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もしもやり直せるのなら  作者: ほねのあるくらげ
こうして

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22/35

「お願いしますっ、セレンデンさん!」

「いえ、しかし小官は……」


 ある晴れた日の朝、ミカルはほとほと困り果てた顔で周囲を見回した。職務中であれば鬼の少佐だ血も涙もない冷徹軍人だと影ながら囁かれているらしいが、だからこそ軍服姿のミカルが困り顔でいるのが珍しいのだろうか。ファタリア城の廊下は人で溢れ返っている。しかし誰もミカルに救いの手を差し伸べてはくれなかった。

 いや、違う。彼らは何もミカルを見に来たのではないはずだ。彼らの目的はただ一人、ミカルの前で深々と頭を下げている少女のほうに違いない。


「どうしてもダメですか?」

「……」


 少女、皇子の寵姫ルーナはうるんだ目でこちらを見上げてくる。

 周囲の視線が痛い。いたいけな女の子の願いすらも叶えてやらないとは、あの男は本当に噂通りの酷薄な男だ……などという幻聴が聞こえてきた気がした。一応、そういう噂があることを気にしてはいるのだ。それで仕事に手を抜く気はないため、結局何も変わってはいないが。


「それは、小官でなければ務まらない任務でありましょうか。我が第二竜騎兵(セレンデン)大隊の通常任務は街の警備であります。御身の警護であれば、第二近衛(ラミット)大隊の者達のほうが適任だと存じるのでありますが」

「今日だけはついてきてほしくないんです……」


 しゅんとうつむく少女の顔に、何人かが膝から崩れ落ちた。パドリア宮殿からここまでルーナを護衛していた、そしてもともとファタリア城に控えていたラミット大隊の者達だ。身を挺して高貴な身分の者達を守る屈強な軍人達も、敬愛する少女の前では形無しのようだ。


「あっ、今日は出かけるって、サージウスにもちゃんと言ってありますから! 本当はサージウスも一緒に来るはずだったんですけど、コーリス様に止められちゃっただけですよ」


 つまりこれはお忍びなどではなく正当な外出だと言いたいのだろう。寵姫一人の都合に合わせて皇子にほいほい公務を投げ出されても困る。皇子の側近、コーリスについては多少思うところがないわけでもないが、その判断には感謝した。

 しかしこれで断れる理由がなくなった。皇子から正式な命令は届いていないものの、これ以上無下にあしらえばよくないことが起きるだろう。


「……では、部下を手配し、」

「えっ、いいですよ。セレンデンさんだけで大丈夫です。そんなに危ないところに行くわけじゃないですもん」


 本当は一人で行けるんですけど、それはダメだって怒られたからセレンデンさんにお願いしたんです。ルーナはあっけらかんとそう言い放った。

 もはやどこから何を突っ込めばいいのだろう。真面目に考えることも馬鹿らしくなり、ミカルは痛むこめかみに手をやった。


*


 ルーナがミカルにしたお願いというのは、“ヴァルシ山に行くのでついてきてほしい”というものだった。ヴァルシと言えば、帝都の外れにある緑豊かな狩りの穴場だ。時期になれば狩人が猟銃を手にして獣を狙ったり、山菜や香草を採りに来る街娘が散見される。春の訪れをようやく感じられるようになったこの季節では、まだ人も獣もろくにいないだろうが。

 愛用のマスケットを携えて馬を駆る。背中にはルーナがしがみついていた。彼女は馬に乗れないので、ミカルの背に腕を回して横乗りになっている。以前は休日であればこうしてロザレインを連れて遠乗りに出ることもままあったのだが、ロザレインでない少女とともに馬に乗っているのはなんだか妙な感じがした。

 愛馬もあるじの同乗者がいつもと違うことをわかっているのか、ところどころ警戒するような節が見られる。気が立っている馬をなんとかなだめて山へ向かった。


「この山に何かあるのでありますか?」


 なだらかな山の中腹で馬を停めると、ルーナは嬉しそうにいそいそと飛び降りた。その背中を見失わないようミカルも降りて、歩きながら声をかける。振り返ったルーナは花の咲いたような笑顔を浮かべていた。


「ミスミソウが群生してる場所があるんです。日頃のお礼に、みんなに配れたらいいなって!」

「なるほど。彼らに秘密にするために、小官に白羽の矢を立てたのでありますね」


 ルーナの知人で護衛を頼める者は、ラミット大隊の面々かミカルぐらいのものだ。大隊長(ミカル)を代替に仕立て上げるのも中々豪気だが、ラミット大隊の者達にとっては朗報だろう。ルーナは彼らを嫌っていたわけではなかったのだから。


「んっと、普通の話し方でいいですよ? もう城から出ちゃいましたし」

「それはなりません。小官は職務中でありますから」

「そういうものなんですかね?」


 これは譲れない一線だ。固辞するミカルに何かを感じ取ったのか、ルーナはそれ以上何も言ってこなかった。

 しばらく歩くと、一面にピンクの花が咲き誇る開けた場所に出た。ルーナははしゃいだ声を上げてミスミソウに駆け寄る。その姿は無邪気な女の子そのものだ――――けれど、ずっと感じていたざらりとした違和感がぬぐえない。


(やはり、彼女の一挙一動はわざとらしく見える。彼女を疎ましく思うからこそ、そのすべてが鼻につくように思ってしまうのだろうか……)


 ルーナに怪しい点なんて一つもなかったじゃないか。彼女はただ天真爛漫なだけで、自分がそれに慣れていないだけに過ぎない。ルーナは本当にいい子で、その心根の清らかさにサージウスは惹かれて、そして城の者達も彼女に傾倒している。その流れに、ロザレインを想うミカルは染まれないだけだ。

 本能が訴えるどうしようもない嫌悪と、建前がもたらす自制がせめぎ合う。根拠もなくルーナを疑うもう一人の自分をいさめつつ、ミカルは目をつむった。

 ほどなくしてルーナの悲鳴が聞こえた。ばっと目を開けてマスケットを構える。ルーナの視線を追うと、木の影の向こうに熊がうろついていているのが見えた。


「……ご安心を。少し早い冬眠から覚めた個体のようであります。さほど凶暴ではありませんから、襲われることもないでありましょう」


 小声で話しかけると、ルーナは恐怖で目を見開いたまま何度も頷いた。そして彼女はミスミソウがつまった籠を手に、ミカルの背後に隠れてしまう。しばらくミカルは熊を目で追っていたが、寝ぼけ眼の熊は人間になど興味がないようだ。少しおぼつかない動きでどこかに行ってしまった。


「いったようであります。これからどうなさいますか?」


 念のために尋ねる。真っ青になった顔が答えだった。


* * *


「おかえりなさいませ、ルーナ様」

「ただいまー!」


 侍女に迎えられ、ルーナはぱっと笑う。パドリア宮殿まで送り届けてくれた真面目そうな軍人に助けられ、ルーナは馬から降りて地上に立った。


「では、小官はこれにて失礼させていただきます」

「セレンデンさん、今日はありがとうございました!」


 深々と頭を下げる。軍人は小さく頷いただけで、さっさと馬上に戻った。にこりともしないまま馬を走らせる。彼の姿はあっという間に見えなくなった。つくづくルーナのことに興味はないらしい。


「なんだか疲れちゃった。ちょっと眠ってもいい? ご飯の時間までには起きるから」


 はふ、とあくびをして大きく伸びをする。まだ夕方だ。三時間程度なら眠れるだろう。侍女はくすりと笑って了承の返事をした。


「今日は三番目の寝室を使いたいな。だから、ついてこなくて大丈夫だよ」


 けれど侍女は、続いた言葉に目を丸くする。三番目の寝室をルーナが使いたいと言うことはほとんどないからだ。掃除すらも許さない、誰も入室できない寵姫だけの空間。貴族社会にもまれる平民の彼女が、息抜きをするための安らぎの部屋。だから侍女は、深い慈愛の眼差しを持って一礼した。

 パドリア宮殿には部屋がたくさんある。まったく同じ用途のために、似たような部屋がいくつも用意されているのだ。衣裳部屋、食事のための部屋、勉強部屋。それは貴族のしきたりで、けれどルーナが寝室を三つ持つのはそれとはまったく別の理由からだった。その本当の理由を知る者は、このパドリア宮殿にはルーナしかいない。

 一つ目の寝室は、皇子が来たときのためのもの。二つ目の寝室は、ルーナが一人で寝るためのもの。そして三つ目の寝室は――――


 周囲に誰もいないことを確認して寝室の扉を開ける。部屋の鍵は即座に閉めた。

 天蓋付きのベッド、大きな化粧台、ベルベットの赤いソファ。しんと静まり返った部屋は冷ややかで、家具の一つ一つすらも帰還したあるじを歓迎しているようには見えなかった。

 窓の鍵を開ける。この部屋は一階の、ひどく奥まった場所にある。あまりルーナがこの部屋に来ないこともあり、外ですら警備の影はない。彼らが決して近づかないよう、ルーナが指示を出しているからでもあったが。


(あの背中、おとうさんみたいだったな)


 腕を回した、軍人の背中を思い出す。細身だと思っていたが、軍服の下は見た目ほど貧弱ではないようだ。効率よく鍛えられた、無駄な肉のついていない引き締まった固い身体。あれが戦う男の背中というものなのだろうか。

 それは、本当の父のものとはまったく違う。記憶の中のあの人はもっと弱々しくて、骨と皮ばかりだったから。けれど、夢見た“父親”の背中だ。庇護を求めてあえぐ子供なら縋りたがるような、安心感の象徴。相手は三十そこそこの男だ、自分ぐらいの年の少女に父親のようだと言われても微妙な顔をするだろうが。


「父さん。わたし、頑張ってるよ」


 化粧台のスツールに腰掛け、自分で自分をぎゅっと抱きしめた。鏡の向こうの自分は笑っている気がする。うつむいて呼吸を整え、同じように笑った。


* * *


「先週は本当にありがとうございました!」


 またルーナがファタリア城に来た。しかもいつぞやのように入口付近の廊下ではなく、ミカルの執務室だ。通した者はきっと、ルーナの信奉者なのだろう。


「ちょっと遅くなっちゃいましたけど、これお礼です!」


 差し出された包みは、ミカルが何か言うより早く執務机の上に置かれる。困惑するが、いつかベルナが言っていた「ちょっとした礼に手作りクッキーやらなんやらくれる」という言葉を思い出した。多分、これがその“ちょっとした礼”なのだろう。


「クッキーですよ。あたしが作ったんですけど、結構評判いいんですよー? 甘さ控えめなので、セレンデンさんのお口にも合うと思います!」


 むしろ死にそうなほど甘いほうが好きです、とはさすがに言えない。厚意は厚意だ。あいまいに礼を言うと、ルーナは安心したように笑った。


「それじゃあ、あたしはこれで。お仕事中に失礼しました」

「お気をつけて。送らせましょうか?」

「あはは、ありがとうございます。でも、今日は大丈夫ですよ。ちゃんと護衛の人と一緒に来ましたから」


 ルーナは帰っていった。一人残されたミカルは、ちらりと包みに視線をやった。

 ちょうど小腹が空いてきたころだ。ルーナ曰く甘さは控えめらしい。しかし元がクッキーなのだから、まったく甘くないということはないだろう。むしろそれはそれで上品な味となって、いつもとは違う新鮮な美味が味わえるかもしれない。

 ハーブクッキーのようだ。あまり嗅いだことのない、独特の匂いがする。それは決して異臭というわけではなく、むしろ程よく焼けた色が放つ香ばしい香りと相まって食欲をそそられた。


「ッ! な、なんだこれは!?」


 一口含み、反射的にペッと吐き出す。仕事中に飲んでいた飲みかけの冷めたコーヒーを一気に流し込むが、舌に残る強烈な味は消せなかった。


(まずい、まずいまずいまずい! これは人間が食べるものなのか!?) 


 毒物ではない、と思う。しかしそれとはまた別の、不快な苦みが口いっぱいに広がっていた。これ以上これを食べてはいけないと、本能が警鐘を鳴らしている。この劇物をクッキーだと認めたくない自分がいた。


「これが好評とは……。城内の味覚は一体どうなっているんだ?」


 もらった食べ物を捨てるのは気が引ける。だが、これはしょうがない。それと知られないよう包みを厳重に隠し、ごみ箱に捨てた。あんな恐ろしい物体のことはもう忘れよう。

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