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雨と虹と  作者: 青枝沙苗


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7話 後悔しない道

 一月三日。親戚回りを終えた優子は部屋でぐったりとしていた。お年玉を貰えるのはいいが、いちいち気を使って夕食の支度の手伝いやら片付けやらをしていて、面倒くさく思っていたのだ。この日、優子は午後から優也と待ち合わせをしている。行きたいところがあるらしく、病院の近くの駅へ向かわなければならない。


(駅まで行くの面倒くさいけど、着替えて行かなきゃ)


 何を着ていこうかと、クローゼットを開けて服を選び始めた。


 一方、優也は一時帰宅で家に戻っていた。絵を書いてゆっくり過ごしてご飯を食べる日々。親戚は皆挨拶に来ていたのだが、それも二日で終わった。父親も近くにいる。


「優也、そろそろ文具店に行こうか。運が良ければ福袋が残っているかもしれない」


 父親のこの台詞は、優子に会いに行く口実である。頷いた優也に、やはり母親は口を挟んできた。


「ちょっと、私聞いてないわよ」


「言ってないからな。たまには男同士二人で出かけてもいいだろ」


「優くんに何かあったらどうるの。あなた、責任とれるの!? 私も行くわ。準備するから三十分待って」


 と、母親は化粧道具を取り出そうとする。優也と父親は視線を合わせ、頷いた。責任責任いう母親に、責任の言葉を返そうと。


「その間に福袋がなくなったら、母さんはどう責任取ってくれるの? 俺の欲しいものがあるって噂なんだ。なくなる前に手に入らなきゃ、母さんを恨むかもしれないよ」


「そういう事だ。時間が惜しいし、今日は優也とドライブに行ってくるよ。母さんは留守番だ」


「私をのけ者にするつもり!? 待ちなさいって、ちょっと、あなた! 優くん!」


 優也達は逃げ出すように家を飛び出し、父親の車に乗った。直後、母親から『何時に帰ってくるのか答えなさい』というメールが送られてきたのだが、優也達は答えない。計画では、父親とドライブをしている途中、優也のクラスメイトに会ったので、彼らと初詣に行くという設定だ。本当は優子に会うのだが。


 病院の最寄駅に着いた優也は父親に感謝を伝えると、車に置いていたスケッチブックを持って駅の改札へ向かった。時間は十時。おそらく優子はもう着いているだろう。意外と彼女は待ち合わせの時間にはきっちり来るタイプなのだ。――いた。


「おはよ……じゃなくて、明けましておめでとうございます」


「あけおめ。さ、行こっか」


 丁寧に挨拶をする優也に対し、優子は素っ気なく答える。行こう、と言っても切符を買わなければならない。優也は急いで目的地への切符を買った。改札を抜けて、電車を待っている間に行先への道を調べている。


「駅から近いの?」


「うーん、十五分ぐらいあるくかな」


「あんた、体は平気なの? 雨降ってきたみたいだし、あまり顔色良くないけど」


「大丈夫。それに薬も持ってるし、何かあっても飲めば平気だから」


 優也はそう言うが、優子は不安しかない。もし何かあったら救急車を呼べばいいが、そうなったら彼の母親が黙ってはいないだろう。そもそもよくあの母親が外出を許したなと思っている優子は、優也から母親をだましている事を聞いていない。


 電車が来て、乗ること五駅。二人の間に会話はない。というのも、優子は寝ていて優也はスケッチブックで車内の様子をさらさらと描いているからだ。六駅目で降りるので目を覚ました優子が横目でその絵を見ると、やはり上手だと思う。しかし、その絵に人間は書かれていない。


「そろそろ着くよ」


 絵をかくのに夢中になっている優也に声をかけると、あわててスケッチブックと鉛筆を片づけた。電車を降りると、雨は上がっている。

 優也が行きたいところは、この近くの広い公園なのだ。綺麗に揃えられた芝生が広がっており、その中心には噴水があり、芝生を囲むようにベンチが幾つかある。風景画が好きな彼にはピッタリな場所だ。そこに着いたとき、空を見上げた二人は――


「……虹だ。ほら、雨内さん、虹だよ」


「へぇ、初めて見た。綺麗に七色って訳じゃないんだね」


 それぞれの感想を述べた。感動した優也はベンチに座ると早速スケッチブックを開き、鉛筆を取り出す。優子は隣に座り、描く様子を眺めている。やはり絵を描いているときが一番楽しそうだ。だが、すぐに飽きてしまい噴水のほうへ行ったり優也のいるベンチに戻ったりし始めた。それをじっと見ている優也は、スケッチブックと優子を見比べて再び一心不乱に鉛筆を動かす。


「雨上がりの水たまり、青空の虹と、雨内さんと……」


 呟きながら描いていると、ぽつ、と雨が降ってきた。青空だというのに、また降ってきたのだ。慌ててスケッチブックを閉じて屋根のあるベンチへ走っていく。優子もそこへ駆けつけた。


「また降ってくるなんて、ついてないね。絵も中途半端になったんじゃない?」


「うん。描きかけだよ。でもこれ、色を付けて綺麗に仕上げようと思ってるんだ」


「虹があるから?」


「……そうだけど、虹は二つあったほうがいいかな。雨が二つで虹一つだとバランスが悪いや」


 虹の意味は分かるが、雨が二つという事が理解できない優子。どういう事か優也に聞いても、何でもないと笑顔で答える。芸術家の考えることは分からない優子は、持っていた折り畳み傘を鞄の中から取り出した。


「帰ろう。今日は天気が不安定みたいだし、雨のせいで寒くなってきたから」


「そうだね。でも俺……家に帰りたくない。もう少しだけ一緒にいたんだ。……雨内さんと」


 勇気を出して言ったその言葉に、優子はふっと笑った。


「なにそれ。遠まわしにアタシに告ってんの? それに家に帰りたくないって、遅い反抗期にでもなった? あんたのお母さんに怒られるよ」


「反抗期とは違うよ。後悔しない道を選んでるだけだよ。だから、雨内さんともっと一緒にいたいんだ」


 真剣な眼差しに、優子は困ったように頬をぽりぽりとかく。どうしたものか。外にいては体が冷えるし、家には帰りたくないという。優子は暖かい部屋に籠りたい。親は福袋を買ったりと買い物に出かけているはずだと思うと、仕方ないと思う彼女の脳内に浮かんだ言葉が口にでいた。


「じゃあさ、うちに来なよ。お茶ぐらいは出せるから、温まってから家に帰りな。ね?」



 ***



 公園から優子の家に移動した二人。緊張している優也を家に招き入れた優子は、台所で入れたお茶とそうめんを使った軽食を部屋に運んだ。女の子の部屋に入るのは初めてだという優也は、かっちこちに固まっている。お湯をかければ固さもとれるのだろうかと思う優子は、とりあえず彼をつついてみた。すると優也はびくっと体を震わせた。


「体冷えちゃってんね。それ食べてお茶飲んでストーブの前に行きなよ。アタシはベッドでぬくぬくしてるから」


「う、うん」


 優子は宣言通り、ベッドの布団の中に潜り込んだ。丸まっている彼女が可愛いと思える。


「ところでさ、スケッチブックは無事? さっきの雨で濡れたんじゃない?」


「端っこがふやけたぐらいで、中身は平気だよ。肝心なところが無事だからいいんだ」


 優子が持ってきた軽食を覗く。豚肉と椎茸、その他野菜が入っているぶっ掛けそうめんだ。彼女が作ったのかと思ったのだが、そのはずはない。優子親が作った彼女の昼食一人分を半分こしているのだ。優子は家に戻るまでの間、ずっと考えていた。


「ねぇ、後悔しない道ってどういうこと?」


「父さんの言葉だよ。俺のやりたいように生きてほしいって事みたいなんだ。だから今言わなきゃいけないって思ったんだ」


「アタシと一緒にいるのも、今じゃなきゃダメだっての? あんた、そんなに体悪いの? 顔色悪いままだしさ……」


 雨音が強くなる。部屋の中に重々しい空気が流れた。その沈黙を破ったのは、優也だ。


「……うん。ドナーが見つからないと、あと少ししか生きられないって、医者が言ってた。本当は、今でも苦しいんだ。少し走るだけでも体から力が抜けそうな感じになるし、食欲もそんなにない。今日は父さんに無理言って、母さんを騙して雨内さんに会ったんだ。どうしても、会いたかったから」


「倒れたらどうするつもりだったの。あんたの母親に責められんの、アタシなんだよ」


「ごめん、そこまで考えてなかった。けど、最後になるかもしれない正月ぐらい、好きな子と一緒にいたっていいだろ?」


「友達としてって意味だって思いたいけど、そうじゃないんでしょ?」


 優也はお茶を飲み干すと、優子が丸まっているベッドに腰かけた。


「……そうだよ。本当は、雨内さんと恋人同士の関係になりたい。今すぐにでも、そうなりたいんだ」


「何考えてんの。アタシにその気はないって、何度も言ってるでしょ」


「後悔したくないから言ってるんだよ。俺だって、普通の体で普通の人と同じように生きたい。けど、ドナーが見つからなかったらって考えると……怖いんだ。ドナーが見つかるまで、じゃない。今だけでいい。……今だけでいいから、俺の彼女になって下さい」


 ここで断って、ドナーが見つからなかったら、自分も後悔するのだろうか。優子は悩んだ末に、布団の中に招くように、ぽんぽんとベッドを軽く叩いた。

 後に優子は、この時の選択を間違いではなかったという。



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