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もしもやり直せるのなら  作者: ほねのあるくらげ
こうして

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13

 それは恐ろしい麻薬の類。飲食物に含まれたその成分が、摂取した者に多幸感と渇きをもたらす。たとえごく少量であっても、それは人の心を狂わせた。

 それを彼らに与えられるのはルーナだけだ。だから彼らは渇きを潤せる麻薬を無意識のうちに求め、ルーナに心酔してしまった。ルーナを崇拝し、その素敵な贈り物が絶やされることのないよう彼女の機嫌を取っていた。

 だからルーナは、早々に“誰からも愛される寵姫”になったのだ。もともと“ルーナ・ミフェス”は人々に愛されるような少女だった。けれどその不確かな印象を確定させ、予測できない悪意を排除するため、彼女は麻薬を用いたのだろう。


「もともとな、機関もちょっと動いてたんだよ。寵姫様がばらまいてるとまでは思わなかったが……ったく、お前が悪食じゃなくて本当によかったぜ」

「必要なら何であっても食べるぞ? だが、平時の帝都で食には困らないだろうが。飢えていないんだから、さすがに無理して食べはしないさ」


 麻薬が宮廷にはびこっており、かつそれはルーナの仕業だった。それが発覚したきっかけは、ある日のファタリア城から出た生ごみだ。

 とある下女が脇目も振らずにごみを漁り、何かを貪っていた。それを偶然見つけた衛兵は、不審に思って彼女を捕らえた。彼女は完全に正気を失くしているようで、死んだ目をしながらうわごとのように「たべたい」と繰り返し呟いていて、衛兵に取られたクッキーに手を伸ばしていたらしい。

 彼女がかじっていたのは、独特なにおいのクッキーだった――――ミカルがルーナから贈られた、あのまずいクッキーだ。

 これはただごとではないと、そのクッキーの袋は帝都の研究所に預けられて分析された。麻薬入りだと判明したところで、情報機関と憲兵達も動き出す。帝都を守護する城塞たるファタリア城にそんなものを持ち込んだのは誰なのか、麻薬はどこまで広がっていたのか、水面下でひそやかな調査が行われていた。

 調査の結果、そのクッキーに限らず宮廷に出回る様々な飲食物に麻薬が混入されていた可能性が指摘された。その直後、ミカルがベルナにキルトザー家の陰謀の話をしたのだ。

 ならばもしやと麻薬入りクッキーのことをベルナに尋ねられ、ミカルは正直にそれを話した。一口食べてすぐ吐き出したが、それは自分が捨てたもので、ルーナからもらった物だったと。

 件の下女は、サージウスがロザレインと結婚する前から彼の日帰り脱走を手伝っていたという。それは当然ルーナとの逢瀬を実現させるためのもので、彼女はかなり長い間クッキーを食べさせられてルーナに隷属していたようだった。

 ミカルに渡されたクッキーには、検出された麻薬入りのどの食べ物よりも多量の麻薬の成分が含まれていた。もともと細々と摂取し続けていたことに加え、一度に多量の麻薬を口にしてしまったせいでその下女は完全に壊れてしまったらしい。中毒症状から立ち直り、復帰するにはかなりの時間を要するようだ。

 どうしてルーナがそんなものを自分に渡したのか――――それは多分、彼女の違和感に気づいていると勘づかれたからだろう。

 あのままミカルが何の疑問も抱かずにクッキーを平らげていたら、今ここにいなかったと思うとぞっとする。しかし幸いにもあの味を舌が覚えたので、よそで口にした物にあの味の残滓はないと断言できた。

 家で女中が作ってくれた食事、帝都の店で頼んだ食事、そしてファタリア城の食堂で出された食事も安全なはずだ。問題は、ミカルの知らない場所での食事がどうなのかわからないことだったが。

 

「パドリア宮にはキルトザー家から来た使用人も何人かいたらしい。ルーナの後見人が伯爵なんだから、誰も疑問にゃ思わなかったけどな。だが、こいつらを使えばパドリア宮をクスリ漬けにするのは簡単だ」

「そのうえルーナは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだろう? おまけに伯爵の身分を思えば、繋がりのある有力貴族にそれと知られず麻薬を与えることもできる。……一体どこまで汚染が広がっているのか、考えたくもないな」


 ミカルはため息をついた。ルーナからもらった物はもはやすべてが危険物だ。ロザレインに贈られたというあの香炉も、ベルナを通して研究所に預けていた。


「有力貴族って言えば……宰相閣下が、殿下に巻き煙草を下賜されたそうだぜ。とはいえ閣下は情報機関(おれら)の最大の出資者だ、うさんくせぇ贈り物はさっさと研究所に回されたらしいけどな」

「巻き煙草だと?」


 はっと脳裏でひらめくものがあった。二度目の生において、ヴァルムートが握りつぶした巻き煙草の箱。あれは、サージウスから下賜されたものだった。

 見慣れない銘柄の箱。あの煙草は使われなかった。だが、もしもどこかで別の、似たようなものが下賜されて、その煙か何かに、怪しげな成分が含まれていたのなら。


(そうか……! 閣下は私を切り捨てたわけではなく、薬で操られていたんだ……! 離縁はロザリィ側に非があるのだと周囲に思わせようとした者が、閣下にああ言わせたに違いない!)


 それならまさか、一度目の生と二度目の生で皇帝夫妻の対応が違った理由は。ルーナは、サージウスは、コーリスは、キルトザー伯爵クトールは、自分達に逆らううるさい権力者達を軒並み薬で黙らせていた?


(あの香炉も、何かよくないもので……それが、ロザリィの心を蝕んでいたとしたら……)


 侍女達はもともとサージウスの息のかかった人間だ。ルーナを疑いもせず、麻薬の拡散に協力している節すらあるサージウス。そんな彼女達ならロザレインに悪い薬を与えるのはたやすく、自分達にその累が及ばないようにするか……あるいは、ロザレインに与えた程度の量ではもう効かないぐらい耐性がついていてもおかしくない。

 ミカルが初めての死を迎える直前、ロザレインは正気を取り戻した。その部屋に足を踏み入れた時、ミカルは香炉の中身を捨てて部屋の換気をした。換気したことで、香炉から漂う悪い煙が一時的にでも晴れたなら。長らくそれに侵されていたロザレインが、自分を囚える煙からいっとき解放されたなら。


(そもそも、ロザレインが飲んだ毒の出所はどこだった? あれも、ルーナが与えたものだったんじゃないか? なら、ロザレインが心を病んだのも……?)


 答えは、最初から出ていた。

 心を病んで救いを求めたロザレイン。その自殺未遂と現実からの逃避は、すべてルーナ達の差し金だった。

 孫娘のために弟子を切り捨てたヴァルムート。その突然の裏切りも、ルーナ達の差し金だった。

 宮廷は麻薬に汚染されている。皇帝夫妻は急に体調を崩した。きっとそれも、彼らの仕業に違いない。


「魔女の国」


 とある亡国の異名が、ミカルの口から自然と零れ落ちた。


「禁忌の智慧の民……」


 ミカルはその地が国家であった時代を知らない。けれどヴァルムートを主役とする英雄譚にその国の名はわずかに登場したし、ヴァルムートからその話を聞かされることもあった。


「呪われし隠れ里、グレイム……!」


 何百年も前の言い伝えなんて、誰も本気にしなかった。山間にひっそりと建つ不気味な小国を勝手に言い表し、それを攻め落とした侵略者達が現れた時に彼らを正当化するための誇張表現だろうと。

 グレイムの地は、大戦の折に帝国に接収された。帝国軍に攻め込まれて負けを悟ったグレイム国の王族は、王城に火を放った。後に残ったのは手つかずの痩せた森と敵意に満ちた国民で、けれど王妃と幼い王子の亡骸だけ見つからなかったという。

 “ルーナ・ミフェス”がグレイム王家の生き残りなら、“世が世なら王女殿下と呼ばれていた亡国の忘れ形見”という言葉にぴたりと当てはまる。世代からして王子の子だろう。彼女はグレイム領が王国だった時代を知らないはずで、けれどその血の故郷を求めているのだろうか。


「……確かグレイムは、薬草やら薬やらで生計を立ててたよな。そのうえさらに特別な薬があるって聞いたぞ。言い伝えじゃ、その特別な薬とやらは王族にしかわからない秘伝の製法で作られるらしいが……。それが、麻薬だったってことなのかねぇ」

「人里を離れてひっそりと暮らす人々を見て、勝手な伝説を考えただけだろう……と思っていたが。案外、その通りだったのかもしれないな。だからかつてあの国は“魔女の国”と呼ばれて恐れられていたんだ。人を癒すための薬草を採る傍らで、人を狂わせる麻薬を生産していたから」


 今のグレイム領には、そんな兆しは見えない。かろうじて薬売りの面影だけは残るらしいが、反乱の勃発する危険な土地だ。そんなところに行商に行く命知らずな商人はいないし、そんな土地だからこそ統治を任された領主もやる気はまったくない。グレイム領から来た薬売りがたまに近隣の領に行くことはあるらしいが、グレイムの薬に素晴らしい薬効があるとはとんと聞かなかった。


「王城が燃えた時に、グレイムが“魔女の国”であったゆえんは失われたんだろう。……だが、きっと王妃と王子は生きながらえた。彼らは伝えたはずだ。“魔女の国”を継ぐ末裔に、そのすべてを」


 この国を汚染したすべての毒。それはきっと、“ルーナ・ミフェス”の手によるものだ。伯爵はそれを利用しただけにすぎない。ルーナが望んで毒をばらまいたのか、あるいは伯爵がそれを命じたからこそルーナは毒を作ったのか。どちらでも同じことだ。


(今頃ロザリィはディエル邸に戻ったはずだ。あそこなら安全なはず。あとは、ルーナを名乗るグレイムの王女と伯爵をどうにかしなければ……!)


 おおごとになれば、これはきっともみ消される。かつての秘密クラブのように、後ろ暗いものを抱える連中がこぞって真実の隠ぺいにかかる。皇子がかかわっているのだからなおさらだ。

 だからこそこの調査も結果も最重要秘匿事項で、誰が味方で誰が敵かわからない今はクトールもコーリスも、そして“ルーナ・ミフェス”も表立った捜査の対象外だった。

 だからミカル達は独断で動く。潰される前に、叩き潰す。“魔女”の毒が、国を蝕んでしまう前に。

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