第一章5 『旅立ち』
「下僕、準備はできたか?」
今日のメルナは朝まで着ていた魔法使いのような服ではなく羊毛のワンピースだった。
「おう。いつでもいけるぞ」
準備なんか何もないからな。ちなみに服装は昨日右袖を失ってしまった学生服だ。
「いってらっしゃいませ」
本のじいさんが見送りにくる。
「あれ? じいさんは行かないのか?」
「ジジイは留守番だ。外では何の役にもたたんしな」
「ははは、ご老体に厳しいことを言いなさる」
本にご老体とかあるのだろうか。
「では出発するぞ」
初めて外に出るな。広がる景色を想像する。異世界には異世界の環境に適した動物や植物が生息していてもおかしくないだろう。ついに始まるぜ! 俺の異世界大冒険が!
俺は異世界への記念すべき第一歩を踏みだした──
……森だった。ごく普通の。動物どころか虫一匹といない。
「なんだ、何をがっかりしている」
とんだがっかりスポットだ。子どもの頃、海底トンネルを通ると言われてずっと前からワクワクしてたのにみたら想像と違ったあのときだってここまでがっかりしなかった。
「なんでこんな何もない森に住んでるんだよ。土地代が安かったのか?」
「何をふざけたことを言っている。昨日も言ったであろう、ここは魔力の満ちた場所であると。それに魔法使いというのは元来より他人との深い関わりは避けるべきだと言われている」
そういえばそんなことも言ってたな。
それよりもどうやって森を抜けるんだろうか? 一応道はあるから歩いて抜けられるのか? それともホウキにでも乗るんだろうか。
「お前の世界ではホウキを移動手段として利用するのが流行しているのか? 残念ながらこの世界では馬を使い移動するのが一般的だ」
メルナが指を鳴らすと目の前に馬車が出現する。一見普通の馬車だが──
「なんだこの馬!?」
馬車と共に出現した二頭の馬。形こそ馬だがその姿はいつか博物館で見た骨格標本と酷似していた。
「この森では普通の動物は生きていられない。貴様だってワタシの魔法で強化されているから平気でいられるが普通の人間ならとっくに死んでいる」
そうだったのか……
「だとしてもなんで骨だけになってんだよ。もしかしてこういう馬の種類なのか?」
「それについては後で説明してやる。とりあえず乗れ」
促され客車に乗り込む。中には既にいくつか荷物が積み込まれていた。メルナも続いて乗ってきた。
「あれ? 御者は誰がやるんだ?」
てっきりメルナがやるんだと思っていたが。
メルナは俺の質問には答えずに手をたたく。すぐさま御者席に光とともに黒い小人が出現した。こいつは──
「俺をボコボコにしたチビじゃねえか」
今なら勝てるんじゃないかと思ったがメルナに殺されるのは目に見えているので諦める。
「ワタシの使い魔だ。簡単な命令ならすぐに実行するかわいいやつだ」
使い魔はボーッとこちらを見つめている。その目からは感情が感じられない。かわいいか?
使い魔が縄を操ると馬車が前進する。ゆっくりと動き始めたと思ったが──
「この馬車すごい加速してねえか!?」
30秒ほどしか経っていないはずなのに今や新幹線に乗っているような感覚だ。景色はみるみるうちに移り変わっていく。
「ただの馬車と一緒にするな。このスピードでも森を抜けるのに一時間ほどかかる」
やっぱり初めて馬車に乗ったから速く感じるという訳でもなさそうだな。
「なんなんだよこの馬は?」
「本来こいつはただの馬だ。だがそれではこの森を走らせることができないから不死身の肉体を与え強化させた。ちょうどお前のようにな」
「でもそれならなんで骨の姿なんだよ。俺と一緒なら腕がもげようが皮膚が剥がれようがすぐ再生するだろ」
「再生能力にも限界はある。長く生きればいずれ体は朽ちる。体を酷使してきたこいつらなら尚更だ」
つまりそれって……
「貴様もずっと不死身の肉体のままでいればこうなるという訳だ」
……早く契約を終わらせる必要がありそうだ。
「そう心配するな。こいつらがここまでになるのにも二百年ほどかかったと聞いている」
「お前が不死身にしたんじゃないのか?」
他人を不死身にできる魔法使いなんてのがゴロゴロいるとはさすがに思えないが。
「こいつらを不死身にしたのは我が偉大なる母、ラウラ・レガルメントだ」
それって母親は二百歳を越えてるってことだよな。魔法使いの年齢どうなってんだ。
俺の頭に一つの疑問が浮かぶ。
「メルナは何歳なんだ?」
その言葉を口にした瞬間、重さを失ったような感覚とともに体が外へ放り出される。すんでのところで客車をつかみ地面との衝突は回避したが──
「うおおおおおおお! あぶねえええええええええっ!」
体は馬車のスピードによって宙に浮いたままの状態だ。手を離せばおそらく死ぬ。死ねないが。
メルナはのんびりとした足取りで近づいてくる。俺の前に立ったかと思うと俺の手に足をかけた。
「お前の世界ではどうか知らないがこの世界では女性に年齢を聞くのは失礼とされているんだ。よく覚えておけ」
……僕の世界でもそうです。
メルナは前屈みになり少しずつ俺の手に体重をかけ始める。
「本当に悪かったから勘弁してくれ! 何でもするから! 足の裏を舐めるから!」
メルナは心底軽蔑するような顔を見せる。
「冗談のつもりだったが本当に突き落としたくなってきたぞ……」
そうこう言いつつもメルナは手に置いた足をどけて魔法で俺を引き上げてくれた。
「本当に死ぬかと思ったぞ。そこまですることねえじゃねえか」
「だから冗談だと言っただろ。それに母の教えでは魔法使いに年齢を聞いた人間は容赦なく殺せと言われたぞ」
こいつの性格は母親譲りなのか……
「あとワタシの年齢は17だ。二度と言わんぞ」
「17歳!?」
14歳くらいかと思ってたら俺と同い年じゃねえか。
隠すほどの年齢じゃないし。
「ワタシが腹が立ったのは年齢のことじゃなく貴様の態度だ。あまりなめていると痛い目をみるぞと教育してやっただけだ」
「俺の世界ではそういう考え方は体罰って呼ぶんだぜ」
俺の言葉をメルナは鼻で笑う。
「そんな甘い考え方はこの世界には存在しない。貴様も痛い思いをしたくないならワタシへの態度を改めることだな」
メルナの発言に反論の言葉が喉まで出かけたが飲み込む。確かに俺もいい加減この世界の生き方に適応すべきだな。よし──
「分かりましたメルナ様! これからは私、樋口ケイは心を入れ替え精一杯ご奉仕したいという所存でございます!」
「…………」
「どういたしましたメルナ様? お疲れでしたらお肩をおもみいたしましょうか?」
「…………やっぱり気持ちが悪いから前のままでいい」
「俺もそう思うよ」
こうして俺はメルナとタメ口で話す権利を獲得したのだった。
次回の更新は木曜日の予定です。都合によっては火曜日に変更になる場合があります