4話 テーマ
優也が入院して二週間。事前に携帯に送られてきたメッセージで入院を知っていた優子は、普段の学校生活を送っていた。一つ違うのは、リンゴの置物を描くために美術室に通っているという事。その美術室には、真っ白なキャンパスが一つ置いてある。優也が文化祭で展示するはずのキャンパスだ。
(アタシに出来る事なんて、何もないや。病院に来るなって虹ヶ丘が言ってたし)
優子は知らない。優也が母親に『雨内』が女だと伝えていない事を。事情があると思っていた優子だが、こういう事だとは思ってもいない。出来る事は昼休みに美術室に通って、例え落書きだろうと何かを描いて待っている事しかない。
その時、携帯が鳴った。優也からメッセージが入ったのだ。内容はこうである。
『明日から文化祭まで学校行くよ。送迎は母さんがするっていうから、学校で会おうね』
優子はいらない、と捉えた。学校で会ったとしても、いつも通り絵を描くだけ。描いた絵を見せて貰うだけなのだ。優子は優也に返信をした。
『わかった』
***
翌日、朝のホームルーム前に優也が登校していると確認した優子は、教室の中で本を読み始めた。長期休みの時は必ず読書感想文が宿題に上がってくるので、日ごろから読んでおこうという考えなのだ。教室で恋愛がどうのという話をよく聞くうえに、一週間前に本屋へ立ち寄った時にお勧めの本でピックアップされていた恋愛小説を読んでいるのだが、どうもしっくりこない。というのも、優子が好んでよく読む本は、フィクションよりノンフィクションである。それに同級生の女子が、恋の話をしてキャーキャー言っているのが鬱陶しく思えるぐらいなのだ。
「そういえば、雨内さんと虹ヶ丘くんって別れたの?」
「え? 付き合ってたの? あの二人」
などという話が聞こえてくるが、どうでもよく、興味もない。噂をする人は勝手にすればいいのだ。この話があまり長く続くと、優子はイライラする。
そんな不機嫌な状態のまま、昼休みに突入した。いつも通り美術室に行った優子は、ぶすっとした表情で目の前に消しゴムを置く。どうしたのかと気になる優也だが、恐る恐る優子に別の話題で声をかけた。
「消しゴムにしたんだ」
「アタシみたいな初心者には、こういう四角いのからの方がいいと思って。見て、このリンゴ。曲線が曲がっちゃうの。売れないリンゴみたいに」
ぶっきらぼうに彼女が差し出したノートの絵を見てみた優也は、素直な感想を返した。
「でも、上手に描けてると思うよ」
何度も何度も描き直した跡がある。優也が登校できない二週間の間に、こつこつ完成させたのだろう。微笑んでノートを返した優也を見た優子は、ぷいっとそっぽを向いて消しゴムの絵を描き始めた。照れ隠しらしく、彼女の耳が少し赤い。
「それよりさ、何描くの? 文化祭で展示するやつ」
「入院中、ずっと考えてたんだけど、俺が描きたいのは……」
と、優子をチラチラ見て言う事を躊躇う。早く言ったらどうかと優也の方に振り向いた優子は、真っ赤になった彼の顔が目に入った。
「――雨内さんなんだ」
「やだ」
勇気を出して言った優也に、白けた目をして即答した優子。優也はきょとんとしてしまった。
「アタシなんかを被写体にするより、あんたのクラスにもっと可愛い子いるでしょ。その子にしたら?」
「それじゃあ、意味がないんだ。だって、何度も雨内さんを描いても、影ばかりだから……」
影、と聞いて、優子は地面に映るあの黒い影を思い浮かべた。
「でも、きっと今は違うように描ける気がするんだ。懸命にリンゴの絵描いてたし、出来上がった時は喜んだんじゃないかな。喜んで、満足出来なくて描き直して……。だから影がないような、また違った風に描ける気がする」
そっちの影かと理解した優子だが、それでも首を横に振った。
「アタシなりに絵の事ネットで調べてみたりしたんだけど、目の前にあるものだけを描く事だけじゃないみたいなんだね。いろんな角度から、いろんな事を思い浮かべて、それを絵にしている人だっている。あんたなら、そうやって描きたいものを描けるんじゃないの? アタシじゃなくてもさ、こんなのとかもアリなんじゃない?」
すると優子は、ノートににこちゃんマークと、その下にヒトデのようなものを描いた。まるで子供の落書きである。じっと見て恥ずかしくなった優子は少し顔を赤らめると、その絵を鉛筆でぐりぐりと上塗りした。こんな恥ずかしいものでアリとかナイと思ったのだ。しかし、優也はしっかりそれを見ている。
「あはは、可愛いね」
「下手じゃん、こんなの!」
慌ててノートを閉じ、見られまいとノートを抱く優子。対して優也はスケッチブックの一ページに何やらサラサラと描いていくと、優子に見せた。デフォルメされた猫と犬の絵だ。
「可愛いー!」
優子が目を輝かせ、笑顔で食らいつく。動物が好きなのだろうかと思い、他に思いつく限りの動物を描いてみる。狐、タヌキ、クマ、ハムスター等、見せるとすべて優子が喜んだのだ。
「いいなー。こういう動物のイラストを文化祭で展示してもよさそう。そうだ! 二、三枚って言ってたよね。全部違う描き方にしたらどうかな。一つはアンタの好きな風景画、もう一つはこういうイラスト、とかね」
優也が描くというのに、優子は楽しそうに笑顔で案を出していく。こんなに明るい彼女を見たのは初めてな優也の頭にテーマが浮かんできた。
「雨内さん、ありがとう!」
忘れないうちにざっくりとでも描かなくては。テーマをメモしなくては。優也はスケッチブックにどんどん描いていく。優子が覗いている事など気にも留めず、次々と。
(こいつ、スイッチ入るとこんなになるの? 病人とは思えない集中力。すっご)
この日、優子と優也は互いに新しい顔を見た。それ以降優也は、優子の美術室への出入りを控えるよう伝えたのだ。完成した絵を文化祭当日に見てもらう為に――。