平成、その最後
友人への手紙を書いた。
年賀状はSNSでばらまき、“拝啓”の字も思い出せないような低学力人間だけど、レトロフェチをこじらせたわけでは決してない。相手は同姓だが授業中の手紙交換でもカンニング目的でもビアンのラブレターでもない。
事の発端は、高校三年生のゴールデンウィーク明け。
休み明けの友人は不幸一ヶ月分みたいな顔をしていて、事情を訊ねるとアルコールを無理やり飲まされたと答えた。まだ下ネタで愛想笑いを浮かべる気力はあって、不調以外に妙な点はなかった。
梅雨入り頃から、友人は休憩時間や放課後にフラリと姿を消すようになった。
クラスが離れてしまったこともあり、多くの生徒が行き交うなかから日陰のありんこみたいな存在感の彼女を見つけるのは至難の技だ。戻ってきた彼女は「ごめん図書室」だとか「ちょっと血が出た」だとか見え透いた嘘をつき、言い訳のストックが尽きてくるとビタミンジュースや形のいい鳥の羽なんかを土産にしてはぐらかそうとした。
その頃になって、わたしはようやく踏み込んだ質問をした。どこに自分だけの場所作ってんのよ。あたしといるのがイヤ? 悩み事あるでしょ家庭の事情でもいいから言ってみなって。
悩み事に関しては図星だったのだろう。友人はわたしが苛立つ直前まで迷ってから、
「二日酔いなの。風に当たりたくて」
そんな話をするのだった。
まさかと思った。休み明けに飲酒の話を聞いたから、もう三ヶ月は依存症の食い物にされているらしい。
校内で喫煙が横行していたこともあって飲酒への危険意識は低く、自己加害で好きに未成年飲酒しているという友人に、わたしは一定以上責めることはできなかった。仲間内特有の引き笑いを見せてから冗談めかしに容認し、「他人に見つからないようにね」と釘を刺してから話題を葬る。もう触れたくない。そのときにひっぱたいて首根っこを掴んで全力でキレたらわたしたちの人生は好転したのだろうけど、あいにくそんな度胸は持ち合わせていない。結果として、友人の不調を加速させる出来事となった。
施錠されているはずの校舎屋上に忍び込む友人を見たのは、六月のプール開き初日のこと。のちに合鍵を所持していることを白状されるのだけど、真新しい鍵の光沢すら映せないほど彼女の瞳が濁っていたことは、今でも、今後もきっと忘れられない。
友人の虚弱体質は周囲にすっかり定着して、その日も授業見学の許可を取らせるため職員室前まで付き添って見送る。「先に行ってて」と手を振られたけれど、プールなんて一年ぶりで妙に心細くなり、田舎者みたいにそわそわと彼女の戻りを待っていた。
友人が遠い方のドアから出てきたとき、彼女が憩いの場に逃げ込むのではないかと直感した。十八の有権者にもなって断酒をさせるつもりはないけれど、場所さえ把握しておけば万が一の際に手助けができるかもしれない。案の定、彼女はプールとは逆方向に向かい、屋上への階段を上り始めた。
わたしはその場で引き返していた。見学のテントで膝を抱えていると三十分ほどで友人が現れて、比較的血色の良くなった顔で一言、「単位の相談で遅れちゃって」と。わたしは自分が情けなくて顔を隠していた。
そして七月。わたしは便箋を買った。手紙を送ることにしたのだ。
学生、屋上、陰鬱とくると“飛び降り”を連想してしまう月並み脳だったので、いつかグラウンドに血溜まりができないかと友人を見失うたびに気が気でなかった。体育系で背が高いくせに小心者なわたしは、安心材料という支えがないと先に倒れてしまいそうだった。
友人がどこで、誰と、どれくらい飲んでいるかは知らない。彼女の家は戦前から続く農家らしく、周辺に居酒屋はおろか家ネズミが路頭に迷うくらい辺鄙なところに住んでいる。家族の酒の席に混ざるようになったのか、放課後に酒街道を練り歩いているのか。学校で猿みたいに騒ぐ同級生とつるむより、大衆の相手をする酒場娘の方が彼女の気性に合っている気がした。
わたし自身、どうしてあんなやつに構ってるのと周囲に不思議がられるくらい対照的に育った。でも十年来の付き合いの情けというか、今さら他人になれる関係ではなかったのだ。高校でグループが別になってもそれなりに面倒を見たり、テスト勉強も一緒に取り組んだり、同じ歌手の音楽を聴いたり、一緒に服を選んで大都会を一日じゅう満喫したりした。
だから、つまり、要するに、今後も変わらず彼女の味方でありたい。望まれるなら君主になるし、家臣にもなる。こうなったら酒でもタバコでも付き合ってやる。そういう思いを綴った。
夏休み直前。わたしはついに屋上の景色を見た。こちらに気づき目を白黒させる友人へと、手紙の内容を読み上げた。自身の稚拙さを晒す結果となった。
「大堂鈴代え!」
発音が“え”なのか“へ”なのか、緊張して迷う暇もない。
「ハイケイとか作法とかよくわからないので本題から書きます。わたしはスズのことが好きです。もちろん友達としてです。出会ってから色々なことがありました。農場のフェンスに穴を空けてごめんなさい。わたしが道に迷ったときにバスの運賃出してくれたこと忘れてないです。泊めてくれたときのあなたの寝顔も覚えています」
読み上げながら、場を和ませるためにユーモアを織り込もうと閃いた当時の自分を恨む。
友人は面食らった表情のまま、耳だけは真剣に傾けてくれていた。それは彼女の渾身の誠意であり、もし笑われたら恥ずかしさのあまり朗読を中断していたと思う。
「わたしは勘違いをしていました。スズが一人で寂しそうだから遊びや買い物に誘っていたつもりだったけど、寂しがりはいつもわたしの方でした。あなたが屋上に出入りするようになって初めて思い知らされ、いつか届かない場所に飛び立たれるのではと怖くなりました」
涙が出てくる。泣き崩れなかったのは、飛び降りの“と”の字も通さないほど堅牢な鉄格子が、わたしを支えていてくれたから。
「なんでも相談できる友達でいたいです。お酒のこともそうだし、一緒に校則を破って、同じくらい悪いことをしたいです。悪友なんて言葉がぴったりな、お互いに結婚しても孫ができても居酒屋で会うような関係でも、あなたが望む距離でもいいから、どうか隣にいさせてください」
書き上げた日にち、自分の名前で締めくくり、封筒に戻して友人に差し出す。ジブリの映画作品みたいに手紙を置いて逃げ出そうと思ったけど、わたしの瞳がブレるのを見た友人は引ったくるように受け取った。賭けた寿命が五倍になって還ってきたみたいに心臓が踊った。
友人は手紙を黙読し「ほんとうのこと?」と訊ねてくる。わたしは胸を張って頷き、迅速果断、すぐにでも酌み交わそうと詰め寄った。
「ほんとうに?」
「うん」
「ごめん、お酒は嘘だから考えなおして」
「タバコでも吸う。ちょっと興味あったし」
「でも陸上続けられなくなっちゃう」
「いい。県大会二位なんてたかが知れてるから」
「……ごめんなさい、やっぱり」
友人はわたしの将来を案じているらしかった。自分は汚物ですと卑しむように縮こまり、ここから逃げ出したいのか足先が屋上扉の方を向いている。
わたしから遠ざかることが、友人にとってのせめてもの貢献だったのだろう。健康第一のアスリートに酒を勧めてはならないし、目の前で喫煙なんてもってのほかだ。わたしが趣味を合わせたがる粘着質な性格だということを理解し、こうなることをずっと避けてきた。
でもそれも今日で終わる。
天秤にかけるまでもなく、夢よりも友人の方がはるかに大切だったから。
「やっぱりとかじゃなくて。もう決めたことだから」
「ねえ、考えなおして」
「やだ」
「ダメなことだから」
「いやだ」
友人は観念し、中身を見せるだけという約束でポーチを開いてみせた。そこで見たものに、わたしは目と友人を疑った。
「……なにこれ?」
ポーチには、手頃なサイズの兎の置物が入っているだけだった。
砂糖菓子みたいな可愛らしい見た目。ビニールで封をされているが、ふと焚いた香木のような香りが鼻孔を掠めた。タバコにも種類はあるけれど、そういった類いの匂いではない。
ライターとか、携帯灰皿とか、最悪怪しい粉でも入っているのではと身構えていたから、それはあまりにも予想外なことだった。
中身をすり替えられたか? 隠しポケットでもあるのか? 混乱させるためのイタズラか?
まるでわけがわからなくて、もう一度訊ねる。
「これなに」
「見せるだけって約束だから」
これ以上詮索しないで。友人の目がそう告げている。
でもそれは、わたしの性分が許さなかった。
「そんなに隠されたら気になるし」
「……大切なものだから」
「陸上できなくなる大切なものってなによ」
「…………」
もはや言い逃れもできない。友人は封を広げ、兎の頭をひねって胴体から取り外した。内側には簡素な機械装置が埋め込まれており、光沢のない黒真珠みたいな塊が中心の溝に収まっている。
その二つは電子香炉と練り香という、熱して香りを楽しむものだという説明のあとで、わたしの目を見て続けた。
「アヘンケシの」
「……アヘン?」
「麻薬。だから、もう、放っておいて……」
すがるように、友人はわたしを突き放したのだ。
それが去年の話。平成最後の夏の話。
現在のわたしは体育大学への推薦入学を果たし、人生初の改元の瞬間も迎えた。
その隣に友人の姿はない。声もずっと聞いていない。
彼女の家庭は、国の許可を得たアヘンケシ栽培の農家だった。
当時、研究機関から委託された農家が国内に数軒だけあり、二重のバリケードを敷くなどして厳重に栽培されていたという。五月上旬に収穫時期を迎えるらしく、彼女がGW明けから不調を訴えていたのもそのタイミングで原料を手にいれたからだろう。
アヘンの練り香を見た日、わたしは恐ろしさのあまり彼女から逃げてしまった。大層に読み上げた決意はハリボテだった。クラスが離れていたことを幸いに思いながら、夏のあいだずっと距離を取り続けていた。
体育系の部活に夏休みなんてないようなもので、八月になっても毎日のように登校し、たびたび校舎の屋上を見上げていた。いるはずのない彼女がいないことを確かめては安堵か憂慮かわからないため息をつき、真下を通るたびに練り香の幻嗅に怯えていた。
それらが杞憂に終わった休み明け。
わたしはそのときになって初めて、彼女たち家族が引っ越したことを知った。
平成三十年。アヘンケシ栽培の許可が、その年限りで停止されることが引っ越しの理由だった。先生は五月頃に知らされていたと話すが、わたしや近しい友人たちにとっては寝耳に水だった。学校や人間関係が嫌になったならともかく、家庭の都合による転校を秘密にされていたのは胃に来るものがあった。
わたしは知らされてすぐに学校を飛び出し、バスに乗って彼女の家に向かった。
かつて見た、立ち入りの“た”の字も通さないほど堅牢なバリケードは撤去され、焼き払いの痕跡が残っているだけだった。
彼女がアヘンの闇に触れた理由はなにか。
わたしたちとの別れが辛くて、現実逃避をしたかっただけなのではないか。
そう言ってほしかったけれど、もはや知る由もない。
作中では国内としていますが、平成三十年現在のアヘンケシ農家は岡山県に二軒だけだそうです。
当作品は、それらの実在の農家とは関係ありません。
麻酔薬や鎮痛剤の成分、研究機関の実験用として利用されているアヘンですが、国内の農家では賄いきれずほとんどが輸入に頼っています。その栽培も今年で終わり。農家の方は「肩の荷が降りた」と話していたそうです。