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父と娘

作者: 道化ToL

○ 病院・廊下(夜)

  非常灯しか明かりのない廊下。

  一人、女の人が静かに歩いてくる。

  静まり返った廊下で、その足音だけこだまする。


○ 同・個室(夜)

  2回軽いノックのあと、病室の引き戸が開けられ、質素な黒い服を着た甲斐由美子(27)が病室に入る。セミロングの黒髪が簡単に束ねられ、淑やかで上品な仕草がうかがえる。

  病室にベッドは一個だけ。テレビやソファーが置いてある。ホテルの部屋と間違いそうな室内に心電図をはかる電子機器の音がリズムを刻む。

  ベッドまで静かに歩き、眠っている父・甲斐隆弘(65)を数秒眺めたあと、由美子はベッド脇のイスに腰を下ろす。

    ×    ×    ×

  ベージュ色のカーテン。その向こうの大通りを走る車の音。

  隆弘の穏やかな寝顔。

  寝ているため少し低い数値を表示する心電図。

  壁にかけられたアナログ時計、夜11時を回っていた――

隆弘「由美子か」

  うっすらと目を開いた隆弘。

  ちょっと身を乗り出す由美子、かるく会釈する。

  時計を見る隆弘。

隆弘「すまないね、こんな時間まで」

  由美子「ううん」と、首を横に振る。

    ×    ×    ×

  コップにお湯が注がれる。

  それを由美子が隆弘に渡し、上半身を起こした隆弘はそれをゆっくりと一口飲む。

  心電図の数値はさきほどより少し高くなっている。

  隆弘、コップを持つ両手を一番楽であるおなかの上までおろし、優しい目で由美子をじっと見る。

  由美子、最初はそれを静かな目で見返すが、やがて目線を下のほうへ逸らし、右手で目を隠すよう軽く前髪に触れる。

隆弘「ほんと、綺麗になったな、由美子は」

  微笑む隆弘。

  恥ずかしく微笑み返す由美子。

隆弘「私はもう長くない。会社も家も全部お前に残すが、早いどこいい男見つけるに越したことはない。甲斐の名にもこどわらなくていいからな」

  言って隆弘が笑う。が、笑いの途中に咳き込む。

  由美子、「お父さん」と慌てて隆弘の背をさすり、横に寝かす。

隆弘「ありがとう、もう大丈夫だ」

  咳が止まり、少し疲れた様子の隆弘。

  由美子、依然としてイスに座ったまま、隆弘を眺める。

    ×    ×    ×

  時計が11時35分を示す。

  膝に上に行儀よく置かれた由美子の両手は、少し握りこむ。

  何か言いたげに口を開いては閉じ、目をふせる。しかしすぐに思い直した。

由美子「お父さん……わたし、お父さんに言わなければならないことがあるの」

隆弘「……なんだい、由美子」

  真剣な顔をした由美子。対して隆弘は優しい笑顔のまま。

由美子「わたし、ずっと前から、お父さんのこと殺そうと思った」

隆弘「……」

  心電図の音が少しだけ速くなる。

由美子「お父さんは、たまたま心臓の発作で病院に運び込まれたんじゃなかった。わたしが、いつもの薬を別のものにすり替えたの」

隆弘「……」

由美子「お父さん、三枝俊樹、って覚えてる?22年前、お父さんの会社で財務部長をしていた男――お父さんの粉飾決算の責任を取らされ、会社を追い出された翌日、自宅で首を吊った男。ね、覚えてるでしょ」

  隆弘、笑顔が消える。顔を天井へ向ける。

  心電図の音が徐々に落ち着いてくる。

隆弘「……ああ、覚えている」

  由美子の両手、膝の上でさらに強く握りこまれ、少し震えている。

由美子「その彼には、気弱な妻と、当時年端も行かなかった娘がいたことは」

隆弘「知ってる」

由美子「妻が彼の後を追ったことは」

隆弘「知ってる」

由美子「……じゃ、一人残され、施設に入れられた娘の名前は」

隆弘「……知ってる」

  由美子、血相を変えてイスから飛び上がる。

由美子「嘘つかないで!」

隆弘「……」

    ×    ×    ×

  隆弘、顔色一つ変えない。

  心電図の数値も変わらない。

    ×    ×    ×

由美子「あんたは何も覚えてないでしょ!あんたは、これまで罪をなすりつけて蹴落とした人の数なんて数えたことあるの。彼らのその後を気にしたことあるの」

隆弘「……」

由美子「あんたは、他人をなんとも思わない冷血で自己中な男よ。気まぐれで引き取ったわたしの前でだけ優しく振舞っても、外ではどんな悪事に手を染めてきたのか、この20年、わたしが何も知らなかったとでも思ったの!」

  隆弘に背を向ける由美子。

由美子「あんたは、ここで一人死んでいくわ。自分を殺した女とも知れず、全財産をあげてしまった愚かな自分を責めながらね!」

  かつかつ音を立ててドアまで歩く由美子。

  とってに手をかけ、停止。

隆弘「……三枝由美子、7歳。おかっぱ頭で、最初に見たときは男の子かと勘違いしてたな」

  由美子、驚きの顔をしてゆっくり後ろを振り返る。

  隆弘、横になったままけれど優しい笑顔で白い天井を見つめる。

  由美子、ふらふらした足取りでまたベッドの横まで近づく。

  隆弘、由美子のほうを見る。

隆弘「由美子、泣かないで。綺麗な顔が台無しだよ」

  涙に気づく由美子、半身をとり、隆弘に見られないようにして手で涙を拭う。

  涙を拭うのを待って、隆弘は改めて由美子の名を呼ぶ。

  由美子、隆弘へ顔を向ける。

隆弘「由美子、お前が三枝の娘だってことは、最初から承知して引き取った。薬をすり替えられたことも知っていたよ。何年も飲んだ薬だ、味でわかるもんだ。でも私はあえて気づかないふりをした。私は殺されるのではない、病気で死ぬんだ。だから由美子は、何も悪くない」

    ×    ×    ×

  立ったまま隆弘を見る由美子、視線を隆弘に合わせず俯く。

  それを隆弘は優しく見守る。

  心電図の数値に変動はない。

  ベージュ色のカーテン、その向こうにまた車が通る音。

    ×    ×    ×

  時計が11時47分を示す。

  俯くままの由美子。

由美子「……どうして。どうしてあんたは、わたしを養子にしたの」

隆弘「さあ、どうしてだったかな」

  隆弘、また何もない白い天井を見る。

由美子「罪滅ぼしのつもり?」

隆弘「私がそういう人間に見えるか」

由美子「でしょうね」

隆弘「ああでも、60もの年月を生きてきたんだ、もしかするとそんな自分の業をちらっと気にした瞬間もあったかもしれないな」

  由美子、隆弘を見る。

由美子「……気まぐれなのね」

隆弘「人間みんな、気まぐれなもんさ」

  隆弘、枯れた声で少し笑う。

隆弘「じゃあ、こういうのはどうかね。あの時に見た由美子ちゃんがかわいくて、あんな天使みたいな子になら命を絶たれてもいいや、って思ったから」

由美子「天使、ね。だったら今のわたしは堕天使、復讐に目を曇らせたただの悪魔かしら」

隆弘「いいや、由美子は天使だよ、今でもな」

由美子「……」

    ×    ×    ×

  心電図の数値が少し低くなる。

  隆弘、眠たそうにまばたきをする。

  時計11時58分を示す。

  隆弘、長めに目を閉じるようになるが、何とかまた目を開ける。

由美子「帰るわ」

  隆弘の返事待たずに、由美子は静かにドアのほうへ歩く。

隆弘「……由美子」

  ドアの手前まで来た由美子、呼ばれて振り返る。

  隆弘、顔を由美子のほうへ向ける。

隆弘「また、私のこと、お父さんって呼んでくれるか」

由美子「……明日呼ぶわ」

隆弘「そうか、今日はいろいろあったもんな……じゃあ頑張って、明日も生きてないとな」

由美子「……おやすみなさい」

隆弘「ああ、おやすみ」

  病室の明かりをおとす由美子。


○ 同・廊下(夜)

  非常灯しか明かりのない廊下に出る由美子。

  病室のドアを静かに締め切り、その場に佇む。闇に紛れて表情が見えない。

由美子「……お休みなさい、お父さん」

  言って、静かに歩き去る。


○ 同・病室

  カーテンから差し込む月明かり。

  それに照らされる時計は12時1分を示す。


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