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もしもやり直せるのなら  作者: ほねのあるくらげ
こうして

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18/35

「よく来たな、ミカル」


 約束の日、ディエル邸を訪れたミカルをヴァルムートは重々しく迎え入れた。この数日でだいぶ老け込んでしまったように見える。彼も彼で孫娘の心がわからず、だいぶ気を揉んでいるのだろう。


「ロザリィと少し話をした。あの子の決意は変わらないらしい。どうあっても、ロザリィはあのろくでなしの妃でいたいようだ」


 ヴァルムートは深くため息をつく。疲れ切った顔がただ痛ましかった。


「そこでお前に提案があるんだが……。ミカル、私の養子になる気はないか?」

「……はい?」


 予想だにしなかった言葉に、ミカルは思わず固まった。その反応に気をよくしたのか、ヴァルムートは悪戯っぽく笑った。しかしその茶目っ気ある表情も一瞬のもので、ヴァルムートはすぐに顔を引き締めた。


「ロザリィはディエル家の一人娘だ。ロザリィが嫁いでいった今、家督を継ぐ者がいない。ロザリィの子に継がせればいいと思っていたが、あの様子では……な」


 確かにそうだ。サージウスはルーナばかり寵愛している。ロザレインがサージウスの子を授かる日がいつになるかはまったくわからないし、そもそもそんな日が来るのかどうか。あんな男の子供を産んだところでロザリィが不幸になるだけだなんて、そんな個人の感情を押し殺してミカルは深く頷いた。

 皇太子夫妻の子がディエル家のすべてを継ぐのなら、ディエルの名は決して揺るがないものになる。領地は皇族が直接統べる地となるだろう。しかし今、皇太子の後を継ぐのはルーナの子である可能性が高い。ルーナが産んだ子をロザレインの養子として、その子にすべてを継がせるのだ。あの男なら、そんなことを平然とするだろう。

 それに、もしロザレインが子を宿して、さらにルーナが子を宿したら。サージウスは、どちらの子を強く愛するだろう。答えはわかりきっていた。

 寵姫は寵姫だ。妃の実子がいるのなら、寵姫の実子は皇の庶子としか扱われずに継承権も与えられない――――しかし、皇の血を引く者として華々しい一生は約束されている。

 ディエル領は、そんな子にぴったりの土地だ。ロザレインの子は、男児であれば皇になる。だからルーナの子に継ぐ者のいないディエル領を下賜し、そこの統治を任せればいい。そうしたら、ルーナの子は公爵だ。領土からはディエルの名が消え、ディエルの血は領主から離れてしまう。それはヴァルムートにとっては耐え難い屈辱だろう。孫娘を冷遇した男と、孫娘から夫を奪った女の子供が、今まで自分が守り慈しんできたすべてを継承するのだから。


「ミカル。私は、お前を実の息子のように思ってきた。軍人にならなかったイハルトの代わりと言うと聞こえが悪いが……お前には、将軍(わたし)の後継者としてすべてを教え込んできたつもりだ。そのお前になら、安心してディエル家を託せる」

「しかし、私は平民ですよ? これまで閣下からは、私には過ぎたものを与えられてきました。そのうえ家名まで受け継ぐなど……」


 どうせ赤の他人のものになるのなら、せめて縁のある者に渡したい。ヴァルムートの提案は、そう思ってのことなのだろう。

 しかしそれはミカルには重過ぎる責任だ。確かにヴァルムートからは多くを学んできたが、それはまっとうな人間になって、軍人として生きていくためのものだ。領主の仕事も、貴族の振る舞いも、ミカルは何もわからない。


「生まれなどは関係ない。お前は私が見込んだ男だからな。……なに、私もすぐに退くわけではない。これまで教えてこなかったことも含め、残りの時間をかけてすべてお前に伝えよう。そもそも、私だって領地経営の手腕があるわけではないさ。肝心なところはヒルデリザや家老に任せきりだ。だからお前も、そう気負わないでくれ」


 そこまで言ってヴァルムートは微笑んだ――――お前に家督を継がせるよう進言したのはロザリィだ、と。


「縁もゆかりもない者に我が家のすべてを奪われるなら、お前に我が家を継いでもらいたい。お前が嫌だと言うなら、無理強いはしないが」

「い、いえ、素晴らしいお話だとは思いますが……もしこのお話を受けたのなら、私は……閣下の息子として……お嬢様の叔父になる、ということでしょうか」

「? ああ、そうだな」


 それは魅力的な提案だ。頭ではわかっている。公爵の後ろ盾を持つ平民ではなく、次期公爵そのものになるのだから。そうやすやすと左遷されることもなくなるだろう。血は繋がっていなくても、叔父という立場さえあればロザレインの傍にいても誰にも文句は言われない。


「その養子縁組は――婿養子という形では、いけなかったのでしょうか」


 もうすべてが遅いとわかっている。このありがたい話を二つ返事で受け入れるしかない。けれど、どうしても言わずにはいられなかった。


「ミカル……」

「私とお嬢様では年が倍も離れていますし、公爵令嬢であるお嬢様に対してそんなことを考えるなどおこがましいのはわかっています。ですが、私は……」

「お前のそれは、ロザリィへの恋慕なのか?」


 ヴァルムートの目が鋭く細められる。若く美しい妻も手に入れたかったとのたまう強欲な男の戯れ言か、つぼみのころから愛で続けた花をその手で摘み取ろうと画策していた男の無念か。それを推し量ろうと言うのだろう。


「私は誰より長く見てきた。お前のことも、ロザリィのこともな。ロザリィは確かにお前を慕っていたが、それは子供のままごと遊びのようなものだ。お前だって本気にはしていなかっただろう?」

「……」

「ロザリィに何も言われずとも、お前に家督を譲るのはやぶさかではなかったんだ。確かに、私もそれを考えていなかったわけではない。お前はまだ独り身だったし、お前ならロザリィを不幸にしないとわかっていたからな。……だが、お前がロザリィを女として見ることはないと思っていた」


 そんな折に陛下から婚約の打診が来たという。相手は身分も年齢もロザレインと釣り合う、麗しい貴公子だ。兄でしかないミカルと違い、サージウスなら夫としてロザレインを愛してくれるに違いない。だからその話を受けた。それが二年前のことだ。その選択が過ちだったことは、ヴァルムートの目が物語っていた。


「あのころのロザリィは幼すぎたし、かと言って陛下からのお話を先延ばしにするわけにもいかなかった。しかし適齢期を迎えた今ならば、どれだけ年が離れた男であっても結ばれることに支障はないだろう。私が選んだ男ならなおさらな。……だが、もう遅い。あの子は殿下の妻なんだ」

「……ええ、存じ上げております。ですから先の質問は、どうかここだけのものにしてください」


 ミカルはずっと前からロザレインを愛していた。その愛の種類に新しいものが加わったのはつい最近のことで、しかしそれを自覚したところでもはや意味はない。

 深呼吸を一つして、ミカルは恭しく一礼した。返答するため口を開く。それを聞き、ヴァルムートは小さく頷いた。


「正式な発表はまだ先になるだろう。私はもうすぐエルセトに戻らなければいけないが、私に代わってロザリィの支えになってやってくれ」

「お任せを。いまだ未熟な身ではありますが、何に代えてもお嬢様をお守りします」


 これでもう三度目だ。以前と同じ失敗はもう決して繰り返さない。そう自分に言い聞かせるミカルの気迫に何かを感じ取ったのか、ヴァルムートは満足げに微笑んだ。


「昔、奇妙な者に会ったことがある。その者は、ロザリィには愛し愛される男が必要だと言った。しかしそれは殿下のことではない。だからいっそ、私が家族としてあの子を助けようと思った。よく考えればあの者は、“愛”とやらが恋愛を指すものだとは言っていなかったからな。家族愛でも十分なはずだ。……だが、もしかしたらお前こそが、あの者の言っていた男だったのかもしれないな」


 退室の間際、ヴァルムートがぽつりとそんなことを呟いていたが、その言葉の意味はミカルにはわからなかった。


* * *


 通りかかったサロンからきゃっきゃとはしゃいだ声がする。確か今の時間帯、このサロンはあるご婦人がお茶会を開いていたはずだ。そこにはルーナが招かれていて、しかしロザレインは招かれていない。

 皇子に愛されない妃の立場は複雑だ。宮廷人の誰もがロザレインへの扱いに戸惑っているらしい。地位の上では皇妃に次いで高貴なはずの皇太子妃(ロザレイン)だが、実際のところは寵姫(ルーナ)のほうが重んじられていると言っても過言ではないだろう。


(わたくしは、あんな女に負けたのね)


 ルーナが寵姫となって二週間が経ったが、ルーナと直接言葉を交わしたことはほとんどない。しかしみな彼女の話をするので、彼女がいかに宮廷人に受け入れられてきたかはロザレインの耳に入ってきた。

 皇宮の片隅で暮らすロザレインと違ってルーナはパドリア宮そのものが与えられている。サージウスの渡りもパドリア宮だ。ルーナは誰かに招かれない限りカノリ皇宮には来ないし、かろうじて顔を合わせる機会があったとしてもそこには常に誰かがいて、サージウスがルーナを守るように立っている。何を考えているかわからない不気味な皇太子妃が、万が一にも愛しい寵姫を傷つけないようにするためだろう。

 皇太子がじきじきに見初めたというから、一体どこの美姫が躍り出てくるのかと思ったら。蓋を開けてみれば、ただの芋臭い田舎娘だった。野に咲く花のような可憐さはあれど、気品や教養はちっとも備わっていない。そんな少女に、ロザレインの二年間は否定されたのだ。


(まあいいわ。わたくしの美貌や教養は、あの男のために磨いたものではないのだし)


 それでも釈然としないものは釈然としない。すべてがサージウスのためだったわけではないが、サージウスに気に入られるために努力をしたのは確かなのだから。

 ディエル家の名に恥じないために、サージウスと釣り合うために、そしてロザレイン自身がそうありたいと強く願っていたために、ロザレインは今の自分を作り上げた。立ち居振る舞い一つとっても美麗に、優雅に。祖父の意向から社交界に出ることはさほどなかったが、だからこそ貴族達の間でロザレインは高嶺の花と呼ばれて羨望の眼差しを向けられていたのだ。

 英雄の孫娘、麗しのロザレイン姫。ディエル邸でしか目にすることの叶わない幻の百合。伝え聞くそう言った評判はロザレイン自身の自尊心を満足させた――――今となってはそれも、無意味なものになってしまったが。

 前を向き、毅然と回廊を歩く。侍女達は気まずげに顔を見合わせてついてきた。背後から刺さる腫れ物に触るような視線が疎ましい。これがディエル家の使用人だったら、きっとあるじに合わせて涼しい顔をしてくれただろうに。

 皇宮でロザレインに仕える者はみな、ロザレインの味方などではない。誰に何を言われるまでもなく、ロザレインはとっくにそれに気づいてた。彼女達はサージウスやコーリスの密偵だ。ロザレインが訳の分からないことをしでかさないように監視して、彼らの意に叛くようなことをすれば報告を上げて、そして。だから彼女達は気が利かない。監視の目は光らせるくせに、ロザレインの意なんてちっとも汲んでくれない。そんな彼女達にロザレインは心を許していなかったし、彼女達もロザレインの信頼を得ることなど望んでいないようだった。


「……あら」


 ふと、窓の外に白い塊が見えた。か細く鳴いているようで、窓をつついている。その小鳥を見つけ、ロザレインは初めて足を止めた。

 痩せた鳥だ。どこからか迷い込んできたらしい。どれだけ警備を固めていようと相手は獣だ、人では思いもよらない侵入経路を見つけることなどたやすいだろう。


「おいで?」


 ロザレインは窓を開け、白い小鳥に手を伸ばした。小鳥は迷うことなくロザレインのもとに飛んできて、すりすりと指にすりよった。人懐っこい性格のようだ。


「ふふっ、くすぐったいったら。……あら、この子、怪我をしているわね」

「あ、あの、妃殿下?」


 子供のとき、ペットを飼いたいと祖父にせがんだことがあったっけ。与えられたのは美しいカナリアだった。病気にかかってすぐに死んでしまって、それが悲しくてペットを飼うのはやめてしまったけれど。


「この子の手当てをするわ。殿下の許可が必要かしら?」


 小鳥を抱いたまま皮肉げに微笑む。侍女は目を白黒させて首を横に振った。


*


「こんなものかしら?」


 侍女には任せられないと、手ずから小鳥の手当てをする。不格好な包帯だが、小鳥は不満も見せずにのんびり寝そべっていた。小鳥を相手に格闘していたロザレインの姿に飽きれたのか、侍女はとっくにいなくなっていた。部屋の外にいるのだろう。


「いやはや、やはり貴方はお優しい。さすがはあのお屋敷の方々に育てられた方ですね」

「ッ!?」


 この部屋にはロザレインと小鳥しかいない。なら、このしゃがれ声の主は誰だ。ロザレインは目を見開き、のんきに振る舞う小鳥を見た。


「あの時わたくしめの気まぐれが守ったつぼみが、ここまで美しく花開くとは。やはり人間というのは面白い。……どうです、短くも麗しき花の生は楽しいですか?」

「何を……」

「ああ、ああ、みなまで言わずともいいのです。貴方は忌むべき毒の花。周囲を蝕み、やがては自身も朽ち果てる。貴方はご自分でそれにお気づきになった。だから遠ざけるのでしょう、だから受け入れたのでしょう」


 ひゅっと息ができなくなる。心臓が激しく脈打つ。なんで、どうして。不気味に喋るこの小鳥は、あのこと(・・・・)を知っている?


「けれどねぇ、そう悲観することもないのですよ。貴方と()は、すこぅし間違えただけ。時さえ過ぎれば貴方は毒花ではなくなり、貴方を守ってくださる茨もある。辿り着いた運命(さだめ)を受け入れられないのなら、正しき軌道を描く刻に戻って何度でもやり直せばいいのです」


 わななくばかりのロザレインは何も言えなかった。それをも構わず小鳥は続ける――――死すべき者が生きていることで盤面は狂っております。それならいっそ壊してしまいましょう、と。


「茨が朽ちれば花も朽ちる? 花が枯れれば茨も枯れる? それは貴方達のご随意に。しかしこれだけは忘れぬよう。薔薇と茨は、いかなる時も寄り添って在るのですよ。枯れ朽ちた相手を養分に生きることもできましょう。切り離せるなどと思いなさるな。自分の心に素直になって。さもなければ、得られるものも得られません」


 ロザレインが切り離したもの。ロザレインの欲しいもの。本当に欲しいものを手に入れるため、ロザレインはそれを諦めた。もう二度と、あんなことになってはいけないから。

 けれど小鳥はそれを嗤う。ロザレインの決意など無駄なものだと言いたげに、甘美な誘惑の言葉をくれる。


「貴方を摘み取りたがるものがおります。そのためならばあれ(・・)は、貴方の周囲に蔓延(はびこ)る邪魔な雑草を除こうとするでしょう。そして貴方は、ご自分の意思でそれに抗った。もはやわたくしの(まじな)いでは、あれの目をごまかすことはできませぬ。ですが貴方達には別の(まじな)いがある。神を、運命(さだめ)を跪かせる意志さえあれば、奇跡は正しく奇跡となり続けるでしょう」


 この災いに理由などはなく、だからこそ救済にも理由などない。わたくしが口ずさむ言葉がすべて真実だとは限らず、振ってきた幸運(きせき)をどう受け取るかはすべて貴方にゆだねられている――――そんな言葉を残し、小鳥はそのまま消えてしまった。


「なんだったのかしら……?」


 白昼夢でも見ていたのかと目をこする。小鳥がいた痕跡はどこにもなかった。


* * *

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