僕の大切な人
この作品もしつこいですが、
いつも空を見ている②③
の番外編です。
僕の大切な人
樹
「上条、お前今夜ちょっと付き合え」
「あ、はい」
部長に呼ばれた。五十嵐さんではない。もう退職されたので。その後の堂本さん。堂本部長。
やだなと思う。何の話だろ?
堂本さん、五十嵐さんと同じパターンで出版から異動してきた人。言ってることは正論なんだけど、言い方が嫌味臭くてみんなに嫌われてる。
それにこの人、映画やアニメ、漫画嫌いなの。あくまで純文学がヒエラルキーの1番上に位置しててさ。それ以外は少しずつ下がって、アニメや漫画は山の裾野に位置するわけだ。
そのあがりで食ってるくせによく言うよと思う。
時代の変化についていけてない大人ってイタイよな。
でもね、サラリーマンなわけですよ。自分は。
「まあ、覚悟してたけどさ。たいした人材いないよね。販売って」
飲みはじめてほどない頃にすぐにこんな話題。付き合わされてる日本酒のお猪口から目をあげる。
年取って崩れてるけど顔立ちはそんなに悪くないと思う。若い頃はそれなりにもてたんじゃないかな?ただ表情が悪い。性格の悪いの、滲みでてる。
「僕もそこの中に含まれてますが……」
「ああ、いや、違う。違う。お前はまだまし。そうじゃなきゃ飲みになんて誘わないって」
うちの奥さんは、じゃあどうなんだろうな。
「俺はさ、俺の後はお前だって思ってるから」
「え……」
「まあ、まだ全然先だけどね」
そう言ってタバコくわえる。火つけた後で、不思議そうな顔された。
「あれ?嬉しくないの?」
「いや、嬉しくないわけじゃ……。でも、なんで僕ですか?」
もっとふさわしい人がいる。
「実績から見てだよ」
「でも、数字も人望から見ても僕より上の人がいます」
タバコを吸って吐いた後に、部長は言った。
「それは君の奥さんか」
その目つきが嫌だった。
「はい」
「確かに、アメリカで大きく売り上げ伸ばして安定した売り上げの基礎を作ったのは君の奥さんだよ」
その後タバコを灰皿に擦り付けて捻り消す。
「でももうそれは過去の話じゃん。これからは中国伸ばしたいの。だから、君は外せないでしょ?」
「外す?」
「夫婦で上司と部下は無理でしょ?奥さんはアニメの制作の方まわってもらうと思う。広範なマーケティングの知識生かせるでしょ?彼女なら」
酔いが冷めた。
「それに、うちのグループ、女性の部長いないでしょ?うちは女は課長どまりだよ」
帰り道、吐き気がした。部長に合わせて頼んだ甘ったるい酒に酔ったせいか。日本酒は辛口しか飲まない。しかも気分のいい時だけ。
こんな気持ちの悪い酒飲んだのは久しぶりだった。
***
「珍しいな、課長から誘われるなんてと思ったらそんな話ですか」
2、3日後、下の子呼び出して付き合わさせた。
「なんか、数字あげた人、使い捨てするみたい。追い出して別のことさせるなんて」
「でも会社の対応は冷静ですよ」
「冷静?」
「課長たちが結婚するとき、五十嵐さんが、アメリカと言えば千夏さんって頼ってたらのちのちまわらなくなるって考えて、みんなの担当を大幅に見直したじゃないですか」
「うん」
平たく言えば、千夏さん中心でやってたアメリカ向け売りに、いろんな人を携わらせた。
「千夏さんは五十嵐さんの意図を正確に汲んで、自分が1人でやってたこと一生懸命下に教えてくれたんですよ。トレイシーもいるし、今はだから千夏さんが抜けてもやってけるんです。中国向けは立ち上がってまだ安定してないし、中国語学校で習ってる人なんていないじゃないですか。英語と違って。課長が抜けたらまわらないんですよ」
「うん」
「それに千夏さんはアニメの知識豊富だし、センスあるから制作いってもいい仕事されると思いますけど、課長はそんなセンスないですよね」
じっと見られた。
「ないな」
センスは努力で培うものではないからな。
「能力があるから、別のことできるんです。管理職やるよりいいですよ。もったいない」
「そういう見方もあるのか」
「見方、言い方ですよ。どうせ堂本部長のことだから嫌な言い方したんでしょ?あの人、千夏さんのこと嫌がってるから」
「え?そうなの?」
「千夏さんが嫌いって言うより、できる女の人が嫌いなんですよ。あの人。お家で聞いてませんか?」
「俺ら家ではできるだけ仕事の話しないようにしてるから……」
「いろいろ嫌なこと言われてるみたいですよ。一課の人見ててうんざりするって」
知らなかった。いつも通りだった。彼女。
「課長、早く上あがって、あのやな人追い出してくださいよ」
「そんなん、追い出したらあの人行くとこないじゃん」
「ああ、もう出版もいらない人ゴミ箱に捨てるみたいにこっち寄越すのやめてほしいです。プライドばっかり高くて使えない」
「ほんとだな」
「メイドインジャパンが黙ってても売れたのは、もう昔の話ですよ。いい物作っていれば黙ってても売れるなんて。時代は刻一刻と変化していて、世界中が競争してるんだから。作るだけじゃなくてどう売るかをもっと考えなきゃいけないんですよ。なのに、いつまで経っても、売ってる僕らを下に見るんだから」
酔っぱらったな。こいつも。
「まあまあ、もっと飲めよ」
「ああ、すみません」
帰り道にぼんやり思う。
別に、僕があがって、彼女が別にうつったからって、左遷されたととることもないのかもしれない。
今日部下が言ってたみたいに。
でも、堂本部長のあの言い方が嫌だった。
自分の大切な人を土足で踏まれた気分になった。
あんなつまんない男に。下のみんなに嫌われてるやつに。
僕は昔、彼女の部下でした。会社に秘密で付き合って、結婚することになった時に同じ販売の部門だけど、別の課になった。
年下で、元部下で、主人で、出会った時は、彼女は主任で僕は平だった。
負けたくなくて、でも彼女は仕事のよくできる人で、一回も追い越せたなんて思えたことない。ただ、せめて、置いてかれないように背中見ながらいつも必死だった。
負けたくなかった。それはほんと。
でも、僕は今日まで気づいてなかった。
僕は勝ちたくもなかったんだってこと。
彼女が負けて、ダンボールに私物詰めて、制作にすごすごうつっていく背中なんて見たくない。
いつも、あの、出会った頃のままの、キラキラした人でいて欲しい。僕の憧れのままの。
自分がうつされると言われたより、下手したら落ち込んだ。
「なんか、最近元気ないね。どうかした?」
ソファーに座っていたら、夜隣にぴったり座って覗きこんできた。いつもと同じにこやかな顔で。
「2、3日前に、部長と飲んだでしょ?なんか言われた?」
「なんで知ってんの?」
「あなたのことは逐一報告してくれる人がいるんだって」
「……」
「あなたが残ってわたしを制作にでもうつす。俺ら仲間、仲良くしようぜってやつでしょ?」
目を見張った。
「なんで?」
「あいつ、だってあからさまなんだもん。わたしに対して」
「……嫌な思いしてる?」
「自分ってしがないサラリーマンだったんだって、毎日思い出してる」
僕は彼女の頬に手を当てた。
「大丈夫?」
「ええ?」
彼女は変な顔した。
「もちろん大丈夫」
「長くやってきた部門から離れるの、やじゃない?一番の功労者なのに」
彼女は立ち上がって、キッチンに向かう。
「わたし、別に肩書きとか興味ないし。仕事はわくわくできたらいいの」
「わくわく?」
「うん。アメリカ向けの販売は、なんか大きな山越えちゃった感あってさ……。あ、なんか飲む?」
「ビール」
「最近、飲み過ぎ。お茶にしときな」
じゃあ聞くなよ。パタンと冷蔵庫閉めてる。
「飽きちゃった。はい。お茶」
グラス渡された。彼女はちゃっかりビール飲んでるけど。ん?なんか今大事なこと聞き逃したような……
「飽きた?」
「うん。つまんない」
飽きた?仕事に?仕事って飽きるとか飽きないとかいうものなの?
「だから、制作行って何すんのかわかんないけど、わくわくできるならいいんだよ。でもさー」
「うん」
「あのあいつの顔見てたら、気が変わった」
「どういうこと?」
「あいつの思う通りに動くのだけは嫌」
「……」
なんか次やばいのきそうな気がする。
「やめる。会社」
「ええっ!」
「そこまで驚く?」
「だって何年働いたの?そんな簡単に……」
「でも、このまま働いても昔はよかったなって思いながら、サラリーマンするだけ」
「だからって……」
「わたしが成長して、服が体に合わなくなっちゃったの。服は誰だって買い換えるじゃない」
「服って会社?」
「うん」
「じゃあ脱いでなに着るの?」
「起業する」
ポカンとした。
「なんかね、最近さ。日本の農作物に興味があって」
キラキラした目をしてる。
「お米もさ、果物もさ、海外のってまずいの多くって。日本のはうまくやったら高く売れるって!」
「……」
「ちょっと、聞いてる?」
「……」
「おーい」
揺さぶられた。
「千夏さんが今まで売ってたのはアニメで食べ物ではない。やり方とか全然わかんないのにどうすんの?」
千夏さんニヤリと笑った。
「つい最近まで物の売り買いバンバンしてた人がいるじゃん」
考えないでもわかった。
「お義父さん?」
「あんなに毎日働いてたのに、急に暇なったらぼけるって」
「でも、のんびりしたいって言ってるじゃん。お義父さん」
「別にこき使うつもりはないよ。顧問としてお知恵を拝借するだけ」
ニコニコしてる。綺麗な笑顔。みんなこの笑顔に騙される。僕は知っている。
「狙ってるのは知恵だけじゃないでしょ?」
「え?」
僕は知っている。夫婦だし。千夏さんって、その時その時の思いつきでぱっぱと動くのが好きでうまい。ひっくり返すと、一つの目標に向かってコツコツという人ではない。もっと簡単に言うと、起業って思いついた。だからする。でも、長年かけて貯めた資金なんてもちろんない。貯金がないわけじゃないけど、起業するような額貯めてるわけがない。この人が。
「お義父さんだって、僕らのために家建ててくれたんだし、老後の蓄えとかいるし、起業に使うお金なんて持ってないでしょ?旅行行ったり遊びたいだろうに」
「樹君はまだうちのお父さんのこと知らない」
「どういうこと?」
「あの人はさも無害みたいに、おとなしくニコニコ笑ってるけどね、食わせ者なのよ」
「ええ?」
自分の父親のこと食わせ者って……
「お父さん、株やってる」
「え?そうなの?聞いたことない」
「わたしにも一回も言ったことない」
「じゃあ、なんで知ってんの?」
「不自然だと思った。あのくらいの年代で、そこそこ余剰資金持ってて、多少知識あるのに株しないのが。そんで、一緒に暮らすようになってから注意深く郵便物見てたら、来るじゃない。いかにも株関係のものが」
「いや、そんなん、親子なんだから株やってんの?って聞けばいいじゃん」
「そしたらね、ささやかにねってにっこり笑われて……」
「笑われて?」
「警戒される」
どんな親子だよ……。普通に仲のいい親子のはずなのに。
「だから、樹君はまだ、お父さんのことちゃんとわかってないんだって」
「どういうこと?」
「わたしから必死に隠してるってことはね、少しの額じゃないんだって」
「え?」
「多分、わたしたちが見たらびびるような額、運用してるよ」
「え?嘘?」
「そういう人なのよ。家族にもシラーッと大嘘つくよ」
「だってお義母さんは?夫婦なら、気づきそうじゃない?」
「うちのお義母さんは浮気には気づくけど、お金にはさほど執着しない人だからさ。自分の欲しいものが買えるお金さえあればいいの」
そして、妻はふふふと笑った。
「あくまでこっちも知らないフリをし通してさ、資金引っ張ろうと思って、どういう風に丸め込むか考えてたの。楽しくって」
ああ、わくわくしてます。今、千夏さん。
「じゃあ、まあ、よくわかんないけど、頑張って」
「なに言ってんの?軌道にのったらあなたも手伝うんじゃん」
「ええっ!」
冗談だよな、いや、本気?この顔。
「俺と君抜けたら、会社やばいんじゃない?さすがに」
「それが狙いだって。堂本、ぎゃふんと言わせるの」
結局、復讐かよ。執念深いな。
「それで僕たち路頭に迷うことにはならないの?」
「それはなんとも言えない」
それでも、君は、二児の母か?
「でも、わたし、まだ路頭に迷ったことってないのよねぇ」
妻が……わくわくしています……。
「なに青い顔してんの?大丈夫だって。いざとなればこの家売ればいいじゃん」
いや、お義父さんの家だし。ここ。
「それともなにか?君は堂本と同じようなぶらさがり族か?」
いや、僕はぶらさがり族ではない。
僕は振り回され族だ。
君に出会ってから何度、振り回されてきたか……。
今度のは、ほんと洒落ならんだろ……。




