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シナちゃんの音  作者: 茶内
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1話 母からの連絡

◆◇◆現在◇◆◇




 改札を抜けて十年ぶりに見た藤沢駅ロータリーの第一印象は、「思ったほどは変わってない」だった。


「さて、」と坂間良治(さかまりようじ)は旅行バックを持ち直してタクシー乗り場に向かった。


 先客がいなかったおかげで、到着してから五分足らずでタクシーを迎えることができた。


 乗り場に進入してきたタクシーは良治の前でゆっくりと止まり、後部席のドアを開けた。


 良治は乗り込む前に運転席に向かって「後ろ、開けてください」と告げた。


 初老と思われる運転手は良治が旅行バックを持っているのを確認すると


「あ、すみません」と小声で言いながらボンネットを開けた。


 旅行バックを後ろに積んで後部席に乗りこむと「渡内(わたうち)の公民館に向かって下さい。近くなったらまた指示します」と伝えた。


 運転手は頷いて、ゆっくりと車を発進させた。




◆◇◆◇◆◇


 母から連絡があったのは先月のことだった。


 スマートフォンの着信表示を見た瞬間は、父か兄に何かあったのかと思いつつ話を聞いてみると、母の兄が亡くなったので、彼が住んでいた家の片付けの手伝いに来てほしい、というものだった。


 母の兄、つまり良治の伯父の家には十年ほど前に、半年ほど住まわせてもらったことがある。


 それにしても母から連絡が来るのは何年ぶりだろうか。おそらく父と兄には手伝ってほしいとお願いすることができなかったのだろう。


 あの二人は母のことを見下していた。他に親戚のいない母からすれば良治くらいしか頼る相手がいなかったのかもしれない。正直言うと叔父の家にはあまり行きたくない。しかし、数年ぶりに聞いた母の声はすっかり弱々しくなっていた。そういえば良治が十代の頃、母はずっと自分の味方をしてくれていたことを思い出して、心がほだされた気がした。


「分かった。昼過ぎには行けると思うから」


 スマートフォンの向こう側で、母が安堵のため息を吐いたのが分かった。




◆◇◆◇◆◇


 タクシーに揺られること二十分、乗り込んだ時に指示した公民館が見えてきたところで良治は指示を出した。そこから目的地にはすぐに到着した。


 平屋の木造一軒家の外観は、十年前と何も変わっていなかった。


 玄関の引き戸に手をかけると鍵はかかっておらず、ガラガラと重い音を響かせた。中で動いてる気配がある。約束の時間より少し前だが、母はすでに来てるのだろう。


 良治は大きく息を吸うと、家の奥に向かって「良治だ、上がるよ」と呼びかけると、すぐに返事があった。


「良治、ちょうどよかった。奥の部屋に来ておくれ」母の声は電話で聞いたものよりも弱々しく思えた。


 ※ ※ ※ 


 伯父の家は思っていたほど散らかってはおらず、夕方前にはほぼ片付け終わった。


 母がお茶を入れてくれて、台所のテーブルの上に置いてあったコンビニ袋からお菓子を出して並べた。ここに来る途中買ってきたのだろう。


 母は自分で入れたお茶を一口飲んで、ふうっと息を吐いた。


 片付け作業をしながら話を聞いたところ、半年ほど前に叔父の肝臓に癌が見つかり、すでに手遅れの状態だっという。母は看病からお通夜、告別式を全て一人でこなしたいう。今のため息は全てやり終えた安堵感からのものだろう。


「母さん、いろいろとお疲れさま」


 ありがとう、と母は微笑んだ。その表情を見てすっかり老けたな、と改めて思った。


 ふと、気になったことがあった。


「この家って、叔父さんの持ち家なんだよね?」


 そうだよ、と母は頷きながらお菓子を一口かじった。小さくカットされたカステラだ。


「今後はどうするの?誰かに貸したりするの?」


 叔父は一度も結婚をしておらず、肉親は母だけだったはずだ。


 良治の質問に母は首を振った。


「いや、今のところは空き家のままで、たまに私が掃除に来るしかないねぇ。こんなボロ家を貸し出すワケにもいかないし」


 ふぅん、と頷きながら良治もカステラを一つ口に入れた。


 その時、母が「あ、そうだ」と両手を合わせた。


「良治、この家に住まない?」


 ええ?思ってもいない打診だった。


「あんた、平塚に住んでるって言ったよね。ここから仕事場には通えないのかい?」


「全然通えるけど・・・」


 良治が口ごもった理由は、藤沢市にもう二度と戻らないつもりでいたからだ。


・・・しかし、いま住んでいるアパートはワンルームで、この家とは比べものにならない狭さだ。仕事なんて派遣の交通誘導員だし、家賃の五万五千円が浮く方がよっぽど大きい。


 考えれば考えるほど断る理由がない。


「分かった、ここに住まわせてもらうよ。来月には引っ越すから」


 母は安心したように頷いた。

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