うさぎのねがいごと
「「お腹空いた」」
山で暮らす瓜二つの白兎が揃って雪の上でひっくり返えっています。白い吐息交じりで宙に漂う言葉には切実な願いが込められていました。
「ふう、食った食った」
空腹を訴えた直後に、全く逆の台詞を言ったのは、右隣りでひっくり返っているさっちゃんです。
「食べたって、何を言ってるの? わたしたちこのところ何も食べてないじゃない」
さっちゃんの左隣で空を見上げながら、うーちゃんは尋ねます。
「ほら」
さっちゃんは、前足をぴくぴく動かしながら自分のお腹の方を指しました。
うーちゃんは空を見るのを止め、さっちゃんの方に顔を向けます。
お腹には雪が積もっていました。
雪と体毛に色の違いはほとんどなくて、二羽のお腹は、まるでたっぷりのご馳走を食べた後のように膨れて見えます。
「確かに。わたしたち、とんでもないデブになっちゃったね」
「ダイエットしなきゃだね」
くすくすと笑い合いました。
「じゃあさ、願い事ダイエットにしとく?」
「嫌だよ。これ以上痩せたら死んじゃう」
さっちゃんの冗談に、現実的な答えを返しました。
少しの間沈黙が流れて、うーちゃんは尋ねます。
「流れ星が消える前に、三回願い事言ったら叶うっていうのほんとうかなあ?」
二羽が見上げる夜空には満点の星で埋め尽くされていて、星々の間を縫うように、いくつもの流れ星が降っています。
「あたしは信じてるよ」
「そうなんだ」
「うーちゃんは、信じてる?」
「わたしは、あんまり」
星は綺麗だとは思いますが、流れ星に願いを込めたところでお腹が膨れたり、凍えるような寒さから解放されたりするとは、どうしても思えませんでした。
「でもさ、せっかくだから何かお願いしようよ。こんなに星が流れるなんてめったにないよ?」
「うーん」
ぱっと思いついたのが“にんじん食べたい”でした。ですが、これではあまりにも即物的です。流れ星に願う祈りとしては品がありません。
困ってしまい、ちらりと、流れ星を追うさっちゃんの瞳を見ると、宇宙が映しだされていました。
“さっちゃんが幸せに生きられますように”
そんな願いが心の中に浮かびました。
「さ――」
「さ?」
さっちゃんは続きを促します。
口を閉じました。
こんな恥ずかしいこと言えるわけありません。何か別の願いで誤魔化さなきゃ。
流れ星が現れるその瞬間に願いを――
「イケメン兎とお近づぎぃっ」
寒さで歯が震え舌を噛みました。
さっちゃんは星を見るのもやめ大爆笑し、打ち上げられた魚みたいに跳ね回っています。
「うう、どうせわたしはひとりぼっちで寒さに震えて死ぬんだわ」
台詞を噛んだうーちゃんは、さっちゃんに背中を向けて拗ねてしまいました。
「心まで寒くなっちゃだめよ、あたしがついてるわ、あなたっ」
笑いをこらえきらないままのさっちゃんに、後ろから抱きつかれました。
うーちゃんは、振り払って
「わたしだけ願い事を言うのは不公平じゃない。さっちゃんのも教えてよ」
と詰め寄ります。
「あたしの願いは――」
「願いは?」
今度はうーちゃんが促します。
「――ち―――――――――す―――。う――――――――な――――――。―――――が―――――――――に」
「ちょっと待って、今なんて言ったの」
舌を噛むどころか余り口の速さに目で追うことすらできませんでした。
「秘密」
「ずるいっ。わたしのことあれだけ笑っておいて」
「どうしても言わなきゃだめ?」
「うん」
「じゃあ――」
うーちゃんは今度こそ聞き逃すまいと耳を立てます。
「ほ」
「ほ?」
「ほしがほしい!!」
ひゅう、と二人の間を風が通り抜けました。
「寒いのは風だけにしてもらえる?」
「ごめんね」
「はあ、もういいよ」
二羽はまたひっくり返って星を見上げます。
「すごいね、流れ星」
さっちゃんに語りかけます。たとえ願い事が言えなくても、雨のように降る流星に、心が洗い落されたような気持ちになりました。
「うん」
「流れ星って美味しいのかな」
うーちゃんは、お腹が空きすぎて尋ねました。
「食べてみる?流れ星」
「いいアイデアだね」
「うん、じゃあ行こ」
さっちゃんはそう言うと、空に向けていた足を地面に下ろしました。
「行くって、どこに?」
「流れ星が落ちるところだよ」
◆◆
「ほんと、にっ、あの山頂に、はあ、流れ星ぃ、なんてっ、落ち、てるの?」
先頭を跳ぶさっちゃんに向かって息も絶え絶えに疑問をぶつけます。
流れ星を食べるなんて、冗談を言ったつもりだったのですがさっちゃんの方は本気なようで「山頂に行けば流れ星が落ちてるから」と、うーちゃんを連れ立ったのでした。
「流れ星ってきらきらしてて美味しそうだよね」
疲れさえ見せず飄々とさっちゃんは返しますが、答えになっていません。うーちゃんはあきらめてついていくことにします。
「ほら、ここだよ」
先に山頂について、振り向きながらうーちゃんが来るのを待っていました。
たどり着いた場所には一本の木もなく、辺り一面雪化粧でした。
うーちゃんは息を整えながら、お目当ての流れ星をきょろきょろと探します。
「それで、流れ星はどこなの」
「あれだよ」
さっちゃんは空を見上げます。うーちゃんも同じ場所を見ました。
何かが降っていました。
雪ではありません。
雪も降っているのですが、雪に交じって明らかに別のものが降りてきています。
それは金平糖のような形をしていました。淡く虹色に輝いて、隣に並ぶように降る雪を照らしています。半透明で透けた先の景色が歪んで見えました。
雪の絨毯に落ちると、薄氷を踏んでひびが入ったような音がした後、ぱりん、とひときわ高い音が鳴って消えました。
「きれい。これが流れ星なの?」
「うん」
「雪の上に落ちたら消えちゃんだね」
小さく固めた雪を潰し、その粉が舞うようにして消える虹の粒子を見て、少し寂しくなりました。
「願い事はね、誰かが触れないと消えちゃんだよ」
そう言うと、さっちゃんは手前に落ちた流れ星を、足の裏で救い上げました。流れ星は砕けずに留まっています。
「うん、このお願いは『お腹いっぱい食べたい』だね」
「そんなこともわかるんだ」
「うーちゃんも目を閉じて足で触ればわかるはずだよ」
それを聞いてうーちゃんは、空腹と寒さも忘れて楽しくなりました。
そうと決まればと、目の前に落ちてきた一つに前足を伸ばした瞬間、さっちゃんがとんでもないこと言いました。
「いただきます」
ぱくり。
そのまま口に放り込んでまるで葉物でも食べるように、しゃりしゃりと咀嚼し始めました。
「うっ」
「さっちゃん!?」
さっちゃんは、眉間にしわを寄せ物凄い表情をしています。
「あ」
「あ?」
「味がしない!!」
うーちゃんはひっくり返りました。
「もう、ふざけなでよ!」
「流れ星、絶対美味しいと思ったんだけどなあ。残念」
「はあ、心配して損しちゃった」
うーちゃんは、仕切り直して流れ星を探し始めます。最初に触ろうとした流れ星は砕けて消えてしまいました。
新たに落ちた虹色に前足を伸ばします。
重さはありませんでした。
目を閉じます。
『お母さんが元気になりますように』
うーちゃんは嬉しくなって“きっと元気になるよ”と頭の中で返事をしました。
目を開けて、夢中になって次の願い事に触れます。
『春が早く来ますように』
うーちゃんも同じ想いでした。早くあったかい春が来てほしいものです。
「いろんな願い事があるんだね」
さっちゃんに呼びかけます。
「うん、きっと世界中の色んな誰かがお願い事してるんだよ」
さっちゃんはたくさんの流れ星を積み上げながら答えました。
「あれ、なんで流れ星消えてないの?」
「一度触れた流れ星は、しばらくは消えないよ」
それを聞いて、うーちゃんは閃きました。
「ここの流れ星全部一か所に集めようよ」
さっちゃんは目を輝かせました。
◆◆
山頂の右手はさっちゃん、左手はうーちゃんの担当です。
二手に分かれて、ぴょんぴょんと雪の中を跳ねています。山頂は夜空に浮かぶ流れ星みたいに、あっという間に二羽の軌跡で埋め尽くされました。
それでも、全ての願い事を拾い上げることはできなくて、ぱりん、ぱりんと小気味よい音が鳴り止むことはありません。
二羽は雪に落ちた流れ星を、ひょいっと持ち上げて山頂の中心へ集めていきます。
集まった願いはきらきらと高く積みあがっています。
うーちゃんの足先の感覚は消えつつありました。視界もぼんやりし始め、うまく流れ星をつかめません。
吹き付ける風が強くなり、既に何度も願いを取りこぼしていました。
次の狙いに前足を伸ばしたとき、うまくバランスが保てずに横に倒れました。
「うーちゃん!」
さっちゃんが急いで駆け寄ります。
「さっちゃん、ごめん。うまく体が動かなくて」
「ううん、こっちこそごめん。気づかなかった」
さっちゃんは倒れたうーちゃんを抱きしめました。
「ほら、こうすればあったかいよ」
さっちゃんの柔らかいお腹に包まれました。ふわふわの毛から鼓動がとくん、とくんと伝わります。
「でも、そんなことしたら、さっちゃんが……」
「あたしは大丈夫」
凍てつく風から庇うように抱きついているさっちゃんが答えます。
大丈夫だとは思えません。さっちゃんが震えているのは、凍えて感覚が消えていても分かりました。
「ありがとう」
うーちゃんは、これ以上瞼を開けていられず眠りに落ちました。
◆◆
虹の光で目が覚めました。
積み上げた流れ星が朝日を乱反射して、辺りを照らしています。
照らされて雪の一部が解けていました。
土が顔を出し、そこから生えている草が見えました。
うーちゃんは歓喜のあまり、抱きついているさっちゃんを叩きました。
「さっちゃん、さっちゃん、食べられるものが見つかったよ!」
「早く起きないと私が全部食べちゃうよ?」
うーちゃんは意地悪を言ってみました。返事がありません。
「さっちゃん?」
起き上がって顔を覗き込みます。
瞳から光が失われていました。
「さっちゃん!」
うーちゃんは叫んで体を揺らしました。柔らかかったお腹は氷みたいに硬くなっていました。
胸に耳をあてます。大きな耳をいくら澄ましても何も聞こえませんでした。
そこにはさっちゃんの体だけは確かにあって、それでもさっちゃんはどこにもいませんでした。
うーちゃんは、さっちゃんだったものから目をそらし、呆然と足元の草を見つめました。風で微かに揺れています。食欲の一切が失われていました。
次に、昨晩一緒に積み上げた流れ星を見つめます。
心にぽっかりと穴が開いていても、不思議と美しいと感じました。
うーちゃんは流れ星に願いました。
「どうかさっちゃんを助けてください。助けてください。助けてください――」
何度叫んでも、流れ星はきらきらと輝くだけで返事はありませんでした。
うーちゃんは流れ星の山に近づくと、後ろ足で思いっきり蹴り上げました。
願いはバラバラに砕け、山頂を転がり落ちました。
もう何もする気がなくなって、空を見上げました。雲間から光がこぼれています。
涙はこぼれませんでした。
「あれ?」
うーちゃんはか細い声をあげました。
雲間から差し込む光の筋から、何かが降ってきました。
淡い虹色、半透明の金平糖。間違いなく流れ星でした。
必死で前足を伸ばします。
うーちゃんの前足に確かに触れました。
『うーちゃんが幸せに生きられますように』
ぽたり、と涙が流れ星にこぼれ落ちました。涙が跳ねて虹になりました。目元を必死で拭います。涙を止めようと思っても、さっちゃんと並んで見た流星みたいに降り止むことがありませんでした。
◆◆
うーちゃんはさっちゃんを地面に埋めました。
バラバラなった流れ星も、うーちゃんがくれたもの以外は全部拾って山頂のあらゆるところに埋めました。
さっちゃんを埋めた土の上に、さっちゃんがくれた流れ星を置いてみます。
朝日が反射して綺麗ですが何かが違うような気がしました。
「いただきます」
うーちゃんは流れ星を前足ですくいあげ口の中に入れました。
「さっちゃん、味がしないなんて嘘ついちゃだめだよ」
流れ星は涙の味がしました。
◆◆
うーちゃんは、毎年春になると山頂を訪れます。
さっちゃんと一緒に集めて、うーちゃんが最後に埋めた流れ星は芽吹いて、お墓の周りは満開の花畑になりました。
今年もさっちゃんの願いが叶ったことを報告します。
“さっちゃん、元気ですか。わたしは今、幸せです”
おしまい