拝
この大学は山の上に建てられており、景色はいいのだが学内においてかなりの高低差が生まれているのが難点である。そのことが起因し死角が多く、人があまり寄り付かない場所が多くあった。普段そのような場所に寄り付かない大樹だが、傷心中の彼は好んでそういった場所を訪れていた。
しかし、ここ数日の日課になりつつあるこの場所への来訪は、奇妙な人だかりによって邪魔されることになる。
どことなく民族衣装を思わせる衣装を身にまとった大学に似つかわしくない男。そしてその怪しげな男の両脇を固める剣吞とした雰囲気を出すスーツの男。そんな異色の三人組を前に学生が十五人ほどいた。堪らず、うわあ、と声が出てしまいそうになるような、明らかに宗教の集会現場。それが大樹の出くわした集団であった。
「星野先生の奇跡にあやかりたい者は早くここに。もう間もなく始まりますよ」
脇を固める男が言う。大樹もまともな精神状態であれば、この場をすぐさま離れていただろう。
しかし、彼はそうしなかった。
何でもいいから縋り付きたいと集まる人々と同じようにその集会に近づいていくのだった。それを確認しスーツの男は静かに告げる。
「こんにちは皆さん。今日はここへ来ていただけた皆さんだけに特別、星野先生の奇跡を見せていただけます。これから始まることは種も仕掛けもない本物の奇跡なのです」
男の静かな語りは、これから始まることが神聖なものであると感じさせるものだった。言い換えるならば、いよいよこれは不味いと感じさせるものであるのだが男の不思議な魅力に引き付けられているのか、大樹は足を動かさなかった。
そんな男の狂言に群がる学生らの姿は、深夜暗がりの中ぽつんと立つ街頭の光に引き付けられる虫のようであった。目を、不安をその強烈な光量によって真っ白に眩ませるような、そんな存在が彼らには必要なのだろう。それが彼らにとっては星野と呼ばれる怪しげな格好の男であった。
スーツの男の一人が「星野先生お願いします」と告げると星野はゆったりと一歩踏み出した。
「さて、私は星野と言います。以前より私のことを慕っていただいている皆様お久しぶりです。そして、初めましてそこの貴方。今回私の力を用い皆様の願いを叶えようと思いやって参りました。」
星野は集まる人々の顔を見渡しながらそう言い、大樹には怪しげな笑みを浮かべ歓迎した。
「先ほど私は願いを叶えると言いました。しかし、それは私一人ではできません。皆様の協力が必要なのです。さて皆様、これから言う事を守って欲しい、それが協力なのです。まず目を瞑って、叶えたい願い事を思い浮かべてください。さてここから三つの事を言います。皆さんにはこれに従って願い事を思い浮かべて欲しいです。一に具体的な願い事な願い事でなければなりません。例えば愛が欲しい、のような曖昧なものはダメです。それは誰からの愛なのか、そういったことを思い浮かべてください。二に、その願いが叶うまでの思い浮かべてください。これができない願い事はだめです。総理大臣になりたいと願うのならば、そこに至るまでの自身の道筋を具体的にイメージできなければなりません。先の例えからならば、どのようにして思い人の愛を手に入れるのかということですね。そして最後三つ目です。その願いをあなたが本当にどうしようもなく叶えたいと願っているかどうか」
「この三つが重要なのです」と星野は言う。
何とも信じられない話であった。しかし、このようなバカバカしい話なのに集まった人達は熱心に聞いていた。教授の話だってこれ程熱心には聞かないだろう。
「さあ皆様、頭の中に叶えたい願いを思い浮かべてください。先ほど私が話した三つの約束事を守って思い浮かべて下さい」
そこまで言うと星野は大きく、ゆっくりと息を吸い込み、そして厳かに両手を広げていく。
「思い浮かべられたでしょうか。さぁ、願って願って。叶えと願って、ありったけの願いを祈って。叶えと願って」
彼の両手から烏を思わせる長い袖が、だらりと垂れていた。それによって彼の姿は大きく映えた。やがて、その広げた両手を祈る人々に向け何やらうなり始める。
彼の声は地の底から響く地鳴りの如く、体の芯を震わせるものであった。そしてその芯からの震えはやがて意識をも震わせ、眩暈を引き起こし始める。やがて、閉じた瞼の先に広がる暗闇がその深さを増してきた頃、星野により手打ちがされた。
「貴方たちの願いは叶います。先ほどの約束を守っていれば必ず叶います。さて今回はここまで、またいずれどこかで会いましょう」
そう言うとスーツの男たちと共に星野は去っていく。それを合図に解散し始める人々。大樹はぼんやりとした様子でその場に立ち尽くしていた。やがて、集まっていた人たちは皆捌け、涼しい風に包まれる大樹。ようやく意識がはっきりしだしたのか、誰もいないことに目を丸め、いそいそと帰っていった。
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残り2話ですが、明日明後日の更新となります。
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