エピローグ
あの時送られたきた絵は玄関に飾っている。高校の正月に描いたあの絵は、優也が亡くなる前に色を付けて優子に送ったのだった。雨と虹が共にあり、雨内と虹ヶ丘が手を繋いでいる。
「お母さん」
「ん? ああ、ごめんね。行こっか。お父さんが待ってるよ」
娘の優美と暫くの間手を繋いで歩くと、ある人物の墓に付いた。そこには虹ヶ丘優也の名前がある。きょろきょろと当たりを見渡した優子は、持ってきた花を飾り、優美と共に線香を上げて手を合わせる。手を合わせながら横目でちらちら見る優美は、どこか楽し気だ。まだまだ子供である。
「ねーねー、お父さん、この中にいるの?」
「……違うよ。あの虹の上にいるんだよ」
「いいなー! 優美も行きたーい!」
「もっと大きくならないと、虹には行けないかな。さ、帰ろっか」
空に向かって手を伸ばす優美。娘の手を引いてこの場を退散しようとした時だった。
「あんた、何でここにいるのよ」
聞き覚えのある胸糞悪い声がする――。振り向くと、優也の母親がいた。その隣には彼の父親もいる。いつも命日に墓参りに来ることは分っていたため、優子はその前後にこっそり墓参りに来ていたのだ。ところがこの年は何故かばったり遭遇してしまった。
「優くんに何の用なのよ!」
言い寄ってくる頭のイカレた過保護な親に答える必要はない。優子は優美の手を引いて去ろうとしたのだが、肩をぐいっと引かれ、優也の母親に平手打ちをされた。
「幸せだって自慢しに来たの? あんたは結婚して、家庭を持って幸せですって? 優くんは人並みの幸せなんてなかったのに!」
「お母さんを苛めるな!」
両腕を広げて母を守ろうとする優美の目を見た父親は、誰かに似ていると気づく。だが、母親はそれに気づかずに優美に暴言を吐いた。
「苛めたのはあんたの母親よ! のこのこ優くんの墓にやってきて、こんな醜い子供まで作って……!」
「ちょっと……。アタシはともかく、娘を蔑むのはやめてくれます? 優也が悲しみます」
冷たい目をした優子は、叩かれた頬をぐいっと拭った。
「そんな子供と優くん、何の関係も――」
「やめないか、子供と優也の墓の前で!」
珍しく優也の父親が怒った。何を言うのかと母親が反発しかけたが、優美の目線まで腰を落とした父親が言った一言で態度が変わった。
「……やっぱりだ。目が優也そっくりだ。お名前は?」
「…………優美」
答えると、優美はさっと優子の後ろに隠れた。
「そうか、優美ちゃんか。この子は、優也と君の子だね?」
これに優子は何も答えない。優也の母親が急に祖母だという態度を取り始めたのだから。あれだけ自分を毛嫌いしておきながら、孫だと知った途端にコロッと綻びそうな顔つきになっている。
「まーまーまーまー、優子さん、どうして優也の子だって教えてくれなかったのー。初めまして、優美ちゃん。ばあばですよー」
「優美、おばさん嫌い」
舌をべーっと出すと、優美は優子の手を引いて「早く帰ろ」と言い出した。優美が誰の子か知らずに暴言を吐き、優子を叩いた人を、祖母だと思いたくないのだ。優子はわざとらしくにっこり笑って会釈をすると、踵を返して歩み出した。
「優子さん! あの絵、受け取ってくれたかい? 優也が最後に描いた絵だ!」
雨と虹と――。その絵は、優也が送ったのではなく、優也に頼まれた父親が送っていたのだ。自分が死んだら優子宛に、最後に描いた絵を送ってほしいと、生前に頼んでいたものだった。
「あんた、何勝手なことして――」
「家内が申し訳ない事をしたが、許してくれるなら、いつか我が家にも来てほしい。家族として、迎え入れたい」
「はぁー!? 優美ちゃんはともかく、あの女まで……!」
優子は父親に向けてぺこっと軽く頭を下げ、優美と共にその場を後にした。
***
家に着いた優子は、優也が最後に描いた絵をみて思う。きっと、絵の中ならずっと一緒にいられると思ったのかもしれない。例え体がなくなっても、心の中に記憶として残っているならと。
「お母さん、さっきのおばさんに苛められたところ、痛いの?」
どうやら涙が出ていたらしい。優美が持ってきたティッシュを涙を拭くと、優子は娘を抱きしめた。
「違うよ。優美が生まれてよかったって、嬉しかったんだ」
雨と虹との間には、優也が生きた証が刻まれていた。
Fin..