなかれと」
大聖堂に響くラファエルの声。
清んだ声は、人々の心を洗うかのようである。
流石、聖職者。とでも言おうか。
最前列に座っているのは、中立都市の有権者達である。
そして後方には民衆が立ち並び、有権者同様にラファエルの声を聞き入っている。
全員が手を組、祈り捧げている。
この日、行われているのは半年に一度の信仰礼拝。
神カヴァエラに感謝し祀る、リリューネに住む人なら是が非でも参加したい礼拝が、大聖堂にて執り行われていた。
「……さぁ、子供達よ神カヴァエラに祈りを捧げなさい。さすればカヴァエラが皆を見守るであろう」
ラファエルが神カヴァエラの映し絵にむかって手を掲げ「γξδην」と呟くと天から光が舞い降りたかの様な幻想的な光景があった。
「さぁ、エレノワ様…皆がお待ちです」
教皇と共に表舞台に出るとラファエルとすれ違った。
「………」
整った顔は天使を連想させるが、ラファエルの心は真逆の堕天使を思わせる腹黒さを孕んでいる。
睨め付ける様にエレノワを見、「フンッ」と人を小馬鹿にし鼻を鳴らした。
いつもの事だ。
ラファエルとエレノワは反りが合わない。
そもそもラファエルが勝手にやっている事で、エレノワは全くもって彼から嫌われるようなことをした覚えがない。
それでも粛々と礼拝は進んでいく。
―――エレノワ…しっかりするのよ。
祭壇の中央まで出ると持っていたワンドを天に掲げ、手首をほんの少しだけ動かした。
すると手首に付けたブレスレットの装飾からシャランと鈴の音に似た音が大聖堂に響き、一振二振する度に反響し一つの曲を奏でている様である。
ラファエルの様に声を出す必要はない。
私はただ只管祈ればいい。
その祈りは―――女神ネメシスへ
この都市が崇めるカヴァエラは、リリューネを創造したと伝えられているけれど、本当は女神ネメシスが神々から逃げる為に創った彼女の庭であり城である。
だから私は声を出さずに女神ネメシスへ祈るのだ。
愛し子なんてクソ喰らえ!
さっさと私を解放しろ!
…と、そう祈ってもネメシスが応えてくれた事はない。
それでも私は私の為に、この忌々しい場所から脱け出せるならば、何度でも暴言という名の祈りを捧げよう。