証言魔法『人の目』
「原告、コソック・アカンターレ王子。貴方の告訴状の内容について、変更は、ございませんか?」
「はい、裁判長!私は、嘘偽りなく、全てをお話ししました。確かに、婚約者が居ながら、『真実の愛』に目覚めたことは責められるべきでしょう。だが、将来の王妃となるべく教育を受けていた公爵令嬢が、暗殺者を雇い、我らの殺害を企てていたと言うことは、国家反逆罪に問われる事だ!」
コソックは、人差し指を立てると、婚約者、セイロンナ・ドメスティック公爵令嬢に向かって突き出した。
「恥を知れ!セイロンナ!!!」
演劇なら、スポットライトを浴びそうな見せ場。
コソックは、胸張って、恍惚とした表情を浮かべた。
一方のセイロンナは、まつ毛一本動かさず、じっと彼を見ている。
その瞳からは、感情は読み取れず、王妃教育で培った自己コントロールを最大限に生かし切っていた。
裁判長は、コホンと咳払いし、一人、己の格好良さに酔いしれるコソックの意識を自分に向けさせた。
「原告、席に戻ってください」
「まだ、言いたいことが!」
「原告、戻って」
怒鳴られるより、冷ややかな目で、静かに諭される方が怖い。
裁判長の三白眼は、有無を言わせぬ鋭さを秘めている。
コソックは、先ほどの威勢はどこへ、背中を丸めて、コソコソと席に着いた。
「では、続いて、被告人セイロンナ・ドメスティック公爵令嬢、前へ」
セイロンナは、糸で上から吊られているかの様に、ピンと背筋を伸ばして証言台の前に立った。
一拍置いて、ブレの無いカーテシーを見せると、傍聴席から、溜息が漏れた。
彼女は、神が作りたもうた、芸術品。
長いまつ毛に縁取られた、伏し目がちな瞳は、アレキサンドライトのように光の加減で、赤にも、青にも変わる。
唇は、もぎたてのチェリーに似た艶と赤味を持ち、頬は、色づき始めたばかりの桃かと見紛うほど。
ドメスティック家の家訓により、髪を隠す様に、見事な刺繍の入ったベールを被っている。
それすら、エキゾチックで魅力的に見えてしまうのが、セイロンナ・ドメスティックと言う少女だ。
齢、十四にして学園を飛び級し、たった一年で卒業。
二つ年上のコソック王子は、未だ在学中で、進級すら危ういと噂されている。
完璧過ぎる婚約者に、己の不甲斐なさを棚に上げ、苦手意識を持ち続けたのだろう。
昔から、何かにつけて、コソックは、セイロンナに、言い掛かりをつけていた。
そんな二人が争った時、周りがどちらに付くかなど、火を見るより明らか。
幼い少女を心配する者達は、公衆の面前で晒し者になる事に心を痛めながらも、ここに座っている。
「被告人、貴女は、原告の訴えに、反論は、ありますか?」
孫程年齢の離れた少女に、自然と、裁判長の声も、トーンを下げ、優しくなった。
「わたくしが、ここで、何を述べようとも、どんな証人を呼ぼうとも、殿下は、信じてくださらないでしょう」
静かに答えるセイロンナに向かって、
「当たり前だ!」
と間髪を容れずにコソックが叫ぶ。
「原告、発言は許していません。今度、場を乱したら、外に出て貰いますよ!」
裁判所は、法律により、王族と言えども、平民と平等に扱える権利を有している。
学園内なら通用する権力も、ここでは、全くの無力だ。
コソックは、渋々口を閉じ、両腕を組んで、ふんぞり返った。
彼の中に、『心象を良くしよう』と言う気持ちは、全くない。
完全に自分が正しく、裁かれるのは、セイロンナ、ただ一人なのだ。
「裁判長、発言をお許しいただけるでしょうか?」
「ドメスティック嬢、今は、貴女の時間です。どうぞ、納得のいくまでお話しください」
彼女を『被告人』と呼ぶのに罪悪感を感じ、裁判長は、呼び方を変えた。
「ありがとうございます。では、わたくしからのお願いが一つ。証言魔法『人の目』の使用許可をお願いいたします」
ザワッ
法廷内に、動揺の騒めきが起きた。
証言魔法『人の目』。
裁判長の許可を得て行われるS級魔法。
身分差、貧富の差などが理由で、真実が捻じ曲げられる事がよくある裁判において、公平な証言を得るために編み出された。
この魔法が発動されると、強制的に、目撃者の脳裏に残された映像を、投影機代わりになる水晶へ集める事が出来る。
人選に、申請者の希望は通らず、場合によっては、己に不利な証言も公に晒す可能性もあった。
正に、諸刃の剣。
しかも、これを発動するには、対価がいる。
申請者の残された寿命の半分。
貧しい故に、反論が許されず、死刑判決必至の弱者ならば、藁にも縋る思いで、この魔法に頼るだろう。
しかし、彼女は、身分ある公爵令嬢であり、まだ、14歳。
この世界の平均寿命は80歳で、仮に、そこまで生きたとして、残りの人生66年の半分、33年を差し出し、47歳までしか生きられない。
本当に、そこまでする必要があるのだろうか?
「ここで、私が有罪になりますと、良くて修道院、悪くすれば、家族全員爵位剥奪の上、無一文で国外追放。死ぬのと大差ありません」
セイロンナの正論が、決断を迫る。
「よろしい・・・では」
苦渋の決断をせざるを得ない裁判長の前に、一人の青年が飛び出した。
彼の名は、コーヘー・ユズラン。
セイロンナには及ばないが、今年、15歳での卒業が決まっている天才だ。
隣国、ピースランドの第三王子で、今、留学生として、この学園に籍を置いている。
「お待ちください、裁判長!それでは、ドメスティック嬢が、あまりにも、可哀想ではありませんか!私は、私が学園で見てきた事全てを、正確に証言すると・・・」
宣誓しようとするコーヘーの腕に、セイロンナの手が触れた。
「おやめ下さいませ。わたくしは、どなたも巻き込みたく無いのです。それに、ここで禍根なく、お互いに納得した形で決着をつけなければ、この悪い縁は、一生断てないのです」
コーヘー以外にも、正しき心の持ち主達は居る。
今日まで、陰日向に助けてくれた友人達は、一人や二人ではない。
しかし、セイロンナの肩を持てば、今後、コソックに睨まれるのは必至。
家格の低い者は、いつ、謂れなき理由で首を切られるか分からない。
しかも、コーヘーのような他国の人間が証言台に立てば、今後の国交にも悪影響が出てくるだろう。
「お願い致します。わたくしの事を真に思って下さるのなら、この場は、お譲り下さいませ」
コーヘーは、自分の腕に触れるセイロンナの手の上に、己の手を置いた。
キュッと握ると、セイロンナも、微かに握り返す。
コソックの婚約者となる前に出会っていれば。
そう思うのは、コーヘーだけでは無いと、触れ合う指から伝わった気がした。
「では、証言魔法『人の目』の使用を許可します」
裁判長の指示で運び込まれた水晶は、スクリーン代わりに、壁に掲げられた大きな布の前に置かれた。
「ドメスティック嬢、水晶の前に行き、祈りを捧げてください」
「はい」
定位置につき、セイロンナは、手を胸の前で組んだ。
裁判長は、門外不出の魔導書を取り出すと、そこに書かれた呪文を囁き、手に持った杖をセイロンナに向けて振った。
すると、淡い光が、セイロンナを包み、水晶が、辺りに、赤い煙を撒き始める。
驚いた傍聴席の人々が逃げ出そうとしたが、金縛りにあい、立ち上がる事すら出来ない。
煙は、部屋の外まで漏れ出し、街全体を包み込んだ。
『ダメよ、こんな所で』
緊迫した室内に、場にそぐわない、女の甘い声が響いた。
ハッとなって、そこにいる者達は、全員、壁に映し出された映像を見た。
『もぉ、コソック様ったらぁ〜』
『チョメラニア、焦らすなよ』
『だって、ここ、教室なのにぃ〜』
言葉では拒否しながら、スカートに手を入れようとするコソックを退けるどころか、逆にしがみ付く女、チョメラニア・ユルンマター伯爵令嬢。
コソックと、『真実の愛』を育む相手である。
時間は、太陽の差し込み具合と、色から見て、夕方。
目撃者は、廊下側のドアを薄く開け、その隙間に目を当てて覗いているようだ。
帰宅時間を過ぎているとは言え、いつ、誰が来てもおかしくない状況に、鼻の穴を膨らませて興奮する王子は、キモいとしか言いようがない。
次に映し出されたのは、チョメラニアと同級生の男爵令嬢。
『チョメラニア様、私、もう無理です』
『あら、未来の王妃に逆らうの』
『私、怖いんです。ドメスティック公爵令嬢は、とても穏やかで、家格が下の私にも、笑いかけてくださるんです。そんな方の悪口を広めるのは・・・』
場所は、女性専用の談話室。
目撃者は、カーテンの陰に隠れているらしく、風が吹くたびに、視界がビクリと揺れる。
存在がバレないか、慄きながらも、好奇心に逆らえないようだ。
『何よ、悪口って。本当の事を、普通に広めてるだけでしょ?』
『で、でも!チョメラニア様が、か弱いドメスティック公爵令嬢に虐められている様には見えません』
『それ、どーゆー意味よーーーー!』
怒り狂ったチョメラニアは、男爵令嬢に躍りかかっていった。
確かに、虐められるタマには、見えない。
更に続いて現れたのは、学園内に建てられた訓練場。
灯りの点いていない暗がりで、数人の男子生徒とコソックが密談をしていた。
『殿下、本当に、ドメスティック嬢に怪我を負わせて、よろしいのですか?』
『五月蝿い。このままでは、あの可愛げのない女と結婚させられてしまう。傷物になれば、否が応でも、婚約者を辞退するだろう』
『しかし・・・』
『お前達、私の側近になりたいのだろう?私が王になった時、お前達への恩義は、忘れないと誓おう』
今回の目撃者は、この密談をするメンバーの一人らしい。
コソックを真っ直ぐ見つめ、何度も、何度も、諌めようと努力をしている。
時折り、顔を左右に振るのは、彼が、コソックに見切りをつけた表れだろう。
『私には、出来ません。このお話、聞かなかった事に』
視界が曇った。
声の主が、泣いているのだろう。
コソックに従わなかった彼の将来は、この時消えたと思われる。
映像は、その後も続き、コソックとチョメラニアの口では言いたくない様な破廉恥な濡場や、セイロンナを陥れようと画策する様が流れた。
怒り狂っていたコソックの顔色は、赤から白に変わっている。
金縛りにあっていなければ、この場から、逃げ出しただろう。
これでも、彼は、全てを秘密裏に、上手く隠せていると思っていた。
逢瀬を重ねる時は、何度も周りを確認し、万全を期したはずだった。
それなのに、これでは、隠すどころか、露出狂である。
『人の目』とは、これ程までに、多くの場所にあるものなのか?
学園だろうが、路地だろうが、所構わず、猿並みにチョメラニアと営む姿は、女性陣には、刺激が強過ぎた。
バタバタと倒れる淑女が続出し、魔法が解けると、直ぐさま救急班が駆けつけ、医務室へと運び出されていった。
法廷には、何とも言えない、微妙な沈黙が流れ、その後、裁判は、休廷となった。
裁判は、再開される事なく、コソックの有責で、婚約が白紙撤回された。
外遊から帰ってきて、王子が勝手に法廷闘争へ持ち込んだ諍いの顛末を聞いた王と妃の驚愕は、いかほどであった事か。
出来の悪い第一王子に、せめて聡明な伴侶をと思い、何度も、何度も頼み込み、最終的には王命まで使って、無理矢理結んだ良縁だった。
勇者の血を引く家系で、今も、勇猛果敢な猛者と、頭脳明晰な官僚を輩出するドメスティック家。
その総力を傾ければ、本当なら、チョメラニアの排除も、コソックの矯正も、赤子の手を捻るようなものだったはず。
それをせず、甘んじて裁判を受けた時点で、かの家は、王家との絶縁を望んでいると思われても仕方ない。
また、これ以上圧力をかければ、他家も黙ってはいないだろう。
刃向かえば、有無を言わせず制裁するような王を、放任するほど甘い国ではなかった。
「まぁ、素敵なお花」
コーヘーから貰ったガーベラの花束は、様々な色を取り混ぜた、宝石の様な美しさを誇っていた。
オレンジは、神秘。
白は、希望。
黄色は、究極の美しさ。
赤は、限りなき挑戦。
ピンクは、幸福。
コーヘーの、セイロンナへの賛辞と願いが込められている。
「ドメスティック嬢、この度は・・・心から、お悔やみ申し上げます」
裁判が終わり、無事、婚約撤回が行われたとしても、セイロンナの寿命が縮む事に、変わりはない。
コーヘーは、唇を噛み、俯いた。
彼の震える肩を、セイロンナは、優しく目を細めて見つめる。
「ドメスティック嬢・・・今日は、お願いがあって参りました」
「なんでございましょうか?」
「私の妻になって頂きたい。卒業後、直ぐにピースランドへ帰国する事が決まっています。せめて、残された貴女の人生を、温かく幸せなものにさせて欲しい」
セイロンナの前に片膝を突き、コーヘーは、精一杯の誠意と愛を込めて、求婚をした。
「・・・わたくしで、よろしいのでしょうか?」
「貴女以外に、考えられない」
恐る恐る、コーヘーがセイロンナの指先に触れ、爪の先に、唇を落とした。
「一生、貴女を愛します」
たとえ、明日、セイロンナが死んだとしても、彼は、後添えを娶るつもりは無い。
生涯、独り身で過ごす覚悟は出来ている。
もとより、第三王子。
兄が即位したら、臣下に下り、田舎の領地を賜り、のんびり学問に耽りながら余生を送れれば良いと考えている。
「先程、貴女のお父上にも、婚姻の申し入れをさせて頂きました。本人の意思に任せると、仰って、『あやつは、なかなか、頑固者だぞ』と言われました」
「まぁ、お父様ったら、失礼だわ」
「いえ、貴女は、どこから見ても頑固者です。あんな状況下にいても、誰も頼らず、一人で全てを背負ってしまう程に。だから、私に、その一部を背負わせて下さい」
ただの、美しい王子ではない。
思慮深く、思いやりのある、引く手数多の紳士。
そんな素晴らしい人を、傷物の自分が、縛り付けて良いのだろうか?
セイロンナは、己の正論に苦笑する。
『こういう所なのでしょうね、『頑固者』と言われる由縁は』
セイロンナの頑なな心を溶かすのは、コソックでも、父親でもなく、一心に愛を捧ぐ青年。
「分かりました。そのお話、お受け致します」
囁く様な小さな声で、セイロンナが呟くと、コーヘーは、立ち上がり、彼女を力強く抱きしめた。
「ありがとう!ありがとう、セイロンナ!」
初めて、家名ではなく、名前を呼ばれ、甘く痺れるような感動が、セイロンナを包む。
心から信頼を寄せられる伴侶を得て、花が綻ぶような、柔らかな笑みが、彼女の顔に浮かんだ。
「殿下」
「コーヘーと呼んでくれ」
「コーヘー殿下」
「コーヘー!」
「もぉ・・・コーヘー様、少し、離してください。お伝えしたい事があるのです」
セイロンナの真剣な声に、コーヘーは、渋々腕から彼女を解放した。
互いに見つめ合いながら微笑むと、セイロンナが、フワリと、ベールを脱いだ。
下から現れたのは、輝く様な銀髪。
セイロンナは、恥ずかしそうに頬を赤く染めながら、髪の毛を耳に掛けた。
「え?」
現れたのは、少し尖った耳。
「え?え?え?どういう事?」
理解がついていかないコーヘーは、セイロンナの耳を上から、下から、横からと、角度を変えて凝視する。
「ドメスティック家の始祖が、勇者だったのは、ご存知ですね」
「あぁ、数百年前に、この世を魔王が瘴気で覆った時に、たった数人の仲間を連れて、討伐を果たした方だ」
「はい。そして、その戦いの後、仲間の一人から、妻を娶りました。その方は・・・エルフ族の姫だったと我が家では伝えられています」
それから、何百年のうちに、エルフの血は、薄くなっていった。
しかし、時折り、先祖返りを起こす女性が産まれた。
その存在を隠す為、ドメスティック家では、すべての女性が、髪を、ひいては耳をベールで覆い、夫となる人物以外には見せない事を義務付けている。
「この耳を持つ者は、通常の倍の寿命があると言われ、伴侶が亡くなった後の人生は、領内にある『沈黙の森』で、余生を暮らすこととなっております」
今現在、その森には、三人の女性が住んでいる。
皆、150歳を超える高齢だが、見た目は、60歳あたりから、変わっていない。
一族の者からは、知恵者として大切に扱われるが、愛した夫の死後、その寂しさを胸に、数十年の長き時間を過ごす孤独は、想像を絶すると思われる。
「それで、その・・・・・わたくし、コーヘー様と添い遂げる自信は、ありましてよ」
残された寿命が半分になったとしても、それは、普通の人間にとっては、長生きの部類かもしれない。
恥ずかしさで下を向いてしまったセイロンナを、再び、コーヘーは、腕の中に閉じ込めた。
「あぁ、私の妻が、可愛過ぎる・・・」
「まだ、妻では、ございません」
14歳の新妻となる愛しい人の拗ねる姿は、身悶えしたくなるほど愛おしかった。
完