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もしもやり直せるのなら  作者: ほねのあるくらげ
こうして

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30/35

15

 静かな暁だった。夜明けが近づくごとに雨は勢いを弱め、予定の時間になるころにはやんでくれた。おかげで視界は悪くない。


「目的は、反逆罪を犯した疑いのある者の捕縛だ。我々を妨害してくる者も、同罪だとみなしていい。首謀者たる者らの罪状はいまだ公にはなっておらず、またその全容も把握しきれていない。ゆえに、少しでも何かを間違えれば我々がその罪に問われるだろう。……だが、だからこそ我々はその卑劣な輩に屈してはならない」


 ファタリア城の城門前に集った軍人達に向け、ミカルは厳かに告げた。深く染み渡る、よく通る声だった。


「何故なら我々は最後の砦。我々が陥落()ちれば、逆賊による蹂躙が始まるだろう。そんなことはあってはならない。決してだ。答えろ、貴官らの銃はなんのためにある?」

『国を、民を守るためであります!』

「そうだ。この銃の名誉にかけて、我々は勝利せねばならない。……現在、ウェンザード少佐の率いる部隊が別の場所に向かって進軍している。離れた地で戦う戦友(とも)に負けない活躍を、期待しているぞ」


 重なる声に、ミカルは小さく頷いた。 


「ただし、これだけは忘れるな。敵も味方も、多くの血が流れるだろう。しかし、一人として命を奪ってはいけない。……もしも彼らに罪があったとしても、それを裁くのは法でなければならないのだから」


 無慈悲に与える死は、救済にも制裁にもなりえない。この宮殿の中にいる者は残らず生きたまま捕縛せよ。下された命令に、軍人達は敬礼で応えた。


* * *


 ミカルが即席の部隊に発破をかけていたころ、軍人達を率いたローディルはまっすぐにキルトザー邸に向かっていた。

 ローディルに付き従うのは第三竜騎兵(ウェンザード)大隊だけでなく第一竜騎兵(ガウスド)大隊に所属するベルナの部下もいたが、少数ということもあり統率面で問題はない。一斉に駆ける軍馬のいななきは、暁闇を裂くように響いていた。


「ケルマ小隊は僕と共に正面突破、エディビス小隊は裏口から回れ! リグズ小隊は屋敷の周囲と門扉を固めろ、屋敷の人間は誰一人逃がすな!」

『はっ!』


 キルトザー邸に着くが早いか、マスケットを高く掲げてローディルは力強く命じた。その通りに軍人達が散開する。

 門の前にいた警備の人間は、何事かと泡を食ったように屋敷の中へと駆け込んでいった。そのあとを追って玄関を破る。少し前まで静まり返っていた屋敷は一気に騒がしくなった。

 制圧にはさほど時間もかからなかった。まだ早朝というにも早すぎる時間帯だ。徹夜、あるいは何らかの理由でよほどの早起きしていた者を除き、屋敷の住人はぐっすり眠っていたところをいきなり叩き起こされている。そんな彼らにまともな思考ができるわけもない。みな、「武装した軍人達がいきなり押し入ってきた」「侵入者達は、逆らう者は反逆罪になると叫んでいる」という事実にパニックになってされるがままになっていた。

 しかしそんな中で、一人だけ事態を正確に把握していた男がいた。この屋敷のあるじ、クトール・ジューノ・フォン・キルトザーだ。


「君は……ウェンザード家の嫡男か。残念だ。まさかあの誇り高いウェンザード家が、反逆に加担するとは」

「何を。国家に叛こうとした大罪人は貴卿のほうだろう、キルトザー卿」


 マスケットを手にしたローディルに追い詰められても、クトールは顔色一つ変えない。白々しく肩をすくめる伯爵に、ローディルは眉をひそめた。


「どうやら私達の間には、何か大きな勘違いがあるようだ。そういえばウェンザード家の嫡男は、素行の悪い同輩と仲がよくなったと聞いたな。彼らに何を吹き込まれたのかは知らないが……君が信じていた友は、本当にそれが真実の姿だと思うかね?」

「……何?」

「いやなに、私も少し調べたのだ。憂国の士として、妙な噂のある者が軍服に袖を通すのは許せなかったからな」


 そこは書斎だった。クトールは赤いベルベットの椅子に深く腰掛けていた。彼を最初に見つけたのはローディルだ。他の部下は違うところを探しているため、書斎にはクトールとローディルしかいなかった。


「たとえば第一竜騎兵大隊の長。薄汚い貧民窟の出身のうえ、得体の知れない怪しげな組織とつながりがあるようじゃないか。それから、第二竜騎兵大隊の長。こちらは少年時代、窃盗の常習だったらしい。一体どんな手を使ってディエル大将に取り入ったのだろうな。……さて、こんな者達は信じるに値するだろうか?」

「……」

「君は大貴族の嫡子だ。君を意のままに操ることで吸える汁はさぞ甘いだろう。彼らは言葉巧みに君を担ぎ上げ、恐るべき陰謀に巻き込んだのだ。このままでは、君に待っているのは破滅だぞ」

「なるほど。確かに僕も、突然のことに舞い上がっていたのかもしれない。言われてみれば、僕は彼らを疑うこともせずに言われるがままになっていた。両者の言い分も聞かずに一方だけ盲信してもう一方を悪と断じるなんて、決してしてはいけない行いなのに。……非礼を詫びさせていただきたい、キルトザー卿。僕がすべきは銃を持って貴卿をおびやかすことではなく、友としてまず門扉を叩くことだった。これは僕が己を恥じた証として、貴卿に預かっていただきたい」

「私が思った通り、君は賢明な人だったようだ。誤解が解けてなによりだよ」


 ローディルはマスケットの銃身を持ち、空いているもう片方の手を上げながらクトールに近づいた。それを受け取り、クトールは机の隅にあった小さな器に左手を伸ばす。

 彼の指が器に触れた、その瞬間。

 派手な音を立てて、器が砕け散った。


「がッ……!」

「――貴卿はまったくの恥知らずだな。追い詰められた際に口にするのが命乞いでも弁明でもなく、ごまかしだとは」


 ローディルの手にマスケットはない。マスケットはクトールが持っていた。しかしローディルのもう片方の手には、リボルバーが握られていた。


「そんな口車に乗りそうなほど僕が馬鹿に見えたか? ガウスド達に誘われたからほいほいついてきただけの者が来たなら、どうとでも乗り切れると?」


 左手を押さえて苦悶の声を上げるクトールに近寄り、ローディルはマスケットを取り返した。弾薬を一切装填していないマスケットはやはり違和感がある。

 相手が狡猾な男だとわかっていたから、あえて弾を込めていないマスケットを見せびらかすように携えていたのだ。クトールがマスケットの銃口をローディルに向けるなら、足をリボルバーで撃った。それ以外の動作をするなら、その動作にかかわる場所をリボルバーで撃った。たとえクトールが何をしようと、彼より早く動いて彼を無力化する自信があった。

 

「これは……なんだ? 中身が若干燃えているな……」


 机に散らばる残骸から、か細い煙が上がっていた。撃った時の衝撃で火がついたのかもしれない。こんな小さな火種でも、火事になる時はなるのだ。おまけに変な臭いもする。消しておこう。

 ……ベルナが煙がどうのこうのと言っていたような気もするが、おそらく火事の警告のことだろう。火事の時に煙を吸ってしまうのはとても危険だ。

 クトールのこめかみにリボルバーの銃口を押し当てながら、ローディルはその残骸をもみ消した。もともと薄い煙だったが、すぐに消えてなくなった。

 ちょうどそのとき、マスケットを構えた軍人達が書斎に押し寄せてきた。クトールの拘束を手伝わせながら、屋敷のどこにも一人息子のコーリスがいないことを聞かされる。しかし脱走した形跡はないので、もともと屋敷内にいなかったのだろう。息子の居場所についてクトールは吐かなかったが、それは黙秘と言うよりも知らなかったからのように見えた。


「少佐、さすがですね!」


 一人で黒幕と目される男を無力化した上官に、直属の部下が尊敬の眼差しを向ける。ローディルは得意げに鼻を鳴らした。


「この程度、造作もないさ。マスケットの扱いでは一歩譲るが……リボルバー、特に早撃ちならセレンデンに負けたことは一度もないからな!」


 また上官が、同期のセレンデン少佐に張り合っている。胸を張るローディルを見て軍人達は苦笑し、深くうなだれるクトールを連行していった。


* * *


 パドリア宮殿の使用人のほとんどがミカル達を見て怯えたように投降したが、中にはナイフを手に襲ってくる者もいた。

 その動きは明らかに素人のそれではない。恐らくクトールが遣わした者だったのだろう。無抵抗の使用人達は一か所に固まるよう優しく誘導するだけにとどめたが、歯向かってくる者には意識を刈り取ってから縛っておくようにした。

 軍人達はすでに散開して少数で行動している。ミカルが目指しているのは王女が所有するという三つの寝室のうちの一つだ。今の時間帯なら、きっと彼女は眠っているだろう。

 この宮殿の間取りは頭に叩き込んだので、そこを目指すのに支障はなかった。脱走者が出ないよう見張りを各地に立たせ、キルトザー家の刺客の相手をさせる露払いとして辺りを巡回させているため、寝室に向かうのに邪魔も入らない。しかし途中で刺客に足止めを受けたり他の小隊に助力を求められたりしたため、今ミカルについてきているのは副官のシュリスただ一人だった。

 目指していた王女の寝室が見えてきたころ、ミカル達とは別の道から、ミカル達より早くそこに到達しようとする者が目に飛び込んできた。廊下を全力で走るコーリスだ。

 その身体がところどころきらきら光っているように見えたが、どうやらガラスの破片がいくつも刺さっているようだ。おおかた、どこぞの窓でも破ってきたのだろう。

 どうやら押さえられなかった場所から侵入したらしい。怪我が多いのは、見張りとやりあったからだろう。部下がコーリスに負けるとは思えないが、刺客をぶつけられたのかもしれない。

 ミカルは小さく歯噛みした。てっきりコーリスはキルトザー邸にいるとばかり思っていたが、目論見が甘かったようだ。

 さすがに自宅への襲撃に気づいてそこから逃げ出したにしては、パドリア宮殿に辿り着くのが早すぎる。皇宮の敷地内にいたのだろう。そこで不穏な気配を察知して駆けつけたか。ということは、皇宮にいる衛兵達もそう遠くないうちに駆けつけてくるだろう。ベルナをはじめとした情報機関の足止めもどこまで持つか。


「ッ! 待て!」

「……なるほど。この襲撃には、セレンデン少佐がかかわっておいででしたか。まったく、つくづく目障りな方だ」


 彼が王女の寝室のドアに手をかけたことに気づき、慌てて声を張る。足を止めたコーリスは苦々しげに吐き捨てた。きっと彼は、ミカルがここにいる意味に気づいているのだろう。

 コーリスはミカルから目をそらさないまま、手をドアノブにかけた。隠すように握っていたのはこの寝室の鍵だろう。


「ですが、私にも譲れないものがあります」

「動くな。動けば撃つぞ」

「こんなところで――終わって、たまるかッ!」


 コーリスが動く。その瞬間、ミカルのマスケットが火を噴いた。

 本来、マスケット自体の精度は決していいものではない。だからこそ竜騎兵は集団で行動し、集団で一斉に撃つのだ。しかしミカルは、銃の性能に頼らず狙った個所に無理やり当てる技術に長けていた。

 放たれた弾丸は正確にコーリスの肩を穿つ。けれど威嚇のためのその手加減は、コーリスの強い意志をくじけなかった。ドアを開けたコーリスは、痛みにも構わずその中に滑り込む。ドアがばたんと閉じるのと、ミカルが舌打ちをするのはほぼ同時だった。

 

「……」


 空になったマスケットをシュリスに預ける。シュリスが装薬と弾丸を詰めている間、ミカルはつかつかとドアに歩み寄ってがちゃがちゃがちゃとノブを回していた。しかしとっくに施錠されたのか、ドアは一向に開く気配がなかった。

 ミカルのマスケットを手にしたシュリスは思案を巡らせる。さて、どうやってここを破るか――――けれど彼が答えを出すより早く、上官が懐に手をやった。

 リボルバーから乾いた発砲音が一度だけ響く。壊れたドアノブのぶらさがるドアを、ミカルは無言のまま蹴破った。

 血まみれのコーリスが床を這っていた。ベッドの上にはサージウスと王女がいた。


「おや、まさか殿下もいらっしゃるとは。失礼いたしました。少々荒々しい入り方になってしまいましたね。なにぶん育ちが悪いものでして」


 そう言いながらミカルはリボルバーを懐にしまう。シュリスからマスケットを受け取り、ミカルは慇懃に軍帽を取って頭を下げた。あまりのことに声も出ないのか、サージウスは口をぱくぱくと開閉させてわなないている。王女は呆然とミカル達を見ていた。


「全員捕らえろ」

「殿下も、でしょうか?」

「当然だろう。……ああ、こう言ったほうが聞こえがいいか。レフ中尉、殿下を安全な場所にお連れしろ。その前に、コーリスの止血も頼む。途中で死なれたら敵わん」

「はっ!」

「な……な、なんのつもりだ、そなたら! ついに軍部は反乱を起こしたのか!?」


 ミカルが命じると、サージウスは強く叫んだ。ようやく喋るだけの余裕が戻ったらしい。


「ついに、ということは、軍部が反旗を翻す可能性を殿下は視野に入れていたということでありましょうか。しかしご安心なさってください。軍部はいつだって、帝国の忠実な盾であり剣であります。帝国の(・・・)、ですが」

「詭弁を……! 自分が何をしているのか、まるでわかっていないようだな!? そなたの名と所属は聞いたことがあるぞ、第二竜騎兵大隊の、セレンデン少佐だろう! こんなことをして、ただで済むと思うなよ!」

「何もわかっていないのは貴殿だろう。貴殿が騙されて利用されただけの哀れな被害者か、あるいは進んで陰謀に加担した賢しい暗躍者か……それはこれから調べさせていただくことだ。しかし私見ながら、この場で一つだけ言わせていただきたいことがある。宮廷を狂わせる種を自ら持ち込んだ今の貴殿を、皇太子とは認められない」 


 ぴしゃりと言い捨てると、サージウスはひっと言葉を詰まらせた。しかしこの襲撃の本命は彼ではない。ミカルは視線をサージウスの横にずらした。


「さて、グレイムの王女よ。殿下、とお呼びすればよろしいか? なにぶん小官は、貴女の名を知らないのでな」

「おう、じょ?」

「……」


 間抜け面を晒すサージウスには目もくれず、王女は小さくため息をつく。

 先ほどまで彼女が浮かべていたはずの恐怖と困惑は、すでにどこにもなかった――――きっと本当の彼女は、そんなものははじめから抱いていなかったのだろう。


「ユールチェスカ」


 王女が紡いだ言葉に重ねるように、ユール、とか細い声が聞こえた。声の主は、シュリスに支えられてもぞもぞと起き上がったコーリスだった。


「帝国のみなさん、ごきげんよう。わたしの名前は、ユールチェスカ。ユールチェスカ・グレイムと申します」


 すべての感情を落としてきたような無機質な瞳の姫君は、造り物めいた笑みを浮かべた。 

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