彼女は真の女神様
この若者は、俺が5年前に交通事故で死なせてしまった吉田佑樹の名を語り、俺を救う為に異世界に連れて行きたいと言う。
正直、話を飲み込めと言う方が無理な飛躍ぶりなのだが、女神と名乗る女性の供述、そして若者の身体の傷痕からして、俺はこの若者を「佑樹」と呼ばざるを得ない状況に追い込まれてしまった。
「……分かった、お前が佑樹である事を取りあえず認めよう。だが、自分を殺したこんな男に情けをかける必要はないぜ。そんなに簡単に異世界に行けて、しかも幸せになれるんなら、家族とか親友、好きな女の子にでも声をかけろよ」
俺は佑樹を突き放した。
今ならまだ、変な夢を見たという程度で第2の人生を始められるが、これ以上深入りすると現実の世界に対応出来ない男になってしまう。
「異世界に行く為の条件は、この世界で松木様が佑樹様に殺される事なのです。この条件は、佑樹様の親しい方には理解しかねるでしょう」
女神と名乗る女性は、その余りに突飛な条件に青ざめた俺とは対照的に、顔色ひとつ変えずに淡々と説明した。
氷の様な美しさで魅了するこの女性も、女神と呼ばざるを得ないだろう。
外が冷たく澄んだ空気に晴れ渡る頃、まるで俺達3人だけを包んでいた様なオレンジ色の空も薄まってきた。
女神は佑樹にそっと耳打ちし、佑樹もその言葉に頷いている様に見える。
「今日は残念ながら時間切れだね。でも僕は諦めない。今度来た時は貴方の命を貰いに来るよ。貴方を救う為にね」
そう言い残し、佑樹と女神はオレンジ色の空とともに綺麗さっぱりと姿を消してしまった。
その瞬間、まるで止まった時間が動き出したかの様に周囲の人々が活動し始める。
俺は念の為、オレンジ色の空について近くの人に訊ねてみたが、朝から寝ぼけるなと一喝されてしまった。
俺は悪い夢を見ていたのだろうか?
気を取り直し、今日の俺がするべき事を頭にまとめる。
まずは何より住居の確保だ。オンボロだろうが風呂無しだろうが構わない。住所がなければロクな仕事に就けない。
今の俺にロクな仕事が用意されているとも思えないが……。
……だが、やはり気になる。
佑樹と女神の姿と言葉が、この世界で生きている俺に分かるのであれば、佑樹も一度くらいは家族や友人にも会っているはずだ。
勿論俺としても、出所後に被害者の遺族に謝罪しに行くのは当然だと思っている。
佑樹の実家に行ってみよう。
佑樹の実家は、ここが東京である事を忘れてしまう様な、青梅ののどかな一軒家である。
裁判の判決を受けたとき、ショックで面会を拒否された実の両親より、獄中での手紙に必ず返事を返してくれた佑樹の両親の存在が、立ち直ろうとする俺には有り難かった。
「お父さん!松木さんが!」
俺が丁重に顔を出すと、母親は驚いて父親を呼びに行った。
通りかかった佑樹の姉は、まだ俺を許していない事が目付きからもはっきりと分かったが、許して貰うという選択肢は初めから存在しない棘の道、それが贖罪と言うものだ。
「よく来たね、松木さん」
佑樹の父親は、障がいのある青年達の作業所の所長さんだ。
俺が死なせてしまう前の佑樹も、恐らく父親に似て優しい子だったのだろう。
いくら読書に夢中でも、赤信号では止まって欲しかったが……。
「貴方が十分反省した事は分かっています。あまり……頻繁に来られても辛くなるので……これからは自分の人生を生きて下さい」
俺は何も言うことが出来ず、深々と頭を下げ続けた。
「お父さん、昨日もまた、佑樹に会ったのよ」
母親が嬉しそうに話している。
夢の話か、それともあの佑樹か?
「お父さん、実は先程、佑樹君を名乗る若者に会ったんです。見た目は確かに、佑樹君が21歳になった様な雰囲気で、事故の傷まで同じでした。でも、俺が佑樹君を死なせてしまった事に変わりはありません。お父さんは、その佑樹君に会った事がありますか?」
俺は、何を今更馬鹿げた事を話しているんだと、自分でも呆れてしまった。だが、俺にはっきりと見えた佑樹なら、家族にはもっとはっきり見えているのではないかとも思ったのだ。
「松木さんも、佑樹を見たんですね!もう、うちには何度も来ていますよ!」
やはり佑樹は、ここにも来ていた。