5話 文化祭
文化祭当日。優子いる三年二組は唐揚げ販売の模擬店をしている。交代制の店番は名簿順になっており、苗字が雨内である彼女はこの日最初の当番になっていた。
(虹ヶ丘の絵を見に行きたかったのに)
不機嫌で同級生からも好かれていない優子が販売しては客も可哀想という事で、彼女は黙々と鶏肉を揚げている。黒髪に戻していないアッシュグレーの髪は、担任がしつこいという理由でふわりと二つに分けて結っているのだが、どうやらクラスの男子生徒には好評らしい。しかし彼女は――
「雨内さぁ、髪結ってる方が似合ってんじゃん」
「……あっそ」
ぶっきらぼうに答える。だがその脳内では、優也に見せたらどう反応するのだろうという興味が沸いたのだ。自分の絵を描くのに、髪を結った方が影がないと言われるかもしれない。当番が終わったら、すぐに美術の絵が飾られている教室へ向かおう。そこに優也がいるに違いない。それより彼は何を描いたのだろう。三つ全て大好きな風景画か、他の物があるのか、まさか自分の絵か――。彼女はそんな事を考えながら唐揚げを揚げていた。そんな時だった。
「三組の虹ヶ丘の絵、今回全然違うらしいな」
「行ってみようぜ」
別のクラスの男子の声が聞こえた。さっそく観に行った人がいるらしい。文化祭の準備期間中、優也は一度も優子に絵を見せる事もどういう物を作るのかも話していなかった。楽しみは増すのだが、優子としては少し寂しく思う。ともかく当番が終わるまであと一時間。長く感じるが、ひたすら唐揚げを作っていればあっという間に時間は過ぎるだろう。
(そうだ。作った唐揚げ、虹ヶ丘に持ってこ)
絵の展示をしている教室にいるとは限らないが、いなかったら自分が食べればいい。いたら適当に理由を付けて渡そうと、優子は考えていた。
***
当番から解放された優子は、一人ぶらぶらと校内を歩きながら絵の展示をしている教室を探している。唐揚げを作っている間、どんな絵を描いていたかという話が聞こえていたのだが、どの教室かまでは話していなかった。どこかにあるのだから、どうせ歩いていれば着くだろう。そんな考えだった。
「ちょっと貴女、美術部の展示はどこかしら」
一階に美術の展示はないので二階に上がろうとした時、いかにも厳しそうな女性が優子に声をかけてきた。歳は四十代後半、誰かの母親なのだろう。優子は正直に答えた。
「私も探してる最中なんで、分かりません。でも――」
「自分の学校の文化祭なのに……。ああ、そんな頭してる人に聞いた私のミスね」
そんな言葉を吐くいた女性は優子の言葉の続きを聞くことなく立ち去り、一階の教室を周り始めた。カチンと頭にきた優子は、舌打ちをしながらボソッと呟く。
「一階にはないって教えてやろうとしたのに、誰の親だよ、あのババア。ムッカつく。おまけに人を見た目で判断しやがって」
髪の色を好きな色に染めても、優子の成績はそんなに悪くない。学年百六十人中、およそ三十番前後をうろうろしているのだ。髪とピアスをする他は、授業をまともに受けて宿題も期日まで出し、イベントの当番もやりきる。どうせ社会に出れば髪を染めるてピアス穴を開けて仕事をする社会人だっているのだ。なのになぜ高校生はそれを守らなければならないのか。金髪でもあるまいし。
沸々と苛立つ優子は、二階の教室を周りきると三階へ登って行く。そしてようやく、奥の教室で書道と美術の展示室を見つけた。
「雨内さん、来てくれたんだ。ありがとう……って、なんか機嫌悪い?」
「……別に。これあげる」
ぶすっと不貞腐れている優子から唐揚げを受け取った優也は、顔を引きつらせた。何かあったのだろうが、聞いてみていいか悩む。
優子は、優也の絵を一つ一つじっくり観始めた。まずは優也の定番、鉛筆だけで描かれた風景画。
「ふーん、雨上がりの朝、か。雨の日の通学路? 水たまりに映ってる電柱とか電線もしっかり描いてんだね。これ、大通りじゃなくて何で家の前にしたの?」
「大通りだと、車が飛び交うしビルの看板も多くて描くのが大変なんだ。二週間しかなかったし。家の前だと一度見れば頭に浮かぶから、今回はそうしたんだ。……手抜きに思われるけどね」
「手抜きでこんなに細かく描けないよ」
頭をかいて申し訳なさそうにしている優也に、優子はさらっと本音で答えた。それが彼にとって嬉しいようではにかんだ笑みをしたのだが、優子は次の絵を見始めている。今度は水彩画だ。
「へぇ、何か幻想的だね。これ、天の川だよね。川の両側で手を伸ばしてんのは織姫と彦星?」
「うん。生憎こんな綺麗な空は見たことないけど、江戸時代とか、排気ガスのない昔はこういう空だったんだろうなって思って描いたんだ。鉛筆だと雰囲気出ないから、水彩画なら淡い感じとか、なかなか会えなくてようやく会えたっていう、こう、むずむずした感じが表現できるかなって。この絵、女子に人気なんだ」
「そういえばうちのクラスの唐揚げ買いに来た女子が言ってたなぁ、キュンキュンしたって。はぁ……」
優子がため息をついたのは優也の絵に対してではない。きゃあきゃあ騒いでいた女子達に対したものだ。いつか自分にも彦星が現れる、自分は織姫なのだと言っていた女子もいた。恋人同士が引き離されるのと、恋人を作るのは違うと突っ込みたかったが、いちいち相手にするのも面倒くさい。
最後の絵は、ぬいぐるみをイラストにしたような絵だ。だがそれは、優也が描きたかったものをデフォルメしたようなものであった。その優也は唐揚げを食べ始める。
「これって、もしかして……」
「あはは、バレた? 他の人は分んなかったんだけど、やっぱりリンゴと消しゴムあると分かるよね」
それだけではない。周りにはカモフラージュするように猫や犬もいるが、そのリンゴと消しゴムを見ながら
鉛筆を持っている人のぬいぐるみが、誰を指しているかを物語っていた。
タイトルは、初めての絵。優子は二つ目の唐揚げに手をつけた優也に、自信を指さして答えを求める。
「そうだよ。雨内さんなんだ。こういうぬいぐるみの世界観だと、可愛らしくなって明るくなるんだね。あ、別に雨内さんが可愛くない訳じゃないよ! 人とぬいぐるみのフォルムって違うから――」
慌てて、少し興奮して赤くなって言い訳をしている優也に、優子はふっと笑った。彼のそんな様子が可愛いく見えたことと、ぬいぐるみとして自分を表現してくれた事が嬉しい。最初は気が乗らず、モデルにされることが嫌だった優子だが、こんな風になるなら描かれてもいいと思った。
「実はさ、さっき変なおばさんに、そんな頭ってバカにされてムカついてたんだけど、この絵見たらそんな気失せちゃった。ねぇ、今度――」
その時、優也が胸を押さえて蹲ったのだ。苦しそうにしている。
「虹ヶ丘? ちょっと、どうしたの!?」
優子が彼に触れようとしたのだが――
「優くん!」
廊下から焦った女性の声がした。声の方向に振り向くと、先ほど優子にそんな頭と見下していた女が慌てて近づいて来る。それは優也の母親だったのだ。
「どきなさいよ!」
優子を突き飛ばした母親は、優也の肩に手を載せて大丈夫か、立てるかと声をかける。尻もちをついた優子は、ようやく彼女が優也の母親だと気づいた。その母親は、優也が食べていた唐揚げを見るなり優子を鋭く睨みつける。優子ははぁ? と言わんばかりの顔をした。
「あんた、ろくに案内できなかったさっきの女ね。うちの息子に何食べさせたの! 脂っこいものは避けていたのに、アンタのせいで優くんはこうなったのよ!」
この怒声を聞いた生徒や来客達が野次馬のごとく集まってくる。そんな事、お構いなしに母親は優子を責めた。
「優くんの心臓が悪化したら、どう責任取ってくれるの! あんたがドナーになりなさいよ!」
「やめろよ、母さん。唐揚げぐらいでそんな――」
「あんたは黙ってなさい! ……こんな頭のろくでもない女、親の顔が見てみたいわね。さ、行くわよ優くん。先生に言って家に帰りましょう」
半ば強引に立ち上がらせられたように、優也は母親に引っ張られていく。彼は尻もちをついたままの優子を横目で見ながらも、声をかけられずにいた。雨内さん、と言ってしまえば、男だと言っていた雨内が女の、それも母親にとって印象が最悪な優子だとバレてしまうから。
一方、優子は優也の母親に腹を立てていた。いくら優也が病人でも過保護すぎる。それに心臓の悪い優也のドナーになれとか、殺す気かと思ったのだ。しかしそれ以上に、ドナーという言葉で優也の心臓が相当悪いのだと知り、言いようのない罪悪感が生まれた。