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もしもやり直せるのなら  作者: ほねのあるくらげ
こうして

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19/35

* * *


「サージウスは馬鹿です。あれでも頭はよかったんですよ? ですが、だからこそ愚かで、おまけに人の気持ちがわからない。……はは、まるで私の鏡のようだ。しかし彼と私は決定的に違います。自覚の有無という差のおかげでね」


 ワイングラスを傾け、青年は静かに嗤う。深夜の密会はカーテンに閉ざされ、夜空の月や星でさえ盗み見ることは叶わなかった。


「サージウスにとって、他人は……いえ、ルーナ・ミフェス以外の者はすべて踏み台です。彼は自分以外のすべてを見下していますから。彼は、それに違和感すら覚えていません。それどころか世界は自分を中心に回っていると思っていますし、事実その通りでした。これまでは、ね」


 彼の前に座る少女は何も言わなかった。ベルベットのソファに深く身体を沈めた彼女は、つまらなさげにあくびをしている。


「ルーナ・ミフェスも馬鹿だ。彼女には何もかもが足りない。知性も思慮も、教養も。愛らしさ? それが何の役に立ちますか。美しさ? そんなもの、時と共に失われていくでしょう。親しみやすさ? 上に立つ者が下で跪く者達と馴れ合ってどうします。彼女は妃になれない。なってはいけない。寵姫の位でさえ過ぎたものです」


 青年はわざとらしく肩をすくめる。その目は意味ありげに少女を見ていた。


「皇家の宣伝塔として、あるいは人心掌握の手段としてなら利用価値を見いだせなくもないですが……ルーナ・ミフェスよりよほど計算高くて有能な女は掃いて捨てるほどいます。そういった役割は、そのような者に任せるべきだ」

「そのルーナ・ミフェスみたいな女を、あなたが望んだんでしょう?」


 責めるような、試すような少女の声音。青年は笑みを深くした。


「ええ、まったくもってその通り! 私が御しやすいということは、誰にとっても御しやすいということです。権力に飢えた宮廷人が彼女に群がるのは必至。あの頭が空っぽの田舎娘なら、簡単に取り入ることができますからね」

「吐き気がするほどくだらない」


 天真爛漫で純粋無垢な女の子(おひめさま)も、それにたかる醜い蠅どもも。そう吐き捨てた少女の双眸はどこまでも昏い。


「皇家というのはあくまでも象徴ですよ。実際に働くのは大臣や議員、官僚達なのですから。頂点に君臨する皇とその対になる妃が多少無能でも、案外国は回るものです。……だからこそ策謀家は皇を愚物に育て上げ、手塩にかけて育てたその人形こそを王座に据えたがる。そうすれば自分達が実権を握り、甘い汁を吸えますからね。そして父や私も、そんな悪政に群がる蠅の一匹。そう邪険にしないでいただきたいものです」

「そう。どうでもいいけど。……で、これからどうするの?」

「多少予定は前倒しになりましたが、することは変わりませんよ。手間をかけることなくルーナ・ミフェスが寵姫になれたのですから、ロザレインの英断に感謝しなければなりませんね。……ただし、これからもあの女には十分気をつけるように。あれは平静を装った狂人です」


 ある夜のことを思い出し、青年はわずかに顔をしかめた。わけのわからないことを喚き散らし、泣き叫ぶ皇太子妃。それはとても分別のある令嬢の姿には見えず、あの気高い百合がここまで堕ちるのかと瞠目したものだ。


「叶うならば、お飾りの皇太子妃には緩やかな退場を。失脚とまではいかずとも、どこぞの離宮で余生を過ごしていただければ結構です。ロザレインにはまだ利用価値がありますからね。……しかし皇帝夫妻にそれはない。邪魔なお二人には、早々に退場していただかねば」


 告げられた言葉に、少女は淡々と肯定の返事を返した。青年は満足げにワインを口に含む。


「父も私も、貴方には期待していますよ……お姫様?」 


 薄氷の瞳は暗い熱を孕んでいた。けれど、そんな目で見つめられても少女は動じない。ことりとグラスを置いた青年は少女の隣に移動し、その華奢な身体を抱き寄せる。


「私は貴方のための魔法使い。世界一美しくて愚かしい、この可哀想な姫君のためならばなんだってしますよ。愛しいユール、次は何を望みますか? どんな願い事であれ、私がすべて叶えてしんぜましょう。貴方の働きと引き換えに、ですが。愛する貴方のためならば、いかなる苦労も惜しみませんとも」


 きらびやかなドレスも、豪華な宝飾品も、大きなお城も、おいしい食事も、暖かなベッドも、忠実な従者も、広大な領地も、そして優しい王子様も。すべてが貴方のためにあると青年は言う。

 それは甘く危険な(いざな)いだ。しかし少女は無表情のまま青年を押しのけた。


「ふざけたことを。あなたはわたしを愛してなんかいないでしょう。あなたが叶えるのはわたしの望みじゃない。自分とわたしの目的が一致している時に、ついででわたしの望みを叶えてくれるだけ。……そもそも、あなたに頼らなくたって自分の望みぐらい自分で叶えられるし」

「おや、ばれてしまいましたか。ここは頬を赤らめて私をそっと抱きしめ返すべき場面なのですがね」

「あなたに媚を売ったって意味がない。あなたが愛しているのはあなた自身。あなたはわたしを利用してるだけで、わたしもあなたを利用してる。それがわたし達……わたしと、あなた達親子の関係だったはず」

「理解しているなら結構。貴方まで恋だの愛だの浮かれたことを言いだしたら目も当てられません。その昏い目と煮えたぎる激情こそが貴方のすべてでしょう? 私はそれを好ましいと思いました。何も持たない貴方になら溺れてもいい、と。後腐れがありませんからね」


 青年は悪びれもせずに少女の頬に手を添える。少女はわずらわしげに眉根を寄せて「変態」と呟いたものの、その手を払うことはしない。


「いつからだっけ? お父様(・・・)との間にお兄様(・・・)が立ってわたしに指示を出すようになったの」

「ふ、父は貴方が怖くなったんですよ。貴方は父が想像した以上の化け物だった。だから父は、私にすべてを押しつけたんです。自分で拾ってきたくせに、情けないことですね。そのくせ利権は貪ろうとするのだから、我が父ながらまったく食えない人だ」

「……本当に? あなたが自分からこの役を買って出たわけじゃなくて? お父様にとってのわたしはあくまでも道具で、わたしみたいな子供を女としては見てなかったし。お兄様とは違ってね」

「さて、どうだったか。細かいことは私も忘れてしまいました」


 お父様に負けず劣らずあなたも嫌な男だよ、と少女はぼやく。瞳に欲望を灯した青年は小さく舌なめずりをした。


「ユールチェスカ。貴方は人を狂わせる毒花だ――だからこそ、誰より麗しく咲き誇りなさい」


 ここにはいない彼女の本当のあるじを父と、そしてその息子である青年が兄と呼ばれ、彼女を娘だの妹だのと呼ぶようになって十年以上が経つ。その歳月の中で、彼女は自分達親子を掌握していた――――けれど同時に彼女のほうも、自分達がいなければ生きていけない。


「貴方の名は、いずれ永遠(とわ)に響くでしょう。それは偽りの名ですが、それこそが貴方の真の名になる。そのときにこそ、貴方の復讐は成されるのです。私達の望みもね」

「……なら、役目を終えたユールチェスカはどうすればいいわけ?」

「私が引き取ってあげますよ。なに、することは今と変わりありません」


 ユール、ユール、私のユールチェスカ。他の何を譲っても、貴方(ユール)は誰にも渡さない。貴方はすでに私の所有物(もの)だ。

 少女の名を何度も呼んで、青年はその桃色の唇に口づけをした。それがただの戯れだと、気まぐれな支配欲がもたらす妄言だと、二人とも理解している。けれど唇を割って入った彼の舌を、少女は抵抗もせず受け入れた。 


* * * 


 都合がつくと即座に示されたのは、それを打診した日から一週間ほど数えた日だ。

 願い出た皇太子妃との拝謁はあっさりと叶った。ヴァルムートの口添えでもあったのだろうか。かたくなに拒否されるかもしれないと気負っていたので、少し拍子抜けした。

 しかしありがたいことに変わりはない。皇太子妃と目通りするに恥じないよう正装の軍服に袖を通し、ミカルは指定されたサロンへと向かった。


「ごきげんよう、セレンデン少佐。今日は何のご用かしら」


 サロンにはロザレインと彼女の侍女が二人ばかりいる。一度目の死を迎えたとき、ロザレインとミカルの傍にいた侍女達だ。挨拶の後にミカルは彼女らに視線を移し、「人払いを」とロザレインに囁いた。


「……仕方ないわね。貴方達、部屋の前で待っていてちょうだい」


 侍女達は互いに顔を見合わせ、そそくさと部屋を出ていった。


「一体どういう風の吹き回しでありますか、ロザレイン様。何故小官に、あのような情けを?」


 扉が閉まりきっておらず侍女達が耳をそばだてているのを確認し、ミカルは声を抑えてロザレインに問う。これぐらいの声量なら部屋の外まで聞こえないし、覗かれたところでやましいことはしていない。ロザレインもその程度の意図はたしなみとして読めるのか、彼女の返事もまた小さな声だった。


「ディエル公爵と話したのね。……でも、それを貴方に教える必要はないわ。わたくしがそうすべきだと思ったからそう言っただけです。公爵も賛成してくれたわ。貴方、まさか断ってはいないわよね?」

「滅相もございません。謹んでお受けさせていただきました。……先日はああおっしゃられていたのに、あのような温情をかけられるとは思ってもおりませんでしたが」


 じっとロザレインを見つめた。短くない沈黙ののち、ロザレインは重いため息をつく。


「……もうやめにしましょう。わたくしが悪かったわ。最初に貴方を突き離そうとしたのはわたくしだけど……そんなこと、わたくしにはできるわけがなかったのに。できていたら、とっくにしていたわ」


 それは、初恋に破れたときのことを言っているのだろうか。ミカルにとっての自分は可愛い小さな妹でしかないとロザレインが気づいたときに、ミカルを遠ざけていたら。現実は、また何か違ったものになっていたのかもしれない。


「ミカルは権力を持つべきよ。これから先に何があっても、誰にもおびやかされないような地位と力をね。わたくしが失脚したりお祖父様が手のひらを返したりすれば、平民の貴方に後ろ盾はなくなってしまうから」

「権力、ですか。確かに私はただの将校です。軍部でならばいざ知らず、宮廷で振るえる力はありません。ですが、何故お嬢様がそのような心配を?」

「……宮廷には、わたくしと貴方の仲を邪推する人もいるのよ。そういう人にとって、貴方はわたくしを失脚させる格好の材料になるわ。でも、たとえわたくしが妃の座を追われることになっても、貴方個人に確固たる地位さえあれば、貴方にひどい処分が下ることはないでしょう」


 ふと、小さな違和感を覚えた。何故、ロザレインは可能性に過ぎない未来をここまで危惧しているのだろう。これではまるで、いずれ自分が妃でなくなると知っているようではないか。

 確かにそれは、可能性としては無視できない。しかし今のロザレインは、そういった可能性の話などではなく、もっと明確に最悪の未来を見据えているようでもあった。おまけに、ヴァルムートがミカルを切り捨てるなど、ロザレインが考えるのもおかしい――――そうなった未来を見たことがなければ、そんなことは思いもしないだろう。

 ごくりと唾を飲み込む。ミカルの脳裏に浮かぶのは、投獄された二度目の生だった。ミカルは確かにロザレインの出奔を手助けした。それは事実だ。だが、それは互いの合意があってのことだったし、誘拐(かけおち)などでは断じてない。ロザレインは里帰りをしただけなのだから。

 ヴァルムートに切り捨てられて、汚名を着せられて。このままではロザレインの非まで追及され、挙句友や部下までいらない罪を背負うかもしれないからと、ミカルは自身の罪をでっち上げた。二人で姦通罪を犯したのではなく、ミカルだけが監禁罪と強姦罪を犯したことにした。そして、その罪でミカルは処刑されたのだ。

 三度目の生を自覚したばかりの日、遺された者について考えたことがあったじゃないか。ミカルが死んで、彼らは一体何を思ったのだろう。 


(もしも……もしも、私が死んだ後も、世界が回っていたとしたら……?)


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 確かに時間は巻き戻っている。けれど、“巻き戻った後の世界”と“巻き戻る前の世界”が同一である保証はない。ミカルの意識だけまったくよく似た別世界に飛ばされているのかもしれないし、ここは枝分かれした一つの可能性の世界なのかもしれない。

 誰かが死んだところで、それで世界は滅ばない。死んだ誰かの意識が世界から消えるだけだ。時をさかのぼっているからこそ、勝手に世界までも巻き戻っていると思い込んでいただけで。一度目も、二度目も、ミカルの死後に、ミカルの知らない何かがあったなら。


「お嬢様は、ご存知だったのですか? 自分が妃の座を捨てたらどうなるか」

「な……ッ!? な、何を、言って……!」


 ほんの一瞬だけ、ロザレインの瞳が恐怖に揺れる。ミカルの目はそれを見逃さない。

 なら、彼女が諦めたものは。彼女が諦めなかったものは。いや、まさか、そんなはずがない。そんなことがあってはいけない。どうか否定してほしい。乾いた唇を舐め、ミカルはゆっくり口を開いた。


「私が生きている未来を諦めないために、ご自分の幸せを諦めたなんて……そんなことは、おっしゃいませんよね?」

「……」


 沈黙は何よりも雄弁だった。目を伏せたロザレインの身体は小刻みに震えている。


(なんということだ……! 私は、守るべき姫君にいらない気を回させていたのか……!)


 どうしてこの子は、こうも優しいのだろう。その優しさを見るべき者も、向けられるべき者もここにはいないのに。


「……あれは私の失態でした。私がもっとうまく立ち回っていれば、あのような事態が起きることもなかったでしょう」

「違う……違うの……! わたくしが責任から逃げて、貴方を巻き込んだせいよ! 貴方はあそこで死ぬべきではなかったわ! だから、だから、わたくしはっ……!」


 叫びかけたロザレインだが、その動きがはたと止まる。ぎこちない人形のようにこわばった笑みを浮かべた彼女は、震える声で問いかけた。

 

「どうしてミカルが、あのことを知ってるの……?」

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